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●おむろ桜満開、その1
一料金となって何年経つだろう。京福電鉄こと嵐電が1日乗り放題で500円だ。市バスと同じでこれは便利だ。松山に走る路面電車と同じ雰囲気を残すこの嵐電はいつまでの走ってほしいものだが、乗り放題500円は実質的な値下げに思えたから、筆者が心配しなくても儲かっているのだろう。



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今年の桜は祇園の円山公園の有名な枝垂れ桜をTVで見た程度だ。そのほかは地元嵐山公園で少し楽しんだだけで、わざわざ出かけなかった。円山公園の枝垂れは数年前から無残な形になっているが、なくなった枝が生えて来ることはなく、今後ますます貧相になって行く。いつ植え替えるのだろう。また次のは育っているのだろうか。立派な姿のものを移植することは無理で、同じ場所で最低でも10年や20年経たなければさすがと呼ばれるほどの大きさにはならないだろう。嵐山公園にも枝垂れがあるが、それは円山公園のものと姉妹と聞いたことがある。それは今年は全体に灰色っぽく見え、遠目には貧相であった。桃の花ほど色づく必要はないが、多少はピンク色が目立つ方がよい。そう言いながら、仁和寺の有名な桜は八重でたっぷりと色もついていると思っていたのに、全然そうではなかった。それでがっかりしたかと言えばそうではない。仁和寺の桜のことを「御室の桜」と呼び、筆者は昔から何度か仁王門より先の境内に入ったことがあるのに、一度も満開の桜を見た試しがなかった。去年は親類の食事会の当日、桜を見ようということになって、御室そして平野神社に回った。そう言えば平野神社の桜はたくさん写真を撮ったのに、去年投稿する機会がなかった。それはいいとして、去年仁和寺を訪れながらやはり時間のつごうもあって桜を見なかった。もっとも、それは料金を支払って見る桜の庭園のことで、仁王門をくぐっただけでも、つまり無料でも桜を何本か見ることは出来る。去年も御室の桜に縁がなかったので、今年こそはと考え、それで今月13日に思い立って家内と出かけた。渡月橋を越え、天龍寺の前が嵐電の嵐山駅で、そこで1日乗車券を買った。大勢の観光客に混じってそれなりに遠足気分だ。電車は各駅で、車窓からは三条通りが見え隠れする。その道を筆者は2週間に一度右京図書館に行く時に自転車で走る。その時、嵐電が走っていることに気づいたことはないが、嵐電の車窓から三条通りを見ながら、筆者の姿が見えそうな気がした。それで電車で行くと各駅ということもあって距離がかなりあるように感じ、自転車の方が同じ距離を走るのに早い気がした。この感覚はバスも同じで、今日は家内とバスで出かけ、四条大宮から梅津に向けてバスが走っている間に家内はとても距離があると言った。だが、松尾橋から四条大宮まで自転車で20分ほどで、さほど遠いとは感じない。仁和寺の方面は土地勘がなく、まためったに訪れないこともあって、自転車で行く気にはならない。嵐電ならば駅を下りればすぐ正面に仁王門が見える。バスも走っているが、桜の季節は大いに込み、しかも何番のバスに乗ればいいかわからない。たぶん天龍寺前辺りからは直通がないのではないか。京福嵐山駅から電車を使うのが最も便利だ。
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 さて、調子よく書き始めたようだが、先ほど写真を加工すると、2日では投稿し切れない。それで「その3」まで書くことにするが、御室の桜でそんなに書くことがあるかと言えば、たぶんない。説明抜きで写真だけ載せればかえって読者にはいいかもしれないし、筆者もぐだぐだと文章を綴る手間も省ける。写真は見てすぐであるのに、文字はそういうわけには行かない。その煩わしさから筆者のブログは人気がないはずで、毎日頭を絞ってどうでもいいことを書かなくてもいいのにと思うことがたまにあるが、今日はそういう気分だ。そう言いながら、今日もまた何やかやと毒にも薬にもならないことを書き連ねるが、こんな愚痴めいたことを書くのは疲れもあるかもしれない。そうそう、これは昨日の夕方のことだ。連合会の副会長に女性がふたりいる。どちらとも親しく話すが、郵便局の近くで店を開いている人の方がその近くに筆者はよく行くこともあって、たまに店に立ち寄って話をする。昨日はそうではなく、筆者が回覧文書を近所の人に持参した帰りに出会い、そのまましばし立ち話をした。その中でひとつ驚いたことがある。その副会長の自治会内に中学の教師をしていた男性がいて、その人は学校を辞めて奥さんを伴ってイギリスに何年か行くという話を、1か月ほど前に副会長は筆者に言ってくれた。その転居はどういう理由か忘れたが、なかなか見上げたもので、自分の長い間の夢をかなえるためだ。ところがその教師はつい先日急死した。肺癌であったらしい。副会長は葬儀に出席したが、遺影とは別にイギリスに準備のために訪れていた時に撮った住まいの写真も飾られたらしい。62歳というから筆者と同じ年齢だ。ようやく教師を辞めて自分の夢をかなえようという時にもうその時間がなかった。さぞ悔しいと思うが、人生とはそういうものだろう。家内から似た話をさんざん聞かされた。大学の先生や職員も同じで、退職した途端に亡くなる人や認知症になる人が多いらしい。勤勉に働いている時こそがその人の人生の花盛りで、それが終わればもう用済みということなのかもしれない。そう思えば筆者は規則正しい労働をあまりやって来なかったので、これからも同じような調子でだらだらと過ごして行けるかもしれない。それにしてもその中学の先生の奥さんはどうするのだろう。夫の夢の実現について行くだけで、奥さんは夫がいなければイギリスに行く必要はもうないのだろう。その奥さんは筆者の家内と同じ世代と思うが、もう配偶者を失っても不思議ではない年齢に達している。それが何とも不思議で、人生は呆気ない。「もう終わり?」という気分で、毎日を楽しく、思い残すことのないように生きなければ損だ。普段からそう思っているのでもないが、今年は御室の桜を見ようと決めたことはよかった。今年を逃しても来年があるが、その来年が確実にやって来るかどうかわからない。それは年齢に関係ないが、おおよそは年齢順にあの世に行く。副会長は「若いから癌の進行が速かったんやわ」と言ったが、彼女はたぶん70代半ばであるから、62歳は若いのだ。筆者の家系は癌はないが、安心は出来ない。それでも今日はこれを書く前、YOUTUBEで好きな音楽を聴きながら、何となくもう死んでもいいかなと思っていた。いい音楽を聴いているたまにそんな気分になる。
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 御室の桜を見に行くのにどんな格好がいいかを考え、帽子も靴も去年と全く同じにした。何にこだわったかと言えば、そんなおおげさなものではない。去年は時間がなくて桜の庭園に入れなかったので、今年は仕切り直しの気分で、同じ服装ならば時間を戻した気分になれるかと考えた。また去年は家内は仕事で親類の食事会に参加出来ず、また仁和寺にも訪れなかったから、今年は夫婦で出かけるのはいいと思った。これはどうでもいいことだが、去年御室で桜の写真を何枚か撮ったのに、それがどこに行ったかわからない。今回の投稿で去年の写真を混ぜようと計画していたのに、それが出来なくなった。混ぜるというのは、同じ桜の木を撮って去年と今年の差を比べたい思いもあったからだ。消したのではなく、どこかに保存していると思うが、1年経てばわからなくなることが多い。それにやはり去年の写真を混ぜるのはややこしく、また面白くない。それに今年は写真をそれなりにたくさん撮って来て、投稿も3回分になる。とても去年の写真を載せる余裕はない。それに去年と今年の区別はつかないだろう。花との出会いは一期一会と言うが、渋澤龍彦が書いていたように、毎年違いがわからない同じ花が咲く。実際は違うが、差がわずかなあまり区別がつかない。それは花をよく見ていないからだ。また花も人間も1年ずつ年齢を重ねるが、花を前にした時、去年と今年ではあまり時間が経ったとは感じない。そう思うからこそ、筆者は去年と全く同じ服装で出かけた。先に書いたように去年に時間を巻き戻したい思いがあり、また巻き戻せると思った。実際はどうであったかと言えば、去年と同じ気持ちになれた。それは無理にそうしたところもあるが、同じ境内の同じ桜を見ると、同じ気分に無理なくなれた。そしてその気分のまま今年はついに桜の庭園に入った。その写真は明日載せるとして、今日は桜の庭園に入るまでの写真を使う。「桜の庭園」と書いているが、仁和寺の案内図によれば「名勝 御室桜」と書いてある。あまりにあたりまえで却ってそう書く気になれない。仁和寺は仁王門を越えて広々とした境内があり、そこまでは無料だ。500円支払うといろいろと重要な建物が見学出来る。それは桜の季節でなくてもいいので、遠方から来た人でない限り、たいていは「御室桜」だけを見て帰るのではないか。「御室桜」は別に500円を支払う。500円ずつで見学出来る地域が区切られている。筆者らは500円だけ支払って「御室桜」だけを見た。とはいえ、桜の庭園を出た後は五重塔周辺など、それなりにあちこち歩くことが出来る。ということは、やはりお金を支払えば値打ちがあって、無料ゾーンのみでは物足りない。ところが仁王門を入ってお金を払う場所までの距離がそこそこあり、また広々としているだけに仁王門をくぐっただけで仁和寺に行った気分になれるのも事実だ。それで筆者はこれまで拝観料を支払って奥へと進んだことがなかった。もう20数年経つと思うが、仁和寺の名宝展が国立博物館で開催され、それを見て図録も買ったので、なおさら拝観料を払って内部を見る気が起こらなかった。目指すは「御室桜」だけで、実際桜の季節に大勢の人が押し寄せ、同寺の1年間の収入の大半を稼ぐのではないか。つまり、仁和寺は「御室桜」で保っている。
●おむろ桜満開、その1_d0053294_121742.jpg
 仁和寺は天皇と関係が深い寺で、仁王門をくぐると左手に天皇ら皇族が出入りする玄関がある。たぶんそうのはずだ。それは普段は閉じられているが、扉の上段には組子細工が嵌め込んである。去年はそれをしげしげとは見なかったが、今年は写真を撮った。それを載せるために今日は写真が5枚となるが、段落は4つで、ちょうど今それを書き始めた。書くことがないと思いながら、書いているとあれこれ浮かんで来る。さて、1枚目の写真は御室駅を下りて少し上り坂となっている道を仁王門に向けて歩き始めたばかりのところだ。右側の歩道を行くと途中で木製玩具を売っている店があった。家内はさっさと先を行ったのでほんの少し見ただけであったが、帰りにはしっかり内部を見た。40代らしき女性が店主で、店は狭い。訊くとタイの製品で、面白いものが多かった。郷土玩具で木地玩具という分野がある。それに似た味わいだ。楽器もあって、木琴はいい音が出た。タイはインドネシアに近いから、ガムラン音楽を思わせる響きの楽器が多いかもしれない。その店で売られていた木琴はもちろん幼児向きで、とても小さいものだが、木だけはなく、金属板を貼りつけてあって、それが共鳴して深い音を響かせていた。そのほか動く玩具が多く、タイという感じがせず、アメリカ製かと訊いたほどだ。さほど高価ではないので、何かほしかったが、木地玩具も多少持っているので、これ以上は買い控えるべきだ。そう言いながら、本当にほしいものは買っている。2枚目は仁王門から境内を臨んだ。奥左手に桜が見える。その全景を捉えたのが4枚目だ。3枚目は向こうが半分透けて見える組子細工の扉で、それを背にして撮ったのが4枚目だ。5枚目は4枚目の桜の奥に並ぶ木で、まだ若い。石碑が建っていて、確か天皇が植樹した記念のものだ。ここまでは無料で見られる。「御室桜」の序といったところで、これで満足して帰る人もあるだろう。だが、500円支払えば、さすが御室の桜という評判がわかる。そのチケットの写真を今日載せるつもりもあったが、写真が6枚になってもうひとつ段落を書かねばならない。チケットは去年広々とした境内に1枚落ちているのを拾った。それを手にして写真を撮ったが、前述のようにそれが見当たらない。それはいいとして、チケットは全体に桃色で、また五重塔が描かれている。そのチケットと同じ光景を見るには500円支払って庭園に入らねばならない。そこでなるほどと誰しも思う。だが、ひとつ違うと言いたいのは、チケットのような桃色の多さはないことだ。つまり、チケットは人々のイメージで、それほど桜の庭園は桜の華やかな色に溢れている。
●おむろ桜満開、その1_d0053294_125225.jpg

by uuuzen | 2014-04-25 23:59 | ●新・嵐山だより
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