峰の松風も琴の音もなかったが、音楽を奏でるにふさわしい和歌が書かれた掛軸が演奏会場となった隣りの部屋の床の間にかけてあった。現地で半分だけ読んで写真を撮ったが、それをさきほど加工しながら改めて読むと、一字判別し難いが、『ことのねにみねのまつかせかよふれわ いつれのをよわしらへそめけむ かつ子かく』とある。
「調べ染めけむ」はわかるが、「いつれのをよわ」は何のことだろう。仮名ばかりでは意味がつかみにくく、漢字を義務教育で教える日本でよかったと思う。前に書いたことがあるが、筆者は和歌の素養がさっぱりない。自分で作ってみようという気にもならない。俳句の方が簡単でまた奥が深いと思っている。俳句に馴染むと短歌は長ったらしく、饒舌に感じる。それはともかく、この掛軸は今日取り上げるコンサート会場となった「大坂町や このむら」の持ち主が書いたものだろうか。何もかかっていないのはさびしいし、またどんな掛軸かとなると、絵もいいが、コンサートの内容によってはうるさく感じる。そこで音の調べについて書かれた短歌ならばということで選ばれたのではないだろうか。あるいはいつも同じものがかけられているかもしれない。このコンサートの案内を川井さんから送ってもらったのは2月中旬であったと思う。開催は3月29日の土曜日で、これだけが目的で家内と出かけた。家内も川井さんとは何度か会っているが、演奏を聴いたことはないと思う。筆者が川井さんと最初に会ったのはいつだろう。どこで会ったかもよく覚えていないが、たぶんドイツ文化センターで、20年は経つ。京大の哲学科を出てどんな道に進むのかと思っていると、就職せずに自宅でチェンバロを教えることになって、本拠地を生まれ故郷の大阪に移した。それでほとんど年賀状だけにつき合いになった。結婚し、子どもが生まれ、そんな家族の変化を毎年写真を貼りつけた年賀状によって知ることが出来たが、今年はそのお決まりのパターンが途絶えた。年賀状も届かなかったので、おかしいなと思っていたところ、今日取り上げるコンサートの案内が来た。チェンバロハウスという教室を開いて10年で、その記念だが、10年前も同じ会場でコンサートをしたようだ。それを知らなかったのは案内を送ってもらわなかったからだ。音大を出てもなかなか音楽家として食べて行くのは大変で、川井さんが子どもふたりと奥さんという4人生活を支えているのは大したものだ。家内はまずそう言った。チェンバロハウスに筆者はまだ行ったことがないが、JR環状線の桃谷駅前で、その辺りがどんなところであるかはよく知っている。大阪はよく文化度の低い街と非難されるが、桃谷駅前を京都人が見るともっとそう思うだろう。そう言えばわが自治会の芸大卒の大志万さんは芸大時代に大阪の学友からいろいろと大阪のことを聞いてたじろいだようだ。たとえば西成に行くと露店で片方の靴だけ売っているといったことだ。今はもうそんなことはないはずだが、そういう噂が本当らしく聞こえるほどに京都人には大阪が物騒このうえないところに思えている。実際大志万さんは大阪に行って世界がまるで違うと感じたそうで、それはもちろん否定的な意味でだ。
そういう大阪にいてクラシック音楽を学ぼうとする人、またチェンバロを弾いてみたいと思う人がどれほどいるのか、筆者にはさっぱり想像出来ない。3,4年前、関西TVの人気番組『よーいドン!』で円広志が桃谷駅の東に続く桃谷商店街を歩いたことがある。そして、関西音楽院に行ってそこでピアノやヴァイオリンを教えている講師にインタヴューした。桃谷商店街は大阪の典型的な下町の商店街で、まさかそんな中にクラシック音楽を教える教室があるとは筆者は知らなかった。その講師がまた驚きで、パリで学んで若い頃はそうとう有名であったらしい。筆者はその番組を見ながら不思議に思った。そういう実力派がなぜどこかの有名オーケストラに所属するか、あるいはソリストとして名を馳せないのか。そう言う人はごくごく一部であって、才能があっても大多数は音大を目指す子を教えることで生活費を得なければならないのだろう。画家も同じで、スポーツの世界もそうだ。今回桃谷商店街を歩いていると、その関西音楽院の前を通ったが、内部でこちらを向いてヴァイオリンを弾いている小学6年生くらいの女の子が見えた。彼女も将来は世界に羽ばたくかもしれない。そして大阪に舞い戻って音楽を目指す子を指導するか。家内に言わせると音大に行く人はまず家が豊かで、食べて行くことをあまり考えずに済むとのことだ。とかくクラシック音楽は金儲けにはならない。また金儲けしてやろうと思う人はクラシックの世界には進まない。そう思えば先ごろ世間を騒がしたサムライと紛らわしい名字の似非障害者はうまいところを突いた。金儲けが難しい世界であるから、やり方によれば大きく儲けることが出来る。実際彼は大金をつかんだ。川井さんとは長話出来なかったが、今度会った時にはその話題を切り出してみよう。そう考える筆者は川井さんがどのようにして生活費を得ているのか、それがまだ何となく信じられないからだが、昔聞いたところによれば、家は大阪で有名な菓子屋で、たぶん資産家なのだろう。でなければ駅前のビルに教室を持つことは難しいのではないか。これも3,4年前のことだが、電話で川井さんにあることを頼んだ。すぐに動いてもらって、筆者は望みどおりに目的を達したが、その折りであったか、川井さんがシュトックハウゼンの音楽に関心を持っていることを知った。そしてシュトックハウゼンが亡くなる直前であったと思うが、ケルンで毎年彼が開催している講習会に参加したことも聞いた。あるいはブログか何かで読んだのかもしれない。川井さんは日本でシュトックハウゼンのCDを販売することに貢献している札幌のN氏と交流があることも同時に筆者は知ったが、筆者はそのN氏と面識がないものの、シュトックハウゼンのCDを多少買い、また氏が自費で作った音楽評論集を送ってもらったこともある。N氏は筆者と川井さんが昔からの知己であることは知らないはずだが、川井さんがN氏を知っていることに筆者は世間は狭いものだと思った。また川井さんがいつシュトックハウゼンに関心を抱いたのか知らないが、講習会まで参加するほどであることに驚いた。川井さんと筆者は昔電子音楽の講座に参加したことがあるので、チェンバロ音楽に携わる川井さんがシュトックハウゼンに興味を抱くのは理解出来ないことではない。筆者が意外であったのは、ケルンでの講習会に参加するとなると、旅費その他まとまった費用がかかることで、それを家庭を持っている川井さんが捻出出来たことだ。育ち盛りの子どもをふたり抱えているとどれほどの生活費がかかるか、それは子育てをしたことのある者ならばわかる。シュトックハウゼンの音楽に深く関心を持ったところで、チェンバロ音楽に関する知識や技術が増すとは思えないが、川井さんがそうは考えていないところが面白い。
シュトックハウゼンの全集CDは今何枚出ているのだろうか。筆者は全体の3分の1ほどしか持っていないが、川井さんはどうだろう。川井さんの聴く音楽と筆者が好むものとはかなり違うと思うが、そう言えば音楽の話をほとんどしたことがない。川井さんは子どもの頃からピアノを学んだが、小柄であるから手も小さく、それでチェンバロに進んだのではないだろうか。チェンバロなら競争相手も少ないし、楽器は大人ふたりで運ぶことが出来る。今回のコンサートもそうしたと言っていた。自宅から直線で2キロほどの距離で、楽器の移動はさほど手間取らなかったろう。送ってもらっていたチラシから、ソロ・コンサートではないことは知っていたが、筆者は予めチラシを熟読しない主義なので、どんなアンサンブルか知らなかった。川井さん以下、フルート、バロックオーボエ、ヴァイオリンがふたり、そしてコントラバスで、川井さんとバロックオーボエ以外は女性だ。演奏後に川井さんから聞いたが、このアンサンブル用の楽譜はないから、川井さんが全部パート譜を書いた。つまりアレンジをした。その才能があることは知っていたが、なかなかのもので、そう思った筆者は毎月でもコンサートをすればどうかと言った。すると川井さんは、経費の問題があってとてもそうは行かないと言った。今回の場所は1日7万円だそうで、これに共演者の謝礼を払うと、どれくらいの客を動員しなければならないか計算出来るだろう。今回は昼と夜に公演があり、昼は2000円、夜2500円で、各回とも定員70だ。どちらも満席になって32万5000円の収入。メンバーにどれくらい支払うかにもよるが、赤字にはならないだろう。ならば頻繁にコンサートを開いた方が顔と名を売るにはいいと思うが、適当な場所がないかもしれず、また同じ人は次回はやって来ない可能性があるから、赤字にならない保証はない。それでも積極的にコンサートを開くべきと忠告するのは何も知らない他人であるからで、川井さんなりに思いがあるだろう。何か特別の技術があるとして、それをどう使ってどう生きて行くかはさまざまだ。筆者は昔自治会内の住民に絵が得意ならば子ども教室を開けばどうかと言われた。その発言に筆者は内心憮然とした。いくら生活に困っても筆者はそうしない。子どもが嫌いであるからではない。子どもにしても芸大でしっかり絵を学んだ人に教えてほしいであろう。このブログに何度も書いているが、絵が好きな人は教えてもらわなくても独学するし、またそれくらいの根性がない限り、ものにならない。では音楽はどうかと言えば、よほどの才能がない限り、独学では覚える限界があるかもしれない。それで川井さんの教室も成り立っている。
さて、チラシには「大阪の歴史的建築できく西洋音楽の歴史」という副題がついている。この歴史的建築に関しては次回に譲る。写真をたくさん撮って来たからでもある。それで後半の「西洋音楽の歴史」だが、これはいかにも川井さんらしい。では講釈が多いのかと言えばそうでもない。今回の目玉はストラヴィンスキーの『プルチネルラ』のオリジナル・ヴァージョンで、これがプログラムの筆頭に上がっていたので筆者は行くことに決めた。ストラヴィンスキーの音楽はこのブログの『思い出の曲、重いでっ♪』のカテゴリーで取り上げようと思いつつ、どの曲にしようかと決めていないが、『プルチネルラ』は候補に挙がっている。これはペルゴレージの作品が元ネタと言われて来たが、今回配布されたプログラムによれば、ストラヴィンスキーがペルゴレージと思って編曲した18曲のうち11曲が別人のもので、最初と最後に使われている曲は、ペルゴレージより1世代後のドメニコ・ガッロ(1730-68頃)という作曲家のものだ。彼は無名であったため、楽譜の売れ行きをよくするために出版社は26という若さで死んだペルゴレージの作品としたそうで、音楽業界では昔も今も金儲けのうまい連中が好き勝手をする。ともかく、川井さんのアンサンブルはこの『プルチネルラ』を春の香り豊かに演奏した。もともとこの曲は優雅で明るく、リッチな気分になれるが、桜が満開のしかも天気のよい昼下がりに聴くのはまた格別だ。ステレオで聴くことが慣れている筆者としては、ごく間近で生演奏に接したことは得難い機会で、わざわざ足を運んだ甲斐があった。ストラヴィンスキーの『プルチネルラ』に比べてわずか4曲のメドレーで、それが物足りないと言えばそうだが、楽器の編成がまず大きく違うし、選ばれた4曲はストラヴィンスキー・ヴァージョンのいわばエキスで、同曲を聴いた気分にはなれた。ただし、ストラヴィンスキーにしても同曲はさまざまに編曲していて、筆者が好きなヴァージョンはやはり歌が入る最も壮大なもので、今回も歌があればよいのにとは思った。ただし、意外な演奏が用意されていて、コンサート終了後に川井さんに訊ねたほどだが、川井さんの労苦を聴き知った人がどれほどいたかと思う。それはどういうことかと言えば、会場には川井さんのチェンバロのほかにスタインウェイの古いピアノが置いてあって、最後にそれを川井さんが担当してもう一度『プルチネルラ』を演奏したのだが、どうも最初に聴いた演奏とは他の楽器のメロディがあちこち違う。たとえばヴァイオリンはピアソラ楽団のヴァイオリストがよくやるように、弓でネック部分を擦って奇妙な音を出すようなことをしたし、またストラヴィンスキー・ヴァージョンでは筆者は聴きものと思っている印象的な打楽器の連打に聴こえる繰り返しのフレーズがあるなどで、そのことを川井さんにただすと、ふたつの楽譜を用意し、チェンバロをただピアノに変えただけではないとのことであった。それがわずか1回の演奏で消えてしまい、またよほど耳が肥えた人でなければ2曲の違いがわからないはずで、そういうことを一切説明せずに演奏した川井さんは講釈が全くないと言ってよい。わかる者だけがわかればよいとの態度で、なおさら筆者は頻繁にコンサートを開けばよいと思うが、経済的な懸念がなければ本人もそうしたいのは山々ではないだろうか。当日の演奏曲目は配布されたプログラムにはない曲がふたつあって、最後はアンコール代わりにヴィヴァルディの『四季』から「春」が演奏された。その曲目の紹介はなかったが、まさか知らない人は来ていなかったろう。