「
飯」ではなく、「めし」と書くと、それだけで下町の安っぽい食堂を連想させる。今は「めし」と書いた看板はめったに見かけない。大阪市内でもないかもしれない。
今日は京都文化博物館で展覧会を見た後にいつものようにフィルム・シアターで映画を楽しんだ。日曜日というのに家内は仕事であった。だが、午後2時には高島屋まで来られそうで、その1階で待ち合わせをした。映画は5時からで、30分前には扉が開く。たいてい一番乗りで今日もそうであった。高島屋での待ち合わせは珍しくもほとんど同じ時間にその場所に着いた。それから喫茶店でコーヒーを飲み、3時少し過ぎに文化博物館に行った。展覧会の感想はいつか書くとして、今日は先ほど見たばかりの映画について書く。『めし』という題名はどこかで見たことがあると思っていると、この映画の原作は林芙美子の同名小説であることを、いつも同シアターで用意されている解説書で知った。映画を見た帰り、電車の中でそれを読むと、新聞で同小説を連載中に林は急死したという。それで映画の脚本は結末を別人が書くことになった。そのために男女ふたりが選ばれたが、意見が対立したそうだ。男性は女性が離婚して自立するという内容、女性、これは田中澄江だが、主人公の女性は夫の元に帰り、夫婦は元の鞘に戻る結末を提案した。田中の意見が取り入れられたところ、映画はかなり古風なものとなった。映画の制作は1951(昭和26)年で、筆者が生まれた年だ。ヒロインは原節子で、今までに何本か彼女の映画を見ているが、本作は出番が最も多かったような気がする。筆者は初めて見たと思うが、帰りの電車の中で家内は昔見たような気がすると言った。20代の頃で、筆者と見たのかもしれない。だが、当時は若かったこともあって、まだ本作の若い夫婦の生活について実感が湧かなかったのだろう。97分の作品で、さほど長くはないが、最後10分ほどはとても長く感じた。そのやや間延びした感じは、いかにも昭和20年代で、これは仕方がないだろう。その退屈さは筆者が20代でこれを見ていたとしても、記憶に残る映画ではなかった。また、原節子はまだ生きているはずで、そのことを家内に言うと、そうならば90代になるはずで、まさかと応えた。先ほど調べると、やはり存命中だ。引退して半世紀になるが、死ねばTVや新聞でかなりのニュースになるはずだ。だが、筆者ですらほとんど知らないので、若い世代はよほどの邦画ファンでなければ関心がないのではないか。原は美女の代表のように言われ、本作でも「きれい」と2,3人から言われる。当時原は「きれい」な女優の代名詞であったのだろう。優しく、知性があるように見えはするが、筆者は彼女をさほどきれいとは思わない。美女の典型は少しずつ変わって来ているのではないか。では、ほかのどんな女優をきれいと思うかと言われるとは返答に窮する。そう言えば、抜群にきれいと思える女優がいない。
本作は単純な内容だ。結婚して何年経つのだろう。原は大阪市内の長屋でサラリーマンの男と暮らしている。それを演じるのが加山雄三の父の上原謙だ。いかにも上品そうな顔立ちで、原とは似合っている。この夫婦には子どもがおらず、小さな猫を飼っている。今のように共働きが多くない時代で、原は毎日食事に洗濯という生活に追われている。電気釜がまだなかった時代で、米もアルミ鍋で炊く場面があった。夫の岡本は北浜の証券会社に勤めていて、給料は安い。夫婦は贅沢せずに慎ましやかに生きている。働き口があるだけまだましで、3人の求人に200人以上がやって来る時代だ。職業安定所には毎日大勢の人の行列が出来ている。岡本はどうかわからないが、妻の三千代は東京出身で、母が住む東京を恋しく思っている。それは、夫婦に隙間風が吹いているからだ。だが、それは多分に三千代の思い過ごしで、本作を見る限り、岡本は真面目で優しく、しかも妻に文句のひとつも言わない。そのため、三千代の不満な様子は単なるわがままに見える。だが、それは筆者が男であるからかもしれず、女性は見ればまた違うかもしれない。三千代の一番大きな不満は、夫の給料が安いことだ。生活がかつかつなのだ。それは世間知らずと言ってよいかもしれない。というのは、三千代がついにひとりで東京の母のもとに戻った時、幼馴染みだろうか、知り合いの女性に出会う。彼女には4,5歳の男の子がひとりあるが、夫が復員しないところ、どうやら戦死したようで、また失業保険は打ち切られ、すぐに仕事を探さねばならない立場にある。その気の毒な様子を見ながら、三千代はどう思ったろう。子どもはないのでまだひとりで暮らして行きやすいと考えたか、それとも夫がいるだけで自分はまだ少しは幸福と思ったか。その不幸な女性は、映画の最後近いところでもう一度登場する。大きな川沿いの道を散歩していた三千代は、その女性が子どもを脇に置いてひとりで遊ばせながら、台に載せた新聞を売っている。それを見た三千代は彼女に声をかけず、そっとUターンする。そこで腹をくくったのでもないが、夫のもとに戻る思いはかなり固まったに違いない。それを示す場面が別に用意されている。職安を訪れると、たくさんの人が外で待っている。その様子を遠目に見て三千代は近寄ることを諦める。女がひとりで生きて行くことはまだまだ難しい時代であった。それが60年経った今はどうかと言えば、雇用機会均等法も整ってかなり改善はされたが、女性の方が男性より年収が少なめというのはまだ変わらないだろう。
本作は女性が見るべきものだ。三千代の生き方をどう思うか、当時でもいろんな意見があったことだろう。前述のように、筆者は夫が安月給であっても真面目に働き、また優しいのであれば、妻は不満を抱くべきではないと考える。それを三千代は夫に離縁状を突きつけるのではなしに、東京にひとりで戻ってしまう。そして夫婦はお互い連絡し合わない。三千代はついに手紙を書く。それをポストに入れに行ったところで思い留まるのは、夫が先に連絡をして来るべきという考えが頭をもたげるからだ。何日経ったのか知らないが、ある夜ひどい台風がやって来る。三千代の実家の洋装店はまるで紙で出来たかのように心細い建物で、それが暴風雨にさらされる。同じ夜、大阪の岡本の長屋も台風が直撃のようだ。この台風は1950年のジェーン台風だろう。これを筆者は知らないが、筆者が幼ない頃はひどい台風が多かった。今と違って、昭和30年代前半までは、建物は簡素な木造で、下水道が発達せず、すぐに道路が冠水し、床下浸水程度ならば珍しくなかった。岡本は三千代が帰って来ず、連絡もして来ないことに心配したかどうか。その様子は描かれない。秋の祭りの神輿が出ているある日、三千代は散歩から戻ると、夫の革靴を玄関で見かける。母は夫が来ていることを告げるが、三千代は急なことでもあって会おうとはせず、外に出てまたうろつき始める。すると、夫とぱたりと出会う。気まずい三千代は夫を歓迎しない。夫は東京に出張し、そのついでに妻の実家を訪れたのだ。それは三千代にすれば嬉しさは半分だ。自分を連れ戻すためだけにやって来てくれたのであれば、もっと喜んだ。だが、ふたりは小さな店でビールを飲み、久しぶりに笑顔で話す。それをきっかけに三千代は夫と一緒に大阪に帰ることにする。そこで物語は終わるが、三千代にすればまた元の生活だ。何ひとつ改善されないのであれば、三千代の未来は暗いが、最も不満であった給料に関しては、職場を変えることによって多少はよくなる見込みであることを夫は伝える。その新たな職場を申し出たのは、三千代の親類であったか、大阪で丁稚奉公から立派な家をかまえるまでになった人物が登場する。三千代は東京に行こうとする時、その家を訪問して金を借りる。丁稚からそれなりの大きな店を経営するまでになった人物は当時の大阪では少なくなかったであろう。また、その反対に、この映画でも描かれるように、代々続いた店を潰してしまう人物もいて、いつの時代でも真面目にこつこつ働いて、ようやく晩年に楽な暮らしが待っている。その意味で言えば、岡本は真面目一徹で、いつかは妻に金の苦労をさせずに済むという希望が見えている。実際、本作以降、昭和3,40年代へと進んで日本は高度成長を遂げて行く。岡本は三千代はその頃まだ40代のはずで、充分収入に恵まれた生活を送ったはずだ。
証券会社に勤めていると、相場で当てるという山っ気を抱きやすいだろう。本作でもそのことが描かれる。株でうまく儲ける者もあれば、大損する者もある。岡本はそんな危ない話に興味はない。決まったわずかな給料での生活で、妻には洋服のひとつも買ってやれず、自分の新しい革靴が盗まれると、代わりの新品を買うのに給料を前借りせねばならない。給料の話で書いておくと、当時若い女性が目いっぱい働いても給料は月6000円であった。岡本の給料はわからないが、東京にやって来た岡本に対して三千代は2500円使ってしまったという場面がある。実家に戻っていた日数はわからないが、たぶん長くて2週間ほどだろう。母に小遣いをもらうわけには行かず、三千代は自分の懐から賄った。その2500円が現在のどれほどになるか。若い女性の給料の半分ほどで、それくらいの蓄えも出来ないほどの生活を三千代は送っていた。戦後まだ6年しか経っておらず、当時の日本は貧しかった。だが、一部では今以上に豪勢な世界もあった。岡本が仕事仲間からうまい話があると言われて、夜の盛り場を連れ回される場面がある。「METRO」と言う大きなキャバレーがミナミのどこにあったのか知らないが、その内部の舞台の様子がしばし映し出される。誇張して言えば、「1000人の踊り子」で、彼女たちが肌を露出した衣装を着て踊る様子を客は女性を横にはべらせて酒を飲みながら見る。また、心斎橋だろうか、三千代が友人と訪れる喫茶店の内部の設えは、美意識が今では考えられないほど強く、また金もかかっている。東郷青児葉ばりの女性像を表現した擦りガラスの間仕切りや、マティス風の壁画、それに高価そうなコーヒー・カップで、今はそんな喫茶店は皆無と言ってよい。一方、三千代夫婦が住む長屋は、本作では天下茶屋の天神森近くにあるという設定で、その付近は家内が生まれた場所に近く、いわば典型的な大阪の庶民の住む2階建ての家だ。また、表から見る様子は、開高健が生まれ育った家とほとんど同じだ。すぐ南に帝塚山があって、前述の丁稚奉公から成功した親類が住む屋敷はそこにある。今はないと思うが、江戸時代の武家屋敷のような立派な塀が連なる家が映る。
長屋であるから、近所づき合いがあり、さまざな人が住む。三千代の家の真向いは、二号さんがひとり住まいしていて、三千代夫婦は親しくしたくないと思っている。その二号の旦那は前述した相場で失敗した男で、二号は小さな店を持たせてもらっていたから自分まで影響を蒙らずに済み、金の切れ目は縁の切れ目で、ひとりとなったからには新たな男に色目を使うとばかりに、三千代が東京へ行っている合間に酒の肴を持って岡本の家に上がり込もうとする。そういう女性はいつの時代でもいる。もうひとり本作で重要なのは、岡本の20歳になる姪だ。彼女はある日、岡本の家に転がり込んで居候を始める。ひとり分食費が増え、米に事欠くようになって来たことに三千代はむくれる。姪とはいえ、岡本が好きなようで、三千代はつい邪推したくもなる。彼女は「現代っ子」で、冗談か本気か、ストリッパーになりたいと言って岡本を困らせる。「今の若い子は理解出来ないなあ」といったことを岡本は笑いながら言うが、この新旧世代の考えの相違はいつの時代にもある。三千代は姪のわがままな態度に我慢がならないが、そんなことも重なって三千代はひとりで東京に行きたくなる。説明書によると、三千代は大恋愛の果てに岡本と結婚したそうで、そこには他者を困らせたこともあったかもしれない。ともかく、大恋愛しても倦怠期が訪れ、離婚したくなる女性の気持ちを描くとなれば、本作は女性が人生に幻滅するしかないという現実を突きつけているようで、昨今の事情を先取りしているように思える。女性はほかに数人登場する。そこには三千代の同窓生も含まれる。彼女たちは独身もいれば金持ちの奥さんに収まっている者もいる。これも今と同じだ。彼女たちは半年に一度大阪市内で同窓会を開いていて、三千代は着て行く服がないと言いながら、結婚の時に仕立てた洋服を着て出かける。他の者はみなキモノで、まだこの時代の女性はキモノをよく着ていたことがわかる。そういう昭和の風俗を見ることが筆者は楽しいが、当時の俳優や監督はそのような見方をされることをあまり意識しなかったろう。
本作は前半を大阪、後半を東京を舞台にする。三千代が降り立つ駅は「矢向駅」だ。これは東海道線の川崎駅で降りて南武線に乗り代えて北にふたつ目の駅だ。地図で調べると、JR川崎駅から北西1.5キロだ。映画で映った大きな川は多摩川だろう。実家の近くか、三千代が夫婦のチンドン屋を見かける場面がある。本物を起用したはずで、筆者も数歳の頃、よくチンドン屋を見かけた。街の様子もそっくりで、昭和レトロが堪能出来る映画だ。先日TVで映画監督の山田洋次が出ていて、一番幸福であったのは1960年代後半から1970年頃までと発言していた。当時を知らない若者はその言葉の意味が理解出来ない。筆者は監督の意見に全面的に賛同はしないが、当時の日本が最後の高度成長を遂げ、国民の不満は最も少なかったと言えるかもしれない。これも先日のTVだが、15歳の少年が、昭和のデザインが大好きで、琺瑯の看板はもとより、いろんな商品を集めて悦に入っている姿が紹介された。そして、昭和時代に生まれたかったとまで言っていて、山田監督の言葉の正しさを証明していると思えた。話を戻す。本作では三千代の住む家のほかに、東京からやって来た岡本の姪を岡本が一日バス観光で連れ回す場面がある。それは大阪人にとっては楽しい。本作を監督した成瀬巳喜男がどこの出身かと言えば、東京四谷で、なるほどと思う。大阪出身であれば、大阪の名所をバスで案内する場面を入れようとするだろうか。ボンネット型の観光バスは梅田駅前から出発し、バス・ガイドの女性は歌も交えながら、車窓から見える街を説明する。最初は北浜の証券取引所だ。その建物は今もあるが、数年前だったか、もう取引所の機能を果たさなくなった。戦後の大阪の地位低下ははなはだしい。北浜から天神橋を南下する際、遠くに中之島中央公会堂が見えた。バスはそれから大阪城へ行き、そこを散策した後、ふたりは難波の通称引っかけ橋の上から道頓堀を見つめる。そして「まむし」と大書された店に入るが、姪はそれがうなぎであることを知らない。このように、大阪に関するちょっとしたことがわかる設定は、まだ旅行が盛んでなかったので、今で言うTVの旅番組の機能を持たせる、当時の映画としてはごくあたりまえの制作方法であった。一方、三千代が実家に戻ってからの街の描写は、観光的とは言えない。どこまでも庶民の生活を見せ、それは成瀬監督が生まれ育ったのとそっくりなものではないか。三千代の実家は小さな商店で、母は兄夫婦と同居している。生活が豊かではないのは、兄の態度からもわかる。そんな家に三千代は長居出来ない。そして自分で稼ごうとするが、厳しい現実を目撃し、元の生活に戻る決心をする。三千代が子どもを産めば気分が変わると思うが、結婚して何年になるのか、原作の小説ではもうそれは無理という設定なのかもしれない。小説では登場人物の内面が書かれているはずだが、映画では何を思っているかは俳優の演技に頼るほかなく、上原謙と原節子が原作の人格をぴたりと演じているのかどうかはわからない。そこがもどかしくあり、また映画は映画で楽しめるという考えもある。