靭帯のどこかが切れたのか、左腕を伸ばすと痛い。重い物を持ってのことではなく、去年秋の自治連合会区の運動会で走ったことが最初の原因のような気がする。運動場を一周するのに二度もこけてしまい、倒れた拍子に腕をひねった。
昨夜はNHKのTVでまた肩が痛む理由について医者が説明していた。2週間ほど前にも似た番組があって、興味深く見た。肩が痛まないなら気に留めなかった。人間は自分に関係することでないと興味を示さない。筆者は肩が凝ったためしがないので、よく言われる「四十肩」や「五十肩」がさっぱり理解出来ず、一生無縁と思っていた。それが左腕を後ろに回すことが出来なくなった。背中を掻くのにとても困り、「孫の手」は必需品になった。靭帯があちこち切れることは加齢に伴って生じるらしく、60代ではよくあることで、筆者の肉体の衰えも平均的かとあまり気にしていないが、昨夜のTVでは一度切れた靭帯は自然治癒せず、手術の必要があると言い、筋肉の内部の切れた部分を糸で縫う様子まで映していた。筆者はじっとしていて痛むほどではなく、腕を後ろに回した時だけで、まだ軽傷のはずで、それなら自然に治らないものかとまだのんびり考えている。悪いことはあまり考えたくない性質だ。反対にちょっとしたことでも医者に駆け込む人がある。薬を飲むことがいかにも嬉しそうで、それで健康が保たれると確信している。筆者は病院や医者を信じておらず、出来ることなら今後もお世話になりたくないと考えているが、人生の最終段階ではたいていの人は医者と対面する。そして葬儀屋、僧侶となる。だがそれはまだ恵まれていて、ホームレスなら野垂れ死にだ。いや待てよ。医者や葬儀屋、僧侶の顔を見なくて済むだけでかえって恵まれているかもしれない。ところで、ホームレスは住所がないので生活保護を受けられない。これは大きな問題ではないか。先日ある人から聞いた。商売で儲けた人がちょっとしたビルを建て、部屋がたくさん出来た。使わないのはもったいないので貸すことにした。家賃を確実にもらうために生活保護を受けている女性に限ることにした。何しろ役所から振り込まれる毎月のお金から自動的に自分の銀行口座に家賃が回って来る。うまいことを考えたもので、さすが商売で儲ける人は頭が違う。だが、誰しも生き抜くためにはそのように頭を使うべきだ。銀行泥棒をする者より銀行家の方がよほど悪党だという考えをどれほどの泥棒が持っているかは知らないが、その考えは真実と言ってよい。「合法的」という言葉を振りかざしてたっぷり儲ける連中は知能犯で、腹黒い。もっと単純な人間は単純に人から奪う。そしてそれが悪人のすることという意識を人々に植えつけるのが銀行家など、社会的に上の方にいる人たちだ。独裁国家の独裁者が一番の悪者と民主主義の国に住む人から思われるのと同じだ。だが、独裁国家であれ、日本のような国家であれ、上に立つ人はみなうまく立ち回ってみんなから偉い人と尊敬されるではないか。
先ごろ、とある有名な保険会社が大量の未払いがあるとニュースになった。ちょうどその頃のネット・コラムに、保険に入るのは保険会社を食わせているのと同じというのがあった。それは今さら言うまでもないことだ。みんなから薄く広く集めたお金を、不幸があった人に配るという保険の考えは理解出来るが、何かをうまいことを言って保険金を支払わない。今の保険会社は理想とは遠い下司の集団となった。銀行も同じだ。そういうところに勤務する人はみな同じような服装と顔つきで、慇懃無礼を信条として人を見下げることにかけては天才的だ。といったようにたぶんホームレスは思っているだろう。彼らを昔風に乞食と呼ぶのは正確でない気がするので話を継ぐのに多少の迷いがあるが、筆者が子どもの頃に大人から聞かされたことに、「乞食を3日やるとやめられない」がある。それほど儲かるのかと子ども心に思ったが、そうだとすれば日本は人情味溢れる国であったことになる。乞食を見て憐れに思う人が多い状態は平和で健全だ。乞食の方はみんなに施しの優しい気持ちを喚起させてやっているので、自分たちを一種の人道家と思っているのかもしれない。それは傍目に見ればそのとおりだ。人は感動したいために金を出す。乞食を見てかわいそうにと思い、小銭でも恵んでやろうとすることは、自分が人に優しいことに感動したいからで、騙している乞食はさほど悪いことはない。それはさておき、青いビニール・テントで暮らすホームレスをたくさん見かけた時期があったのに、近年はほとんど見かけない。たまに数か月は体を洗っていないような、たぶんホームレスを街中に見かけるが、寒い冬がようやく終わろうとしているので、彼らは気分がよくなっているだろう。筆者もそうで、梅が咲く今頃の季節は人生が違って見えるほどだ。人間は環境によって思いが変わる。温かい季節に向かい始めると、気分もうきうきする。悩みをたくさん抱えている人でもほんの数秒はそういう気になるはずで、それをきっかけにくよくよ考えないことだ。今日は自転車で区役所や社会保険事務所などを走り回りながら、花粉の飛散で目が痒くてたまらず、まだ強い光ではないが早くもサングラスをかけた。隙間があるので花粉は入って来ると家内は言うが、ないよりましだろう。春風に乗って埃がよく目に飛び込むので、それを防ぐにもよい。自転車に乗りながら月の終わりの今日は何に曲を取り上げようかと考えた。昨夜決めていた曲があったが、今朝目覚めるとその曲は季節にふさわしくないと思い直した。すると急にバッキンガムズのヒット曲が思い浮かんだ。その理由が自分でもわからない。残念ながらその曲のEP盤を持っておらず、いずれネット・オークションで落札してから取り上げることにする。ではどんな曲がいいか。それが決まらないので今夜は困るなと思っていると、うまい具合にまた別のメロディが口から出て来て、1時間ほどはそれを口笛で吹きながら自転車を走らせた。擦れ違う人に聞こえていたはずで、みんな内心怪訝そうな顔をしていたであろう。その三度目に浮かんだ曲を今日取り上げる。クルト・ワイルだ。それで先に乞食の話をした。
ワイルが作曲した『三文オペラ』はイギリスで200前に人気をさらった『乞食オペラ』をリメイクしたものだ。もっとも、ブレヒトが書いたドラマの筋立てであって、音楽は違う。『乞食オペラ』のイギリスでの映画化は昔TVで見た。録画したのでどこかにビデオ・テープがあると思う。その映画にはワイルの音楽は使われておらず、またブレヒトの脚本のように現代が舞台ではなかった。それはさておき、『三文オペラ』の音楽を初めて聴いたのはNHKのFMで、70年代前半であったと思う。だが、バッハやベートーヴェンといった時代のクラシック音楽に馴染むと、ワイルの魅力はなかなかわかりにくい。それでもレコードは買っておこうと思い、3枚組LPを京都の十字屋に注文して買ったのが81年か2年であった。レコードは本とは違って最初に発売された年月をどこにも記していない。これが不思議で、理由がわからないが、たぶん古いものだと売れにくいからだろう。本と同じように腐るものではないから、製造されて何年も経ったものでも新品として売られるのはいいと思うが、中にはそう思わない買い手があるのだろう。それで買ってしばらくはいいとして、10年や20年経つと、いつ買ったのかすっかり忘れてしまう。筆者が81年か82年と覚えているのは、ほかのことと関連させてで、それがなければ数年以上は記憶がずれるだろう。それはともかく、せっかくワイルのアルバムを、しかも3枚組を買ったというのに、一度針を落とした程度で、その後たぶん3,4回しか聴いていない。これはワイルの魅力がつかみにくかったからだ。それではいけないとは思いつつ、音楽との出会いはそういうことがままある。波長が合うのは運のようなこところがある。気になりつつも縁がないままに数十年経ってしまうことは珍しくないどころか、むしろ人生にはそういう場合の方が多い。残された年月がどんどん少なくなるのに、うまく出会えないままになっている対象があまりに多い。そこでいつかはすっかり諦めねばならないが、筆者はまだその心境にはなっていない。その気持ちを持ち続けていると、過去にさほど感動しなかった対象がにわかに大きくなることがよくある。これは偏見を持つなということだ。筆者はどんなことに対してもそうありたいと思うが、どちらかと言えば嫌いなものはあれこれとある。それは最初に書いたことからも明らかだ。
話を戻す。筆者が購入したワイルのアルバムは、デイヴィッド・アサートン指揮ロンドン・シンフォニエッタの演奏で、当時出たばかりであったように思う。たくさんの中から選ばず、3枚組であればだいたい代表曲は網羅されているだろうとの考えだ。またワイルのアルバムはさほどたくさん出ていなかった。有名な『三文オペラ』は入っていたが、『管楽オーケストラのための組曲』に編曲されたヴァージョンで、LP片面の20分ほどだ。しかも歌がない。「オペラ」であるのに歌がないのが不満で、本当の『三文オペラ』のアルバムを買う必要を思った。だが、LP3枚組を6900円で買っているのに、また出費とは少々痛い。そうこうしている間にCD全盛時代になり、LPを鳴らすことは面倒になって来た。十字屋に通わなくなってもう20年以上経つと思うが、木屋町四条に小さな店があって、その2階で中古CDを置くコーナーが出来た。どういうわけかそこにはかなり渋い作品ばかりが並んだ。現代音楽が圧倒的に多く、筆者の知らない作曲家の作品がたくさんあった。わからないまま買ったCDも多かったが、たぶん誰も買わないと店は考え、かなり安かったせいでもある。ところがボックス・セットでは箱がなかったりして、売った人はよほど雑な扱いをしていたと見える。その店は数年も持たなかったと思う。その頃から十字屋のレコード、CD販売は急速に下火になったと思う。今でも三条京極に大きな店をかまえるが、CDの品揃えはよくない。話を戻す。木屋町四条の十字屋で『三文オペラ』のCDを見つけたと思う。日本盤で、ブックレットを閉じた分厚いデジパックだ。裏面にウテ・レンパーの顔写真がある。このアルバムは1990年の発売で、筆者が買ったのはその年か翌年だ。これはおよそ10年前に買った3枚組LPとは違って歌がついている。『ジョン・ゲイの「乞食オペラ」による喜劇 エリザベート・ハウプトマン訳 ベルトルト・ブレヒト改作および作詞』という長い副題めいた記述が題名の下にある。このCDで長年のワイルに対する一種のとっつきにくさはかなり消えた。この次に出会ったのが、ウテ・レンパーのアルバムだ。彼女は90年の『三文オペラ』で歌って一気に有名になった。今でもワイルの歌い手としては彼女以上はないとされている。彼女については
2009年11月に取り上げている。それ以降彼女のアルバムを聴かなくなったかと言えば、その反対で、ますます聴くようになっている。同じ音楽家は二度取り上げないようにしているので、彼女の歌を今日は紹介しない。ワイルの曲については、ジョン・ゾーンの肝入りでさまざまなミュージシャンがカヴァーするアルバムが出たが、それはあまり出来がよくなく、感動的なヴァージョンはない。やはりウテにとどめを刺すと言おうか、ワイルの曲を斬新に蘇らせた演奏がある。それが今日の「TANGO BALLAD」だ。
この曲は筆者が最初に買ったワイルの3枚組の『管楽オーケストラのための組曲』の5曲目後半として収められている。ただし、そこでは単に「TANGO」と記されている。『管楽オーケストラのための組曲』は1928年の作曲で、『三文オペラ』の初演は同年8月31日であったから、同年の残り4か月の間に書かれた。『三文オペラ』とは違って20分の長さしかないから、かなり多くの曲を省いている。ワイルにすれば出来のよい曲だけで強固な組曲を作りたかったのだろう。『三文オペラ』は語りの部分が随所に挟まっていて、全体を音楽として聴くのは多少気分が削がれる。その語りはブレヒトの部分で、ワイルは自分の作曲だけで『三文オペラ』の上演の大成功をものにしたかったのだろう。『三文オペラ』と『管楽オーケストラのための組曲』としての『三文オペラ』は相当な違いがある。先ほどアマゾンで筆者が所有する3枚組LPを調べると、曲順を大幅に変えて2枚組CDとなっている。そして「TANGO」は「TANGO BALLAD」と改題されている。ワイルは当時流行していた音楽であるタンゴのリズムでこの曲を編曲し直した。それで「TANGO BALLAD」と呼ぶが、ブレヒトの脚本つきの『三文オペラ』では彼の書いた歌詞が歌われ、またそれが重要であるので、「ZUHALTER BALLADE」と題され、これを「ひものバラード」と訳している。この曲は男女の二重唱で、その掛け合いが面白い。その歌詞を知り、またメロディを覚えてから改めて『管楽オーケストラのための組曲』のヴァージョンを聴くと、ワイルの才能が鮮明にわかるだろう。筆者が今日自転車を漕ぎながらこの曲を想起したのは、ワイルの曲に漂う、どこか空疎でありながら明るい様子と、今日の春めいた空気が似ていたからだ。そのような簡単な記述でワイルの魅力が語り尽くせるとは思っていないが、詰まるところ、そういう単純な比較がワイルの曲の味わいを説明するのに最も最適と考えもする。ワイルの作品は短いソングにあって、大編成の管弦楽曲というものは似合わない。それにはワイルが生きた時代のベルリンという大都会が影響している。小粒な曲しか残さなかったワイルだが、そのひとつひとつの曲はどれもワイルしか書けない個性を持っていて、彼のメロディが当時のベルリンがどういう社会であったかも端的に示しているように思える。それを頽廃という言葉で形容するのが常識となっているが、頽廃の烙印を押した連中こそが頽廃の極みにあったわけで、見方にはいつも正反対の立場がある。銀行泥棒がよくないことだが、銀行を運営しているお偉方はもっとえげつないではないか。彼らは罪や罰には無縁で、富も名声も得ようとする。「そんな馬鹿な話があるか」とホームレスや乞食は思うだろう。
さて、「TANGO BALLAD」の歌つきヴァージョンで筆者が絶賛したのは、ウテ・レンパーのアルバム『PUNISHING KISS』に収められている。ブックレットでウテはこの曲について説明している。「BALLAD OF IMMORTAL EARNINGS」とも呼ばれることや、このアルバムが発売された2000年はワイルの没後50年に当たるとも書いている。また、この曲で彼女は相手役すなわちひも役としてニール・ハノンとデュエットしていて、ドイツ語ではなく、ハノンに合わせて英語で歌っている。ハノンの低い声はウテの声と実によく共鳴している。また、バックの演奏は斬新で、ワイルが聴くと大喜びしたであろう。現在のところ、このヴァージョン以上に毒気と色気のある演奏はほかにない。ということは歌が欠かせず、歌詞があっての曲かということになりそうだが、それは違う。ワイルのメロディが素晴らしいのでウテとニール・ハノンは一緒に歌おうとした。ワイルの曲の面白さは、前述したジョン・ゾーンがいろんなミュージシャンに依頼して演奏させたアルバムからわかるように、元々いろんな音楽の要素をゴッタ煮しているところがあって、自在に編曲可能なところがあるからだ。そして、そのように装いを変えても本質のワイルらしさは消えない。そういうことがわかるのに筆者は、乞食の3日ではなく、30年近くかかった。それは別々の靭帯が結束して力を発揮することに似ている。そのようにして一旦魅力がわかると逃れられない。