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●「パリのセレスタン河岸」
門が遠くに描かれていると思うが、このことについては後述するとして、今日は1年ともう少しぶりに「骨董世界漂流記」に投稿する。このカテゴリー向きの話題はたくさんあるのに、種々の理由であまり書かないようにしているところがある。今日は例外で、一昨日の天神さんで入手した油絵について書く。



●「パリのセレスタン河岸」_d0053294_23511243.jpg上七軒のきれいどころを招いての梅花祭が開かれていると知ったので、どうせ行くのなら縁日の露店が出ている25日にしようと決めた。うまい具合に当日は春のような陽気で、家内と午後3時頃に落ち合うつもりでひとりで出かけた。天神さんに出かけるのは去年12月以来だ。馴染みの露店商が何人かあって、話をするのが楽しみのひとつになっている。12月には古い伏見人形を1個買った。去年9月だったか、郷土玩具を販売しているFさんと知り合いになり、その場で紹介してもらった業者だ。北山に店をかまえているそうで、名刺をもらったのにまだ出かけていない。12月はその業者が伏見人形を3,4個と瓦焼きの鍾馗さんを売っていた。値札はついていないので、いちいち訊く。業者によってはかなりふっかけて来る場合がある。先日は筆者の後ろを歩く人がこう言っていた。「あの商品、値札では1800円やのに、訊いたら1000円でええわやて。いったいどれだけ掛け値してねんやろ」。同じようなことは当日筆者も耳にした。神仏専門の道具類を売る70代半ばの男性がいて、商品を買った人と話が弾み、いっこうに筆者の方を向いてくれない。筆者は宝珠型の高さ10センチほどの、極細のロウソクを3本立てる古い燭台がほしかった。同じものがふたつあり、それよりひと回り大きいものがひとつあった。こっちを少し振り向いた瞬間に声をかけた。「これいくら?」「1000円」「こっちの大きい方は?」「それも1000円でええわ」。すると筆者の真後ろに立っていた70歳ほどの社長の貫禄のある男性はにこにこ笑いながら、「3つまとめて1000円や言うたったらええ。それでも売ってくれるで」と言った。その程度の価格で充分と思っているのだ。3つ1000円は二束三文みたいに安いので、せめて小さなものが対で1000円なら買ってもよかったが、ひょっとすれば新品でもさして変わらぬ値段かもしれないと思い直した。というのは、ロウソクを建てる直径15ミリほどの台を留めるのに、宝珠型の薄い板に差し込んで、裏から六角の小さなナットで締めてあるだけで、その様子がいかにもせいぜいここ20年ほどのものに見えた。もっと古くて風格があれば別だが、とてもそんな商品ではない。急いで買わずとも、来月もあるに違いない。そう思わせたことは前述の伏見人形を売る業者だ。2か月前にあった伏見人形や鍾馗さんはそのままあった。筆者のかたわらで若い男性が鍾馗さんを示しながら価格を訊いたところ、業者は8000円と言った。2か月前と同じ価格だ。めったに出ない型らしいが、京都では成金趣味の人が喜ぶ大きさで、本当はもう4,5センチ背丈が低いものがいいらしい。上品さを旨とする京都では、家を守る鍾馗さんが道行く人の目に留まり過ぎるのはよくないらしい。それで小振りのものが求められる。その業者が売るのは高さ20センチほどで、もっと小さい方が高いらしい。なかなか人がよく、学もそれなりに入っていて、筆者とは馬が合う。一度でも買うとそ馴染みになれる。
●「パリのセレスタン河岸」_d0053294_23515275.jpg

 本題に入る前にもう少し当日あった面白いことを書いておく。帰りがけにNHKの取材斑の4,5人が撮影している現場に遭遇した。写真を撮った後、ふと左手を見ると、赤と黒で描かれた素描が古めかしい銀色の額に入っている。遠目にも目を引く作品で、華岳か麦僊かと思って近寄った。すると画面左端に丸の中に麦の字を書いたサインがある。麦僊だ。有名な京都の舞妓を描いたもので、同じようなものは何点か見たことがある。業者は筆者の方を向かずに遠くを見ている。よほど値段を訊こうかと思い、さらに顔を近づけて見ると、線の際が凹んでエンボス加工のようになっている。それは木版画の特徴だ。そう思って見ると、納得が行く箇所が次々と目につく。決定的にそう思ったのは、画面左下に水彩紙の透かしマークがくっきりと浮かんでいる。麦僊がそのような紙に素描するだろうか。素描であるので、本画を描く際の覚えとして舞妓の衣裳のあちこちから線出しして注意書きを施してある。その鉛筆の具合が木版画特有の色のつき具合だ。そう確信した瞬間、右手にいたNHK撮影隊の長身の若い男性が筆者の方を向き、「あれはいったい何やろ。ものすごい絵やな。あれを撮ろう」と言い出した。その絵とは横長の画帖で、阿波の浄瑠璃人形の首を描いたものだ。有名画家のものではないが、女が般若に豹変したお化け顔があったので、NHKの若者は驚いたのだ。だが、多少の文楽人形の知識があれば驚くものではないし、また彼の年齢でしかもNHKの撮影班を仕切るディレクターであればそういう知識がない方がおかしい。その若い男は店主に撮影を断って撮影班をその絵の前に、つまり筆者の背後を右から左へと移動させた。その時店主はこう言った。「あのね、その絵よりそっちの舞妓の方がもっと凄いよ。それは美術年鑑で2000万円の値がついている麦僊の素描で、お茶屋さんから出たものや」。なるほどそう言われるとそのような雰囲気がある。NHKの一隊は麦僊と聞いてもきょとんとしている。筆者は店主の言葉が終わるのを待ってこう言った。「これ、版画ですよね」。すると店主は怒りと嘲笑が入り混じった表情を浮かべ、「何言うてんねん。描いてあるがな」。相手にしたくないのはこっちで、その場から去った。店主は一点ものの素描と思っているのだろうか。とするならば、やはり露店商が似合っている。その絵を放出したお茶屋はかなりの曲者だろう。麦僊の本物とわかっていれば露店商に処分するはずがない。もっと大事にするし、また麦僊がわかる客筋が途絶えないはずだ。女将は露店商の主に向かって、「これ麦僊の本物やけど、もうかなり汚れているから、安う売りますわ」。その作品は額の中にきちんと収まらず、端に継ぎ足した紙が破れるなど、今まで大切にされて来なかったことが一目瞭然だ。そのことで版画とは言えないが、露店商自身が本物と確信があれば、露店に出さずに画商など別のところに運ぶはずだ。帰宅して早速麦僊展の図録を見ると、ほとんど同じ図柄の舞妓の素描があった。それにそこには丸に麦の赤い印章が捺されている。露店商が持っているのは、仮に木版画でなければ贋作だろう。精巧に出来た素描の贋作を専門に扱う業者がネット・オークションの出品者にはいる。
●「パリのセレスタン河岸」_d0053294_23515422.jpg さて、当日は収穫があった。10号の油彩画で、20メートルほど離れたところからでもいい作品であることがわかった。油彩画を何枚も売る業者ではなく、品物を並べる区画の端に忘れられたように立てかけてあった。誰もそれには意識を払わない。3,40分後にまたその場所に戻った。どうも気になる。おばさんが売り主だ。価格を訊いた。何と500円と言う。まさか。3000円ならば買うつもりでいた。それが500円とはゴミ扱いではないか。裏面を見ると、驚くことに「ギャルリー・ためなが」のパリ店が1971年に扱った作品であることを示すシールが貼ってある。たぶん当時数十万円はしたはずだ。額縁がないのは、絵よりも価値があると思われたからであろう。見るほどによい絵で、すっかりに気に入っている。売り絵ではあるが、パリのセーヌ河畔の雰囲気が嫌味なく描かれている。画家の名前はJ.COBOSで、聞いたことがない。もう亡くなっているかもしれない。今日のネット検索で同じ画家の同じサイズのパリ風景の油彩画をとあるギャラリーが販売していることを知った。推定価格が30万で、その業者は8万円の値段をつけていた。その絵は1972年で、画風は同じだが、筆者が買ったものの方が圧倒的に出来はよい。それは筆者好みという意味だが、その理由をこの3日考え続けている。構図と色の巧みさはもちろんだが、水辺が描かれていることが気分を落ち着かせる。キャンヴァスの裏に「PARIS,Q.de Celestins」と書かれている。「セレスタン」とはどこか。パリに行ったことがないので、ぴんと来ない。シールには「セレスタン河岸」と書いてある。川岸に数艘の船が停泊中で、画面中央やや上右に白っぽい箱型の建物が見える。それも船だろうか。その最も手前の面の前に白いポールが1本立ち、そのてっぺんにフランスの国旗がある。その箱状の建物らしき下には船の舳先がふたつ見えているので、この建物は船を停泊させるか移動させるための装置かもしれない。そう思ってその奥の左手を見ると、そこにも船が二艘見える。しかもその上部に囲いらしきものがあり、これは閘門かもしれない。セーヌに流れ込む運河があり、その水位の差を調節するための開閉式の閘門を遠くに描いたものかもしれない。ともかく、国旗を掲揚する白いポールが画面を引き締め、その縦線に呼応するかのように手前の船の赤い屋根に人物がひとり立ち、画面上部は木立の幹が何本か直立する。そして何と言ってもこの絵を特徴づけているのは川岸の遊歩道の曲がり具合だ。そのカーヴの終点近くに切り妻屋根のベージュ色の建物が描かれるが、その向きはその下に描かれる前述の白っぽい箱状の建物らしきものの向きとは直角を成している。それを目を追うと心地よく、この場所を歩いてみたいと思わせる。だが、40年以上前のパリだ。同じように残っているかどうか。それに画家のコボスは見たままを描いたのではないかもしれない。
●「パリのセレスタン河岸」_d0053294_23523246.jpg

 「セレスタン」とはどこか。画面裏の「Q.」は「河岸」を意味するはずで、これはすぐに「Quai」であることがわかった。そうなると早い。「Quai de Celestins」を検索すると、パリのどの辺りかがわかる。次にGOOGLE EARTHのストリート・ヴューで調べた。一瞬にしてパリに飛び、そこを透明人間になって歩く気分だ。切り妻屋根の建物が目印で、その向きを絵と同じようになる位置を見出す。絵は川岸を見おろしているので、建物の窓辺から描いたものかと思ったが、そのような建物はない。では橋の上からか。おそらくそうだ。「シュリー橋」というのが架かっている。その上も道路で、ストリート・ヴューで見ることは出来るが、残念なことに橋の中央を走る車から撮影した画像で、欄干際に立って眺めることは出来ない。それに40年の間に樹木が生い茂り、視界をかなり遮っている。だが、コボスがシュリー橋の上から描いたものであることは確実だ。それならパリを訪れた時、同じ位置に立つことは簡単だ。便利な世の中になった。ちょっと調べればいろんなことがわかる。それなのにたった500円で絵が売られる。おまけに誰ひとりとして注目しない。1階のTVの横に立てかけると、全体がどうも脂っぽい。全体に黄砂がかかったような雰囲気だ。40年の間に絵具が褪色したのか、それともタバコのせいか。今日は思い切って水で濡らした綿棒で全体を拭った。数十本使った。どれもすぐに真っ黒になった。完全に汚れを除去するにはまだ100本は必要だろう。そうしてもいいが、焦茶色のみが拭い方によってかなり剥げる。汚れを取り去ったおかげで、めりはりが格段によくなった。ユトリロ風とフォーヴ風を足して割ったような古い様式の絵と言えるが、それよりも荻須高徳を思わせる。ひょっとすれば「ギャルリーためなが」つながりで両者は交友があったかもしれない。それはさておき、ストリート・ヴューで切り妻屋根の建物の前に立つと、使われなくなって久しいようだ。この建物はいかにも閘門に付属する古いもののようだ。ところがストリート・ヴューではセーヌに流入する運河がない。この40年の間に道路下の暗渠になったのではないか。交通の邪魔なものが撤去されるのは京都でもパリでも同じだろう。運河や閘門がなくなっても、この建物までも撤去する必要がなく、記念の意味もあって残されたように思う。セーヌはこの絵で言えばどっちに向かって流れているのか知らないが、切り妻屋根の建物を向いの岸辺から眺めた画像もストリート・ヴューで調べた。そっちの道の方が歩いてみたくなる狭さと石畳で、パリに行ってみようかという気にさせる。家内は昔からせがんでいる。
●「パリのセレスタン河岸」_d0053294_2352286.jpg

by uuuzen | 2014-02-27 23:49 | ●骨董世界漂流記
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