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●『やまとぢから 藪内佐斗司展』続き
楽に用いた仮面が日本にはかなり残されている。正倉院や法隆寺などに伝わったもので、奈良時代のものだ。たいていの人はそれを写真で見たことがあるはずで、正倉院展で実物に接した人も多いだろう。



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伎楽面には多くの種類があって、「ゆるキャラ」の気ぐるみのように頭をすっぽりと包む。また、全部ではないが、伎楽面で最も印象に強いのは、鼻が長く、東洋人とは思えない顔つきで、西域にルーツがあるのではないかと思わせられる。洋の東西を結ぶシルクロードで生まれた仮面劇で、それが極東の日本にも伝わり、その仮面が大事に今まで保存されたのは、文化の吹き溜まりの位置にあるためではあるが、物を大事にする文化があったからだろう。伎楽は中国南部の呉国から百済に伝わり、それから日本にもたらされたとされているが、呉国が発祥地としても、さらに西域から影響を受けたものであったかもしれない。伎楽面は中国や朝鮮には伝わっていないが、それなりの仮面劇は今も行なわれていて、それらが伎楽からつながるものであるとすれば、日本の能なども伎楽とつながりがあると考えてよい。昨日写真の説明をしなかったが、今日の写真にもあるように、藪内佐斗司は伎楽面に関心が大きく、「平成伎楽団」なるものを旗上げした。奈良時代の伎楽がどういう音楽を使い、どんな舞いや演劇をしたのかはわかっていないが、伎楽は雅楽に影響を及ぼしたはずで、雅楽やまたそのほかの古い演劇、たとえば狂言を参考にしながら、現代的な伎楽を演じることは出来るだろう。これについては先駆者がある。野村万之丞だ。彼の「新伎楽」と題する舞台を2000年頃に京都造形大学の春秋座で見た。伎楽がシルクロード上の各地で栄えたという考えから、今それを新たに興すことでアジアとヨーロッパをつなぐ文化交流を図ろうとするものであったが、筆者が舞台を見てから間もなく彼は急逝した。その後「新伎楽」がどうなったのか知らないが、話術も巧みなカリスマ性があった万之丞であっただけに、「新伎楽」をもっと有名なものにするにはよほどの宣伝や上演が必要であろう。薮内はその「新伎楽」をどう思っているのだろう。万之丞は古い型の伎楽面を新調しただけで、「新伎楽」の「新」は主に失われてわからなくなっている演劇の方に才能を発揮したと思うが、それに対し、造形家の藪内は古い伎楽面の復元使用よりも、全く新しい仮面の想像に力を入れ、演劇については茂山家に依頼しているようだ。また、万之丞よりかはかなり後発となる「平成伎楽団」であるので、「新伎楽」を批判しつつ、時代により適合した舞踏を演じることが出来る。それに、こうした団体は中心となる人物の有名度に多く負うもので、万之丞がいない「新伎楽」より、目下広く名を知られる薮内の方が関心を持たれやすい。「新伎楽」と「平成伎楽団」が合体すればより大きなものとなるが、同じ狂言でも前者は野村家、後者は茂山家で、いろいろと考えが違うだろう。
●『やまとぢから 藪内佐斗司展』続き_d0053294_0553785.jpg チラシによれば薮内は大阪生まれとある。郷土玩具研究会の人から聞いたが、堺出身だそうだ。そういう薮内が東京藝大に進んだのはどういう理由か知らないが、仏像の古典技法と保存修復を学ぶには同大学が最もよいのかもしれない。ともかく、「せんとくん」の大ヒットにより、関西にも名が知られ、奈良県立美術館で本展が開催されたのは、本人としては願ってもないことであったろう。そして京都の茂山家が関わる「平成伎楽団」ということで、しっかり関西人らしいところを見せているが、東京藝大の教授となっているうえ、作家としては東京を拠点にした方が何かと有利であろう。昨日少し触れた東京在住の筆者の知己である友禅を趣味とする女性は、薮内の作品に比較的早い段階から惚れたが、本展で少々驚いたのは、100点の大部分が美術館や個人の所蔵であることだ。個人が自宅で飾っておけるほどの比較的小さな作品が多いからでもあるが、それよりもほしいと思わせる魅力があるに違いなく、熱烈なファンを作りやすいと思える。そして、薮内の作品を買う人は、彫刻好きというより、人形好きで、その点では伏見人形が好きな筆者もほしいと思ってよさそうなものだが、そういう気はない。その理由は「かわいい」とたいていの人を思わせる薮内の作る童子の顔が、やや小悪魔的で、強さはいっぱいだが、女性的な優しさといったものが欠けるからだ。伏見人形の童子ないし童子のように表現される大黒や恵比須などは、どれも笑顔が優しい。それに癒されるというのではないが、薮内の作品に見られる「あく」のようなものがない。それは無名の職人が作り続けて来たものであるからではないか。筆者が最初に薮内の作品を写真で知った時、その顔の表情があまり気に入らなかった。それは今もさして変わらない。「天使」ではなく、角を生やせば「小悪魔」そのものに見えそうなところが、作家の内面のぎらつきを思わせる。そして、今回初めて薮内の顔を知ったが、悪戯っ子のような笑みを浮かべ、それが彼が作る童子とそっくりであることに妙に納得した。薮内は自分の分身を作り続けている。画家は自作に自分の顔をさりげなく忍ばせるとよく言われるが、薮内の場合はどの作も自身そのものだ。ひとことで言えば、エネルギッシュで、そこが作品を買いたいと思わせるゆえんではないか。「元気をもらう」という表現がよく流行ったが、薮内の作品を見ているとそういう気分になれる。「哀愁」という言葉からは限りなく遠く、どんなことがあっても前向きに進むという決心がみなぎっている。
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 それは薮内が本展に名づけた「やまとぢから」であろう。この「やまと」は奈良の意味ではなく、日本という意味だ。「日本の力」を薮内が示したいと考えるのは、もうすぐ3年目になる東北の大震災を思ってのことだ。意気消沈してはならず、誰もが少しでも生命の力を信じ、また立ち上がらねばならないとする。これはうろ覚えだが、大震災からの復興への願いは、大津波から奇跡的に1本だけ残った例の松を用いて仏像を彫る行為にも見られる。また、チラシによれば、薮内の作品は日本全国の公共空間100か所にのぼるという。公共的な場所に彫刻が展示されることは珍しくないし、今や漫画のキャラクターの銅像や石像も目立つ。そういうところに薮内の作品がどういうように見られるかとなると、アジア的かつ仏教的で、また「ゆるキャラ」とは一線を画した芸術性だろう。そんな薮内も最初の頃は西洋の写実的な彫刻、しかも前衛っぽいところを模索していたことが本展でわかったが、会場でもらえた目録によれば、そうした作品の技法は「檜、漆、顔料」で、その後現在まで用いているものと変わらない。つまり、1980年頃に早々と何を使って作るかという技法は確立され、やがて悪戯っ子のような童子を手がける。「平成伎楽団」に使われる仮面は半分ほどはその童子顔で、鹿の角を生やした童子や爺、そしてこれは正倉院にあると思うが、迦楼羅をほとんどそのまま模したりもしている。「平成伎楽団」は旗上げして間もないので、今後は新たな仮面が増産され、正倉院や法隆寺宝物館に伝わるものを参考にするかもしれない。話を戻して、本展は「ブロンズ、彩色」と記される技法による作品や「FRP」によるものも若干混じって、複数生産を時に行なっていることがわかる。「檜、漆、顔料」となれば1点もののはずで、その作品価格はかなり高くつくだろう。もっとも、同じ形のものを「檜、漆、顔料」を使って作ることはあるかもしれない。それも1点ずつ作るのは変わりがないから、寡作かと思えば、前述のように日本中に100か所も作品が公の場所に置かれている。だが、それらは屋外の設置であればブロンズであろう。ともかく、本展からの印象では、薮内の作品は多様とは言い難く、同じような顔をした童子が異なった仕草をしている。そのため、多種ではないから、多作はしやすいだろう。
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 童子のヴァリエーションをたくさん作るのは、本展でも展示されたように、「動き」に関心があるからだ。仏像は不動の印象を与えるものが普通だが、薮内の作品はどれも動きを感じさせる。そして、まるでアニメーションのようにいくつかの童子を配置した組作品もあって、そこに「平成伎楽団」への関心が見えている気もする。仏像のように厳かに立つか座る姿は、拝む対象としては必要なものだ。一方、片足を上げて前に進もうとしている薮内の童子は、人形で言えば張子のような軽い素材で作られたものを連想させるが、素材と技法は「檜、漆、顔料」となっているから驚かされる。檜は削るのに大変であろう。土人形のように型で量産することは出来ない。だが、檜の材木を彫っているのではなく、それを粉末にして漆と混ぜ、それで成型しているかもしれない。本展では「平成伎楽団」の上演の様子を画面で紹介していたが、薮内の製作については説明パネルもなかった。目録によれば「平成伎楽団」の仮面は、大半が「漆、麻、顔料」とされている。頭を覆うものであるから軽い方がよく、それで布を漆で固めている。この技法を乾漆と呼ぶが、「檜、漆、顔料」とあるものも、像の内部は空洞で、前述のように檜のおがくずに漆を混ぜたものを土台となる像に塗り重ねる、いわば張子と同じ技法であるかもしれない。そうであれば量産も難しくない。ともかく、技法は奈良時代の仏像を研究する間に習得したもので、そこに真似されにくい強みがある。1階の展示室のTVモニターは、学生が大きな仏像を彫っている様子を映していたが、ノミを手慣れた様子で扱い、将来が頼もしい思いにさせた。そうした学生が作った仏像は、専門家が見れば未熟な部分もあるだろうが、筆者にはそうは見えなかった。本展の第3部は「伝世古」と称し、10数点の仏像や伎楽面の修復、模刻が展示された。その中に興福寺の「天燈鬼立像」の模刻像があった。その鬼が腰を横に張り出して片腕で大きな灯篭を抱える姿は、今までどのようにして彫ったものかわからなかったそうだが、模刻した学生はその謎を解き明かしたと説明してあった。古いものを調べ、新しい何かを見出すことで、新しい時代の造形が多彩になる。藪内が指導する学生たちは、薮内のような作家になる者と、仏像の修復や伝統的な仏像を彫る仕事に進む者とに分かれるであろうが、仏像が本来持つ意味を忘れない限り、「やまと」の力は絶えないだろう。「ゆるキャラ」ブームに沸く昨今、薮内の造形が示すものは一考する必要がある。
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by uuuzen | 2014-01-06 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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