哀しみと悲しみがどう違うかと言えば、漢字が違うので感じが違う。どう違うかは人にとって感じ方が違うはずだが、筆者は「哀」より「悲」を使う。これが「悲哀」となればかなしみは倍増で、そんな感情に襲われたくはないが、誰しもそれは逃れられない。

去年7月26日にJ.J.Caleが亡くなったことを最近知り、彼のホームページを見ると、バンドのメンバーであったクリスティン・レイクランドが冒頭画面にケールの死を告知し、謝辞を述べている。その名前の綴りが「Christine Lakeland Cale」とあって、ケールの奥さんと考えてよい。彼女の生年は公表されていないが、今50代であるはずで、ケールとは親子ほど年齢が離れていた。クリスティンが今後ケールの残したライヴ音源などをどう発売して行くのかそうでないのか、注目したいが、筆者は彼女の自叙伝を読みたい。ケールとの出会いやその後どのような生活を送ったかについて少なからず関心がある。彼女のことをネットで調べても情報は多くない。デビューLPレコード『VERANDA』は入手困難で、CDを3枚ほど出したが、1枚を除いてやはり手に入れるのは難しい。それでも今日紹介する曲は彼女のデビュー・アルバムに収録され、しかも代表作としてよいCD『FIREWORKS』は日本で唯一発売され、しかも4曲のボーナス・トラックのうちのひとつとして含まれている。このアルバムはどれもいい曲ばかりで、筆者が最も好きなのは「ムーヴィン・ブルース」だ。『VERANDA』のジャケット写真を今日は最初に載せるが、筆者はこれを所有していない。気長に中古レコード屋に入荷するのを待つしかない。アメリカの中古レコード屋からは買えそうだが、最近支払いやまた無事届くかどうか不安で、注文する気になれない。クリスティンは何枚プレスしたのだろう。1984年の発売で、時代はCDにそろそろ完全に移行しようとしていたから、売れ行きは芳しくなかったのではないか。また同アルバムの全曲が後のCDに収録されたかと言えばそうではないため、彼女の音楽に関心を持ったならばぜひとも同作を手に入れねばならない。それはともかく、先月彼女の87年の20分ほどのスタジオ・ライヴ
「Christine Lakeland on Brother Mutt‘s Bluez Shift」がYOUTUBEに投稿された。筆者がそれを最初に見た時はまだ200少々の訪問者数で、今日は368になっていたが、そのうち80ほどは筆者が見た数だ。それほどに今月は毎日数回その映像を見ている。ダウンロードしてDVDに焼きたいのに、その方法がわからない。投稿者が消さないとも限らず、早々にダウンロードしたいが、映像のそれをやったためしがない。つまり、初めて筆者が映像をダウンロードしてまでほしいと思ったもので、それほどに彼女の演奏には魅力がある。それはまだ若くて美しい女であるからだが、それ以上にとにかくギターを奏でながら歌うその様子があまりに格好いい。女のギタリストは筆者は今までほとんど見る気がしなかった。それがクリスティンの場合は、実に様になっている。こういう女性は珍しい。この映像の背後の壁に4枚LPジャケットが貼りつけてあるが、それは『VERANDA』で、演奏はアルバム発売から3年後だ。3年は長いと思うが、その間に各地で宣伝を兼ねて演奏したはずで、今後同じ時期の演奏の様子がYOUTUBEに登場するかもしれない。クリスティンが主役となって演奏する映像はこれのみで、それだけでもとても貴重だ。もっといい画質で正式に発売されないものかと思う。この映像は冒頭近くで何度か音と映像が途切れ、しかも画質が全体に悪く、どうにか様子がわかる程度で、そのことにクリスティンが満足せず、投稿に対して否を言う可能性があるだろう。ともかく消されないうちにダウンロードしたいものだ。

デビュー・アルバム『ヴェランダ』のジャケットはペンによる点描画で、トム・ケンプの手になるが、タイトル文字と左下隅のベッドらしきものが青色で、それが「BLUES」を示唆している。だが、観音開きの扉を開けてヴェランダに向けて爪先立つ素足の若い女性は、溌剌として青春を謳歌しているように見える。「BLUES」すなわち「哀しみ」を連想しなくてもよいわけだ。だが、筆者はスローなブルースを聴くとそれにどっぷりと嵌ってしまい、なかなか抜け出せない。ちょうど今がそういう時期になっている。それは心地よさと何もする気になれない苛立ちが半々で、全体には「哀しみ」そのものと思える。クリスティンの『ヴェランダ』はジャケットからして若くて陽気な音楽を連想させるが、そこに青色を使っていることは「哀しみ」も混じっていると思ってよい。青春時代に哀しみがないかと言えば全くそうではない。人生のどんな段階においてもそれ相応の哀しみが横たわっている。『ヴェランダ』のジャケットをクリスティンはあまり気に入らなかったのかどうか、同作をそのままCD化しておらず、またジャケットを他のCDに使い回ししていない。今日取り上げる曲は『ヴェランダ』に最初に収録されたので、同作のジャケットを今日は最初に載せるが、CDでは前述のように『ファイアワークス』に収められる。同作はジャケットの裏表ともクリスティンの写真だが、裏ジャケットの全身像の方が顔はわかりにくいがよい。このアルバムはジャケットで損をしていて、もう少しかわいらしく見える写真がなかったものかと思う。89年の発売で、前作『ヴェランダ』から5年経っている。その間が少々長過ぎるのはどうしてか。ソロ活動はしたものの、あまりぱっとしなかったというのが最大の理由だろう。『ヴェランダ』はJ.J.ケールとクリスティンが共同でプロデュースしているが、クリスティンがケールのアルバムに最初に参加したのは79年8月のことで、『ヴェランダ』より5年遡る。その頃ふたりの関係はどれほど深まっていたかわからないが、同じ年にロサンゼルスのパラダイス・スタジオでレオン・ラッセルを招いてのセッションを行なっている。その映像はDVD化されていて、最後の方でケールとクリスティンが対面しながら「ドント・クライ・シスター」を歌い、その曲でのみ、クリスティンの顔が多少よくわかる程度だ。前述した3月にアップされた「on Brother Mutt‘s…」の映像はそれより7年後で、女性の年齢は映像からではよくわからず、筆者には87年の演奏の方が若く見える。YOUTUBEではケールのライヴ演奏がかなり紹介されていて、クリスティンの姿もわずかだが確認出来るが、最も若いのは
79年のロサンゼルスでの「ドント・クライ・シスター」、そして「on Brother Mutt‘s」で、後者はケールのバンドの一員ではなく、主役であるから弾け具合が比べものにならない。そして驚くのはケールの音楽とはあまり共通性がないことだ。彼女は79年にケールのバンドに参加しながらも、自分が本当にやりたい音楽があったことになる。そして5年目にしてようやくケールをプロデューサーに迎えてデビュー・アルバムを出した。決まったバンドは持っていなかったが、「on Brother Mutt‘s」に登場した4人あるいはハーモニカを加えた5人でもっと活発に活動すれば、第2作を翌年に発売するということになったのではないか。あるいは当然各地で演奏したが、大手レコード会社の配給にならず、宣伝不足でLPは初版で終わってしまったというのが実情だろう。先日ネットで「WOMEN BORN TRANSSEXUAL(性転換で生まれる女たち)」というブログに載る「Being Female is a Bad Career Move for Musicians and Other Artists」という文章を読んだ。直訳すると「女性であることはミュージシャンや他の芸術家としては悪い経歴だ」で、だいたいどのようなことが書かれるか予想がつく。クリスティンについては、エリック・クラプトンが開催した2004年の「クロスロード・フェスティヴァル」では何百人もの男のギタリストに混じって唯一の女性ギタリストであったが、彼女は呼び物として光が当たらなかったと書いている。その時の映像はYOUTUBEで見られる。ケールがステージの中央でギターを弾きながら歌い、中間のソロはクラプトンがケールの背後で担当する。クリスティンは終始笑顔だが、音はほとんど聴き取れないアコーステッィクのリズム・ギターで、しかもクラプトンより背後、舞台の端だ。ケールやクラプトンを差し置いて出番がないのは仕方がないだろうが、彼女にもソロを担当させればよかった。そこで思うのは「on Brother Mutt‘s」での生き生きとした表情だ。それをその後も保つのが難しかったのだろう。かくてクリスティンはケールのバンドでは欠かせないメンバーとなり、またステージでは必ず1曲はケールの紹介によって歌わせてもらえるようになるが、そこにはもはや87年の映像の活力はない。

「ムーヴィン・ブルース」はクリスティンの当時の生活を歌ったものだろう。金はわずかだが、ある場所に留まらず、絶えず気の向くまま旅をする。クリスティンがギターを始めたのは11歳だそうだ。ケールのステージではキーボードを担当していることもあって、ピアノも少女時代に学んだのだろう。プロ・ミュージシャンを目指して16歳で家出し、クラブのバンドで演奏しながらアメリカ南部の各地を転々としたが、こういう経歴はまず普通だろう。76年からレコーディングのセッション・バンドを務めるなどし、やがてレオン・ラッセルつながりでケールに出会い、79年の彼のアルバム『5』に参加する。『ヴェランダ』はCharles Johnsonという男に捧げられていて、その名前の後に「The Kid」とあるからには、これは当時のクリスティンの夫と子どもではないかと思うが、それがやがてケールの内妻のようになって行く。ケールとは16年間暮らしたそうで、逆算すると96,7年で、ケールの96年作『GUITAR MAN』の頃ではないかと思う。同作はケールとクリスティン、そしてドラムス担当の計3人で録音されていて、それまでになくクリスティンの存在が大きい。もしその頃に正式に籍に入れるなどしたとして、ふたりが出会ってから20年近い歳月が経っていたから、クリスティンに子がいても大人に成長していて離婚はあまり問題なかったのだろう。チャールズ・ジョンソンがどういう人物かわからないが、ケールの才能を目の当たりにしたクリスティンが、自分の作曲活動を捨ててもケールにしたがって行く道を選んだことはわかる気がする。また、先のブログにあるように、女性のギタリストはなかなか有名になりにくい。それを彼女は案外知っていたかもしれず、それでデビュー作を『花火』と題したのかもしれない。それにしても惜しいと思うのはたとえば「ムーヴィン・ブルース」の独特のグルーヴで、「on Brother Mutt‘s」での彼女の同曲の演奏は2分51秒から始まるが、とにかく1秒ごとが格好いい。アルバムでのこの曲は、ギターはケールとクリスティン、そしてもうひとりのギタリストが参加していて、この映像とは違ってもっと分厚い音だが、小さく聴こえるリズムをカットするギターの音色に惹かれると、もう何遍もリピートで聴きたくなる。さて、筆者がクリスティンの声を初めて聴いたのはケールのアルバム『トラベル・ログ』で、ケールのぼそぼそとした歌声に重なって時々若い女性の声が混じることに不思議な魅力を感じていた。ケールのどの曲においても彼女が歌を添えることはなく、むしろ稀な方だ。そうであるから却って印象に強い。彼女はそのようにしてケールのアルバムに色を添えたが、彼女のソロ・アルバムを聴くと、それがどうにも惜しい。もっと別の活躍の仕方がなかったものか。ケールの偉大さはわかるとして、彼女にはそれとは違う個性がある。それを音楽でもっと深めてほしかったが、過去形で言うのはまだ早い。ケール亡き後、これから彼女は自分の仕事をするのではないか。またそうでしかケールのいない哀しみを乗り越えられないのではないだろう。彼女のCDは近いうちに再発されると彼女のホームページに書かれている。それもいいが、「ムーヴィン・ブルース」の歌詞からすれば、過去を振り返らず、哀しみを乗り越えて新作を期待したい。