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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●松山にて、その6、「トリス・バー 露口」
嘩しない夫婦があるのかどうか、筆者と家内は傍目に仲がよいと映っているようだ。それでも年に一度くらいは喧嘩する。そのたびに家内は筆者のことを難しい人間だと言う。ちょっとしたことが気に入らずに身近な者に当たることは誰しもあるのではないだろうか。



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すぐに反省するが、むしゃくしゃして怒ることは負の連鎖を生む。筆者は片親育ちで、そのことを昔は他人からでも精神的奇形として育つと言われたりした。それで結婚相手には絶対に片親育ちを選ばないということが世間では暗黙の了解になっていることを成人してからは強く感じるようになった。片親育ちがなぜ精神的に多少欠陥がある人間として育つのかと言えば、父母のどちらかしか見ずに育つからだが、そう言えば筆者の母は子ども3人を20代半ばからひとりで育てるために死にもの狂いに働き、近所に迷惑をかけてはならないと考えて長男の筆者をとても厳しく育てた。鬼のような形相と言えばいいか、筆者は子どもの頃から母が恐く、優しい顔を見た記憶がない。母に言わせれば父親の役目もしなければならなかったとのことだ。母がめっきり優しくなったのは筆者が中学生になってからで、たぶんその頃は子どももぐんと手がかからなくなって安心したのだろう。筆者は母の顔色を常にうかがい、どんなことがあっても反抗せず、厳しい母親の期待を裏切らない典型的な真面目で引っ込み思案な子として育ったからだ。そういうのを精神的奇形と呼ぶのかと今は半ばは納得する。子どもはもっとのびのびとすべきだろう。筆者の世代では子どもはおとなしいものと思われていたから、あまりにはきはきして大人を大人とも思わない子は筆者も家内も好きではない。そういう子に限って大人になった途端、あっけなく挫折して目立たない人物になる。そういう例をたくさん見て来ているので、子ども時代は控えめで目立たない方がむしろいいように思う。とはいえ、そういう子が大人になって大きな事件を起こして逮捕されることも多く、子どもが将来どのような大人になるかはなかなかわからないものだ。また、昔と違って今は離婚が多く、片親で育つ子が急増したから、精神的欠陥のある大人になるなどと言おうものなら、親たちから総攻撃を受ける。さて、小学生の時に尊敬する人を挙げなさいと担任から言われ、たいていの人は両親と書き、男子ならば父親こそが一番尊敬出来る人物であり、自分が世に出て行く時の大きな指標になっていた。筆者は父親がいなかったので、尊敬出来る対象をほかに見つけるしかなかった。それがビートルズやそのほか、物作りする人ないし有名な人物ということになった気がする。それは同時代人でなくてもかまわない。尊敬という言葉は大げさで、気になる存在と言う方がいいだろう。筆者は今なおそういう人物を求め続けている。それは楽しいことであるから、かえって父親がいなかった方がよかったのではないかと思うことがよくある。息子にとって父親は煙たいだけの存在だろう。小学生の時には偉大と思っていた父が、何と平凡であるかと大人になって気づく人は多いのではないか。
●松山にて、その6、「トリス・バー 露口」_d0053294_203726.jpg 松山市に行くことに決めてから、『芸術新潮』1994年11月号を家中探した。3日要しても見つからず、諦めかけた前日になってついに隣家から出て来た。隣家の3階は本の倉庫と化していて、どこにどんな本があるかわからない状態になっている。同誌をぱらぱらと見ると、洲之内がよく通ったバーが松山市内にあることがわかった。せっかく松山に訪れるのであるから、そこに行かない手はない。早速ネットで調べ、簡単な道筋を小さな紙に書いた。それでわかると思ったのだ。ヤフーの地図を印刷すればよかったのに、3階に上がるのが面倒であった。それほどギリギリになってそのバーに行こうと思った。筆者は何でもギリギリで、前もってじっくり準備することが苦手だ。そのため、たいていひとつふたつの忘れ物がある。鞄に同誌を入れたので、詳細な地図がなくてもどうにかなると高をくくったところもある。松山の夜の街はさほど大きくはないだろうとも思った。ところがその予想は見事に外れた。そのバーは『トリス・バー 露口』と言って、ネットで調べると、うまいハイボールを飲ませることで有名であることがわかった。洲之内が松山に帰った時は必ず訪れた店なので、これは絶対に訪れねばならない。「露口」は最初「ロロ」と読むのかと思った。ザッパの曲に「ROLLO」があって、それを思い出したからだ。だが、まさか「ロロ」はない。バーのマスターが「つゆぐち」という名字であることくらいは察しがつく。午後7時からの営業で、開店時間に間に合うように家内と出かけた。路面電車に乗って「大街道」という停留所で降りる。そこから徒歩でおそらく10分ほどのところで、迷うことはないと考え、家内を後方10メートルほどにしたがえ、さっさと歩いた。まず立ち寄ったのは、あまりに目の痒みがひどく、くしゃみを連発するので、鼻炎用の目薬を買うことだ。2000円近いものを買い、店内で家内に両眼に一滴ずつ垂らしてもらった。自分で挿すと、たいてい瞼の上や鼻のそばに落としてしまう。それでは高価は薬がもったいないというので、家内に挿してもらうが、傍から見ると何と馬鹿な夫婦に思われるだろう。それでも口の中に垂らすよりかはいい。小さな紙に描いた地図を頼りに明るい大街道商店街から左折して夜の飲み屋街に入ったはいいが、どこを歩き回っても目指す店がない。家内はどんどん遅れて50メートルほど後ろに小さく黒く見える。ラヴ・ホテルが集中するゾーンに入り込んでしまい、右往左往していると、前方から20歳くらいの男女が手をつないでくねくねにやにやしながらやって来た。女性の方が期待が大きいのか、男の手を引っ張っている。筆者と擦れ違った後、どこかのホテルに入ったに違いない。筆者は焦りながら縦横に走る飲み屋街の道路のほとんどを歩き続け、はたと思い当たることがあった。街角の店地図を見ると、飲み屋街は1、2、3番町と南北から順に番号で割り振られている。「バー露口」は確か2番町であった。そのことを思い出したのだ。それですぐに近くを歩いている30代の女性に声をかけ、現在地が何番町かと訊ねた。答えは3番町で、飲み屋街の一番南の東西の通りに立っていることがわかった。その女性は生活感が滲み出ていて、「バー露口」とは縁がなさそうで、その場所を訊いても無駄だと思い、街を北上した。それでもまたどれほどぐるぐるあちこち歩いたろう。途方に暮れて時計を見ると8時少し前だ。1時間近く歩いている。もうホテルに戻ろうと家内は言う。筆者の早足で1時間歩けばたぶん6キロほどだ。家内も同じだけ歩いている。これで路上で夫婦喧嘩が始まらない方がおかしい。だが、きっと筆者の顔が殺気立っていたのだろう。家内はそれを察知して黙っている。そこで適当に近くにいた20代半ばの女性3人連れをつかまえた。3人ともスマホを手にしていた。ひとりは「バー露口」と聞くや否や、「そこ知ってます。一緒に行きましょう」と言ってくれた。それで5人が行列となって歩き出した。5分ほどで目指す店に着いたが、残念ながらそこは別の店であった。すると別のひとりが地図を出し、「『牛角』のすぐ近くで、こっちです」とまた別の方向へ引率し始めた。ついに「バー露口」の前に辿り着き、筆者はその扉を開けた。ほぼ満員だ。そうでなければ3人の若い女性を誘って酒を奢るつもりであった。3人は筆者と家内が店の中に入るまで店の前を去らなかった。ドアを閉める時、3人がこちらを覗き込んでいる様子がわかった。親切な3人で、松山の印象をよくした。松山にいる時に話しかけた人はほかに数人いたが、みな温かかった。
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 ちょうど1時間道に迷った。バーの中はカウンター席のみで、10人ほど先客があった。幸いなことに奥の方にふたつだけ席が空いていた。そこにどうにか割り込ませてもらった。家内は酒が飲めないが、何か注文しなければならない。筆者は有名なハイボールを頼んだのは言うまでもない。マスターは家内の下戸であることを知り、伊予柑を絞ったカクテルを作ってくれた。カクテル・グラスではなく、ロング・カップで、酒の量は少ない。開店と同時に入店するはずが、1時間遅れでもう満席だ。筆者らが席に着いた5分後に数人連れがドアを開けた。常連のようで、また引率者はかなり美人であった。残念そうな顔で店を出て行った。筆者の右に家内が陣取り、その右が40代らしき、これも美女がいて、その右がどうやら旦那さんがいた。その男性が店の一番奥で、つまり筆者は奥から4番目だ。筆者の左隣りの男性はかなり酔っていて、筆者が席に着いて5分ほどした頃に椅子ごと後ろにのけぞって倒れ込んだ。そのため、話はもっぱら右隣りの夫婦とした。筆者の目的は洲之内徹がどのようにしてその店で過ごしたかを多少とでも知ることだ。それで持参した『芸術新潮』1994年11月号をカウンターの上に置いた。それをすかさずマスターが目に留め、話しかけて来た。それからは筆者のペースだ。筆者の左にいた男性も興味深そうに話しかけて来る。マスターはカウンター向こうの店奥の棚からすぐに同じ雑誌を取り出し、洲之内目当てにやって来る客はいかにも珍しいというようなことを言った。それほど洲之内や彼の『気まぐれ美術館』は遠い時代のものになっているのだ。家内の右隣の夫婦が話に加わり、筆者は洲之内のことを話し続けたが、その夫婦は筆者を洲之内を知る最後の世代といったようなことを口にした。実際そのとおりで、『芸術新潮』の連載をリアルタイムで読んだのは筆者より上の世代がほとんどだろう。マスターは客全員に話しかける必要があるので忙しい。それでもっぱら筆者はその夫婦と話したが、まだ酔ってもいないのに、次第に筆者は京都から来たなどと自分のことを口にした。それに夫婦も呼応し、話に花が咲いた。気持ちのいい人たちで、もっと時間があればどれほどよかったろう。マスターは時々話に加わり、洲之内が出た高校の文集を取り出し、その中に載っているバーで撮影した洲之内とマスターの白黒写真を見せてくれた。マスターは30歳くらいで、洲之内より30センチほど背が高く写っていた。あまりに洲之内の背が低いのでそれを言うと、マスターは「戦前生まれですから、まだ高い方でしょう。150センチはなかったですが」と言った。マスターが珍しく長身過ぎるのだ。今70代半ばのはずで、その文集の写真に比べて皺は多くなっているが、雰囲気はそのままだ。コップに敷いてくれたコースターを見ると、「55周年記念」と英語で印刷されている。20代半ばから営業したとして、80近い。コースターのイラストは馴染みの客が描いたのだろうか。洲之内が通った店であるので、画家は簡単に見つかる。
●松山にて、その6、「トリス・バー 露口」_d0053294_212020.jpg マスターの奥さんもマスターと交代する形でたまに話しかけてくれた。筆者が松山に住めば毎晩通うだろう。それほど馴染みやすい店で、それはマスター夫婦の人柄ゆえだ。その店に行きたかったひとつの理由は、カウンター上に置かれている赤ちゃんの頭ほどの大きさのブロンズ彫刻だ。その写真が前掲の『芸術新潮』に出ていて、昨日の最初に載せた松山市内の路面電車のページの右ページ上半分を占めるのが「バー露口」のカラー写真だ。それはたぶん昼間に特別に撮影されたのではないか。窓の外が明るいからだ。夜は客で込むので撮影は難しい。となれひとり写る男性は新潮社の社員か。それはともかく、その雑誌の写真は筆者が座った位置から店のドア方面を向いて撮ったもので、マスターも写っているが、ハイボールを作っている最中で顔が見えない。その写真で目立つように置かれているのがカウンター中央のブロンズの彫刻だ。『芸術新潮』によれば森堯茂という松山氏在住の彫刻家の作品で、洲之内とは戦後すぐからのつき合いであったとある。ずっと東京の洲之内が経営する現代画廊があったが、洲之内の没後に露口マスターが譲り受けた。大分変色しているらしいが、今もカウンターの上にある。ただし、客にとっては邪魔かもしれず、一番奥に置かれている。今日の2枚目の写真に黒っぽく見えている。コップがふたつ見えるのは家内の右に位置した夫婦のものだ。洲之内が亡くなって27年、もはやバーの客の間で話題になることもほとんどなく、その彫刻は半ば忘れたものになっているのではないか。それでもバーの内部は『芸術新潮』に載る写真と同じで、昭和レトロのままだ。そういう店が筆者より若い世代利用しているのは好ましい。筆者はおそらく1、2、3番町をすべての道を1時間かけて歩いたはずだが、飲み屋の多いことに驚いた。五木ひろしの歌に松山の夜の街を歌ったものがある。2週間ほど前それをTVで聴きながら、なるほどそういう歌が書かれるほどに松山の飲み屋街は大きいと思った。そのようなたくさんの店がある中で「バー露口」が夜8時には満席になることは、それだけ根強い人気を持っているからだ。それはマスター夫婦の人柄のよさで、また高齢にもかかわらず気が若いからだろう。コースターは毎年1年加算して印刷し直していて、筆者がもらって来た「55周年」は「ゴーゴー」と何となく縁起がよい。それにしてもマスター夫婦は55年の間に何度喧嘩したであろう。また、そういう時は店の経営はどうなったのか。狭いカウンター内で夫婦一緒に仕事するからには、ちょっとでも仲悪い空気を漂わせてはならないだろう。それはさておき、時計を見ると9時で、もうそろそろ引き上げるつもりでそのことを言うと、「そうね。明日帰るからには夜更かしはよくないからね」と言った。筆者は家内の分と2枚持って帰るつもりが、家内は図々しいところがあって、隣りの女性のものを笑顔で手にした。マスターはその様子を無言で見ていたが、筆者は家内の行為を注意する機会を逸し、もう立ち上がって椅子の後方にいた。筆者のハイボールはすぐになくなったので、よほど再度注文しようと思ったが、話に夢中になり過ぎた。隣りの夫婦は仲がよく、ふたりとも美術にはさほど関心がなさそうで、また御主人は医者であることがわかった。名刺を交換せず、また名乗らなかったが、親しくなりたい気にさせる人たちであった。話の途中でマスターが割って入って、「明日の日曜日が最終だけれど、洲之内の展覧会を美術館でやっているので、招待券をあげますよ」とその夫婦の前に2枚差し出した。筆者らは見て来た後だ。露口マスターのところに美術館から招待券が行ったことは、洲之内との馴染みであるからだろう。それにしてもマスターは展覧会に行ったのだろうか。そうそう、マスターに訊いた。「洲之内さんはどこらへんにいつも座りましたか」「ちょうどその辺りですよ」。筆者が座った椅子にかつて洲之内も座ったのだ。バーにはちょうど1時間いただけであったが、濃密な時が流れた。若い女性3人組に声をかけ、3人が協力して筆者を「バー露口」に連れて行ってくれた。彼女らに出会わねば今日の投稿はなかった。改めて礼を言いたいが、夜であったのでお互い顔さえ記憶していない。このブログに目を留めてもらえることもまずあり得ない。
●松山にて、その6、「トリス・バー 露口」_d0053294_212136.jpg

by uuuzen | 2014-04-13 23:59 | ●新・嵐山だより
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