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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●松山にて、その7、大街道商店街と洲之内徹の生家
がまた大量に廃棄されている。鳥が罹るインフルエンザが九州で流行し始め、鶏肉を大量に消費するケンタッキー・フライドチキンも心配ではないだろうか。鳥インフルエンザ菌の発生のメカニズムはよくわかっていないが、人間が関係している気がするし、鳥もそう思っているのではないだろうか。



●松山にて、その7、大街道商店街と洲之内徹の生家_d0053294_014368.jpg鶏にすれば知らない間に感染して人の手で大量殺戮され、「コレけっこう」ではなく、「コレ滑稽」と嘘ぶくしか手がない。やがて人間が復讐されなければいいと思うが、鳥インフルエンザの発生はその復讐かもしれない。さて、今日は昨夜の投稿の続きのような形になる。まず、昨夜の最初に筆者が片親育ちであることを書いたはいいが、そのことがその後の記述とどう関係するのかについては書かなかった。洲之内徹は筆者の父とほぼ同じ頃の生まれだ。父は筆者が4歳くらいまでいたので、かすかに覚えているが、それのみでは思春期など、重要な時期に何の足しにもならない。それで筆者は父不在の心の欠落をどこで埋め合わせたかと言えば、ひとりで遊ぶことに楽しみを見出した。母は働きに出ているので、そうするしかなかった。それはさておき、『芸術新潮』の連載『気まぐれ美術館』を毎月楽しんでいた時、その文章や洲之内に父の影を重ねていたかと言えば全くそうではない。面白い文章を書く才能として見ていただけで、洲之内のような人が父親であってほしいという気はなかった。それは筆者が関心を寄せるどのような芸術家や作家の場合もそうだ。そういう人物に関心を寄せることは筆者が大人になっている証拠で、もう幼少期の父親の不在感は思い出さない。とはいえ、筆者は洲之内の場合のように、年長の人に関心を寄せる場合がほとんどで、そこに頼りになる何かを感じ取っているかもしれないと考えることは出来る。身内に言わせると、筆者は父親に瓜ふたつの顔つき、体つき、仕草であるらしいが、そうであるほどに筆者は父とは違う人生を歩んでやろうという気がしている。ま、それはいいとして、今の40代からすれば洲之内は祖父世代で、もうその文章を味わう人も少なくなっているだろう。それで、このブログの読者はさっぱり関心がないと思うが、前述のように筆者は幼少期からひとり遊びが好きで、ブログも読者のために書いている気持ちはきわめて少ない。単なる自己満足の行為であり、お金をもらっていないからプロとは言えないが、書くからにはそれなりに見苦しい姿は見せたくない。その見苦しさとは、たとえば形の悪さだ。もっと言えば文章が最初から最後まで一貫しているかどうかで、その点で昨日の投稿はまずく、最初の段落がその後とうまくつながっていなかった。投稿したのは深夜2時半で、もう訂正する気がなかった。それで先に書いたように、今日は昨日の続きのつもりであるから、昨日の文章の形の悪さをどうにか訂正する意味で以上の言い訳めいた文章を書いた。
●松山にて、その7、大街道商店街と洲之内徹の生家_d0053294_014279.jpg

 さて、昨日の続きを書くと、「バー露口」の席に座って間もなく、ママさんに店を探すのにとても手間取ったことを言った。そして自宅で簡単に描いた地図の紙片を示した。それを見たママは、「これではとても正確にはわからない」と言った。1、2、3番町が碁盤目状に道が走っているので、目印のつもりであったコンビニのローソンさえ探せば簡単に見つかると思っていた。それにネットで店の外観も確認していたので、早足で歩いても見つかると思っていた。ところが、ローソンは1軒だけではなく、またその最も有力な候補と思った店から地図を頼りに道を進んでも、前日のネットで確認した店の外観に遭遇しない。ともかく、地元の人たちに助けられ、また1時間もあちこちをうろついたため、店の前に立った時は本当に嬉しかった。家内もほっとしたはずだ。そのままホテルに戻っていると、きっと筆者は不機嫌になり、家内はそのとばっちりを受けたであろう。最短距離で目的地に着くのもいいが、盛り場を1時間も隈なく歩いたことで、高松の夜の姿がよくわかった。それは大阪や京都でもどこでも同じようなものだが、自分の目と足で確認し、また見知らぬ人たちに声をかける経験は強い記憶となる。ということは、筆者はひとり遊びが好きという割りに人と話すことが好きなのかもしれない。父がいなかったことのさびしさはひとり遊びだけでは解消されないのはあたりまえだろう。誰でも人恋しくなることはある。父は社交性豊かで、人望も厚かったそうだが、筆者が育ちはともあれ、そういう父の性質を受け継いでいると考えることは出来るし、そうなると、父とは違った生き方をしてやろうとあがいても同じようにしか生きられないかもしれない。なぜこんなことを書くかと言えば、昨夜の投稿に載せた最後の写真は『芸術新潮』からのものだが、洲之内が書いた言葉「松山よ、お前はなんという悲しい町だ」という言葉はそのまま洲之内に当てはまる気がする一方、またその言葉に続けて書かれている本文には「…あの、穏やかな海のあちこちに程よく島々が配置された、こじんまりとよく纏った風景を見ると、私はいつも、こんな景色を朝晩眺め暮らして、人間に大きな空想力なんか育つわけがないじゃないかと、なんだか絶望的な気分になってしまう」とあって、人間の器は育つ遺伝的要素より生まれ育つ環境の方が影響が強いという思いが吐露されているからだ。つまり、父と違う生き方をしようと思えば父の故郷を捨てればよいが、故郷に対して悲しい思いを抱くことになり、それは嫌悪と愛情が相半ばした感情でありつつ、どこでどう生きても人間は悲しいものという考えを洲之内は持っていたのではないかと思わせられる。昨夜の投稿の最後から二番目の写真は、同じ『芸術新潮』の洲之内徹の特集号の1ページに、道後温泉本館北の飲み屋で飲み食いした際に出されたビールのコースターと「バー露口」のそれを載せて撮ったもので、コースターの合間から同誌の文章と写真が少し覗いている。洲之内の生家は市内の陶器店で、普通なら長男であったのでその店を継いでいたのであろうが、東京美術学校に合格して東京に行き、左翼活動をして退学となり、帰郷して同人誌を作るなどしている間に25歳で軍属として中国にわたる。陶器店はいつ廃業したのかわからないが、洲之内は実家のあった場所は今は道路となり、マンホールがあると書いていて、その場所の写真が何度も言及している『芸術新潮』の洲之内特集号に載っていて、これを1994年に見た時から筆者は妙にその写真を忘れずにいた。その写真を今日は最初に載せておくが、自転車に乗る女子高生の背後にケンタッキー・フライドチキンの店が写っていて、それを目当てに行けば同じ場所はすぐに探せるとずっと思い続けていた。それで松山に行く数日前から松山市の地図を確認すると、道後温泉の西1キロほどだろうか、同店が市内に1軒だけあることがわかり、そこへ行くつもりでいた。
●松山にて、その7、大街道商店街と洲之内徹の生家_d0053294_014498.jpg 「バー露口」で『芸術新潮』をマスターも取り出し、筆者の分と尽き合わせて話が弾んでいた時、筆者は何気なく、洲之内の陶器店があったというケンタッキー・フライドチキンの前が写ったページを広げたところ、マスター夫婦や右隣りの夫婦は即座にそれがどこそこと言い合う。そして今は店が変わってフライドチキンの店ではないとのことで、それに筆者は驚いた。もし「バー露口」に行かねば、筆者は翌日道後温泉から西1キロほどに行き、雑誌の写真と同じ場所がないかどうかを首をひねりながら探し回った。雑誌が出て20年、フライドチキンの店が移転しておかしくない。そこで筆者はマスターや隣りの夫婦にしつこく雑誌に載っているマンホールがある場所がどこかを訊いた。すると、大街道商店街を南の端まで歩き、大きな道路に出たところの信号をわたってもうひとつに商店街に入る直前であることを知った。それでまた驚いたのは、その場所には昼間に一度行っていた。筆者は商店街を歩くのが好きで、どの都市へ行った時でもそういう場所を訪れる。大街道商店街は松山で一番大きな商店街で、以前は中央に車が走っていたが、歩行者天国の形にし、アーケードで覆っておそらく日本で最も道幅の広い商店街に仕立て上げた。その様子は2枚目の写真からわかるだろう。この商店街を筆者は突き当りまで歩いた。そして道路の向こうにまた別の商店街がつながっていることを見て引き返した。つまり、洲之内陶器店のあった場所は「バー露口」に行く数時間前にいちおう見ていた。そのため、翌日は「バー露口」を探すのに手間取ったこととは大違いで、真っ直ぐそのマンホールのある場所に着くことが出来た。そして少々意外であったのは、『芸術新潮』の写真で想像していた雰囲気とはかなり違った。マンホールの前に路面電車が走り、かなり人の往来が激しいと思っていたが、車も人の数もさほど多くない。それどころか、もうひとつの銀天街商店街は薄暗くて閑散としているように見えた。だが、そんな商店街は嫌いではない。ともかく、洲之内の実家があった場所を訪れ、旅のひとつの目的は果たせた。マンホールは洲之内が見たものと同じはずだが、電電公社のマークの位置は『芸術新潮』の写真とは少しずれている。当然のことで、何度も開閉されているからだ。その雑誌の写真と筆者が撮って来たものとを比べてほしい。洲之内は陶器店に生まれ育ったので、美的感覚が優れたのかもしれない。また、砥部焼が置かれていたはずで、その文様や色合いは造形の好みに多少は影響したのではないか。洲之内は同人誌の表紙やカットをすべて担当したらしく、絵も文章も得意であった。筆者が『気まぐれ美術館』を毎月楽しんだのは、筆者と洲之内が少しは共通点があったからと思える。
●松山にて、その7、大街道商店街と洲之内徹の生家_d0053294_0151150.jpg

by uuuzen | 2014-04-14 23:59 | ●新・嵐山だより
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