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●『若冲ワークショップ 第7回 同時代の画家』
悴した姿を見せるのは犬や猫でもいやだろう。人間ではなおさらで、そういう人はあまり外出しない。一昨日、自転車で区役所に行った後、買い物をするのに梅津のトモイチに行った。その帰り、すぎ近くのバス停に40歳くらいだろか、おかっぱ頭の女性が黒いセーターに黒のスラックスという姿で立っている前を通り過ぎた。



●『若冲ワークショップ 第7回 同時代の画家』_d0053294_154493.jpgその日はとんでもない寒さで、彼女の服装ではかなり寒かったはずだ。通り過ぎる瞬間、彼女と目が合った。その間、0.3秒ほどか。彼女は口を少し開き、笑顔であった。それは筆者と目が合ったので作ったものではない。普段からそうだ。一瞬で知恵遅れであることがわかった。それに身なりは憔悴が目立つと表現してよいほどに、全体に薄汚れ、顔も何日も洗っていないようであった。そのことがわかった途端、筆者の脳裏にスローなマイナー・ブルースのギター・ソロが鳴り始めた。彼女はほとんど誰からも相手にされないだろう。だが、人間であるからには悲しみを知っているはずだ。にもかかわらず、普段からうっすらと笑っている。彼女が喜ぶのはどんな時だろう。彼女にそういう瞬間が毎日たくさんあればいいと思った。こうして書いていて、悲しみと逞しさが混じった雰囲気を湛えた彼女の顔や姿をとても鮮明に思い出す。そしてさらに連想するのは、蕭白が描く人物の顔だ。つい先日、ネット・オークションに蕭白の珍しい作品が出た。安ければほしかったが、8万円近くで落札された。真新しい表具で、しかも立派だ。それだけでも8万円はする。したがって、中身や桐箱を含めて8万円はとても安い。それはともかく、その作品は三味線や撥を傍らに置いた女性の後ろ向きの坐像で、左端に俳句が書いてある。「ふかぬ日はぶらりとは寄らず鳴子かな」とあって、「蛇足軒せうはく」という署名と、有名な「鬼如」の印章がひとつだけ捺してある。蕭白の俳画はきわめて珍しいのではないか。それを思うと8万円はただみたいに安いかもしれない。無理して買っておけばよかったか。だが、20万くらいには競り上がったはずだ。贋作と思う人は買わなければよい。蕭白は後ろ向きに坐る牛をよく描いたが、その作品はそれを思い出させる。後ろ向きで顔の見えない人物像は悲哀が漂う。「ふかぬ日」とは「更かぬ日」のことで、昼間が長い、夏至を中心とした頃だ。早く暗い夜が来なければ、三味線を持ってぶらりと酒を飲ませる店に入って行くことは出来ない。今で言うギター片手の流しで、そういう職業の女性に蕭白は同情したのかもしれない。そしてその絵は酒の席で描いた可能性が大きい。蕭白には緻密に描いた驚嘆すべき超力作があるかと思えば、全く酩酊状態で描いたかのような落書き同然の作品も少なくない。その振幅によって真贋判定は難しいが、若冲とはまるで違う無頼漢としての人物像が想像出来る。酒を飲ます店など、若冲は進んで入ったことはないのではないか。蕭白は酒好きであったようで、それが次第に昂じて行って、酒をある程度飲まねば描けないようになったと想像する。
 仮にそうであったとして、蕭白の心にどんな思いが吹き荒れていたのだろうと想像する。「鬼如」は鬼のような絵を描くという意識の表われというより、鬼のように非情になれという覚悟で、実際はそうなり得る精神ではなかったので、そう装ってみただけであった気がする。当時三味線弾きと絵描きがどの程度違った人種とみなされていたかと言えば、あまり大差なかったのではないか。どちらも芸を見せて飯を食う。三味線弾きは酒が飛び交う夜になってお呼びがかかる。絵描きはそうではないようだが、資金援助してくれるパトロンがあった応挙のような有名な立場でなければ、絵は高値で売れず、また買ってくれる層や人種も違う。それは今も同じことで、絵がうまいからと言ってそう簡単に有名になり、また裕福な暮らしが出来るはずがない。そういう現実に蕭白は幻滅していたか。蕭白が応挙をどう思っていたかは、当時の伝聞が書き留められた本によってよく知られている。つまり、応挙の作品は絵ではなく、図と称すべきもので、蕭白は応挙の作品を味も素っ気もない職人仕事と見ていたのだろう。筆者も応挙の絵はさっぱり面白いと思わないが、では蕭白はどうかと言えば、全面的に褒め称えたいというほどにはよく知らない。数年前に京都国立博物館で蕭白展があって、その図録を所有するが、頻繁に見ることはない。そこにはどう見ても贋作としか思えない作品がごくわずかに混じる。実際贋作に相違ないが、それほどに蕭白の真贋判定は難しい。ここではそれがどの作品かは書かない。ネットでそういうことを書くと、所蔵者から訴えられかねない。図版をじっくりていねいに1点ずつ見つめることを何度か繰り返すと、違和感を覚える図版が浮かび上がって来る。そうなると早い。その出来の悪い作は贋作だ。そう思って今度は印章を仔細に見ると、基準印と合致していないではないか。そういう作品が権威ある博物館で開催された展覧会に時として混じる。そのため、いつまで経っても蕭白の正しい姿が見えにくい。そして、そういう出来の悪い作品を除外して見つめ直すと、今度はかなりすんなりと蕭白の姿を思い描くことが出来るようになる。だが、そうなってもなお蕭白は謎めいている。その理由は、蕭白が絵を描く人生を歩みながら、何を求めていたのかということがよくわからないからだ。そこで最初に書いた知恵遅れの笑顔の女性の顔を思い浮かべると、蕭白は狂人との評判があったが、きわめて心根の優しい男であったのではないかという確信めいた考えが頭をもたげる。そういう社会の片隅にひっそりと生活する人を憐み、援助の手を差し伸べるというのではない。どう言えばいいか、権威や世間体に楯突く思いが強く、理解などしてもらわなくてもけっこうという態度だ。知ったかぶりをする連中を最も忌み嫌い、むしろ芸術など何もわからなくても控え目な人を好む。芸術家は孤独なものだが、蕭白にはその言葉が特に似合う。52歳で死んでいるが、やるべきことはみんなやった。
●『若冲ワークショップ 第7回 同時代の画家』_d0053294_175257.jpg

 15日に『若冲ワークショップ』に行って来た。メールで2日に申込み、当日中に返事が来た。たぶん駄目かと思ったが、それは第、5,6回が同じように申し込んだのに、返事がなかったからだ。返事がないことは予約がいっぱいになっていることであるとその時に知った。全8回で、次回は初めて場所を変えて石峰寺でやるらしい。もう予約を受けつけているのだろうか。今回筆者ひとりで出かけたが、雨天で、しかも場所がわからず、予定より15分もたくさん歩いた。堺町通りとばかり思っていると、その四条上がるには見覚えのある建物がない。それで一本東の柳馬場通りを歩くと、そこにもない。ようやくそのもう一本東の富小路通りにその場所はあった。筆者が入室したのは最後で、そのために後ろの方の席になった。定員30名で、それくらいは入っていたと思うが、空席は少しあった。講師の岡田秀之氏とはわが家を訪れた時に一度面識がある。訪れたと言っても、貸してあった作品を返してもらっただけで、氏の方はその後多くの人に会っているので筆者を覚えていないはずだ。当日筆者は講師が氏であったので、ぜひ参加したかった。その理由は今日は書かないが、当日はその参加したかった目的を果たすことが出来た。氏の名前はつい最近、裏寺町通りにある宝蔵寺で若冲の若い頃の水墨画が発見されたと言うニュースが全国を駆け巡った時に出た。その時の話が当日は枕になった。宝蔵寺は今月6日から12日の1週間、その作品を寺で一般公開した。新聞7社とTV局が報道したので、話題は大きい。1550名が見に来たそうだ。若冲人気はまだ健在と言える。氏は同寺にある若冲の両親や弟の墓を調査した際、住職から若冲の絵を所蔵しているが、見てほしいと言われたそうだ。それで一目見て真作とわかり、そのことを住職に言ったところ、喜びのあまり一般公開する思いに至ったという。つまり、氏のおかげだ。筆者は同寺に3,4年前に訪れた。三回足を運んで住職に面会出来た。そして所蔵する若冲画を全部見せてもらった。そのことはここでは詳しく書かないが、先日公開された一幅は見た途端に真作とわかり、そのことを住職に伝えた。とはいえ、筆者は無名だ。それでは世間に対して太鼓判にはならないどころか、かえって怪しいのではないかと思われる。住職も心配していたのかもしれない。それで数年経って岡田氏が太鼓判を押し、ようやく世間に公表されることになった。ともかく、めでたし。
 先に「見た途端」と書いた。それは大げさではない。本当に1秒とかからない。それほど若冲の絵は特徴がある。氏の1時間の話が終わった後、質疑応答があり、若い女性が質問した。「宝蔵寺の若冲の絵がなぜホンモノと言えるのですか」。それに対する氏の答えもやはり、一瞬でわかるというもので、そのことを信じてもらうしかない。だが、筆者ならどのように答えるだろう。そこで思うのはこんなたとえ話だ。7,8年前か、正倉院展で中学の同級生のお姉さんにばたりと出会った。奇遇だ。人生にはごくたまにそういうことがある。どちらかが暮らす地域でなら出会う確率はもっと大きい。それはいいとして、出会った途端に彼女は筆者に声をかけたし、筆者もまた即座にわかった。10年ほどは会っていなかったにもかかわらず、お互いすぐにわかった。また、それまで何度会ったかと言えば、10回には満たない。それでもお互いがわかる。人間にはそのような能力がある。100万人の中からでも探すことは簡単なはずで、それほどにお互いがお互いの特徴を本能レベルで知っている。若冲の真作をたくさん見ていると、若冲画の特がわかるようになる。これはとにかく訓練しかない。そして造形に関心のある人なら、誰でもその能力は高まる。ただし、絵画の見所は無数にあるから、訓練はある程度の期間で充分ということはない。比較的簡単に特徴がわかる画家もいるが、そうでない画家の方が一般には大家とみなされている。若冲はどうかと言えば、かなりわかりやすい。蕭白ならもっとわかりにくい。これは本性がより見えにくいと言い代えてよい。となると、より大家であるかと言えば、それは個人の考えによる。また、わかりやすいから味わいが少ないということは出来ないし、わかりにくいからわかった時は他では得られない大きな感動があるかと言えばそうでもない。ともかく、氏に質問した女性は若冲には関心があっても、絵そのものを隅から隅まで何度も繰り返し見つめることをあまりしていないのだろう。訓練不足だ。
●『若冲ワークショップ 第7回 同時代の画家』_d0053294_181593.jpg

 最初に書いた知恵遅れの女性は訓練するといったことには関心がないだろう。そういうところからは解放されている。彼女の顔を見てすぐ、マイナーのブルースのメロディを口ずさみながら、筆者が最初に思ったのは知識人や政治家だ。彼らはまずその知恵遅れの女性に注目しない。それどころか、醜いものでも見るような顔つきをするだろう。だが、彼女からすれば、どんなに偉い人も自分とは関係がない。それは無視するという態度ではない。彼女の世界にはそうした人たちは価値がないのだ。価値があるのは、自分に優しく微笑んでくれる人だけだろう。そこに人間としての真実がある。少しくらい頭がよいとか、政治家のように話すことが上手ということにどれほどの値打ちがあるか。それを自慢している連中より、ただ笑っている知恵遅れの彼女の方がよほど真実味がありはしないか。訓練することで何事も上達するとして、その訓練が誰にとっても必要かとなると、筆者はそうは思わない。先になぜホンモノとわかるかと質問した女性は、おそらく訓練しないだろうし、しても真贋が即座にわかるようにはならない。わかるような人はそんな質問はしない。結局わかる人だけわかればよいし、蕭白も若冲もそう思っていた。画家はみなそうだ。さて、岡田氏は宝蔵寺の作の次に、白歳の作品を2点紹介した。1点は昔から知られていたものだが、もう1点は新発見の「羅漢図」で、画風が蕭白風なので、誰かが後に蕭白の署名を書き込んだものだ。個人蔵で、一般公開の予定はない。続けて氏は本題の応挙や蕭白を取り上げたが、蘆雪については一言もなかった。また、応挙と蕭白が若冲とどのように絵に対する考えが違うかといったことにも言及はなく、耳新しいことはなかった。半ば素人相手に1時間だけ話すとなると、どういう内容になるかは自ずと知れる。そこで氏の話で筆者者が書きと留めたことを最後に書いておくと、宝蔵寺は今月公開された水墨画を来年2月8日の前後数日にまた一般に見せるようだ。そして、MIHO MUSEUMと東京のサントリー美術館が共催で来年に『若冲と蕪村展』を開く。3月末から5月中旬がサントリー美、7月4日から8月30日までがMIHOで、後者は会場が前者より狭いので、作品数は減るだろうとのことだ。若冲と蕪村を取り上げるのは、ふたりが同じ年の生まれであるからだ。来年生誕300年を迎える。前にも書いたように、再来年にも大きな若冲展が東京で予定されている。それなりに新発見の作が並ぶようだ。
by uuuzen | 2014-02-22 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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