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●『御釜師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釜の世界』
座三条辺りは東の方が地面がかなり高い。昔から三条通りはよく歩いている。千本三条から堀川三条までアーケードのある商店街で、たまにそこを歩く。



●『御釜師400年の仕事 大西清右衛門 茶の湯釜の世界』_d0053294_1194822.jpgマラソンの野口みずきを応援する横断垂れ幕がぶら下げられているのを見たことがあるが、彼女は早朝、その商店街を練習で走っているのだろうか。先日は彼女が疲労骨折をしていることが報じられた。練習のし過ぎだ。近年はそのためによい成績を上げられず、あまり完走したことがなかったのではあるまいか。練習をいくらしても本番のレースで勝利しなければ意味がない。これが芸術ならどうか。今日はアイス・スケートの荒川静香のドキュメンタリー番組を少し見た。アイス・スケートは芸術でもあるが、難しい技術をどれだけうまくこなしたかという技術点で順位が決まる。それは人間が決めるもので、正確、公平であるとは限らない。その点は芸術の評価と似ている。荒川はネットでファンから届く声をチェックし、その中に美しく見せることの重要性に改めて気づく。それからあの点数にはつながらないイナバウアーを積極的に取り入れ、そして優勝に至る。画家の場合、本画と言われるきちんと絵具を塗った絵の大作を公募展に出品し、それが特賞といった目立つ賞を獲得することで初めて有名になる。もっとも、そういう道で名声を得たいと考える画家の場合はだ。それはいいとして、特賞を取らなくても作品は残るし、それがいつか評価される場合もあるし、その作品の元となった素描も重要とみなされることはしばしばだ。つまり、画家の場合はマラソン・ランナーの練習に相当する素描は、その画家が特賞を獲得するかどうかに関係なく、意味が見出され得る。そう考えると、スポーツ選手の練習は、優勝して報われるか全くそうではないかのいずれかで、賭けだ。賭けに勝ちたいから練習に余念がないが、それが過ぎると体を壊し、元も子もない。だが、芸術にも賭けのようなことがある。焼き物がそうだろう。ほとんど失敗しない方法もあるようだが、窯に入れて焼いてみないことには仕上がりがどうなるかわからない。それでもスポーツの練習に相当する試行錯誤の年数を多く減ると、基礎的な失敗はほとんどしなくて済むだろう。最初はとても出来ないと思っていることでも、10年、20年の研究と経験を積むと、それなりの実力はつくもので、手でする仕事のよしあしは練習量が大きくものを言う。スポーツもそんなところがあるが、全身を使うので、体力が溢れている若い頃はいいが、ピークを過ぎるのが早い。
 さて、釜座三条に大西清右衛門美術館が出来て今年で15年になるというが、その前を何度も歩きながら、中に入る気にはなれなかった。茶を飲むのは好きだが、茶道を学ぶ気がない。茶道を学ぶと、それなりの文化に興味のある人と知り合いになれることはわかっている。そんな人と仲よくすればそれはそれで楽しいだろうが、茶道は敷居が高い。家内は10代後半から数年学び、そこそこ上級まで進んで教える資格の看板までもらったようで、ごくたまには抹茶を飲ませてくれるが、ふたりとももっぱらコーヒー党になってしまっている。「茶の湯」というのが日本では粋な人の趣味になり、交際にとって重要な位置を占めていたが、それが廃れたのは戦後、特に高度成長以降のことで、今では成金はそんな骨董じみた趣味に勤しまない。それで何が取って変わったかと言えば、ゴルフだ。これには車や食事がつきもので、またファンションも大きく関係する。そしてそういう産業が盛んになり、成金が経済力を誇示するのにはつごうのいい時代になった。超高級車に乗っていると、誰でも振り向くと成金は思っているし、実際そのとおりだ。また、家にも金をかけ、家具調度にも凝る。だが、そこには「茶の湯」に関するものは含まれない。その通になるにはまず年数を要する。高級車を買ってすぐに乗れば誰もが振り向くのに、茶道に勤しんでも近所の人にはわからない。見栄を張ることが出来ないものに人は金を使わない。そういうように日本は金第一主義が幅を利かすようになって来た。いや、待てよ。茶の湯の世界で名器とされているものも、見栄を張るには絶好の道具であった。来歴が重視され、それを持っている自分は、その来歴の末端につながって、偉い人物になれたような錯覚をしたし、今もそうだろう。だがそれは高級車に乗って見栄を張ることとはかなり違う。見栄はどちらも精神的な満足だが、価格がはっきりしている高級車と違って、来歴がしっかりしている名器といった芸術品は、価格があってないようなものだ。いくらで買ったというようなことを自慢するものではなく、世界にひとつしかないそれを自分が手元に置いているということが嬉しい。それは金に代えられないことで、自分の人生そのものというほどに大切にする気持ちにもなれる。そこまでの名器と言わなくても、少なくとも芸術品と呼ばれるものを愛する人は、高級車を乗り回して凡人に羨ましがられて喜ぶことをしない。とはいえ、成金もいろいろで、超成金にもなれば、高級車をどんどん買い込むと同時に、茶の湯に関心を抱き、名物と呼ばれる道具を収集しまくるかもしれない。結局は趣味の問題ということになりそうだが、目を奪われる高級な商品が多くなって、茶の湯にこだわる粋人は減少したはずで、今は女性が嗜む人の中心となり、家元も支えられているのが現状だろう。
 京都駅ビルで本展が開催されることを知り、三条釜座の美術館に行かなくて済むと思った。茶の湯で使う釜は、去年MIHO MUSEUMで底がなくなった古いものをいくつか見た。釜が鑑賞されるものであることは知っていたが、使いものにならなくなったものでも珍重されるのは、古美術品の常識で、わずかな断片でさえも愛玩される。わが家で抹茶を飲む時は、家内はピーピーケトルで湯を沸かす。茶道の作法にしたがえば無茶だが、灰や炭を囲っておく炉がなく、茶室らしい部屋もない。今は畳の部屋を板張りに直すことが流行っていて、ますます茶道に縁のない状態が蔓延し続けている。この傾向はもう元に戻らないのではないか。一方で、抹茶の味は人気があり、チョコレートやパフェに盛んに使われる。ならば茶の湯もと行きたいところが、よほど改まった場所でしか味わうことが出来なくなっている。また、わが家のように、抹茶碗がいくつかあり、茶筅も常備している人は少なくないだろうが、湯を沸かす釜まで持っている人はそうは多くないのではないか。本展の会場で筆者は新品の釜のおおよその価格を家内に訊いた。わからないとの返事であったが、そこそこのもので20万はするだろう。一生ものであるとしても、茶道を学び始めて数年といった初心者にはなかなか買うのに勇気がいる。また、釜だけを買っても意味がない。それを沸かすには炉が必要で、そのための材料も欠かせない。抹茶にこだわらず、煎茶道でもいいが、それでも凝り始めると、それなりの道具は揃えねばならない。さらに、茶の湯には一行物の掛軸や花器の知識もいる。茶がおいしければそれでいいようなものだが、「道」となると、しきたりがあって、それを趣味を同じくする者が共有する。そして、見る目がない人や、雰囲気をぶち壊す人は仲間に入れてもらえないが、それはどのような趣味の世界でも同じで、茶の湯だけが特別ということはない。ただし、茶の湯の世界全体が醒めた目で見れば悪趣味に陥っているという見方が出来なくもないという思いを、茶の湯の世界の人たちが絶えず思っていなければ、長い未来はないのではないか。茶の湯はきわめて合理的に出来た世界と言われるし、それは門外漢の筆者でも何となくわかる。だが、柳宗悦が茶道に対抗してか、珈琲道のようなことを始めたのは、茶の湯の世界があまりにの型にこだわって形骸化し、その滑稽さや醜悪さを思ってのことだろう。戦後の成金が茶の湯に関心を持たないとしても、そこには茶の湯の責任もあるかもしれない。
 京都の釜座通りはめったに歩くことがないが、秀吉時代から釜を製造する店が南北の道に軒を連ねていたので、「釜座」と呼ばれるようになった。「銀座」というのと同じだ。その釜屋が廃業して行ったのは、それだけ需要が減ったからで、現在は大西家一軒になっている。伏見人形を作るのが丹嘉のみとなったのと似ている。大西家は400年続くというから、利休の時代からあったことになる。会場では利休の手紙も展示されていた。いくら茶の湯が特殊なものになっても、釜がなければ始まらないから、大西家は廃れることはないし、またそうさせてはならない。それには技術が伝承されねばならず、古い釜の修復と新作の創造という両方が必要だ。現在の当主は筆者より10歳若く、働き盛りで、本展はその第十六代の才能の紹介の意味合いも大きかった。写真で見ると、氏は鼻が高く、少し西洋人っぽい顔つきで、精悍で切れ者の雰囲気があった。会場の最後近くに、氏が復元した釜が、オリジナルとともに並べられていた。オリジナルは相国寺所蔵の名器で、それを氏は10年ほど前にじっくり観察させてもらい、同じものを作ろうとした。ところがどのようにして作られたかわからない。それが10年の間に復元出来る技術が身についた。実物の釜を相国寺から借りて来ての復元で、氏の熱意に同寺も貸出を認めたのだろう。復元されたものは、ほとんどオリジナルと変わらなかった。細部の文様に少しの差が認められたが、どちらが上手かといったことは言えず、甲乙つけ難い。この復元に自信を深めであろう。16代目としての代表作をこれからどんどん生むに違いない。本展で最初に紹介されたのは、茶の湯の釜にふたつの流派があることで、双方の古作が隣り合って並んだ。そのふたつとは、「芦屋釜」と「天明(てんみょう)釜」で、どちらが古いかは意見が分かれるようだ。どちらも京都ではない。芦屋は福岡県、天明は栃木だ。その中間に京都が位置して、やがてどちらの様式も入り込んだのだろう。釜の製造には鉄が必要で、芦屋も天明もその産地もしくは鉄が集められる場所であった。現在も芦屋と天明で釜は作られていると思うが、そのことについての紹介は本展ではなかった。それは当然だろう。大西家は最初に釜を作った家柄ではなく、芦屋や天明で最初に作られてからうんと時代が下がってから釜師を始めた。だが、文化の中心の京都に居を定めたのであるから、芦屋や天明の名物釜の伝統を吸収し、それを発展させる立場に恵まれた。
 本展で展示された釜は全部でいくつあったろう。数十と思うが、会場入口で投票用紙と鉛筆を各人が係員から手わたされた。好きなものを3個選べという。筆者は5個あって、3個に絞った。会期は今月15日までで、それが終われば大西清右衛門美術館のホームページに結果が発表されるとあったのに、先ほどそれを見ると、現在集計中であった。それはさておき、芦屋釜と天明釜の作風の違いは、素人にはわかりにくい。つまり、筆者が説明するにはあまりに役不足だ。芦屋は福岡で、大陸の文化の流入地だ。栃木に筆者は行ったことがないが、福岡に比べると、文化の洗練度は低いように思う。つまり、田舎だ。そのことから推して、芦屋釜より素朴で武骨であるのが天明釜と言ってよいだろう。芦屋釜は表面の仕上がりに凝ったものが多く、ていねいに仕上げられている。天明釜は荒い。どちらがいいという問題ではない。柳宗悦なら、天明を評価したろう。あまり洗練されない、民藝的味わいの方がよいという考えだ。アンケートで筆者が選んだひとつに、霰釜がある。これは表面に大仏の螺髪のように、規則正しい丸い粒を貼りつけたものだ。大きな粒では全体に数が少なく、小さな粒ではたくさん貼りつける必要があるが、どちらの作業が大変かとなると、後者だろう。パチンコ玉の3倍ほど大きな粒では鬼霰と呼ぶ。これが筆者には面白かったが、鬼霰は天明だ。芦屋の霰釜はパチンコ玉の半分から3分の1の直径で、遠目には霰文には見えない。このことからも、芦屋釜は表面が滑らかっぽいことがわかる。霰釜はそこそこ厚みがあるはずだが、釜は薄いところで3ミリというから、重くならないことを念頭に置いているのだろう。厚みが薄いと、製造は難しい。鋳物であるから、こつこつと時間をかけて型を作るが、熱い鉄を流し込む作業は一発勝負だ。また、鋳た後の磨きなどの作業によっても仕上がりに差が出ると思うが、工程は数十に上るらしく、それを大西家では全部ひとりでこなしているのだろう。本展ではいかにも茶釜という形のもの以外に、遊び心が旺盛な、オブジェ的なものも目立った。チケットに使われているのは、釜の上部全体に大きな鶴が一羽表現されている。そのほか、四角い釜や、有名画家が描いた下絵を表面に浮彫で施したものなど、用の美以外の美的感覚が盛られたものが多かった。それは、釜の把手や蓋のつまみを動物の形で表現するといったところにも見られる。本展は最初に寿老人の鋳像が展示されていて、それは釜師が作ったものだろう。そういう彫塑の才能を持った人たちが釜の製造に当たれば、釜が単に湯を沸かすためのものではなく、釜にひとつの世界、宇宙を表現しようとするのは当然だ。そして、そこには無限のデザインの可能性がある。そして、そんな表現はやはり京都が先頭に立つ。
by uuuzen | 2014-01-26 23:59 | ●その他の映画など
●『生誕100年 佐藤太清展』 >> << ●嵐山中ノ島復旧、その14(渡月橋)

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