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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●おむろ桜満開、その2
の方が枝より重要で、男性の名前に「幹」の漢字はよく使われる。それに比べて女性は男性の付属すなわち幹に対する枝のような存在と昔から思われているようで、「枝」は女性の名前に使われる。



●おむろ桜満開、その2_d0053294_23455166.jpgザッパの「ビリー・ザ・マウンテン」という長大な曲では主人公はビリーという山で、そこにエセルという木が生えていて妻の役割を果たしている。ザッパも男女に関しては古い価値観を持っていたと言えそうだ。それに山にはたくさんの木が生えるから、男は女をたくさん所有してもいいという思いが同曲には見えている気もする。実際ザッパは女には不自由しないロック・ミュージシャンであったから、ま、同曲は正直な歌詞と言える。それはさておき、今日は「おむろ桜満開」の「その2」で、いわば幹となる写真を載せる。昨日や明日は枝葉と言ってよいだろう。それもさておき、今日はまた桜の林に行って鳩に古米を与えた。今日ですっかりなくなった。それもさておき、今日は桜の林で鳩を待っている間にしげしげと見た桜の老木がある。確かその木は30年近く前に盛んに写生し、キモノの構図などに使った。それが近年めっきり弱ってしまい、今年はわずかしか花をつけなかった。というのは、直径1メートルほどがあろうかという幹は高さ1メートル少々のところですっかり上部が切り取られ、幹の皮につながる形で1本の枝しか残っていないからだ。その枝には新緑の葉がついているが、枚数は100前後ではないだろうか。幹の皮は厚さ数センチしかない。幹の内部はすっかり空洞化し、もう枯れ死しているも同然だが、かろうじてその1本の枝に養分を送っている。周囲にはまだまだ元気な老木があるので、そのまるでバオバブの木の小型のように見える無残な老木は桜の林の中にあってかなり異様だ。幹の中には何の塊か知らないが、黄色に塗られたコンクリートらしきものが嵌っている。たぶん空洞化した内部から腐るのを防止するためにタールの塊でも挿入したのだろう。それがすっかり幹から浮かび上がってもう落花寸前になっている。この木が撤去されるのは時間の問題だが、まだ1本の枝が直立しているからには切り倒すのはかわいそうだ。今日はその写真を撮るためにカメラを取りに戻ろうかと考えたが、撮影したところでこのブログに載せる場がない気がした。それに無残な姿を晒してやるのはかわいそうで、ブログを見る人も楽しくないだろう。だがそう書くと老人はあまり人目につく場所に出るべきでないとの思想を持っていると思われそうだ。あるいは老木が老人であるのはいいとして、幹の皮でつながっている1本の枝しか持たない老木は、財産がない貧乏人とのたとえにふさわしいようで、同じ老人の間でも差別がある現実を思い出してしまう。それはいいとして、そのほとんど空洞化した短い幹だけになってしまった老木はまだ残っている1本の枝を切り取れば死んだも同然なのだろうか。その木に訊いてみないことにはわからないが、人間はきっと死んだとばかりに根元から切り取って切株にしてしまうだろう。そして地中の根にまだ命があるならば、ひこ生えして来るはずで、そう簡単に見捨てるのはよくないのではないか。
●おむろ桜満開、その2_d0053294_13115062.jpg
 さて、「ひこ生え」は「孫生え」と書くらしいが、幹から枝は親から子とすれば、幹の根元から直接生え出て来る小さな枝は孫という見方だ。桜にそんな活力があるかと言えば、どうやらあることを筆者は初めて目の当たりにした。それも「御室桜」で、これは予想外であった。背丈が低い木とは聞いていたが、阪急駅前近くの桜の林にある老木とは全く違う品種のようだ。数日前、ネット・ニュースに「御室桜」が八重ではなく一重に先祖帰りしているとあった。「御室桜」はほかの名所が散った後に満開になると昔から聞いていて、それは遅咲きの八重の品種であるためだ。わが家の近くには八重の桜も多く、筆者はその花の固まりが暑苦しいのであまり好きではないが、「御室桜」をこれまで見に行かなかったのは、八重の品種であるからでもあった。桜は散りやすい一重の品種がいいに決まっている。八重桜はまるで別の植物のような気がする。大阪造幣局にも八重の桜が多いま、それはそれで楽しめばよいが、「御室桜」が全部八重であると、見なくてもだいたい想像出来ると筆者は長年思っていた。ところが実際は違った。八重桜は色が濃いのが普通だが、「御室桜」はどれも白っぽかった。それに手毬のように花が固まって咲く八重ではなく、むしろ一重に近く見えた。それで先日のネット・ニュースに「御室桜」が長年の間にまた一重に戻ったと書いてあったので納得した。その長年だが、300年か400年か、ともかく普通の桜は70年ほどが寿命と聞いているので、それに比べるとはるかに長い。先に書いた桜の林に無残な姿を晒す幹だけに近い老木は、地元の古老の話によれば樹齢60年から70年で、ソメイヨシノはその程度であろう。「御室桜」は葉が見えないので同じ品種かそれに近いものと思うが、それでは樹齢300年はとても手入れが行き届いているか何か特別の理由があってのことだろう。また、2枚目のパノラマ写真からわかるように、どの木も太い幹と呼べるものがない。地面から幹とは言えないほどの細めの幹が何本も生えていて、それで樹高があまりない理由がわかった。この放射状に生え出る幹は「ひこ生え」とみなしていいもので、ある幹が枯れてもまた新たなものが根元から生えて来る。それが300年の樹齢を保っている。地表に出ている幹や枝と呼ぶべきものより、地中の根に命の元がある。それはどの桜も同じだが、「御室桜」ではその縁の下の力持ちがなおさら重要であることがわかる。その根元さえしっかりしていれば、地表の細い幹は何度でも再生出来るかのようだ。そこで思うのは桜の林にある瀕死の幹と枝1本の老木だ。その枝がなくなってもまた根元から「ひこ生え」して来るかもしれないではないか。あるいはそうでなくても地中の根をていねいに掘り起こして土壌や陽当たりのよい場所に植え替えるとまたあたらしい枝が出て来る気がする。あるいは地表に出ている分がすっかり枯れたかに見えると、地中の根も腐っているのだろうか。このことをしつこく書くのは、STAP細胞の話題が頭に残っているからでもある。その細胞は人間も植物のようにたやすく再生出来る可能性を秘めたもので、動物も植物も死とは何かを考えさせる。わずかな細胞さえ生き残ればまた元の生命体の形が再生出来るとすれば、人間は死なないことになり、死への恐怖がなくなる。それは歓迎すべきことだろうか。「御室桜」が地中の根さえ元気であればいくらでも地表の幹や枝を再生出来るのかどうか知らないが、それに近い性質を持っているようで、生命というものを改めて考えさせる。それはいいとして、「御室桜」が先祖帰りして一重の花になって来ていることは八重の品種に造り変えられて来たことを意味するのだろう。八重ならば遅咲きで、京都市内では仁和寺が最も遅く桜が満開になる名所としての地位を築くのによい。それが一重になれば他の場所と同じように4月上旬に満開になるのだろうか。そうであれば遅咲きの名所としての地位を失うし、観光客はほかの場所の桜を見るのにも忙しいから、仁和寺に足を運ぶ人は減少することになる。これは寺としては死活問題で、また八重桜に戻す努力を始めるかもしれない。ネット・ニュースには寺側の考えとして自然に任せると書いてあったが。
●おむろ桜満開、その2_d0053294_23474262.jpg 「御室桜」を見るにはカキツバタの八つ橋のように、板敷きの道を時計回りに進む。それが半間ほどしかなく、人の歩みは遅いから、背丈の低い桜の林の向こうを見通せない状態でゆっくりと前進することになる。そうして撮ったのが2枚目で、最初の写真は入口を入ってすぐに撮った。曇り空で太陽が朧月のように見えた。それで満月の夜の「御室桜」を想像しようとした。満月の夜に「御室桜」が満開であっても夜は拝観出来ないから、寺の僧侶たちだけが特権として味わっているだろう。桜の庭の南側を西向きに進むと、50メートルほどだろうか、突き当りが1・5メートルほど高い堤になっている。それは寺の境内の西端に近い塀際で、そこで今度は北に進むが、その小高い場所に立って撮ったのが3枚目の写真で、五重塔が写る。これはチケットに描かれるスケッチと同じ角度で、「御室桜」の最も有名な立ち位置だ。ただし昨日書いたように、チケットとは違って桜は桃色が勝っておらず、灰色がかって見える。曇り空でもあるからだろうが、予想とは大きく違った。八重の品種の頃がどうであったか知らないが、たぶんもっと赤みを帯びていたのではないか。この3枚目の写真はあえて下の方に人の頭を入れた。それからわかるように筆者が立っている堤は人の背丈ほどだ。同じようにこの堤で立って撮影する人は多かったが、年配者は足元が悪いのでそのまままた東を向いて進んでいた。筆者らはその板敷きの道を歩まず、その北の少し高い道を東に進んだ。その道のすぐ北は観音堂で、工事中のために覆いがしてあった。それが興醒めさせるが、仕方がない。観音堂沿いの道からは「御室桜」を見下ろすことが出来る。その写真を撮らなかったのは、前も後ろも人が連なり、立ち止まって撮影出来る雰囲気になかったからでもある。眼下の雲海のように桜が見える光景を想像すればよい。それは確かに見事で、一度はこの桜を見ておくのがよい。それでも桜も人も多くてせせこましい印象の庭園と言ってよく、ゆっくりと鑑賞する気分にはなれない。「御室桜」はその庭園に入るためだけに500円必要なのではなく、庭園のすぐ手前の中門を入るのに必要で、中門より北側の境内は自由に散策出来る。この中門は仁王門を入って真っ直ぐ正面に見える。ざっと言えば仁王門から中門までの無料で入れる境内より広いのが中門より以北で、「御室桜」だけに500円を支払うのがもったいないと考える人も納得するだろう。
●おむろ桜満開、その2_d0053294_23481380.jpg
 「御室桜」のエリアを出ると、目の前に五重塔がより迫っている。そうして撮ったのが4枚目で、手前に枝垂れ桜を入れた。この1本だけが目立ったが、奥に見えるもっと派手なピンク色が何かと思って近づくと、「ミツバツツジ」とやらで、これが20本近くあちこちに点在していた。「御室桜」だけでは物足りないので、もう少し色合いが強い木がほしかったのかもしれない。またツツジなら「御室桜」と時期をあまり違えずに咲く。このツツジは背の低い見慣れたものとは違って、数メートルの高さになる。紫がかったピンクは新緑によく似合う。5枚目はそう思って撮った。パステル・カラーが溢れ、まさに春という景色ではないか。この色とりどりの林を歩くと気分がよい。とはいえ、中に入っている人はごくわずかで、いちおうは林と隔てるように道はついている。下が芝生なら立ち入ればよくないという思いがちだが、写真に見えるように土であるので、別に出入りしても咎められることはない。それでも入りにくいのはやはり全体の美しさと、木立の根に悪いのではないかという思いだ。そう考えると阪急嵐山駅近くの桜の林は人が入り込み過ぎて草もあまり育たなくなっている。そんな具合であるから、桜の老木の老化も激しいのかもしれない。幹となるような話をしないままにそろそろ書くことも尽きて来た。おもむろにおむろ桜を見に赴き、おもろい趣に主に思うは幹なきよもや話といったところ。
●おむろ桜満開、その2_d0053294_23471579.jpg

by uuuzen | 2014-04-26 23:48 | ●新・嵐山だより
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