鳶は鷹を生まない。このたとえ話を久しぶりに正月の集まりで耳にした。両親が小学校しか出ていなくても子どもが東大に入ることがあるとする。その両親は子どもより頭が悪いのではなく、もともと東大に進学するほどの頭脳はありながら、時代と境遇によって勉強出来なかったに過ぎず、子どもが鷹とすれば両親もそうだというのだ。

これには賛否あるだろう。頭のよしあしを最終の学歴で決めることは出来ないし、小学校しか出ていない人が大卒より価値がないとは言えない。鷹は鳶を生む場合もあれば、その逆もあって、また一時期鷹であったのに、鳶になり下がってしまう人もある。そもそも「鳶が鷹を生まない」のたとえ話は、鳶は鷹より劣るという考えによるが、鳶は鳶、鷹は鷹で、比べられるものでもない。さて、なぜ鳶の話から始めたのだろうか。そうそう、鳶と鷹は似ているとも言えるし、似ていないとも言えるが、動植物は突然変異をたまに起こす。またフェルメールの話になるが、当時のオランダではチューリップの大ブームがあって、珍しい形や色のチューリップは驚くべき高値で取り引きされた。そうした花は突然変異で生まれたもので、今ではいくらでも見られる品種になっている。この事実は、動物でも花でも、長い時代を経るとそれまでに見られなかった姿形のものが現われて来ることを意味している。戦後の日本人は昔のように固いスルメなどをあまり食べず、甘くて柔らかいものをよく食べるのでだんだんと顎が細くなって来て、歯並びが悪くなっているという。今の若いアイドルは顎が細くて尖っているのが普通で、エラが張って顎が大きいのはお笑い芸人になるしかない。これがもう100年ほど経つと、もっとそうなって、よく言われるように日本人は宇宙人のような顔になるだろう。これは突然変異ではなく、文化が変化することによる、つまり生活習慣の変化による変異だが、変わらないと思っている人間の美も少しずつ変わって行くということだ。そんなことを思ったのは、今日取り上げる藪内佐斗司が作り出した平白遷都1300年記念のキャラクターである「せんとくん」に話をつなぐためだ。この幼ない大仏の頭に鹿の角が生え出たキャラクターを最初に見た時はかなり違和感を覚えた。だいたいがそうであって、奈良の寺はこぞってそれを認めることに反対し、独自のキャラクターを編み出した。それらは今ではどれも忘れられているが、「せんとくん」の人気がじわじわと高まり、無視出来ないほど大きくなったからだ。つまり、仏教界は大勢に負けた。みんなが歓迎しているものに反対を言い続けても仕方がないと考えた。そうなると「せんとくん」の人気は決定的となり、ついには絶大に支持されるようになって、当初の違和感も消えた。仏に動物の角を生やすなど、もってのほかと憤っていたのに、えらく不甲斐ない。みんなの支持があってこその仏教でもあると思い直したのだろう。それで去年夏比叡山の延暦寺に行くと、小坊主の着ぐるみをまとったキャラクターを見かけてびっくりした。「せんとくん」ブームにあやかろうというのだろう。比叡山がそうすれば高野山も同じで、先日TVで高野山の奥の院のコマーシャルを見ていると、弘法大師の同様の3等身のキャラクターが出ていた。日本中が宣伝や集客のために「ゆるキャラ」を作り出し、子どもから大人までそれを見て心を和ませることになっている。

藪内佐斗司の名前は「せんとくん」で一気に高まった。筆者が知り始めたのはいつだったろう。東京在住の筆者より一世代上のある女性が昔、わが家に何度か訪れたことがあった。花の万博が終わった頃であったと思う。そうなると1990年代前半だ。彼女は趣味で友禅をしていて、筆者の仕事を見るためと、友禅の道具や材料を買い求めるためにやって来た。それが数年続き、その後は電話や年賀状だけのつき合いになったが、藪内佐斗司の作品が大好きになったことを電話で聞いたことがある。90年代半ばの当時、ぽつぽつと彼の作品は紹介されていた。その独特の童子の顔の表現は、技術はとても高いが、あくと言おうか癖が強く、筆者はさほど好きにはなれなかった。また、素材はブロンズかと思っていたが、本展でそうではないことを知った。ともかく、2008年に「せんとくん」の図案が発表された時、最初に感じた彼の作品の印象そのままで、そのあくの強さが批判を浴びたのは当然とも思えたが、大仏顔の童子に鹿の角を生やすというアイデアは誰も思いつかないもので、どういう考えでそういう形を思いついたのか、関心を持った。それは今も解決されたとは言えず、本展を見てようやくわかったような気になった。童子に鹿の角が生えれば、それは突然変異としても趣味が悪く、素直にかわいいとは思えない。だが、人体と動物の合体はギリシア神話にもあるし、仏教にも古くからある。ギリシア神話ではケンタウロスがそうだ。仏教では迦陵頻伽だ。そういう知識を持っている、あるいは思い起こすと、「せんとくん」は悪趣味とは一概に片づけられない。藪内が童子を用いたのは、キャラクターであるので当然であろうし、鹿の角は奈良の代表的イメージで、素直に考えれば、「せんとくん」は誰もが奈良について抱いている印象そのものだ。だが、大仏顔の童子に鹿の角を生やすという、その合成手法が拒否感を最初は与えた。何でも合体すればいいものではない。ましてや仏に動物とは何事かという思いもわかる。だが、仏教は動物や植物にも命を認めるから、鹿の角を仏と合体させても仏は怒ることはないはずだ。ただし、キャラクターがリアルであればあるほど、そうしたあり得ない合体状態は奇形を連想させ、「いやなものを見た」という思いにさせる。「せんとくん」の場合は、童子であるのでその印象が軽減されているが、幼ない子どもはどうだろう。熊本県の「くまもん」を全国に売り出すために、当初はその気ぐるみをたとえば大阪の各地の名所に出没させた。見慣れないキャラクターにみんなの反応は鈍く、幼ない子どもは恐がった。「せんとくん」も最初はそうであったに違いないが、見慣れるとそうではなくなった。「見慣れ」は重要だ。人間は人間の形を見慣れているが、内田百閒が書いたように、閉じたり開いたりする人間の手の指は見方によっては気味が悪い。たぶん犬や猫はそのように見ている。

筆者は写真では藪内の作品をよく知っていたが、実物をまとめて見たのは本展が最初だ。筆者が知らないだけかもしれないが、関西では本展が最初の大きな展覧会ではないだろうか。「せんとくん」で全国に広く知られるようになったので、今回のように奈良で展覧会が開催されるのは待たれていたはずで、またそれだけに充実した内容が期待された。今は横浜で開催しているが、本展は2か月近い会期で、筆者が訪れたのは最終日の12月15日であった。写真撮影が許された部屋もあって、10枚ほど撮った。小品から大作まで、およそ100点で、修復した、あるいは復元した仏像も10数点展示され、薮内の作品が古き仏像につながっていることがよくわかった。その意味でも奈良でも展示は重要で、「せんとくん」がよくぞ認められたと思う。もし「せんとくん」が平城遷都1300年のキャラクターに選ばれなかったならば、本展は実現せず、薮内の仕事は多少方向が違ったかもしれない。そこでまた大仏顔の童子に鹿の角を合体させたことを思うと、それは古い仏像から学んだものかどうかだ。前述のように、仏教では迦陵頻伽という空想の動物があって、それは人間と動物の合体だ。空想を自由に働かせると、全くの何でもありの合体になるが、それを徹底して行なったものがある。菓子メーカーのロッテが昔「ビックリマン・チョコレート」を発売し、その中には必ず1点、正方形のシールが入っていた。それには位があって、高貴なものはホログラフを用いて見栄えがよかった。全部で何種類あったのか知らないが、筆者の息子は夢中になってそれを集めた。最初の発売は1977年で、そのブームは80年代半ばまで続いた。シール1枚にキャラクターがひとつ描かれ、どれも2等身ないし3等身であった。そして、もっと特徴的なことは、たいていのキャラクラーは「せんとくん」のように、ああり得ない突然変異、無茶苦茶と言ってよいほどの合体の異物で、名前も独特のものがつけられていた。この何でもありの合体性は、「せんとくん」が認められる土壌を形成した。1977年は薮内が本格的に創作する以前であろう。本展の出品作で最も古いものは1979年だ。そして彼は筆者より2歳下で、「ビックリマン」を知らなかったはずはない。また、知っていたとしても、それらを好ましく思わなかった可能性はあるが、子どもから10代の少年に絶大に支持されたことは心に留めたであろう。「せんとくん」を面白いと感じたのは、「ビックリマン」で育った世代のはずで、筆者より上の世代はそれが趣味の悪い突然変異に思えたのではないか。だが、突然変異ではない。70年代後半から10年間、「ビックリマン」のシールに登場する奇妙な形のキャラクターたちは日本中に広まっていて、それらを眺めわたした後で「せんとくん」を見ると、むしろ素朴かつ平凡に見える。それが「ビックリマン」のひとつのキャラクターであれば、あまり注目されなかったであろう。ところが、平城遷都1300年という大きな節目に際して起用され、子どもたちだけではなく、まずは良識あるとされる大人たちが批評した。彼らは「ビックリマン」のブームを知らず、またその面白みを理解しない。そこで批判がまず沸き、そこで「せんとくん」は有名になる気運をつかんだ。

大仏顔の童子が鹿の角を生やす様子は、鷹が鳶を生んだように見える。これは、薮内の作品がたとえば奈良時代の仏像に比べて取るに足らない芸術かということを考えさせる。また、「せんとくん」を見た仏教界の人たちが、仏を冒涜する気かと憤ったことは、薮内が仏像を貶めているように見えたからで、現在の彫刻家や人形作家はもはや仏像の名品を作ろうとせず、世間での人気を得るために製作しているのかと思われる。薮内がその辺りのことをどう考えているのか知らないが、好きなものを好きなように作るということだろう。今でも仏像を彫る人はたくさんあるが、藪内はそれはせず、「せんとくん」のように、普通は合体を思いつかない造形をする。すでに存在するパーツの合体によって新たなものを作るという考えは、動物や植物の突然変異や品種改良と同じと言える一方、マニエリスムを思わせる。だが、本展を見てわかったことは、薮内の作品はマニエリスムもあるが、合体の妙で人を驚かせることより、正面切っての造形の厳しさを見せる態度の方がより伝わる。これはどういうことかと言えば、たとえば「せんとくん」から鹿の角を取り去っても、その価値はあまり変わらず、相変わらず薮内の個性を強く感じさせると思えることだ。「ビックリマン」シール張りの出鱈目な合体造形よりかは、古き仏像の名品に見られる引き締まった形を目指す思いが伝わり、仏像彫刻家の命脈から出て来た新たな人形作家と呼ぶべきであると思う。それは言い代えれば精神性を重視しているということだが、そうなれば「せんとくん」は「ゆるキャラ」とみなすべきではないだろう。「ゆるキャラ」の「ゆるい」はどちらと言えば否定語に近く、キャラクターの形はただぶよぶよ膨れていい加減とみなされる。薮内の作品はそうではないが、子どもから大人まで楽しめるところは、微笑ましいという意味での「ゆるさ」を持っている。そういう芸術は稀有なことで、それが仏像から連なっているところに、強みがある。さて、話が長くなりそうで、また会場でたくさん写真を撮って来たことでもあるので、明日も続ける。