濁声(ダミ声)と形容するのは当たっていないが、独特のその声は歌が上手なようには聞こえないないかもしれない。それもあってか、レオン・ラッセルの曲は他のミュージシャンがカヴァーして大ヒットした場合が多い。

レオンはそのことをどう思っているだろう。自作自演が最も有名になるに越したことはないが、他者が歌って新たな味わいが曲に付加されるのであれば、それは作曲家冥利に尽きることであり、自分の歌声を気にすることもない。またレオンは他人の曲をカヴァーすることも少なくないので、いい曲は誰もが共有すべきという考えを持っているように想像出来る。そういう思想はロック世代でも70年代前半までに活躍したミュージシャンに限られると言うか、より強いのではないだろうか。そこにはヒッピー文化の影響もあるだろう。さて、今月に入ってからレオン・ラッセルのCDを引っ張り出して繰り返し聴いていた。それで今日はその中から1曲取り上げるが、先週は急に違う曲を取り上げるつもりになった。その理由はいくつかあるが、まずレオンの曲は何度も聴いていると胸が苦しくなって、とても今月末すなわち今日まで取り上げようという気分が持続しないと思ったからだ。それで先ほど無理やりまた聴き始めるとその息苦しさが蘇り、それが消えない間に今日の投稿を書いてしまおうと決意した。それにその思いを後押ししたのは、レオンの曲は春の光にまことにふさわしい。桜が満開になりかけていて、しかもうっすらと肌寒いような日には最適で、この時期を逃せばまた来年まで待たねばならない。そう思いながら、ひょっとすれば以前にレオンの曲は取り上げたのではないかと心配になって検索すると、まだであることがわかった。そう言えばブログを初めてずっと毎年今頃になるとレオンの曲を取り上げようかと考え続けて来た。それがようやく今日果たせる。ところがまだ躊躇しないでもない。それはどの曲を取り上げるか決めておらず、またアナログのシングル盤を昔から入手しようと思いながら、そのままになっているからだ。先ほどネット・オークションを見ると、今日取り上げる「タイトロープ」は日本盤が発売されていて、500円ほどで買えそうだ。ジャケットはアルバム『カーニー』の写真の転用で、レオンが顔を白く塗っている。これは「マスカレード」という曲を意味していることは誰にでも想像出来る。
レオンの曲を聴いていて息苦しくなるのは密度が高いことと、若い頃の恋愛の葛藤や失恋を思い出させるからだ。「タイトロープ」もそんな歌詞内容の曲だ。レオンが30歳の頃の大ヒット曲で、当時彼は名曲を矢継ぎ早に書いた。そのことで思うのは音楽家の才能の頂点だ。先日書いたザッパの『ROXY BY PROXY』はザッパ31歳の演奏で、今にして思えば当時ザッパは頂点に達していた。音楽家は30歳で名曲を書くか、名演をするかでその後の運命が決まるのではないか。いや、実際はもっと早く、10代で決まっているかもしれない。若い頃に大ヒットを飛ばし、その後は泣かず飛ばずであっても、還暦過ぎてまだ活動を続けている音楽家は多く、そういう人を生涯現役と誉めるが、ザッパは死ぬ直前まで新しい音楽をやろうとし、「懐メロ」で形容出来ない真の意味での生涯現役の音楽家であった。その意味で言えばレオンは全く前者の「懐メロ」歌手に属する。それが筆者には不満で、しかも理由がわからないのでもどかしい。最初に書いたように、70年代初頭に書いた曲のいくつかが他者によってカヴァーされ、大ヒットしたので、印税は現在もなお生活を続けるには不足ないほどに多いだろう。そのことがレオンが新作アルバムを出さない理由かと思うと、かなりさびしいものがある。ジョージ・ハリスンにも似たようなところはあったが、アルバム発表のペースは落ちたものの、新作を書くことは忘れたことはなかった。それがレオンはなぜ積極的に音楽家の活動をしないのか。筆者が知らないだけで、アメリカでは盛んにツアーをしたり、他のミュージシャンと共演しているのだろうか。そう思って先ほど調べると、2,3年に1枚のアルバムを出しているが、80年代に入ってチャート入りしたことがない。それらはすぐに廃盤になったのか、アマゾンでも発売されていない。ところがタイムリーなことに、明日新作が発売される。ジャケットは70歳に入ったレオンの顔をサングラスなしで真正面から捉える。眼光の鋭さや皮肉っぽさは増したようで、それが悲しいような嬉しいような、複雑な気分にさせる。「ジョージア・オン・マイ・マインド」の曲目が見えるところ、自作曲ばかりではない。全曲を聴いてみないことには何とも言えないが、数年前の演奏の様子はYOUTUBEで見ることが出来るし、それから想像するに、70年代初頭の熱気はなく、老化は免れないのではないか。それは必ずしも悪いことではない。誰でも老いるし、そうなれば若い頃と違うのはあたりまえで、その違いを積極的に評価する立場もある。YOUTUBEで見る70近いレオンの演奏は、サングラスをかけていて目の様子がわからないせいでもあるが、自己に陶酔している様子があまり感じられず、それが70年代初頭の演奏を知る者からすれば物足りず、また悲しい。そう言えば白の帽子に白のダブルのスーツ、白の電気ピアノに白い髪と髭で、この白づくめはマーク・トウェインの晩年の衣裳と同じで、喪に服する姿でもある。
レオンがマーク・トウェインを意識しているのかどうかは知らないが、同じ南部出身とすれば共通する思いを持っていると考えることも出来る。南部と言えばインディアンや黒人で、レオンは最初の結婚相手は黒人女性で、ふたりの名義で『ウェディング・アルバム』という題名のアルバムを出してもいる。数年しか関係は続かず、レオンは再婚するが、相手はミュージシャンではなく、また白人ではないだろうか。ともかく、黒人女性とデュエット・アルバムを出して以降、どのアルバムも評価されず、半ば忘れ去られた存在になったと見てよい。日本では人気があって、来日公演はたまたま週刊誌で目にしたことがあるが、電気ピアノの演奏でとても意外であったと書かれていた。70年代初頭のレオンはアコースティック・ピアノばかり演奏していたと思うが、時代が変われば使う楽器が変わることもあるだろう。電気ピアノんの方が鍵盤が軽く、演奏しやすいであろうから、それが昔のレオンを知る者からすれば物足りなさを感じさせる。YOUTUBEでその演奏からは、大きなおもちゃのピアノを弾いているように見える。レオンは「ロックの殿堂」に入ったが、「サイドマン」としてで、それは妥当ながら、もっと評価していいではないかと割り切れない思いにもさせる。だが、レオンの音楽家としての経歴はサイドマンから始まった。日本で彼の演奏する姿を見た人は、ジョージ・ハリスンの映画『バングラデシュのコンサート』が最初であることが多いだろう。筆者のその部類だ。だが、1971年はちょうどレオンの才能が大きく開花したばかりで、ジョージに招かれてステージに立ったのはとてもいい機会であった。ビートルズ・ファンの何割かはレオンに関心を抱いたはずで、アメリカ南部の香りがぷんぷん漂う音楽に魅せられる機会を得た。筆者はもっぱらラジオでレオンの曲を楽しむばかりで、LPを買うことはなく、『カーニー』を聴いたのは、このカテゴリーで何度も書いた下の妹と同級生の江見君から借りてのことだ。80年代に入ってすぐのことと思う。そのアルバムを聴いてびっくりした。何という才能、そして歌声であることか。その時の感動は彼の音楽を聴くたびに蘇るが、春の天気のよい頃が最もよい。同アルバムでは最後に「マジック・ミラー」という曲が入っている。今日はそれを取り上げようか迷った。同曲はピアノ伴奏だけで歌うので、素朴かつ力強い。たぶんメトロノームと思うが、規則正しい拍子の音が鳴り続け、それがまたよい。「タイトロープ」はピアノ以外にドラムスやギターも入ってもっと多彩な表情を持っている。ピアノ伴奏だけというのは、ジョン・レノンのアルバム『ジョンの魂』を連想させ、70年代初頭は流行したと言えるかもしれない。

レオンの曲を聴いていると苦しくなるのは、若さゆえの苦しみがどの曲にも表現されているからだろう。30そこそこの彼はどんな恋愛をしていたのか。作曲するには心を動かす動機が必要だ。それがない職人芸的な作曲もあるはずだが、名曲にはならないのではないか。30歳頃に名曲が書けるとすれば、それは恋愛の影響が大きいためと思える。何のために作曲するかとなると、金儲けという返事が返って来るだろうが、その前にまず意中の人に知ってもらいたいという思いがある。若い頃ならばなおさらだ。レオンの名曲が恋愛を契機として生まれたと言えば彼は笑うかもしれないが、思い続けてもどうにもならない「片思い」、あるいは理解し合えたと思ったのに期待外れ、さらには信じ切っていたのに裏切られたといった経験は若い頃は誰しもするし、そういうことが間接的に作曲行為に影響を与えて当然だ。そこでさらに想像する。レオンが70年代半ばを過ぎて大ヒット曲を書かなくなるのは、恋愛で苦しむことがなくなったからではないか。それは別に恥じることではない。むしろ自然なことだ。ザッパはそういうことを知っていたのでラヴ・ソングを評価しなかったのかもしれない。ザッパは若い頃だけ音楽家であることには満足出来ず、「作曲家は死ぬことを拒否する」とのスローガンを掲げて死ぬまで年齢に応じた作曲をした。それが真の作曲家というものであるとしても、レオンのような若さゆえの名曲をものにした才能も筆者は評価したい。ただし、最初に書いたように、その若い頃の作品は息苦しさを覚えさせる。それほどに筆者は年齢を重ねたことであり、また若い頃の恋愛に懐かしさを感じてもいる。それでレオンはどうかとまた想像する。40年も前のヒット曲を70を越えて求められるのは心外ではないだろうか。あるいは光栄と思っているのか。その答えはYOUTUBEを見ればわかるかもしれない。40年前の曲を歌うことは完全な「懐メロ」歌手で、それはアメリカでも同じだろう。『そんな大昔の曲ではなく、新曲を聴いてくれ』とレオンは思っているかもしれないが、人々は彼の代表曲を聴きたがる。そこにレオンの演奏する姿になおさら哀愁が漂う。それは若い頃には歌そのものに内蔵されているだけであったが、老いてからは歌う姿からも滲み出る。そして筆者はさらに想像する。真っ白な姿で真っ白な電気ピアノを演奏しながら歌う時、脳裏に蘇るのは若い頃のどのような恋の思い出か。たぶん若い頃に歌った時と同じ思いに浸るだろう。名曲を生むきっかけになった恋愛は40年やそこらで消えるはずがない。そして40年は確かに去ったが、それは若い頃の1,2年に等しい短さではなかったかとの思いだ。
「タイトロープ」の歌詞は筆者が所有するベスト・アルバムのCDには載っていない。そこでネットで調べた。直訳を載せておく。「ぼくはぴんと張った針金に乗っている。片方は氷、もう片方は炎。それは君とぼくのサーカス・ゲームさ。ぼくは強く張った縄の上。片方は憎しみ、片方は希望。けれど君が見るのはぼくの頭の帽子だけ。針金だけがぼくの居場所。失敗だらけの喜劇。ぼくは落ちるだろう。キリンの首がゴムで伸びたように君はぼくの過去を覗き込む。たぶん君は物事を見るには盲目過ぎるのさ。ぼくはスポットライトの中にいる。そう感じるのは正しいだろう? ああ、高みがぼくに迫って来るよ。…」といった調子で、左右は氷と火というのは仏教の二河百道を思わせるが、それとは違ってこの曲では細いロープの上に立つ男はどちらかに落ちるしかない。救いのない状態の中、彼女が真実を見ないと責めてもいるが、キリンの長い首がさらにゴムで出来ていてもっと伸びるという表現は面白い。そのことで絶望からは免れてどこか喜劇的で、男の気持ちにまだ救いがあるように感じられる。また「comedy」という単語は別の箇所でも用いられていて、その喜劇が「失敗だらけ」というのは、救いようがないことであって、歌詞全体に漂うのっぴきならない立場をうまく形容している。彼女は男のあまりに遠い過去の過ちを指摘して責めるのだろうが、詮索好きな女性に手を焼き、高いところに張られた綱の上を歩かせられている気分になるところ、男にはマゾっ気がありそうだ。レオンはオクラホマの出身で、田舎者と言ってよいが、その分純粋さは持ち合わせていたのではないか。そのことは70年代初頭の写真からうかがえる。眼差しが鋭く、人の心を射るようで、心の濁りのなさ、一途さを漂わせている。女性に対してどうであったかわからないが、案外奥手であったかもしれない。70年代半ばに黒人歌手をプロデュースし、結婚するが、前述したデュエット・アルバムは明るさに満ちるらしい。それは本曲を初めとした70年代初頭の息苦しい恋愛の曲を書いた時期からの開放で、レオンにとっては新たな境地の始まりであったはずだ。ところが数年で結婚が破綻したところ、レオンの本性はやはり70年代初頭の頃にあったのかと思わせる。だが、再婚後はヒット・アルバムを放つことはなくなったものの、精神的に安定した生活を手に入れたとも想像出来る。その中でヒット・アルバムに恵まれないことをどう思っているかを知りたいものだ。