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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』
協の産物になるのは目に見えているとして、せっかくの機会であるから意見しておいた方がいいかと思いながら、締め切りの2月20日が過ぎてしまった。考えがまとまらなかったというより、あまり考えなかったからだ。



●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_231332.gif何の話かと言えば、京都市美術館に置いてあったパンフレットに「京都市美術館 将来構想について御意見を募集します」と極太ゴシックで題名を印刷したものがあって、1部もらって来た。同美術館が創建80周年を迎えたので、今後50年、100年先を見据えて、世界に誇れる美術館を目指すにはどうすればよいかを広く意見を求めるものだ。A4用紙1枚に「全体について」「目指すべき方向性と具体的方策について」「京都市美術館の再整備について」「運営体制の整備について」「その他」という5つの項目があり、それぞれ2行分の記述欄が用意されている。わずか2行ずつなので、その気になればすぐに書けそうだが、どうでもいいようなことでは読む方も苦痛だ。かといって「具体的方策」がすぐに思い浮かぶはずがない。10数年前か、よく似たアンケートに答えたことがある。それは京都市美術館が平安神宮の南にあって、環境はいいが、そこまで行くのに不便であるので、まずは四条河原町から岡崎までの新交通法と、徒歩でも楽しいように街並みをもっと整備することを提言した。というのは、四条河原町から市バスで岡崎に行くのに、観光シーズンになれば小1時間も要するからだ。専用の市電を復活させるなど、観光客を岡崎に誘導する何かを思い切って造るべきで、それは平安建都1200年の時に実行すべきであった。市電がなくなって久しいが、せっかく平安神宮の庭園内部にその車両が祀られているからには、それとそっくりとは言わないまでも、市電を復活させればどうか。幸いと言うか、三条通りは京阪が地下に潜ったので、地上は線路を新たに敷く余地がある。わずか2,3キロでも市電が復活すると観光を宣伝するにはよい。それくらいのことは簡単ではないか。また、歩いても楽しい道のりにするには、洒落たカフェをもっと建て、一方で若手芸術家が安価で利用出来る画廊を設けるなど、京都の新しい街並みを作るべきだ。そうしたことを書いたが役所の人はどう思ったかわからない。それはさておき、今回のアンケートは市美術館をどうするかだが、美術館がいくら人々の期待どおりのものになっても、美術館に足を運ぶ人数はおそらく劇的に変化しない。それは、最初に書いたように、みんなの意見を広く聞いたところで、結局妥協の産物すなわち特色のうすいものになるからだ。美術館が魅力ある施設になるためには、最も繁華な四条河原町からの足の便と、ゆっくり歩いても楽しい施設を途中にもっともっと増やすことだ。美術館だけがいくら頑張っても仕方がなく、京都市役所の全部門を挙げて取り組むべき問題だ。「世界の人々を魅了する美術館」を市美術家は目指しているようだが、そこまで高望みするのなら、もっともっと京都市が本気を出さねばならない。その覚悟はとてもパンフレットからは見えない。
●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_21013635.jpg
 パリならルーブルというように、京都が市美術館と世界中から目されるには、人々の美術への関心から問題にすべきで、それは学校教育から始まる。前に何度か書いたように、日本のTVドラマの『おしん』は世界で有名になったが、その主人公は辛酸を舐めて経済的に成功するという物語で、それを筆者は何となく忌々しい。確かに美術よりまずは食べるのが先だが、食べることが満ちても美術に関心が低いでは、二、三流の国だ。『おしん』の主人公が苦労しながらも、画家になるという話ならもっとよかったが、誰もそんなことは想像もしない。脚本家の知性の程度が知れるというものだ。ま、筆者が言いたいのは、そういうTVドラマが大歓迎されるようではとてもパリのルーブルに匹敵するような世界的に有名な美術館を京都、日本が持つことは出来ないだろうとの予想だ。一般市民の生活の中に印刷ではなく本物の絵画を飾る家庭が何割あるだろうか。まことに家は立派な普請だが、ろくな美術品がない場合がよくある。そういう家は全く寒々として居心地が悪い。だが、その考えはもはや古いかもしれない。各家庭が美術品を飾るという時代はとっくの昔に終わり、今や芸術品は巨大化し、普通の家の中には物理的に収められないものになっているし、芸術は美術館で鑑賞すればいいもので、家庭の中には不要と考えられている。みんなで出し合った税金で市が作品を購入し、それを美術館で飾る。その傾向がますます強まるだろう。あるいは二極化で、そうした巨大な作品は名前を売るための必要物件で、それ以外にやはり家の中で楽しめる程度の大きさのものが宝石と同じ意味を持って売買される。このふたつをうまく制作し分けることの出来る芸術家しかこれからは名前が残らないかもしれない。また、それをどんな芸術家も知って早100年以上経つが、美術館が急増したここ数十年で事情は美術館向きの大作の制作を増やす必要に迫られているのが実情だろう。家の中に収まる小さな作品は「売り絵」などと呼ばれて侮蔑され、大画面を描かない画家は肩身が狭い。「大きいことはいいことだ」の言葉が流行って半世紀の日本は、TVでも大画面が歓迎され、家がその分ますます狭くなり、もはや絵画を壁にかけて楽しむ物理的余裕がなくなって来ている。ま、それは筆者の家だけかもしれないが、芸術に関心があると、自然と画集も増え、それらが部屋の壁を大いに占領することもあって、日本は古来の掛軸という形式を見直した方がよいのに、それはもはや骨董の世界に遺物といった観念が定着し、床の間のない家を何とも思わない若者が多い。経済的には世界に冠たる日本であるのに、美術に関してはあまりに意識が貧しい。●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_235756.jpg 一方でアニメ文化があるではないかとの声がある。ヨーロッパ美術の伝統と中国美術の影響を受けた日本美術の伝統を股にかけ、そのうえに日本独自のアニメ文化による美術を載せれば世界でまだどの国も行なっていない芸術が生まれるのではないかと真面目に考えている若手は多いだろう。いや、実際は股にまける伝統など無視し、ひたすらアニメの世界のみに没入し、そこから新たな表現を目指すというのが正しい。伝統など後からどうにでも評論家が辻褄を合わせる。それが彼らの仕事であるからだ。それはさておき、最初に妥協と書いたのは、美術館はあらゆる世代の人が楽しめるものでなければならないから、新作ばかり常に展示することは許されない。あらゆる時代の名作を総花的に収集し、いつ訪れてもそれらが万遍なく見られるというのでなければ文句を言ううるさい人がいるだろう。そして概して古い世代は新世代を批判的に見るから、新世代は反抗心もあってなおさら古い世代がやらなかったことをしようとする。芸術ではそれが求められる姿でもあって、理解に苦しむが印象には強く残る作品が評判を得る。さて、前置きがくどくなった。1月25日から先月9日まで京都文化博物館で「京都府美術工芸新鋭展」が開催された。それが見たいのではなく、映像シアターで映画を見るために出かけた。4日のことで、家内と一緒だ。別館に至るまでの小さな中庭に面してかつて喫茶店があったが、それが閉じられてもう10年ほどになるだろうか。ところが当日はそこがえらく賑やかで、再オープンした様子で、出入り口の前に立つと、コーヒーが100円であった。もちろんオープン記念料金だ。早速入って30分ほど過ごした。昔はコーヒーが1000円で、その高値もあって、いつもひっそりしていたが、これからは流行るのではないか。話を戻して、本展は副題がある。どうやら来年は国際現代芸術祭を京都が行なうらしい。それは知らなかった。そのための準備展を兼ねているのだろう。この府主催の美術工芸展は歴史が長い。筆者も昔出品したことがあり、2年連続で受賞し、作品が府庁玄関に飾られたりした。ところがそれから数年ほどして、若手を発掘する「新鋭展」に衣替えした。それで本展の出品目録を見ると、ほぼ全員が1980年代生まれで30歳そこそこだ。
●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_242880.jpg

 そのような若手から世界の、そして現代芸術をリードする者が出てほしいと願う婦京都府の立場はわかる。30ともなればもうそれなりの作品を遺している年齢だ。そう考えると、本展の出品作はどれもかなりの力作となる。だが、正直なところ、「理解に苦しむが印象には強く残る作品」は少なかった。それなりに印象には残るが、衝撃的というほどはない。もうそのような作品を期待する方が無理なのかもしれない。また、一作家一点ではどうしても印象はうすい。やはり個展というまとまった数の作を見なければ力量はわからない。だが、本展は公募展ではなく、選ばれた人たちと思うが、こうした展覧会に選ばれるには実績を作っていなければならない。それは公募展に積極的に出品して受賞するか、個展を開くかだ。もちろん双方揃っているのがよい。目録には各作家のそうした出品歴が印刷されていて、みな主に京都の芸術大学を卒業し、受賞歴がある。府が主催するのであるから、府下の芸大卒を選ぶのは当然で、それでこそ来年の国際現代芸術祭も税金の無駄使いとは揶揄されずに済む。それはいいとして、「美術工芸」と題名にあるからには「工芸」作品を期待するが、そうしたものはほとんどなく、いわゆる現代芸術の「使い道のない」作品ばかりが目についた。「美術工芸」は京都独特で、他府県ではこのような言葉を冠した展覧会を毎年開催するところはない。これを説明するのは少々ややこしいが、京都は工芸王国であるからで、純粋な美術とは別に工芸しかも美術的な工芸すなわち「美術工芸」の伝統が長らく続いている。筆者の仕事で言えば、筆者は友禅染作家だが、友禅のキモノを作るとそれは「工芸」になり、同じ技術で屏風を染めると「美術工芸」になる。だがこの「美術工芸」という言葉は収まりが悪い。「工芸」は用に供するものだ。一方の美術もそう言えるが、芸術は何の役にも立たないもので、鑑賞して楽しければよい。となると、「美術工芸」は矛盾する言葉ではないか。だがそうとも言えないところがある。工芸の技術は一般的には習得に長年の経験を要する。そうした技術を駆使して「美術品」を作ると、それは京都ならではの伝統に則った芸術となり、「美術工芸」としか呼べないものになる。たぶんそういう期待を込めて本展の主催機関は人選を行なっている。巧みな技術に裏打ちされた芸術品は明治の日本を世界に羽ばたかせた。その伝統を今も京都は夢想しているし、またその灯を消してはならないと思っている。全くそのとおりだが、本展は「美術」の面には肥大化した眼差しを注いでも、「工芸」にはほとんど無関心の作家が多かったように思う。●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_244751.jpg 別館のホールでは、大阪生まれで現在京都造形大学教授のヤノベケンジの巨大な動く人形「SUN SISTER」が招待作品として展示されていた。「新鋭展」のメンバーと違って別格扱いだ。またそれにふさわしいほどの人気を得ている。「SUN SISTER」は撮影可能であったので、連写し、それを動画GIFに加工した。それに手間取ったために本展の紹介が遅れた。この作品の前で女性係員がいて、20分ごとに立ったり座ったりを繰り返すと聞いたので、しばらくの間、この作品が展示される真横の小部屋でヤノベのドキュメンタリー映像をモニターで鑑賞した。瀬戸内海の島で行なわれた現代芸術展にヤノベが参加し、そこの北野武が訪れ、ふたりが並んでヤノベの作品を見上げている場面が続いた。ヤノベの作品は昔京都ドイツ文化センターで見たことがある。その頃彼はまだ20代ではなかったかと思う。その後大きな動く彫刻専門に邁進し、今回の「SUN SISTER」はアニメ文化をもろに体現したもので、あっけらかんとした面白さがある。映像を見ている間、ちらちらとこの作品を振り返っていたのに、10分ほど経った頃、すでに像は立っていた。その瞬間を目の当たりにしたかったのに、全く音が聞こえなかった。これは意外であった。ギコギコといった機械音がホール中に響きわたるとばかり思っていた。慌ててまた作品の前に行き、係員の女性に話しかけた。「いつの間に動いたのかわかりませんでした」「あら、そうですか。また20分待たねばなりませんね」 そのとおりに待ったが、その間ほとんど人が入って来なかったこともあって、彼女と話が弾んだ。この作品は動く巨大な人形だけではなく、その前を半円形に取り囲む椅子も含んでいる。ただし、それらに腰を下ろすことは許されない。それを2枚目の写真で示す。「SUN SISTER」の説明パネルには次のようにあった。「未来への希望、純真さ、人々への寛容性、慈愛を称える。目を閉じてしゃがみ、深い瞑想状態にある少女が、太陽の光に気付き、ゆっくり立ち上がり目を開ける。暖かな太陽に向かって手を広げる身振りは、希望の証を喜ぶ表現であると同時に、目覚める人々への合図でもある」。本展を見る前か後か忘れたが、太秦の大映通りを自転車で走っていると、スーパーの前に「大魔人」が立っているところに出くわした。去年3月に建てられたが、ここ1年ほどはその道を走ってしない。この大魔人が腕を動かせば面白いが、雨に打たれる外では無理で、妥協はせねばならない。そう思うと、「SUN SISTER」は題名にあるように、陽光の下に置くべきで、室内展示というのはやはり妥協で、先のパネルの説明文が空疎なものに響く。
●『京都府美術工芸新鋭展~京都国際現代芸術祭2015への道~』_d0053294_25240.jpg

by uuuzen | 2014-03-06 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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