骸骨のように痩せ細った像を見れば魔物も怖がって逃げて行くかもしれない。
去年夏に比叡山に行き、たまたま見かけた角大師の護符を求めて横川まで足を延ばして同じものを1枚買って来た。
それを玄関に貼るべきなのに、袋に入ったままどこへ行ったのやら、探すのに数時間かかるだろう。また、同じ角大師のお守り札が寺町丸太町上るの廬山寺でも売られていることを調べながら、その後その前を歩いていない。それはさておき、横川の元三大師堂で求めた角大師を玄関に貼りつけている家をその後二軒見つけて写真を撮った。今日は最初にその2枚を載せる。最初のものは筆者がおそらく初めて見かけたもので、もう10数年前になるのではないか。京都文化博物館の近くに今もある。かなり汚れ、また破れもあるが、毎年比叡山で新しいものを買わねば御利益はないだろう。効果はせいぜい1年で、正月や節分に詣でた時に焼いてもらう。それで気分新たにまた買うのがよいが、せっかく作られたものであるので捨てるにしのびない。それで筆者のように未使用のままどこかへしまい忘れ、死後に誰かが珍しいものがあると気づいて喜ぶ。それはまだ運がよい。こうした護符は消耗品で、新品同様ではあまり後世に伝わらない。昔の質のいい和紙に刷ったものならまだいいが、パルプが混じっているものは長持ちしないだろう。そう言えば先日250年前の日本の古い本を入手した。上下がかなり虫食いが激しく、穴だらけだが、本文はまっさらと言ってよく、とても250年前の出版とは思えない。まるでつい最近出版されたかのように紙が良質で、また本文も違和感なく読める。先月西京極在住の古い紙物史料専門の業者と話した時、筆者は角大師の古いものが手に入らないかと訊ねた。なかなかそういうものは出て来ないらしい。古さにもいろいろあるが、筆者が見たいのは江戸時代のものだ。仏教関係のものなら数百年前のものでも割合たくさん出て来るらしいが、角大師は民間信仰に属するもので、未使用のまま大事に保管され続けたことは考えにくい。それはさておき、2枚目の角大師は松尾橋近くで見かけた。最初写真を撮った時、一昨日の天龍寺の百花苑で撮った蛙の置物の写真よりもっとひどく右下隅が筆者の手首が入って黒くなった。それで2週間ほど後に撮り直した。他人の家であるから、あまり扉の近くに立つことははばかられる。それで最大ズームにしてさっと撮った。それにどの家かわからないように努めた。角大師のほかに5枚もお守り札が貼られていて、そのうち角大師のみがこちらを向いているのがよい。そのようにして外向きに貼るべきものだ。見比べてわかるように、角大師はわずかに形が違う。2枚目は廬山寺と下に書いてあり、紙はやや縦長だ。
3枚目は去年11月下旬に茨木の国立民族学博物館で見た渋沢敬三記念事業としての
『屋根裏部屋の博物館』展で撮った古い絵馬だ。同展の感想に使わなかった、いわばあまり写真で、ようやく使う機会が訪れた。2枚の絵馬のうち、下の方がとても気に入り、また即座に年賀状のアイデアとして拝借することを決めた。ちょうど伏見人形の「飾り馬」を制作中であったこともあり、二頭の馬はその土人形に置き換えることにした。筆者の年賀状はここ10年ほどは正方形の色紙を使った切り絵を印刷している。それは必ず左右対称で、折った色紙の半分に絵を描き、その線に沿ってカッターナイフで切る。全部切り抜けば元の正方形に広げ、それを別の色紙の上に重ねて貼りつける。今年のその年賀状のデザインは
切り絵のホームページに載せた。二頭をこちら向きに配し、五角形の絵馬に縁取った。3枚目の写真とはかなり違うが、筆者にとってはそれが着想になった。「奉納」の2字では左右対称のデザインは無理なので、「奉」だけ中央上部に書いた。それでも「奉納」の意味であることはわかるだろう。絵馬は最初は本物の馬を奉納していたようだが、それでは奉納する方もされる方も大変なので、絵に描いたもので代用することになった。さらに様子が変わって馬を描かなくてもよいことになった。同展にはおっぱいがたくさん出るようにとの願いから、ふたつの白い布地で作った乳房を貼りつけたものも展示されていた。それは柳宗悦の本などで昔から知っていたが、庶民のささやかと言わず、真剣な祈りが見え、人間の悲しみが伝わって来る。これは昨夜布団の中でのことだが、世の中から不幸な人がなくなればいいのにとつくづく思った。外には雪が降り積もり、その寒さの中で震えている人を想像したからでもある。イタリアのチチョリーナの息子は、確か10歳にならない頃にホームレスが寒い場所で寝ているのを見かけて、そのままでは死んでしまうのでどうにかしてあげてと彼女に言ったそうだ。それは自然な反応だ。それを大人になれば忘れかけて行く。自分がそうした問題に無力であることを知るからでもある。それにホームレスにも誰の助けにもならないという思いがあるかもしれない。いや、そのように思うことによって、そっとホームレスの傍らから逃げる。話を戻して、母乳が出なくても今は赤ちゃんが死ぬことはないので、おっぱいをかたどったものを貼りつけた絵馬は見られないと思うが、人間の願い、祈りには限りがないから、絵馬やお守りの札などはこれからもなくならない。そのいうものの造形を紹介した本がたくさんあることは、そうした造形が人に温かみを感じさせるものが多く、好きな人が多くいるからだろう。そういう筆者もその部類で、それで今日の投稿もある。
絵馬つながりで言えば、今年に入ってすぐに見かけた寺町三条上る東の矢田寺だ。繁華街の中にある小さな寺だが、そこだけ独特の空気が漂っていて、それに観光客は吸い寄せられる。ガイドブックに言及されているのかどうか知らないが、今日の4枚目の写真を撮っている時、ガイドブックを手にした中国人らしき若い男女の数組が相次いで筆者の近くにやって来て絵馬を熱心に観察し、写真を撮っていた。ずらりとぶら下げられた絵馬の背後にフェルトで出来た短いフランクフルト・ソーセージ状の地蔵さんが並んでいる。その「ゆるキャラ」的な笑顔とは対照的に絵馬は炎が真っ先に目に入り、いかにも地獄的で恐い。赤い火と黒い火の2種があって、絵も多少違うが、地獄でさいなまれる人々を救いにやって来た地蔵を描く点では共通している。その絵馬があまりにおどろおどろしいので、フェルトの地蔵人形を選ぶ人の方が多いだろう。「ゆるキャラ」的な人形と恐い絵馬ではあまりに違和感があると思う人があるかもしれない。だが現実とはそのようなものだ。「ゆるキャラ」で笑っているかと思えば、恐いことも起こる。それにしても今や印刷でどのような複雑で細かい絵でも木材に表現出来るとはいえ、願い、祈りの造形としてこの地獄絵の絵馬はいかがなものか。ところが若者の間ではドクロ・ブームが相変わらず続いているし、今ではドクロはハート・マークと同じほど「かわいい」イメージとして定着している。死をそのように「ゆるキャラ」的に茶化していいものかなどとうるさく言わないことだ。生きている間は死のことを考えない方がよい。どっちみち遅かれ早かれ死はやって来る。生きている間にせいぜい死を笑うのがよい。そんな思いで若者は矢田寺のこの地獄の業火に焼かれる人たちを描く絵馬を見ているのではないか。つまり、フェルトの地蔵人形と同じようなものだ。
これは数時間前の電話で知ったこと。自治会で長年保険衛生委員を務めていた男性が昨日死んだ。70歳でずっと独身であった。父と同じ大工さんであったが、仕事を辞めてもう長かったはずだ。地元で生まれ育ち、古い住民とつき合いがあった。筆者は自治会長になってその人と話すようになったが、小さなアパートに住み、とてもはにかみ屋で寡黙であった。その人が保険衛生委員と毎日の児童の送り迎えをやめたいと言ったのはちょうど1年前の今頃だ。体がしんどいとのことであった。代わりの人をすぐに見つけたが、去年夏の地蔵盆のテントを建てる下の土台の木組みでは毎年のように大いに活躍してもらった。その直後の料亭「花筏」での足洗いで筆者は参加者全員に酒を注いで回り、最後近くにその人のところに行くと、一気に老けたように見えた。病気がひどくなっていたのだろう。それでも病院に行かず、あまり食事もせずに酒ばかり飲んでいたらしい。また自治会の役割を全部辞退して地元との関わりがなくなり、それがよけいに老けさせたかもしれない。兄弟で家族葬をするようだが、明日の夕方には古い住民3人とともに通夜に行く。昼間は家内の姉の3周忌で高槻に行く。義姉が亡くなったのは70いくつであったろう。前半であることは間違いない。生きている間に親しく話をした人が次々に亡くなって行くのは妙な気分だ。そのうち筆者も死んで地元のより若い人たちからそのように思われる。さて、5枚目の写真は中山寺でもらった招福のお守りで、白い紙に宝船を刳り抜いて朱色の台紙を添えたものだ。雲を破ってこちらに向かって来る宝船で、印刷機で刳り抜く必要上、筆者の左右対称の切り絵のように細かい絵は表現出来ない。そのほかにもあまりに大まかな絵であるのが気に入らないが、無料で配布されるものとしては上出来だろう。こうした宝船は横向きに表現される場合の方が多いと思うが、正面向きは自分個人に福がやって来る感じが強い。船に衝突する事故が最近二件あったが、宝船なら宝くじに当たったも同然か。A4サイズで、角大師より一回り大きいため、とても玄関には貼れない。裏の説明には「宝来 招福吉祥飾紙」と題して、「…床の間・神棚のない場合は、家族のそろう居間や台所、玄関等にお貼りくだい…」とある。角大師とセットにすれば色合いもいいだろう。写真右手に見える福豆は先日の天龍寺節分祭で得たもので、一袋に25粒入っていた。それを食べながら思った。筆者は二袋以上の年数を生きて来た。長いようで短いような。今さら強い願いも希望もないが、楽しい人と親しく話をしたいとは思う。笑う門に福来たるで、笑福を招福する。これを承服しない人は宝船も向こうに去って行く。