頃合いというものがあって、ちょうど雑草や樹木の若葉が繁茂して見苦しくなるのが今頃からだ。昨日筆者は駅前広場の植え込みに目立っていた雑草をたくさん引き抜いた。阪急がいつ業者を呼ぶかわからず、観光客の中には筆者のように雑草を目に留める人もあるはずで、気が向いたので次々と引き抜いた。
根元から抜けるものばかりではなく、たぶん2,3週間すればまた同じように目立って来るものが多いだろう。その時はその時のことで、気が向けばまた抜く。それはさておき、今日は昼頃に駅前広場に行くと、1台のトラックが昨日筆者が雑草を抜いた植え込みのかたわらに停まっていた。何とか造園業といった文字が荷台に見えた。40代の男性がふたり作業を終えたようで、休憩中かあるいはもうそろそろ引き上げる準備をしているようであった。荷台を見ると大きな布袋の口が開き、中から緑が見えていた。それらは大半は花が終わった桜の葉や枝のようであった。桜は切らないものというが、ま、形を整える程度にわずかに切ったのだろう。ほかにも木があるが、雑草は昨日筆者がほとんど全部に近いほど抜いた。何しろわが家を二度往復して大きなゴミ袋いっぱいに詰め込んだほどだ。今日の業者はたぶん意外であったのではないか。てっきり雑草が多いと思っていたのに、ほとんどそれがない。筆者がすっかり抜いた植え込みから2,3メートル離れたところに別の植え込みがあり、その中にタビラコがにょきにょきと生えているのを昨日見かけ、それも抜いてやろうと思いながら、その植え込みの縁には2,3人の観光客が座っていて、筆者が作業するには場所を移動してもらう必要があった。それでそこは無視した。それらのタビラコを抜くのに要する時間は1分程度だ。それを今日は造園業者がすっかりやったようで、きれいになくなっていた。だが、そこから20メートルほど離れた植え込みには1本の背の高いタビラコが生えていて、それは抜かれていなかった。目立たない場所にあるが、その1本を放置すると、またたく間に数本になるだろう。ともかく、業者は雑草を抜く手間はかからず、もっぱら樹木の徒長した枝葉を刈り取ったようで、荷台の袋は近くに寄らねば見えないほどに嵩が低かった。つまり、ほとんど仕事をせずに済んだに違いない。それでもふたりの日当は支払われる。昨日筆者は駅員にかけ合って雑草を処分するゴミ袋代くらいは寄越せと言ってやろうとも思ったが、それを言えばこんな返事があったに違いない。「明日造園業者がきちんと刈り取りますから、よけいなことはしないでください」 そのことを昨日知っていたなら、筆者は汗をかき、シャツを汚しながら雑草を抜き回ることはなかった。では損した気分かと言えばそうでもない。業者の手間が少なくて済んだのであればそれはそれでいい。それはともかく、雑草が多くなる頃合いがあって、昨日筆者が雑草に目が留まったのはまともな反応であったと言ってよい。だが、世の中には春の雑草に関心のない人は少なくないだろう。そうして平気できれいな植え込みに弁当の箱や空き缶を投げ捨てる。そういう人はきれいな花が咲いていてもきっと見ておらず、見ていてもきれいとは思わない。ゴミを捨てる人がいるかと思えばそれを拾ってゴミ箱まで持って行く人もある。後者は損をしているかと言えばそうでもないだろう。

造園業者は朝9時過ぎにはやって来て作業にとりかかったであろう。正午頃になると眩しくて暑くなる。今日は特にそうで、松尾橋のデジタル気温計は午後3時頃に28度を示していた。半袖を着るべき気温だ。春はとても短く、一気に夏だ。日本は夏が半年ほど占めている気がするほどで、今年もまたうんざりするほどの猛暑がやって来るのだろう。荷台にわずかな雑草を載せた造園業者は顔が赤銅色で、汗ばんでいた。それがいかにも今頃の五月晴れを連想させる。何となく俳句でも浮かびそうだが、面倒なのでそのまま書き続ける。午後3時前後はムーギョやトモイチに買い物に出かけた。途中の大きな畑では昨日か今日立てたはずの鯉のぼりが7、8メートルの上空に泳いでいた。上から下へと大きい物順に5匹で、それらが風で一斉に真横にたなびいた瞬間があって、それを目にした時、カメラを持って来なかったことを悔いた。しゃがんでそれら5匹を縦向きに撮影すると、背景は見事な白い雲と青空となって、他によけいな物が入り込まず、絵のような写真になったはずだ。だがそう予想した瞬間、撮ってもあまり面白い写真にならない気もした。棹は太い緑色をした竹で、それを畑に突き刺し、四方を木材で枠に囲んであったが、頑丈かつ畑の中央というちょうどいい場所で、畑の所有者にお孫さんでもいるのだろう。この畑は何度も今まで書いて来た。先日はチューリップが500ほど花を咲かせていて、今は別の場所に紫色のアヤメの花が満開になっていた。その区画は筆者が通る道からすれば、鯉のぼりの棹の手前で、先のしゃがんで撮る写真を縦2枚つながりにすれば、鯉のぼりの下にそのアヤメを収めることが出来る。カメラがあればそういう写真を撮ったが、撮る気があれば明日でも大丈夫だろう。ただし、風向きが今日のように理想的になって5匹の鯉の家族が全部きれいに膨らんで真横にたなびくかどうか。それに背景の空も雲と青空の配分が理想的になるかどうか。たぶんそれは無理だろう。それにしても今日見た鯉のぼりは松尾大社から渡月橋に至るまでの自治連合会の範囲の中では唯一のものだろう。ほかにあるとしても今日見かけたものほど周囲に遮るものが何もない場所はない。田舎に行けば同じような広々とした場所の方が多いから、その意味で言えば筆者は田舎とは呼びにくい地域に住んでいる。であるからこそ、田舎に行けば珍しくない風物に出会うのが楽しい。ないものねだりだ。それはともかく、今日はいつものように地元をうろうろしただけであるのに、天気のよさとサツキの鮮やかな色をあちこちで見たためか、行楽地に行った気分になった。もっとも、嵐山や松尾は行楽地であるから、そういう気分になるのは不思議ではない。

京都は大勢の観光客が訪れるから、彼らの姿を見ると、自分も同じようによその土地から観光に来たように錯覚することがある。わざわざ交通費を使って遠方に出かけずとも、住んでいるところを歩くだけでそういう気持ちになれるとすれば経済的だ。また、市内をバスで移動する程度なら、消費税が8パーセントになっても500円に据え置かれた1日乗車券で済むから、京都市内に住んでいると年中観光客気分になれないこともない。そういう気分を最近はなるべき味わうことにしている。それで先日の25日は北野天満宮に家内と出かけた。天神さんの縁日だ。天気がとてもいいので行くことにした。いつものように馴染みの露天商にあいさつをし、何か掘り出し物がないかとすべての店を見て回る。正午頃に家を出たので、着いた時には腹が空いていた。どこかで食事しようということになって、思い出したのは去年の桜の季節の親類の食事会だ。それは仁和寺や平野神社の桜を見た後に上七軒で新しく出来たレストランで夜に食べるというもので、その店は家内は行ったことがないので、そこへ連れて行くのがよいかと一瞬考えた。縁日が開かれている区域から徒歩5分ほどだ。そのことを思って歩いていると、上七軒歌舞練場へ通じる門が、家に挟まれた形で口を開いているところに遭遇した。そこは今までも気づいていたが、意識に強く留めなかった。ところが先日はそうではなかった。というのは道に面して立て看板が置かれていて、そこにランチの写真などが貼られたメニューが掲示されていた。その看板から奥30メートルほどが歌舞練場の建物で、普段はそんな場所に行く気にはなれない。ところがランチは安いし、静かな環境のようなので入ってみることにした。歌舞練場の建物内部は照明が消され、そこは立ち入れないことが立て看板の位置からもわかる。ランチを提供する場所はその建物のドア前の道を左手に回り、建物の背後の庭から入る。庭に入るにはまた門があって、その脇にも立て看板に貼りつけられた同じ写真入りのメニューが見えた。庭は歩くと音がするように細かく粉砕した石を敷き詰めてある。そこに踏み込むと右手に建物があって、その1階がレストランになっている。ガラス越しに内部がよく見え、空席が目についた。庭から土足のままでそこに至ると、すぐに庭に面した座席に案内された。ガラスは竹と菊がサンドブラストで彫られている。竹と菊ということは、残りは梅と蘭のはずで、筆者の座席の後方のガラスを見ると、そこに客が座っていたので全体は見えなかったが、梅と波がデザインされていた。蘭を持って来るとあまりに文人っぽく、上七軒には似合わないと考えられたためか。筆者らの左は3人の50代らしき西洋人女性と彼女たちを引率する70歳くらいの日本の女性で、日本情緒豊かな場所で食事していることにご機嫌で、周囲の人に愛想を振り撒いていた。次から次へと数人連れの客が訪れ、庭に設置されたテーブルに10人近くが待つ状態になった。筆者らはわずかな時間差で待つことなしに座れた。

この庭に面した歌舞練場の食事処は昔から筆者は知っている。夏場になればビア・ガーデンが開かれ、何人かからそのことを聞かされた。舞妓や芸妓が客にサービスしてくれるとのことで、そういう経験はめったに味わうことが出来ないから、行って来た人は必ずそれを自慢する。さほど値段も高くなく、また情緒豊かな建物と庭で飲めるのであるから、一度は経験しておくのがよいだろう。だが、筆者はビア・ガーデンはあまり好きではない。それはともかく、予想していなかったのに、そのビア・ガーデンが開かれる場所を訪れ、建物や庭の雰囲気を味わって来た。当然のことながら、去年親類の食事会をした店よりはるかに雰囲気はよい。歴史や格式の重みだ。家内に言わせるとつんと澄ましているそうだが、それは仕方がない。キモノ姿の舞妓や芸妓がビールを運んでくれるなりすればもっと落ち着かなくなるだろうが、京都らしさを味わいたい人なら大歓迎だろう。上七軒は太閤秀吉の時代に出来たお茶屋が七軒並ぶ地域で、祇園より歴史があって、格式が高いとされる。以前書いたように、上七軒と祇園は電柱が撤去されている。上七軒は面積が狭いので歩いてもしれているが、郵便局の外観もレトロのままに保存されているなど、異空間の味わいは濃厚だ。話が変わるが、阪急嵐山駅前周辺をうろつく近所に住んでいる老人がいる。ここ1年ほどはさっぱり見かけないので、入院しているかもしれない。その人は筆者と道で出会うと必ず、「あんたはいつも若いな」と言うのが口癖で、人の顔をよく覚えているので認知症ではない。だが、身なりにかまわず、ほとんどホームレスに見える。駅前をうろつくのは観光客に声をかけるためだ。それほど孤独なのだ。あちこちで嫌われ、悶着を起こしているようだが、本人は平気だ。その老人を20年ほど前から筆者は知るが、その頃は車を運転し、家業をこなしていた。それをやめてから時間を潰すために近所をうろつくようになった。筆者は割合話をし、その人がどういう人生を送って来たかを本人の口から聞いたことがある。屋敷と呼べるほどの大きな家に住んでいたが、酒好きで、しかも遊ぶのはいつも上七軒で芸妓を呼ぶ。そんなことでたちまち財産を食い潰した。それでもなお歯のない口に笑みを浮かべ、その遊びがどれほど楽しかったかを筆者に言い、いつか連れて行ってやるともつけ加えた。金も体力もなくなってその人は上七軒に遊びに行くことはやめたが、舞妓や芸妓たちは上客として覚えているだろうか。きっとそんなことはない。大阪ではたかじんが毎夜のように北新地で豪遊したそうだが、酒も店も女も無限にある。夜の盛り場で有名になったところで、金や健康を失えばきれいさっぱりに忘れられる。またそのように考える者は最初からそうした場所に出入りしない。壮年の頃にさんざん上七軒で遊んだというのが先の老人の人生最大のよき思い出で、それはそれで他人がとやかく言うことではない。だが、誰からも近寄るなと言われるようなホームレス同然の姿になったその人を見、そして茶屋遊びで身上を潰したと知ると、顔をしかめる人の方が多いはずで、身内に同情を寄せるだろう。とはいえ、そういう人がいることによってお茶屋も存続出来る。茶屋本来の経営がうまく行っているのであれば、昼間に安価でランチを提供するだろうか。そこまで上七軒も営業が大変なのだろう。

写真を少し説明しておく。最初は筆者の座席から入って来た庭の出入り口を見た。ガラスの彫られた菊の背後辺りがそうだ。この絵入りガラスは貫禄があるのはいいが、残念なことに縦中央で真横に割れていて、そこを透明なテープで補修してあった。その様子を写真に収めるには忍びないので、写真加工の際に入らないようにした。同じ模様入りのガラスを注文するとなると、10万や20万では済まないだろう。また昔と同じ加工が出来る職人がいるかどうかだ。写真には写っていないが、右手奥に茶室がある。2枚目の写真は庭から建物に土足で上がったところの廊下の壁に飾ってあった絵で、これは何とか踊りの際のプログラム表紙の原画で、描いたのは女性だ。庭が反射してよく見えないが、ツツジを装飾文様化したもののようだ。陰陽というか、白と赤の花とし、茎を唐草文様化していて味がある。庭はサツキが満開で、当日の陽射しのよさもわかる。3枚目はその庭に咲くサツキと背後の建物を撮ったが、庭が狭いため、このような写真になった。絵の右手奥が食事処で、さほど広くなく、20人も座れない。左手はトイレで、近年建物を改修したためか、内部はとてもきれいであった。トイレの美しい店はそれだけで評判のポイントが上がる。トイレの先は写真4,5枚目の光景が広がる。4枚目は庭側、5枚目は右端が縁日の露店が並ぶ道沿いにある立て看板が置かれた門から30メートルほど入った時に正面に見える建物の玄関内部で、前述のようにそこからは出入り出来ず、左へ迂回して裏庭横の出入り口から入る。この4、5枚目はこれ以上前に出られないように小さな柵と注意書きがあった。ところがそれを乗り越えて内部に入って平気でスマホで撮影している20代の観光客の女性を帰りがけに建物の正面玄関前から見た。さも珍しそうに首をあちこち回していたが、立ち入り禁止の表示も咎める人がいなければ平気というわけだ。そんな図々しい女性が昨日書いたような老女になるのだろう。それはともかく、4枚目と5枚目は左右につながらないが、建物の構造は理解出来るだろう。この緋毛氈を敷いた渡廊下にビア・ガーデンの客は陣取る。庭の灯を見るもよし、眼下に鯉を眺めるもよしで、赤い提灯は全部灯され、京都のお茶屋ムードが味わえる。今は社用族も斜陽族となってたぶん観光客相手で生き残って行くことを考えねばならなくなっているだろう。本物の舞妓や芸妓が間近で見られるのであれば、外国人観光客は喜ぶだろう。あまり安いと客の質が悪くなるので、その頃合いが難しいところではないか。