珠(たま)は真珠のことだが、真珠は宝の珠であるから、宝珠は真珠と考えていいのかもしれない。養殖で真珠は珍しいものではなくなったが、貝の中にたまたま見つかるきれいな珠が宝石と考えられたのはわかる。

昨日書いたように、道後温泉本館はあちこちに宝珠の飾りがある。シンボルはそのほかに白鷺だ。そう言えば神の湯の浴室正面のタイル壁は染めつけで白鷺も描かれていたような気がするが、何羽いたのかわからない。白鷺はわが家のすぐ近くでよく見かけるので珍しくない。道後温泉本館周辺は建物がたくさんあって、白鷺は棲息出来ないのではないか。魚を食べるので水辺が必要であるし、また湧く温泉では魚が生きられるのかどうか。白鷺が探し当てた道後温泉という言い伝えが、今ひとつどういう状況であったのか思い描けない。縄文人がすでに利用していたというが、まさか縄文時代から今まで途切れることなく温泉が利用されて続けて来たとは考えられず、いわゆる中興の時期があったはずで、それがいつなのだろう。その中興の時に白鷺が舞い降りたところに温泉が湧いていたのかもしれない。では白鷺はその温泉に魚がいると勘違いしたのだろう。あるいは今は建物だらけでも、かつては現在の本館近くに魚がたくさん泳ぐ川が流れていたのかもしれない。その水は当然よく澄んでいて、飲料にも使われた。宝珠は水を澄ませる力があるとされ、仏像がよく手に持っているが、筆者が10年前にホームページを作った時に宝珠と「黒」の文字をキャラクター化した画像を使った。このブログの壁紙は当初は宝珠を散りばめたものにしていたが、現在の原稿用紙に変えたのは7年ほど前と思う。そのため、ブログの画面にはどこにも宝珠は見られず、代わって宝珠の形を真似た「巻き糞」を「黒」のキャラクターことマニマンと同居させて画面最上部に使っている。「マニマン」とは「MANIMAN」で、マニは宝珠のことだ。つまり「宝珠男」で「珠男」ということになる。このキャラクターとしてのマニマンは、「黒」の字をそのまま人の形にデフォルメしたもので、「、」をすべてマニ(宝珠)に置き換え、全部でそれが8個ある。「田」字型の顔の中に4個、両手両足にそれぞれ1個ずつだ。ま、それはどうでもよいが、道後温泉では宝珠がシンボルになっていることは嬉しかった。温泉に浸かるといかにも霊験あらたかという気がするし、宝珠の形は栗の実のようで子どもでも覚えやすい。珠であるからまん丸であるのに、宝珠がなぜいつも頭が尖がっているかと言えば、全体が燃えているからだ。とはいえ、熱い炎を上げているのではなく、霊の力が湧いている。それを二次元の絵で表現することは簡単だが、立体となると橋に見られる擬宝珠のようなずんぐりした紡錘形にするのはいいとして、ぼうぼうと燃え盛る様子を表わすとなると難しい。それで球体の正面から見て扁平な炎の形の板を球体の上半分に貼りつけるしかない。これは立体と平面を無理やり合成した形で、造形家としてはもっとどうにかならないものかと悩むが、球が本当に燃えているように見える形を作ろうとしても、それは結局擬宝珠かそれに似た形になるしかなく、かえって現実感がない。何でも本物らしい造形がいいとは限らないのだ。

切り妻屋根の上に鬼瓦の代わりに宝珠と波を組み合わせた立派な瓦が据えられていると先日書いた。それは本館の玄関に面して見上げた時にまともに見えればいいもので、立体ではなく、浮彫りだ。これは立体と平面の合成であるから、宝珠の形を表現するには最適だ。つまり、ぼうぼうと燃えている珠の上半分にくっついている炎は正面からのみ鑑賞され、90度視点を変えた時に宝珠を真横から見ることにならない。図を示せば理解しやすいが、立体の宝珠は絵のように正面あるいはちょうどそれとは180度違う裏側からしか、まともな形に見えないということだ。寺の建物のてっぺんによくブロンズ製の宝珠が載せられているが、それは四方八方から見られるので、珠の上の炎の板は珠を真上から見た時、十字型に、すなわち四方に配されている。それでどうにか我慢してほしいということだ。もっとリアルにするためにその倍の枚数を貼りつけると、おそらくもう宝珠には見えない。さて、本館近くに建つ「椿の湯」だが、なぜそんな名前にしたのか。「玉椿」という言葉があるように、椿は蕾の時は宝珠型であるからではないか。いっそ「珠の湯」にすればよかったのにと思いながらネット検索すると、聖徳太子がやって来た時に椿が生い茂っている温泉郷を見て天の国のようだと讃えたからという。ということは1300年ほど前からすでに道後温泉はよく知られていたことになるが、聖徳太子は実在しなかったのではないかと今は言われているので、この話も半分だけ信じておくのがよい。とはいえ、先に書いた中興は聖徳太子時代に遡ることになりそうだ。話を戻して、「椿の湯」の前の道路は狭く、陽当たりが悪いせいか、本館と違って陰気な感じがした。この建物を撮影すれば誰でも同じような角度から似た写真になる。面白いのは壁に騙し絵が描かれていることで、向かって右上部に縦長の窓がふたつ描かれ、その下端から滝のように温泉が下方に落ちている。裾の方ではしぶきが上がっていて、それが白くて丸い粒に描かれ、宝珠を連想させる。だが、この水しぶきは何年か前は赤い椿であったようで、ならば椿が珠ということで、「珠の湯」でもよかったのにと思う。なぜ赤い椿を消して普通の水しぶきに描き直したのだろう。赤い珠の方がかわいいが、血を連想する人がいたのかもしれない。この騙し絵は悪くはないが、本物に見える窓の下から流出るというイメージはマグリットの絵のようで、道後温泉にはあまりそぐわない気がする。だが、建物の外観がギリシア神殿のようなヨーロッパを感じさせるので、そこに和の装飾は似合わないかもしれない。「椿の湯」は本館前の商店街のすぐ近くにあるが、客入りは本館に比べてどうなのだろう。筆者が見たところ、まるで閉まっているかのような静けさで、観光客の目当ては古い木造の本館にあるようだ。同じ温泉を引いているのに、歴史の重みがよいということか。

商店街は土産物屋が連なっているが、昔は旅館が多かったらしい。それほどたくさんの人が訪れたのに、経営が難しくなったということだ。土産物屋はどこでも似たようなもので、筆者は嵯峨嵐山や清水でよく知っているから、道後が特別とは期待しなかったが、京都にはないものがいろいろと目についた。その代表は柑橘類が安価で、「ポンジュース」をよく見かけたことだ。このジュースは京阪神ではどのスーパーでも売られているが、東京ではどうだろう。次によく知られるのは「一六タルト」で、「一六」は「いちろく」ではなく「じゅうろく」と読む。これも関西に住んでいると、よくあちこちからいただく。餡が「の」字型にカステラ生地を巻いた内部に入っていて、食べやすいように3センチほどの間隔で切れ目が入っているものもある。本館前すぐの商店街を入ってすぐの角にこれを売る店があり、ポンジュースのような色ではなく、グレープフルーツの実のような色の100パーセントのジュースが1杯100円で売られていた。セルフ・サービスだが、これが量があってまたおいしかった。その店にすればそれは儲けにはならず、「一六タルト」を買ってほしいが、切り分けた試供品を食べただけで堪能した気分になる。ここ2,3年に大改装した店のように思うが、入りやすく、また寛ぎやすいので好感が持てた。だが、冬はきっとものすごく寒いだろう。ほとんどの店が都会風に洒落ている中、戦前の趣を保っている玉泉堂という古めかしい看板を掲げた和菓子屋店があった。幔幕は白地に黒で小さな宝珠をいくつも染めている。扉が閉まっていて営業していないような雰囲気で、この店の前だけ濃厚な昭和レトロの空気が漂っていたが、こういう店が混じっているのは歴史の貫禄であり、旅行気分になれる。タルトを売るのではなく、煎餅専門だ。子規がよく食べたとのことで、子規人気が続く限り、この店も忘れられることはないだろう。筆者は煎餅よりかは甘いタルトの方がよいが、「一六タルト」の「一六」は明治16年創業の意味らしく、玉泉堂の煎餅とどっちが古いのだろう。「一六タルト」はたくさん店を持ち、京阪神でも名を轟かせるが、煎餅は京阪神の各地にあり、また昔ほど食べる人は多くないように思う。菓子の種類が戦後は爆発的に増え、日本の味わいの煎餅はそのうちのひとつとなって目立たなくなった。同じ日本の菓子でも家内は大のおかきファンで、また「えび満月」には目がなく、見つけた時には顔が変わる。それが手に入らない時はポテト・チップスで、これにもそうとう詳しい。ともかく筆者とは菓子の好みが違う。

珍しい土産がなく、何を買おうかと迷っていて家内が気になったのはタオルだ。これは今治が近いこともあって、かわいいいデザインのものがたくさんあった。価格はさほど安くはないが、京阪神では見かけないデザインが多く、どの店も客は多かった。道後温泉本館では貸タオルがあって、その赤色が家内に言わせればオレンジだが、今ネットで調べると赤茶が正しいように思う。このタオルは販売もしていて、本館でのみ入手出来る。これを買って帰るつもりが、本館に入ってすぐに忘れてしまった。タオルはホテルで手わたされ白いものを持参した。ホテルに戻って家内と話している間に思い出し、出かけ直すのが面倒でそのままになった。宝珠と白鷺、それに「道後温泉本館」の文字が大きくデザインされ、てっきり薄手の昭和30年代にあった平織の木綿地に染め抜いてあるものと思っていたのが全然違い、今風の厚みのあるものだ。確か300円であったと思うが、これは土産になりそうだ。今治で作っているのだろう。温泉の鉄分でタオルは赤く染まるような気がするが、まさかそこから赤が採用されているのではないだろう。目立っていいが、化学染料で染めてあるはずで、それを思うと白地がいい。さて、道後商店街はL字型になっていて、その中ほどに砥部焼を売る店が2軒あった。その大きい方の店が入りやすく、しばし時間を過ごした。砥部焼のファンというほどではないが、梅津に住む従姉の旦那さんが昔和歌山市内で砥部焼フェアが開催された時、気に入ってかなりたくさんまとめ買いをした。それで筆者はもう20年近く従姉の家で旦那さんが愛用している砥部焼の湯飲み茶碗を見ている。分厚くてなかなか割れないらしく、また少し灰色がかった染めつけの模様はごく簡単ながら、即座に砥部焼とわかる高度な意匠性を持っている。その砥部焼専門店があるからには何か買って帰りたい。だが、重いものはいやで、またなるべく安価なものがよい。従姉の旦那さんが使っているのとよく似た湯飲みがあって、家内用に1個だけ買った。支払いは家内の財布からであるのに、とても喜んでいた。筆者の見立てであるからだが、おそらくその店で最も安価な部類に属するもので、1000円でお釣りがあった。それでも砥部焼であることを示す文様が青と赤でついている。わが家にはコーヒー・カップや湯飲みなどの陶器類はたくさんあって、新品のままのものも多い。なので、毎日気軽に使うものがよい。と言いながら、家内は旅行から帰って一、二度使っただけで、またどうでもいいようなマグカップを用いている。ともかく、長年気になっていた砥部焼と、本場で予想せずにたまたま出会えたのはよかった。買った湯飲みは見ているだけで落ち着く。砥部焼にはそのような味わいがある。下のパノラマ写真は右端に幟旗が何本か立ち、そこにも宝珠が染め抜かれている。