込める思いというほどのものはない。今日の投稿の題名だ。司馬遼太郎の「街道を行く」を思い出したが、司馬が歩いた街道というほどの道ではなく、どこにでもあるような平凡な道を筆者は行く。
今日は昨日の投稿の続きのつもりだが、郷土玩具のことは書かない。と言いながら、最初に訂正をしておく。京都嵯峨芸術大学の付属博物館で25日まで開催されていた郷土玩具展は、案内はがきの表側を見ると、「…全国の土人形約1000体…」とある。それを昨日は「数百」と書いた。この「数百」は便利だ。昨日は700点ほどを思って書いたが、300や400ほどを意味する場合もある。「約1000点」は「1000点」ではないので、ひょっとすれば920くらいかもしれないが、「数百」ではない。それを訂正しておく。1000点ほどもまとめて見ると、かえって記憶に残りにくい。それはさておき、今日は1月最後(実際はもう1日あるが)の投稿なので、去年から気になっていた写真を使う。気になっていたのは、これら4枚をすぐにでも使う気で順次デスクトップに置いていたからだ。その「すぐ」が、長いものでは3か月になった。パソコンを開くたびに目障りで、1月の終わりの今日、ついに使う決心がついた。これでデスクトップのアイコンは少しは減る。最初の写真は9月25日の天神さんで、上七軒の通りから北野天満宮を眺めた。祇園地区と同様、電柱が見えないのは、去年の春、地下化工事が完了したためだ。2枚目は「徳田」の看板が見える。これは染色で使う伸子を売る店で、看板は書き直されているが、たぶん百年ほど前かもっと以前から同じ場所に同じように掲げられている。その看板を撮りたかったのではなく、この写真は伏見人形など、郷土玩具を細々と売るMさんの家の近くという意味だ。去年は伏見人形の「飾り馬」を自作し、そのために京都市内を右往左往した。その時々に撮ったのが今日使う最初の3枚だ。つまり、伏見人形の点で昨日の投稿とは多少つながりがある。4枚目の写真は今年1月1日、『フェルメール 光の王国展』を見るために家内と出かけた大津膳所の百貨店に向かう途中のY字路だ。家内の後ろ姿が右端に写っている。またY字の中央には石碑がある。これを生前の榊莫山は『路傍の書』で確か取り上げていた。背後のピンク色の建物は新しいが、こういった石碑は移設しにくいもので、百年単位でそのままにある。このY字路は去年秋にも見た。その時、左右どちらを進めばいいかわからず、左を行った。もう10数年は歩いていないので、忘れてしまっていたのだ。大きな通りに出る前に右に折れ、そしてY字路の右手の道に出た。家内にはそのことを言わずに、Y字路に差しかかった時、「どっちを行けばいいと思う」と訊いた。すると即座に「右」で、筆者より記憶がよい。Yの交点から200メートルほど琵琶湖に向かって下った左手に、花屋であったと思うが、店頭に小さな黒板を掲げ、そこに白のチョークで流麗な文字で何やら詩のようなものが書かれていた。それが読めなかったのは、鏡文字であったからだ。70代の祖父とその孫だろうか、立ち止まって笑顔をそれを見つめていた。読めないのでは宣伝にならないようだが、不思議なものがあるという印象を植えつけることは出来る。写真を撮っておけば、画像加工ソフトで簡単に裏返すことが出来て、どれほどその書き手の技術が卓抜かどうかわかったのに、今頃になってそれを思いついている。昨日と同じく、「ストリート・ヴュー」で画像を取得すればいいかもしれないが、小さな黒板なので文字まで写っていない。
「道を行く」と書いてすぐに連想したのは「道行」すなわち「駆け落ち」だ。いつの時代でもそれはあるが、結婚しない人が増えているので、少なくなっているだろう。若者がなぜ結婚しなくなったのか。それは経済的に貧しいからとも言える。そのことを一昨日のNHKのTV番組で改めて知った。特に若い女性だ。半数ほどが貧困状態にあるという。それは年収110万程度で、それではひとり暮らしが出来たとしても、エンゲル係数は50パーセントくらいになるのではないか。20代の青春を謳歌したいはずの女性たちが、ろくな仕事がなく、低収入にあえいでいる。そして、若くして家庭を持っても、離婚が多く、母親は幼ない子どもを抱えて途方に暮れる。生活保護を申請しても2,3か月待たされ、その間の生活が出来ない。それで風俗産業に流れて行く。そこでは託児所もあって、月収30万にはなる。日本の社会福祉が貧弱で、それを性産業が穴埋めしている。番組ではある女性が1日に3つもアルバイトをして生活していることを紹介していた。寝る以外はすべて労働といった感じで、それでも月収が12,3万だ。そんな状態では男と知り合ってもまともに交際する時間がない。どうにか結婚に漕ぎつけても、夫の不安定な仕事となれば、離婚話を浮上するだろう。20代の一時期風俗店で働いていた女性が、40代になってまたそこに舞い戻って来た例も紹介していた。いざとなれば風俗産業で働けるからいいではないかと意見するのは、あまりに悲しい。本人がしっかりしていないので自業自得だと言う人もあるだろうが、しっかりしていても仕事がなければどうしようもない。前述の3つのアルバイトをしている女性は青森出身で、そこでは働く場所がなかった。それで東京に出て来た。生まれ育った環境によって仕事がたくさんあったりなかったりする。その環境には経済的なことも含まれる。どういう家庭に生まれるかは本人が決められない。それはともかく、生活が苦しい若者にとってさらに苦しいことがやって来る。消費税アップのために電気やガス代が上がる。アベノミクスで潤うのは一部の人たちだけではないか。世界第3位の経済大国で餓死する人があり、若者が10万少しの給料で酷使される。何が間違っているのだろう。若者の不満を逸らすために、中国や韓国への憎悪がかき立てられる。貧しい若者の票をかっさらうためにどんな手が使われるか。首相とつながっている人物がNHKの会長になり、国の意向に沿ったことを放送するといったような発言をした。それが正論と疑わない若者も多いだろう。「公共」の意味が違って来ているのだろうか。大多数の人の意見が「公共」であるとしても、その大多数の大部分が付和雷同である場合のあることを知っておいた方がよい。とはいえ、そんな意見は大多数の前で蹴散らされ、大多数が正論になる。
昨日書くつもりであったことを思い出した。一昨日のNHKの朝のローカル番組で、半年ほど前に取り上げられた学生のその後が放送された。その学生は嵯峨芸術大学を今年卒業する男性で、就職先が決まらなかった。沖縄で母ひとり子ひとりの家庭で育ち、母は息子のためならどんな苦労も厭わないと仕事して来た。それをよく知る息子としては、何が何でも就職せねばならない。しかも大学で学んだことを活かす仕事だ。半年前の番組では、その学生が内気であると見た若い女性歌手が一緒に行動し、人馴れするためのアドヴァイスをした。学生は嵯峨の野の宮神社で売られるハート型兼葵の葉の形をした絵馬をデザインしたことがあり、その実物を携えて道行く人たちに感想を聞いて回った。それなりに手応えを得たが、就職となると話は別だ。自分の作品を紹介するためのファイルを持参して各社を回るが、よい反応がない。半年前はそれで番組が終わった。その学生の話をその夜、家内に話した。いい就職先が見つかればよいが、芸術大学を出た者がみな学んだことをそのまま活かせる仕事に就けるとは限らない。むしろそうなれるのは幸運だ。一昨日ふたたびその学生の話がTVで出た時、筆者は半年前の放送がよほど反響があったと思った。電話で学生は元気のよい声を響かせた。印刷会社のデザイン部に就職出来たとのことだ。沖縄の母親も喜んだことだろう。子どもの頃から絵を描くのが好きで、芸術大学に入り、そして好きな仕事で収入が得られるようになった。それはあたりまえのことのようだが、一方では貧困に喘ぐ若者が多い。彼らの前途はどのように見えているのだろう。好きな異性が出来て結婚し、平凡な家庭を持つ。そのことすら難しいとすれば、前途の言葉など虚しいだけで、諦めるか呪うか、どっちにしても心を擦り減らす。先日冷凍食品に農楽を混入した男が捕まった。49歳という年齢とその風貌を見比べて驚いた。筆者より13下で、とてもそのように見えないと、そばにいた家内に言うと、「49に見えている」とのこと。それに筆者も62に見えるとつけ加えるが、当たっているだけに返す言葉がない。49のその男は髪がかなり少なく、また逮捕された時の憮然とした表情であるので、年齢より老けて見えたのだろう。それにしても収入が少ないのは若者だけではない。苛酷な仕事に従事し、給料はわずかでいつまで働けるか保証もない。何か大きな存在に対して恨みたくなる気持ちはわかる。だが、それで自分も破滅していいと思ったのかどうか。「わが道を行く」のはいいとして、見知らぬ人への危害は言語道断だ。とはいえ、社会的な弱者はそのような方法でしか鬱憤を晴らし、復讐することしか出来ない。そんな人でも眠っている間に夢は見る。それが筆者のようにどこか知らない街の道をひたすら前へ前へと障害物を避けながら歩いて行く場面が多いのかどうか。
誰でも生きている間は前途があるし、前に見える道を進まねばならない。人生のY字路に差しかかることは毎日と言ってよいが、大きな判断を迫れられる場合は少ない。そういう時、仮に進むべき道を間違っても、それに気づけば方向を変えればよい。年齢や経済的な理由でそれがなかなか難しい場合もあるが、それでも元も子もなくせば意味がない。いい意味での楽天家になって無理にでも笑顔を浮かべていればいいではないか。そのように思わないことには悲しいことが多過ぎる社会だが、嬉しくなることもまたどこで待っているかわからない。去年書いたことだが、まだ寒い時期の正午前の柔らかい陽射しの中を歩くのが筆者は好きだ。朝寝坊なのでそんなことはめったにないから、なおさらそのような散歩は心が和む。そして、そういう気持ちのいい歩きは忘れ難い記憶となっていて、いつでも蘇らせることが出来る。こうして書いている時もそうで、陽射しを感じながら筆者は前に続く道を行く。扉を開けた家の中では首を立てた柴犬が目を細めて居眠りしている。右手の白いガードレールの上にはセグロセキレイが長い尾羽を上下に揺らして接近する筆者を横目で見ているが、いつもとは違って2メートルまで接近しても飛び立たない。そうそう、一昨日は伏見桃山で用事があって人と会い、丹波橋の駅から四条行きの電車に乗った。時計を見ると午後4時を少し回っていた。家内の仕事がその日は4時までで、どこかで待ち合わせしてもよかったが、筆者は用事が早く済むと、岡崎の美術館に行くつもりであった。それが用事が終わったのが4時で、それではもう展覧会を見る時間がない。そこで考えた。ひょっとすれば仕事帰りの家内と電車の中で会うかもしれない。そう思っているうちに電車が入って来てすぐに出て行く様子が見えた。駅の地下に潜り、プラットフォームに出たのは4時15分だ。もう会えないだろう。先に見過ごした電車にきっと乗ったはずだ。丹波橋から家内が利用する駅まで3つだ。各駅停車の最前列に乗る。たぶん家内はその車両に乗る。ケータイ電話をお互い持っていれば一緒の電車に乗れるのに、筆者は頑なにそれを持たない。やって来た電車の中は学生でいっぱいであったが、座席がぽつぽつと空いていたので座った。家内が利用する駅に着こうとする時、車窓から待っている人たちを見ると、学生ばかりが大勢いた。それに西日が強く、眩しくてよく見えない。諦めて前を向いた。左手の扉が開いて人が雪崩れ込んだ。最後に家内が少し笑みを浮かべて入って来て、筆者の前を気づかずに通り過ぎた。すかさず立って、その後に着き、家内が座った前に立った。そこで家内が気づいた。そんな驚きはケータイがあれば味わえない。四条河原町に出て、あちこち歩いて結局よく利用するお好み焼き屋に行った。家内のお気に入りの店だ。そこが一番おいしいと言う。それに安い。先日食べた時、かなり大きさが縮小していることに気づいた。実質的な値上げだ。御時世であるから仕方がない。店主は筆者らをよく知っているだろう。もう10数年通っている。何の進歩もないどころか、経済的にも体力的にも後退ばかりの人生だが、それでも楽しいかそうでないかは思い方次第で、家内は筆者の楽天ぶりに呆れ果てながらも笑っている。3日前は布団の中で筆者のある仕草が昔から好きだと言った。初めて聞いた。それは家内の秘密であるらしい。どういう仕草かと訊いても教えてくれない。ふとした拍子に見せるものらしい。ふとした拍子によく屁をするので、それかなと思うが、まさか。