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●天龍寺の曹源池
源池」の源となったのは、「曹洞宗」かなと思うとそうではない。あたりまえだ。同じ禅宗でも曹洞宗は道元が開いた永平寺で、天龍寺は臨済宗だ。天龍寺の開山は夢窓国師で、曹源池を造るに当たって底の泥を浚った時に「曹源一滴」と書かれた石が出て来たことに由来するそうだ。



●天龍寺の曹源池_d0053294_155979.jpg
何となく嘘っぽいが、覆す証拠はない。証拠がないことは後世の人が夢を抱ける嘘をついた方が親切というものだ。筆者もせいぜい嘘をついておこう。小説家になるには、嘘がうまくなければならない。うまい嘘を考えつくことが出来れば人気者になれる。正直に馬鹿がつくほど嘘を絶対につかないという人は絶対に煙たがられる。それはさておき、「曹」は「部屋」を意味するようだ。その源が一滴というのは、入れ物をいっぱいに満たす水も一滴の積み重ねという意味だろう。根気よく、粘り強く努力すれば何事もかなうことのたとえにもなる。そのことが嘘か真実かと言えば、嘘でもあるし真実でもある。人によりけりで、努力を人一倍しても夢がかなわない人はいくらでもあるし、怠け者でも幸運が立て続けに転がり込む場合もある。根気よく努力するというのは、農耕民族の本質のようだが、狩猟する場合も根気は必要だ。獣はそう簡単に人間に捕まってはくれない。これは獣間でもそうで、ライオンが常に百発百中で獲物を仕留めないことは誰でも知る。むしろ徒労の方が何倍も経験している。それも努力であり、生存の最大の手段は努力と言ってよい。つまり、「曹源一滴」で、何事も一歩から始めることを心に刻むべし。それで筆者のブログも「歩録」と名づけたと言えば嘘丸出しだが、本当とも言える。脱線ついでに書くと、筆者はこの「歩録」でどんな大きな容器を満たそうというのか。何だか目的なしでやっているというのが本当のところで、しかもブログは紙に文字を書かないので、長文を何年も書き続けても、いっこうに容器がいっぱいになりつつあるようには感じない。つまり容器は底なしで、書いても書いてもいっぱいにならない。では「曹源一滴」は嘘になりそうだ。やはり夢窓国師は嘘をついたと見える。きっと夢想したのだ。
●天龍寺の曹源池_d0053294_21241958.jpg
 先日書いたように、先月24日に天龍寺での会合に参加し、1時間早く着いたので、待つ間に庭園や方丈を見ればよいと、天龍寺の総務長から薦められた。天気がよく、久しぶりに庭を巡るいい機会に恵まれた。写真をたくさん撮った。今日はそのうち曹源池のものを載せる。この池は向こう側の畔を歩くことは出来ない。1部もらった案内パンフレットによると、向こう側の林の中の道が拝観コースになっているではないか。そこは歩かなかった。池を中心として一周することが出来るので、回遊式庭園と呼ばれる。正確には池泉回遊式庭園だ。「池泉」という言葉が気になるが、これは池の底が泉になっていて、そこから絶えず水が湧いて来るからか。そうではないだろう。池を前にして筆者はしばし思った。池の水位は去年9月の台風の時期でも同じであったはずだ。この池が枯れたということは聞いたことがない。枯れればそれこそ禅寺の「枯山水」になって、そうなればなったで別に寺は困らないかもしれないが、この池を最初に作った夢窓国師に悪い。何しろこの池で天龍寺は有名だ。建物は5,6回建て直している。創建時から変わらないのは池だけで、これが天龍寺の最大の見物であり、また世界文化遺産に指定されている理由でもある。だが、この曹源池の味わいを理解するには、紅葉たけなわの晩秋に訪れるべきかもしれない。1月下旬から2月かかりといった今時分は、花もほとんどなく、空気も澄んでいるとは言い難い日が多い。つまり、方丈前に立って池を眺めても、目に入るのは鯉の赤くらいなもので、せっかく夢窓国師が腐心した向こう岸の林や石組はあまり美しくない。天龍寺で今後も変わらないのはその向こう岸の風景とよく言われるが、石はともかく、樹木は成長する。夢窓国師が見た状態が現在そのままあるとは言えないのではないか。だが、そんなことを言うと庭師から呆れられるかもしれない。というのは、創建当時の様子は図には描かれなくても、見た目で庭師に連綿と受け継がれて来ている。100年ほどの間、庭師が全く面倒を見なかったというのでない限り、いや100年くらい手入れの空白期間があっても、夢窓が理想として形は復元されるに違いない。話を戻す。池の前に立って筆者が思ったことだ。池の水位が変われば、鯉は干上がってしまうか、池が岸辺を越えて方丈の床下にまで広がる。それがそうならないのは、水位をどこかで調節していることになる。池はかなり澄んでいて、藻がなかった。これは水が停滞しているのではなく、循環しているはずだ。
●天龍寺の曹源池_d0053294_164626.jpg ではどこから水を引いているのか。今日の4枚目の写真の右端を見てほしい。この写真は鯉と流れ込む水を撮った。加工の際に構図を配慮して流れ込む水は半分以下になったが、水の泡は確認出来る。この流れ込む水が気持ちいいのか、鯉がしきりにそっち方向に泳ぐ。鯉は泥水でも平気というが、やはりきれいな水はいいだろう。この水源は泉のように底から湧いているのではない。石で造った樋を伝って流れ込んでいる。その樋を遡って行くとどこへ行き着くか。それはわからなかった。今日の最後の写真のような渡り廊下が遮っているからだ。その向こうに行くことは観光客では無理のようだ。廊下の向こうの庭には日がよく差し込んでいた。そして、写真からは文字が判別し難いが、「大堰川」と彫り込んだ木製の橋の柱が立っていた。それは渡月橋に以前用いていたもののはずだ。古くなったので交換し、また古いものは捨てるのがもったいないので、天龍寺に運んだはずだ。渡月橋の南北東西4本のこの柱の文字は天龍寺の管長が書くことになっている。現在のものはまだ10年経っていないはずだ。個人的な好みを言えば、以前の筆跡の方がよかった。それはともかく、この木の柱を庭に建てるのは、大堰川の水をその庭、そして曹源池に引いているからではないか。数百メートルの距離があるので、直接に引くのではなく、小倉山からの湧水や地下水も混じっているかもしれない。そうした湧水や地下水も大きく見れば大堰川で、天龍寺はこの川あってこそだ。大堰川は渡月橋を境に桂川と名称を変える。また、大堰川は保津峡からは保津川とも呼ばれ、その区間は川下りで有名で、川から眺める景色がきれいだ。それはともかく、曹源池の水源を考え、池の水位が一定になるように工事を行なった夢窓は土木工事の知識に長けていたことになる。奈良時代の僧も同様で、土木工事、中でも治水に詳しい人が指導者となった。これは農工をするにもまず水が肝心であるからで、また河川の氾濫で大勢の人が死ねば困るからでもある。そのことを思い出せば、曹源池の落ち着いたたたずまいはまた違って見えて来る。去年の台風18号の被害を天龍寺はほとんど受けなかったはずだが、大堰川に大量の雨水が流れ込んで来ても安全な場所に天龍寺が建てられた。曹源池が出来たのは14世紀半ばで、これでもそうとう古いが、渡月橋は最初法輪寺橋と呼ばれていて、天龍寺よりももっと昔に対岸山手の法輪寺があった。どのくらい以前かと言えば、現在の姿に近くなったのが9世紀半ばで、紀元は4世紀だ。そんな古い歴史がある寺でわが自治会は地蔵盆を毎年行ない、しかも住職がお経を唱えてくれるのであるから、改めて京都の奥深さを思う。
●天龍寺の曹源池_d0053294_164041.jpg
 さて、今日の写真を説明しておく。最初は池の東にある方丈で、池とは反対方向を見て撮った。方丈の向こうに法堂が見える。方丈内部が暗いので、TV画面のように見える。これが方丈内部から池を見れば、絵のような景色であるのは容易に想像出来る。普段方丈に入るには特別の許可が必要のはずだが、紅葉の盛りなど、期間をごく短く区切って拝観出来と思う。「京の冬の旅」と銘打って、京都以外の土地からやって来る人たちの方がそういうことはよく知っているだろう。地元の人は案外関心がなく、無料で庭を見られるといっても、億劫がって入らない。法堂前で3日は節分祭が行なわれた。法堂に向かって両側すなわち南北に平行した道があって、その東端がどちらも門になっている。法堂前までは無料で出入り出来る。また半世紀もう少し前は、法堂内部に無料で入れたそうだ。天龍寺で最大の建物は方丈で、正式には大方丈と呼ばれる。書院などがつながっていて、今日の2枚目のパノラマ写真の右端からわかるように、庫裏は工事中だ。3枚つなぎで撮った割りに安物のカメラなので明暗が整っていない。それに、花の季節ではないので有名な池には見えない。3枚目は鯉に思いを寄せた。悠然と泳いでいて、仲間に入りたいと思った。先日書いたように、この写真に写る緋鯉は何度も尾鰭を水面上に立てた。そのうち、水音を立てて跳ね上がり、全身を水面上に見せ、その途端目が筆者を一瞬見たようであった。おそらく鯉は筆者の心中を察し、禅の悟りではないが、寝ぼけた思いを覚まそうとしたのだろう。ちらほらいた人たちは大半が言葉から中国人とわかった。漢字が読めるので、日本語の説明書きに不自由を感じていない様子であった。池の畔は塵ひとつ落ちていないから、鞄などから食べ物を取り出す人はいない。そのため、鯉に餌をやる人もいない。欲を言えば、野鳥の声が盛んに聞こえればよかった。もうすぐすると鶯が鳴くだろう。そうそう、桂川によくいる鴨や鷺、鵜などが曹源池や周囲の林にやって来ないのだろうか。やって来ないとすれば、曹源池は人工的な入れ物ということか。逆に桂川の自然が人間によって破壊されているので、そうした卑近な鳥がたくさんいるとも考えられる。
●天龍寺の曹源池_d0053294_171472.jpg

by uuuzen | 2014-02-05 23:59 | ●新・嵐山だより
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