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●『極楽へのいざない-練り供養をめぐる美術-』
助の必要がないほど人気のあるものばかりが残って行っていいとは思わないが、好きなことをするにはそのための経済力が必要で、それは誰しもどうにかしなければならない。



●『極楽へのいざない-練り供養をめぐる美術-』_d0053294_1354999.jpg先ほど録画しておいた番組を調べると、大晦日に録画した2時間番組に気づいた。フェルメールについてのもので、それを見て先日の2日にわたる投稿をすればよかったが、後の祭りだ。同番組にさほど新しい情報はなかったが、フェルメールが趣味で絵を描いていたという意見があることは筆者の予想と同じで、そのことは先日の投稿でも少し触れた。もっとも、『フェルメール 光の王国展』では、フェルメールの父が宿屋を経営していて、フェルメールはそれを受け継ぎ、また画商もしていたことが展示パネルに書かれていた。家業の合間に描き、そのために30数点しか見出されていないのだろう。また、フェルメールが死んだ後は大きな負債が残ったともあったので、家業はあまりうまく行かず、また絵を売るつもりもなかったのだろう。ともかく、ラピス・ラズリという高価な絵具をよく使っていて、画材に費用を惜しまないほどに経済力が豊かであったと見てよい。つまり、他人から援助を受けたり、また自分で絵を売り歩く必要がなく、その点は若冲と共通していた。経済的なゆとりが一級の芸術を生む条件になるとは限らなくても、芸術行為にそれなりの経済力が必要なことは確かだ。正月早々お金の話をするのは下品きわまりないが、お年玉を思えばそうとも言えない。それはさておき、今朝は熊本のゆるキャラの「くまもん」がいかにして有名になったかのドキュメンタリー番組を少し見た。売り出すために市職員が数人配され、戦略を立てた。それが見事に実った形で、そこまでしてゆるキャラを売り込もうとするのは、熊本をもっと知ってもらい、また来てもらいたいからだ。それは経済効果のためで、結局は経済的に潤うことへの願いだ。観光立国を目指している日本全体がそうで、右を向いても左を向いても突き詰めればお金の話だ。もっとも、ゆるキャラを使うのは、その露骨さをオブラートで包んでいるところがあって、まず人の心を和ませようという思いだ。それは笑いであって、人は楽しく笑えば金を出すという心理を突いている。そのように皮肉に見るとゆるキャラは何の面白さもなくなるが、中に入っている人も時間給で雇われるなど、金が目的の部分は否定出来ずない。また、人は金を使うことが生きている証であって、ただ貯めこむだけでは何の意味もないことを知らねばならない。
 笑えば金を出すというのは大阪では昔からあたりまえのことだろう。先日、郷土玩具研究会に出席した時、ある女性が新聞の切り抜きを役員のような男性に手わたした。毎日新聞に大阪で「ちょろけん」が復活するという記事であるらしかった。先ほどそのことを思い出し、ネットで調べると記事の内容がわかった。「ちょろけん」は伏見人形で有名で、いくつか種類がある。そのうち最大の形をしているものに「馬ちょろ」がある。高さ30センチほどか。筆者はこれを所有しない。今までに中古で売られているところに遭遇したことがない。あっても2,3万はする。同じ形のもっと小型があればいいのに、丹嘉はその原型を所蔵しないらしく、見たことがない。今年は午年であるから、「馬ちょろ」をほしがっている人は少なくないだろう。伏見人形はだいたいが3等身で作られていて、それだけでゆるキャラと言ってよいが、ちょろけんの実物は竹ひごを人間の頭部から胴をすっぽり包むほどの大きな枠に組んだうえに紙を貼り、そこにおどけた顔を描いたもので、ゆるキャラの元祖と言ってよい。それを着用すれば全身が3等身に見えるから、伏見人形で模すことは持って来いであった。「馬ちょろ」とは巨大に戯画化された馬の顔を被っている様子を表現したものだが、巫女が舞う時に用いる鈴を持っている。これはちょろけんが正月の門つけをしたことによる。「門つけ」は今の若者はさっぱりわからない言葉であろうが、それを言えば「門松」もほとんど見なくなった。めでたさを意味する物事がわからない。そうしたことを子どもに教えることを怠って来ている。自然と廃れて行くものは仕方がないとも思っているので、援助の必要は感じない。知識のない若者ほどそうだろう。大阪の橋下市長が文楽界が自助努力をしないことに業を煮やし、観客動員数の目標を定め、それに達しない場合は援助しないと言ったが、そのとおりになりそうで、人気のないものは自然と消えて行ってよいという考えを圧倒的に多くの人たちが持っている証拠だ。一方で自助努力を熱心にした「くまもん」は世界に名を売ろうとしている。いっそのこと、「くまもん」を文楽に登場させ、新しい浄瑠璃を書いて演じればどうか。それほどの大胆な発想、また時代に即したことをしなければ大勢の人の注目を浴びることは難しい。だが、わざわざ大阪人が「ちょろけん」の門つけ芸を復活させようとしても、やはりそれは古いもので、今のゆるキャラにはかなわないのではないか。
 さて、前置きが長くなった。今日は去年10月に見た展覧会を取り上げる。龍谷ミュージアムを訪れたのは二度目であった。今回は副題にあるように「練り供養」を中心とした仏教美術だ。これは今までになかった視点ではないか。当麻寺の「練り供養」は関西人であれば、実際のものは見たことがなくても、TVで毎年のように紹介されるので、どういうものかは知っている。筆者は10代で知り、その頃から当麻寺には行ってみたいと思い始めた。それが実現したのは20代後半で、練り供養が行われる2か月ほど前の早春であった。多少肌寒くもあって、まだ訪れる人は少ない頃で、それがとてもよかった。まだ蕾の桜の木の下で数分ほど居眠りをしたが、極楽とはこういう場所かと思った。それほどにこの寺は特別の雰囲気があり、誰しも一度は訪れた方がよい。「練り供養」の様子をTVで最初に見た時にはびっくりした。動く仏像集団といってよく、ちょろけんの発想はこの「練り供養」にあるのではないかと思う。もっとも、人を笑わせるのではなく、極楽からお迎えにやって来る菩薩や如来の仮装行列であるから、人々はそれを見て極楽浄土を思い浮かべる。人々は普段は堂内で動かない仏像を拝むことに慣れているが、一方で死の間際に極楽から紫雲に乗ってやって来る来迎の如来や菩薩を描いた絵も知っていて、その様子を人が演じればどうかという発想はごく自然なものだろう。死ねば地獄よりも極楽に行きたいと願うのは誰しもで、光と音楽に満ちて迎えに来る阿弥陀や菩薩を目の当たりにしたい。それを年に一度仮装行列の形で見せることは、人々を信心深くすることに効果もあると思える。その行事には菩薩の顔の仮面や衣裳が必要で、またどのように練り歩くのかといったことも決めねばならない。本展で初めて知ったが、当麻寺以外にも各地で同様の「練り供養」の行事はあって、一時廃れたが再興されたものも紹介があった。関西だけのことかと言えばそうではなく、東京に近い場所でも行なわれている。その紹介は本展の第2章「練り供養いまむかし-各地に伝わる練り供養-」で、菩薩面以外に中に人が入って動く如来像もあった。これはそれこそ「ちょろけん」と同じ発想で、人が別の何かになり代わって動くという仮装の考えは大昔からのものだろう。そこから被り物を取り去った俳優が出て来たのかもしれない。人が入る如来像は、高さが2メートル半ほどあって、胸部に小さな穴が開いていて内部の人が前方を見られるようになっている。そんな大きな如来がごとごと動くと、小さな子は恐がって泣いたかもしれない。また中に入る人は自分が死者を迎えに行く如来を演じていることに虞を覚えたであろう。
 本展は序章「練り供養とは」、第1章「のぞまれた臨終のかたち-この世とあの世の造形-」で、珍しいものをたくさん集めたと思う。図録を買っていないので記憶があやふやだが、第1章で展示された「木造 阿弥陀如来坐像および二十五菩薩像」は、こう言っては不謹慎かもしれないが、大き目の伏見人形が勢揃いした感じで、目立った。平安時代後期と江戸時代となっているが、紛失した一部を江戸時代に補ったのだろう。和歌山の法福寺にあって、彩色がよく残っている。そんな坐像が26体集まると壮観で、曼荼羅を思わせもした。「来迎図」は見る機会が多いが、こうした立体による来迎表現は製作費も嵩み、また常時飾っておくものであろうから、同地の人々にはより知られ、教化に役立ったのではないか。これも初めて見たものに、山越しの如来を表現した衝立状の木の浮彫があった。両方の目の部分が刳り抜かれていて、その向こうに蝋燭を点して目を輝かせたそうだ。阿弥陀の光る眼を見つめながら往生したいと願う人のためのもので、臨終の間際という一度限りの体験を劇的なものにしたかったのは、それほど普段から死を考えて準備していたことであり、その点は現代人には欠けていると思わねばならない。そして、死の間際をどうでもいいと思うことは、生きていることをそう思うことではないか。「臨終のかたち」ということにもっと思いを寄せてもいい。これはよく知られるが、今回展示された「来迎図」の中に、印を結ぶ如来の指に糸が結んであって、それを臨終する人が握ったとされるものがあった。経済的ゆとりのある貴族だけがそうした来迎図を見つめながら死んで行くことが許されたが、極楽から迎えにやって来るということを思い続けて死ねば本当にそうなると信じていたことが滑稽であるとは言い切れない。思うように人生はあるもので、極楽からのお迎えを心に描くことは、心を清浄に保つことになるだろう。そして、そのような心で死んで行きたいと願うのは誰しもではないか。また、死の間際だけではなく、普段からそのような思いでいたいと願うのも人情だ。昔、初めて奈良国立博物館でたくさんの「来迎図」を見た時のことはよく覚えている。絵としての巧みさに舌を巻いたこと以外に、人々が極楽に往生したいと願ったことの痛切さがわかるような気がした。それは現世が目を背けたくなるようなことだらけで、せめて心を清浄に保っておこうと思わねば落ち着いて生活出来なかったからだろう。それは今でも変わらない。平安貴族だけが自分用の「来迎図」で極楽往生を願えたとはけしからんと見る向きもあろうが、庶民には庶民用の極楽往生の様子を示す仕組みがあって、その大きなものが「練り供養」であったろう。
 「練り供養」の一種異様さは、菩薩の仮面による。これは能面のように顔の前面だけではなく、首をすっぽりと覆うもので、本展は法隆寺が所蔵する平安後期のものが数点展示された。それ以前の古いものがないのかどうかだが、正倉院には飛鳥時代の伎楽面があって、「練り供養」はそれらの面を用いた伎楽から発生して来たものではないだろうか。それにはおそらく最も古くから行なわれている当麻寺の「練り供養」の歴史を調べればいいが、同寺の創建がいつかわかっていない。同寺にある平安後期の菩薩面にしても、それが最初に作られたものとは言えず、もっと古いものがあったと考えるべきだろう。今でも「練り供養」の行事が続いていることは奇跡に近く、極楽への思いはまだ完全に廃れていないと言える。生きている間に悪いことをすれば地獄に行くとされることを、ザッパは教会のでっち上げで、それは信者からの集金を目当てにした行為と批判したが、その考えには、アメリカという国が金を無視しては回らず、常に誰が誰のために支払うかという仕組みが生まれて死ぬまでついて回ることへの凝視がある。そういう社会であるからには、金をたくさん儲けた者が勝ちという価値感も生まれるが、その一方でどういうことをしたいか、またそのことで金が得られるかという葛藤が常にある。したいことで金が得られるのが一番だが、それはしばしば相反する。そのことが罪であると思っても、誰もがしたいことのみで金を得られない。そこでそういう立場にいる辛さを慰めてくれる存在は必要となり、そこに人は金を支払う。その存在が昔は教会であり、寺であった。今は娯楽産業全盛で、ザッパの音楽もそれに含まれる。ザッパは好きなことをして金も儲け、名声を得たが、それは昔ならば宗教家であるかもしれない。ザッパが言うように地獄はないとすれば、天国もないことになって、生きている間だけがすべてという考えが生まれる。それを今の日本の大多数の人が思っているはずだが、生きている間に好きなことに邁進出来ず、いやな仕事でわずかな金を得る大多数の人はどうすればいいか。そこで思うのは、悪いことをすれば地獄に落ちるという考えだ。その悪いことが何かを決めつけることは難しい。他人に何の悪いことをしていない人でも恨みを買うことはある。それは恨む行為を悪いとすればなくなることであって、やはり悪い行為を定めてそれをしないように心がけることは大切だ。他人のためではなく、自身の心の平安のためだ。恨まれることは誰でもいやだが、恨む方はもっといやだろう。それでも恨む人はなくならず、そういう人は地獄に落ちると思ってやるしかない。それもまた一種の恨みになるが、地蔵菩薩が救いの手を差し伸べる様子を思い浮かべていやなことを考えたことをお祓いすればよい。
by uuuzen | 2014-01-04 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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