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●松山にて、その1、ホテル
せる写真の枚数によって投稿する文章の全体量がだいたい決まるから、気に入った写真が多い場合は投稿を複数回に分ける。写真の枚数は4、5枚が妥当と考えていて、写真の枚数と段落数は同じかひとつ少ないか多い。



●松山にて、その1、ホテル_d0053294_0402085.jpg

そのようなスタイルがいつの間にか決まって、それを改めようとも思わなくなっている。ひとつの段落はだんだんと長くなって最近では1200字前後で、これが読みにくいのかどうかは書く方にはわかりにくいが、ある程度まとまった内容を段落ごとに書いているつもりであるので、わかりやすいのではないかと勝手に思っている。一段落が1200字ほどというのは、たぶん常識的ではない。そんなものを無視してよいとは思わないが、ブログを何年も書き続けて来てそのように習慣づいて来たのであるから、それはそれで個性だ。ただし、それを「型にはまっている」と否定的に見ることも出来るから、絶えず自分の行為を醒めた目で見つめることは必要だろう。さて、先月16日に家内と松山市に一泊旅行したことは先日書いた。その最初の話題が松山市の最も大きな商店街の中で見かけたホームレスであった。昨日はJ.J.ケイルの「ホームレス」という曲について多少書いたので、今日は松山市での思い出を書いておく。全何回になるかはわからない。撮って来た写真を今日の投稿分しか加工していないからだ。この写真の加工すなわち選択と360×500ピクセルのサイズにトリミングする行為はけっこうエネルギーを費やす。写真を撮る時にそれなりの美意識を働かせているが、筆者の安物カメラはどうもファインダーを覗いて切り取った風景は左や上下がかなり大きく写り込む。その本来不要な部分を削るのだが、ほんの2,3ピクセルで気を使うことが多い。それほど厳密に切り取っていることはたぶん気づかれない。文章と同じく気づいてもらいたいとは考えておらず、気の済むようにやっているだけで、自分の好きな写真を載せて好きな文章を書くことが楽しい。そうでなければとっくに投稿をやめている。学会に発表する論文の切り貼りが問題になっているが、他人の書いたものを無断で自分のものにする考えは筆者には理解出来ない。美術の授業では個性重視が叫ばれ、幼稚園児からそのように教えられているというのに、丸写しが平気という人が学者の中にもいることは、学校教育が役に立っていない証拠ではないか。ま、筆者のブログのような雑文と違って論文は厳密なものだ。その重さにへこたれて無断引用の切り貼り行為をしてしまうのだろう。文章を書く訓練をあまりしていないのは言うまでもないとして、それ以前に創造とは何かをさっぱりわかっていない。芸術も科学も同じで、どちらも創造だ。そしてもうひとつ忘れてはならないのは人間のためということだ。ここまで書いて一段落ついた気分で、字数を調べると1170ほどだ。次に行こう。
●松山にて、その1、ホテル_d0053294_041615.jpg 松山市に行きたいと思ったのは数年前だ。いや、ぼんやりと思ったのはもっと前からで、いわき市のTさんから『芸術新潮』の1994年11月号を送っていただいた頃だ。その正確な日はわからない。たぶん同年であった。となると、20年ぶりということになる。その雑誌の特集は「今こそ知りたい! 洲之内徹 絵のある一生」で、Tさんに送ってもらう前に京都中央図書館で読んでいた。『芸術新潮』は20代半ばから読み続け、最も楽しかったのは洲之内の『気まぐれ美術館』の連載があった間だ。洲之内が亡くなったのは1987年10月で、その頃筆者は毎月B5用紙100枚にびっしりと文字を埋めてTさんら5,6人に送っていた。もちろん自筆はひとりしか送らず、他はゼロックスのコピーだ。それを丸3年続けた。毎月原稿枚数にして200枚かもっと多かったかもしれない。元来文章を書くのは好きだが、その3年間でスタイルが出来たように思う。それが毎日投稿するこのブログにつながっている。毎月B5サイズの不要紙の裏面を使ってきっかり100枚書く気になったのには理由がある。そのひとつは洲之内の死だ。全くの大げさに言えば、自分が後は引き受けたという気持ちだ。氏に私淑していたというほどでもないが、当時毎月楽しみに読む文章の代表で、実際彼の死以降、同誌をほとんど読まなくなった。手に取らなくなってもう10数年経つ。ネット時代になって洲之内のように文章を読みたい読者が減ったのか、氏のように味のある文章の書き手が美術界にはいなくなったのか、同誌はヴィジュアル中心になったように思う。「読んで楽しい」ではなく明らかに「見て楽しい」に変わった。美術作品は見る物であるからそれでいいのかもしれないが、筆者のような古い世代には物足りない。だが若い世代から見れば筆者のブログは一見して読む気にならないもので、世に存在しないも同然だ。時間が金ということがますます真実味を持って来ている時代に、何をどうでもいいことをぐだぐだと書く必要があるのだとたいていの若者は思う。ネットは写真ないし動画が命で、ぱっと見て理解出来るものでなければならない。文字はほんの少しで百数十字がせいぜい読む気になる限界だ。洲之内はインターネットの登場前に死んでよかったかもしれない。氏の没後、生前のコレクションは宮城の美術館に入り、その全部ではないが、コレクション展が関西にも巡回した。兵庫県立近代美術館にそれを見に行ったのは97年で、図録を買わなかったこともあってあまり記憶に残っていない。それが多少の理由にもなって、松山市の愛媛県立美術館で『洲之内徹と現代画廊』展が開催中であることを2月下旬に知り、洲之内の生まれ故郷の松山で同展を見る機会は筆者が生きている間にはもうないと思い、それで出かけることにした。どうせ強行軍なので家内は嫌がったが、行けば行ったで楽しいはずで、ホテルの予約など、すべて筆者が用意を整えた。ただし、行くかどうかをなかなか決めずにいたため、ネットで予約しようとした時はもうほとんど空き部屋が見つからなかった。家内は安旅館やホテルに泊まることが大嫌いだが、道後温泉ではそこそこいいホテルで1泊ひとり2万から3万は優にする。それでは1泊旅行でふたりで10万では済まない。もっとも、還暦過ぎのいい大人ならそれくらいは当然の出費だ。どうにか道後温泉のすぐ近くで1泊8000円ほどのホテルが見つかった。ただし、食事なしだ。家内は結局また安ホテルに泊まることになって険しい顔をしていたが、そこはいつものように笑いでごまかす。それに出費はすべて家内持ちで、筆者はまるでというより、そっくりそのままヒモで、これが笑っていられるのであるから大悪党か。
●松山にて、その1、ホテル_d0053294_0405434.jpg

 今日は泊まったホテルについて書くつもりで、10日ほど前に加工していた写真をようやく使うことが出来る。写真は4枚なので、この段落で今日は終えようと思う。筆者は四国はほとんど知らない。何年前か忘れたが、丸亀の猪熊弦一郎現代美術館に行き、こんぴらさんに二度行ったきりで、愛媛と高知は踏み込んだことがない。どちらの県も、これまでに出身者と何人か知り合ったことがある。愛媛はみな宇和島出身で、愛媛と聞くと宇和島を思い出す。天神さんの縁日で10年ほど前からか、60くらいの夫婦が店を出すようになった。親しくなった頃にどこから来ているのかを訊いた。フェリーを使って宇和島からと言った。やはり愛媛と言えば宇和島かと思った。それはいいとして、洲之内は生まれ育った松山のことをあまりよく書いていない。東京に比べて、温泉以外は誇るべきものがなく、有名人を輩出する風土ではないといったことを書いているが、このことに対して松山の人はどう思っているのか知りたい。東京に出て名を成した洲之内であるので、国を売ったとまでは言わないにしても、あまりいい気はしないのではないか。だが洲之内に言わせれば本音であるから仕方がないといったところだろう。また松山は漱石の『坊ちゃん』で有名だが、漱石もいいことを書いていない。よほど松山人は根性が悪いのかと思ってしまう。それが正しいのかどうか一泊程度ではわかるはずもないが、ともかく自分の耳と目で確かめようと思った。結果を先に書くと、出会った人たちはみな例外なく親切で、街は広々とし、住んでもいいと思ったほどだ。そのことは追々書くとして、今日はホテルだ。部屋はかなり広かった。ただし、そうとう古く、良寛と子どもたちを淡彩で描いた素朴な掛軸は大正時代のもので、ボロボロであった。そのほか、いかにも昭和レトロな備品ばかりで、筆者はそれが気にならず、むしろ面白がった。そのホテルは通常は5000円程度で部屋があるようだが、筆者が予約したのは12日の夜で、出発4日前だ。5000円の部屋はもういっぱいになっていたはずだ。それにしても筆者らの部屋がひとり8000円とすれば、5000円はどれほど狭くてまた条件がよくないのであろうか。それを想像すると多少身震いする。筆者ら以外に誰も宿泊していないのではないかと思ったところ、男子大学生の卒業記念旅行だろう、5,6人の団体があった。それにカップルその他、何人も見かけたので、満室になっていたのだろう。フロントの主人や女将はやや無愛想であったが、女将はすぐに打ち解け、なかなか感じのよい人であった。有名な道後温泉本館の玄関まで数十メートルのところにあって、予約したのは正解であった。道後温泉の話は後日に回すとして、泊まった部屋からはその本館の建物が見えず、予約時の期待は見事に外れて拍子抜けした。窓から見えるのは観光客が立ち入らない建物の裏手ばかりだ。家内はそれにも文句を言ったが、筆者はその裏手のたたずまいが面白く、写真以外に写生もした。見れば見るほど味ある眺めだ。住民が隙を見せているからだろう。その様子が好ましい。今日の最初の写真がそれだ。2枚目はその場所から20メートルほど離れた路地で、3枚目は1,2枚目の上部。4枚目は泊まった部屋の脇にあるエレベーター近くの壁に貼ってあったもので、そのやや古さ加減がよい。どの写真も『気まぐれ美術館』に似合うように思う。
●松山にて、その1、ホテル_d0053294_0414084.jpg

by uuuzen | 2014-04-06 23:59 | ●新・嵐山だより
●嵐山駅前の変化、その312(... >> << ●松山にて、その2、道後温泉本館

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