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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『安野光雅が描いた「御所の花展」』
下にお目にかかれた縁もあって安野光雅が御所の花を水彩で描き、それを130点展示するもので、今は京都の高島屋で開催されている。先日のゑべっさんの宵宮に行った後、立ち寄った。



●『安野光雅が描いた「御所の花展」』_d0053294_1284743.jpg安野の作品展は春にもあったはずと思い、去年見た展覧会のチケット半券の束を繰ると、見つからない。そこで平成24年の束を引っ張り出した。すると秋に見ていることがわかった。記憶とは半年違いで、それほど早く月日が経つことを改めて実感する。平成24年の安野の展覧会は『安野光雅が描く洛中洛外展』と題され、京都での展示が本番と言ってよい内容であった。その感想を書くつもりもあったが、機会を逸した。今回は同じ高島屋のホールを使っての展示で、少しは感想を書いておこうと考える。本展は「御所の花」と題名にあるので、てっきり安野は『洛中洛外展』出品の作品を描く傍ら、京都御所に何度も出向いて花を写生したとばかり思っていた。会場に入って「御所」が東京のそれであることがわかった。京都の御所は「京都御所」であり、単に「御所」と呼ぶのは京都人だけだ。それで本展を見る気分を多少削がれたが、花の写生は筆者も昔は盛んにしたので、どんな花をどのように描いているかの興味は強くあった。同じサイズの花の絵を130も見ると、いくら花の色や形が違うとはいえ、後半は見る速度が増す。春夏秋冬順に並べられ、同じ植物を複数回取り上げてもしていたが、どの絵もボタニカル・アートになるほどに、つまり植物名が同定出来るほどに仔細ではなく、かといって図案化がはなはだしくなく、簡単に言えば奇を衒ったところがほとんど見られず、安野風全開であった。「ほとんど」と書いたのは、どの絵も背景を自然な淡い色合い、すなわち花を邪魔しないものであるかと言えば、それでは絵としては面白くないので、水彩用の水分をよく含む紙の特質を活用して、たらし込みの表現が目立った。また、その技法だけでは130枚は持たない。そこで背景を真っ黒にすることもあり、数多い連作として見た時の変化にかなり気を使っている様子がわかった。ただし、背景に凝り過ぎると肝心の花の印象がうすくなる。あくまでも主役は花で、その自然な色合いを優先し、それに似合う背景色やその描き方をさりげなく工夫するというやり方だ。それは長年描いて来た画家の手慣れがよくうかがえ、さすがと思わせた。だが、もともとあまり派手ではない御所の、すなわち日本の植物を題材にするので、どの作品も華麗とは言い難く、素朴さの方が勝っている。それはその味として見るべきだが、筆者には安野の老いが重なって見えた。逆に言えば、かなり高齢に達したので、ようやく日本の花を衒いなく、慎ましやかに描く境地になれたということでもある。
●『安野光雅が描いた「御所の花展」』_d0053294_129930.jpg チラシの上段に「両陛下のお庭を彩る敷きの草花」と印刷してある。その「お庭」というのが筆者にはよくわからない。皇居の構造がわからないからだ。工藤哲巳の晩年の作にもあるように、天皇や皇居はブラック・ホール的に思える。一般人には無縁の場所であり、また無視せねばならないところでもある。そのようなブラック・ホールに立ち入り、1年以上も要して花を描くなど、誰にでも許される行為ではない。と書きながら、それが事実かどうかも筆者にはわからない。本展の会場を出たところに、津和野にある安野の個人美術館の案内パンフレットと、「皇居東御苑」のガイドマップが積まれていた。前者の美術館の存在は平成24年展で初めて知った。安野は津和野出身で、そこに美術家が建てられたのであるから、生きている間に故郷に錦を飾れた大成功者だ。安野は文化功労者に選ばれてもいる。津和野が専用の美術館を建てることにも納得だ。筆者は津和野には10年ほど前に行った。バスの出発まで20分ほどあったと思う。はがき大のスケッチブックに家並みのすぐ前の水路で泳ぐ鯉を色鉛筆でスケッチし、町の端にある郵便局へと急いだ。スケッチした場所から500メートルほどか、狭い小さな町だ。局内に入って持参していたふるさと切手をスケッチの余白に貼り、風景印を押してもらった。すぐに引き返して出発寸前のバスに間に合った。その時に貼った切手は今思い返せば、原画は安野による津和野の蔵だ。ついでに書いておくと、安野の名前が大きく知られるようになったのは1970年代で、それなりに筆者は絵本によってその作風を知っていた。だが、夢中になることはなかった。80年代前半のある年、東京在住の若い女性から安野の絵本を一冊プレゼントされた。それを今も所有するが、ほとんど開いたことはない。スペインの風土を描いたもので、当時安野はヨーロッパ各地に赴いて写生を精力的にこなし、いくつもの横長の絵本を生み出していた。そういう安野が京都や御所に題材を求めるようになったのであるから、世界中を旅した後は日本に回帰するということなのだろう。昔のヨーロッパに題材を取った絵本と、本展の花の絵は、当然のことながら画風は共通している。優しい鉛筆の下書きにパステル調の色合いだ。それは棘がなく、万人向きだ。そういう画風は面白くないと批判しても、安野の個性であるから、それはそれとして見るべきであろう。だが、ここで少し書いておくと、ここ4,5日、筆者は届いたばかりの画集に夢中になっている。30年かもっと前から気になっていたドイツの画家LOVIS CORINTH(ロヴィス・コリント)の分厚い、ハードカヴァーの作品集をようやく買った。アマゾンで1万円以上しているが、ペーパーバックならその半額だ。この画集を見ると、魂が大きく揺さぶられる。そしてヨーロッパの何たるかがわかる。この画家についてはいつか書こうと思うが、安野とは正反対の画風で、激しく、また醜い。だが、その奥に誰も到達し得ない意志と気力がみなぎっている。筆者がこの画家に関心があったのは、その晩年だ。こうも作風が変化し、しかも絶頂に向かって行った画家はそうはいない。残念ながら日本ではほぼ未紹介で、また個人展覧会が開かれても人気を得ないのではあるまいか。そういう激しい画家が目下の筆者の脳裏に渦巻いており、その中で安野について書くのはもどかしい。
 安野は醜いものを描こうとはしない。『洛中洛外展』に出品された作品に、渡月橋から少し下流の左岸から右岸を眺めた構図の水彩画があった。その立ち位置はちょうど冨田渓仙の家の前で、そこは筆者もしばしば立つが、安野の絵が実際とはかなり違うことがわかった。安野は山裾にたくさん見えるマンションなど、新しい建物はほとんど省略している。それは歴史ある京都、しかも嵐山としては誰しも見たくないもので、画家であれば見ぬ振りをする。そして描かれるのは理想的な風景だが、それでは地元住民にはどこを描いたものかわからない。実際安野のその絵は、題名や説明があるお陰で描いた場所、画家が立った位置がわかるものの、無題であればほとんどどこを描いたものかわからない。京都はそのようにどこも無粋な建物が視界に入り込み、本当の現在の『洛中洛外』を描くのであれば、その不調和はなはだしい新旧の対立を示す必要がある。それでは安野の主義に反するのだろう。それであってほしくない建物を排して、理想を描く。写真ではなく、絵はその点自由だ。人に見てもらいたいものだけを選べばよい。安野が近年建ったような高層マンションを描き込まないのは、そういう建物は長い歴史の中では一瞬で、絵の命よりはるかに短いと考えるからでもあるだろう。今日の3枚目の写真は今月10日に冨田渓仙の家の前あたりから桂川右岸を撮ったものだ。ただし、安野の絵背後の山や法輪寺を目当てにし、もっと広範囲を収めていた。筆者の写真は「風風の湯」を中心にトリミングした。話を戻して、いくら現実であろうと、取るに足らない建物など無視すればよいが、その見極めは難しい。たとえば安野は特定出来る人物の顔を描くだろうか。そういう作品を見たことがない。どうせ描くならば、誰が見ても美男美女がいいに決まっているかもしれないが、そういうモデルはなかなかいないだろう。そこでそれに近いモデルを雇い、その目鼻などを理想化して美男美女の絵を作り上げるとする。それは真実味を帯びるかと言えば逆ではないか。コリントは肖像画をたくさん描いた。そのどれもが個性ある顔で、それゆえに訴えて来るものが大きい。その意味に照らすと、安野の絵は独特の柔和な画風でありはずるが、それ以上に、つまり安野が抱えているかもしれない個人的な悩みや葛藤のようなものが見えず、またそれを克服しようという意識も伝わらない。これは安野がどこまでも満ち足りて幸福であるからか。それは本人に訊かねばわからないが、人間であるので普通の人と同じようにそれなりの悩みや問題、欲求は抱えているはずだ。だが、それが絵に表われていない。そこが不満と思う人と、それでこそよいと言う人がある。筆者はどちらとも言えないが、本展に並ぶ絵は日本画的で、写生に努めてはいるが、全体に装飾性が色濃い。植物を文様化せず、しかもほとんどよぶんなものを描かずに、装飾性を感じさせることは困難と言ってよい。それが安野の場合そうなっていないのは、さりげなく見たくないものを省略し、奥行を感じさせつつも全体に平板さを強調するからだ。また、洋画特有の物の影もほとんど描かない。そうなれば日本画的、装飾的になるのはあたりまえだ。
●『安野光雅が描いた「御所の花展」』_d0053294_1292673.jpg

 筆者が特に関心があったのは、背景の濃度と描かれる花の濃度差の問題だ。友禅のように色が混じらないための堰としての糸目がないから、淡い鉛筆の下書き線上で背景色と植物の色が接している。もちろんどの鉛筆の線も隠れるのが好ましいが、そこにはあまり頓着している気配は見られず、あちこち鉛筆の線をはみ出している部分がある。それは別に気にならない。絵であるから、そういう手技の痕跡が時に露わになっている方が温かみが伝わる。それはいいとして、とても技巧的と思ったのは、背景のたらし込みの濃淡が、花の領域を侵していないことだ。それは花を描くより数倍困難なはずだ。何しろ一発勝負であるし、またたらし込んだ濃い色が先に塗った花の色の内部に侵入する可能性は大いにある。それがそうなっていないのは、ひょっとすれば失敗作を何枚も描いた結果かもしれない。ルドゥーデの花の絵はどれも背景が真っ白のままで、植物だけを描けばよかった。ボタニカル・アートとはそういうものだ。安野の本展の絵は、全作とは言わないが、背景とその上に現われている植物との色合いが妙で、試行錯誤の跡らしきものが見える。さて、筆者が瞠目したのは、背景が黒の作だ。これは先の理屈で言えば、最も技術的に難しいと言えるかもしれないが、一方で真っ黒であれば多少の濃度差は目につかないから、たらし込みのような一発勝負の早い仕事をする必要はない。つまり、描いた花を避けながら、小筆で少しずつ黒を埋めて行けばよく、かえって仕事はたやすいかもしれない。だが、それは花や葉が比較的大きな場合だ。筆者が首をかしげたのは、背景が黒い作品で、花がとても小さくて淡い場合だ。たとえば梅が満開の木や芒の穂だ。それらは黒い背景に白抜きとなっている。それらの小さな粒を避けて黒を塗って行くことは無理で、どう見てもまず背景を先に描き、それが乾いてから小筆でたくさんの白い点を描き込んでいる。だが、その白が紙の白なのかどうか、間近で見てもわからない。だが、灰色に見える点もあったところ、白の絵具で点描しているのは間違いない。これは花を避けながら背景を描く作と違って、技法的には好ましくない。だが、梅の花や芒の穂の白さを表現するには、背景を暗くし、そこから浮かび上がる絵にしたかった。そしてそれは細かい花は穂先を避けながら黒を塗り進むことは無理だ。そのため、背景が黒く、花が淡くて細かい絵は、どれも表現主義的な雰囲気を漂わせ、そういったわずかな作が130点の中に点在することによって、全体に四季の、そして時間帯の変化さえも表現することに効果があった。つまり、一見平凡に見えながら、きわめて技巧を凝らしている。その技巧の度合いが前面に出過ぎるといやみになることを安野はよく知っている。そこが奥ゆかしく、またきわめて熟練している技量をよく表わしている。
 さて、前述の「皇居東御苑」のガイドマップを今日ようやくトイレに持ち込んで眺めた。驚いたのは、数年前に家内の兄弟の娘が結婚式を挙げたパレスホテルが地図の下端に描かれていることだ。そう言えばそのホテルのすぐ近くに大きな門があった。それが大手門で、東御苑の出入口になっている。また初めて知ったが、その門を入ってすぐに三の丸尚蔵館があるではないか。この美術館で若冲の絵が時に展示されるが、それがパレスホテルのすぐ近くとは知らなかった。それほど筆者はブラック・ホールの天皇や皇居に関心がない。ガイドマップによれば御苑内は無料で散策出来る。それがわかっていれば去年3月に東京に行った時に見て回ったものを、今頃になってようやく知った。それは本展を見、しかもガイドマップが置かれていたお陰で、そうでなければまだ数年かもっと先までこの東御苑の存在を知らなかった。それはさておき、安野が御所の花を描くことになったのは、天皇か皇后か忘れたが、書かれた本の装丁を任されたことが縁になった。となると、安野は天皇陛下が鑑賞されることを前提に130の花の絵を描いたであろうし、なおさらさりげなさと技巧性を同居させねばならず、仕事はストレスが強かったかもしれない。「御所」は誰でも入れる東御苑だけではなく、「吹上御所」などそのほかの領域も含んでの表現と思うが、そうであればもっと思いが引き締まったであろう。130は前述のようにばぶりもある。「御所」に咲く花をすべて網羅したのかどうか、そのことは専門の本を繙けばわかるだろう。安野にとっては描きにくい、またあまり気が進まない花もあったと思うが、数十描けばもっとたくさんという気になるし、130はさほど多いとは思わなかったのではあるまいか。全体に地味な花が多く、街中の花屋で見られる花はほとんどない。野生であるからそれも当然だ。室内ではなく、現地で写生する根気は安野の年齢を思えばいかにも強靭で、画家に限らず、創造する人は健康で長生きしなければ損だ。ただし、病に冒されれば、それはそれでロヴィス・コリントのように壮絶な作を描くきっかけにもなる。
by uuuzen | 2014-01-14 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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