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●『ガレとドーム』
弱さで言えば陶磁器の方がガラスより強いように思う。硬いところに落とせばどちらも割れるが、「割れる」で言えばガラスの方をよく見る。それにガラスは数千年経てば表面が銀色に化して質が変化するが、陶磁器は永遠不滅と言ってよい。



●『ガレとドーム』_d0053294_303571.jpgそのことが工芸界で最も重視される理由にもなっている。作品が表向きどれだけ変化せずに長い間持つかどうか。長いほどいいと考えるのは、人間が長生きしたいのと同じだ。陶磁器の次に長持ちするのはガラス製品だろうか。だが、ガラス工芸家は日本ではあまり数が多くなく、有名な公募展でも出品は少ないように思う。そのため、ガラスは陶磁器より評価が下がるというより、別の世界でひっそり立っているという雰囲気がある。陶磁器の次は漆器と思うが、脆弱さで言えば漆器は扱いが難しく、ガラスほどではないが、脆い部類に入る。もっと脆いのは染織で、消耗品のイメージが強い。素人でもすぐに作品らしいものが作り得るので、染織家は陶芸家の10倍ほどいると思うが、その層の厚さによって工芸の公募展では陶磁の次に位置している感がある。だが、評価はかなり低く、漆やガラスかりかなり離されて最下位にいる。つまり、染織家以外の工芸家は染織をまともな工芸とはみなしていない。これは事実だ。染色は特にそうで、その作品は蛍光灯の光ですぐに色褪せたりすることも多い。高いお金で買った作品が数年飾れば色が変わったでは、誰も買おうとしない。染色作品が褪色するのは当然であるのに、その作家を目指す者が後を絶たないのはなぜだろう。永遠不滅の陶磁器を作る作家を目指す方がはるかに評価が高く、また自身も作品と同じだけ永遠に近い名声が得られると思い込むことが出来る。筆者は生まれ代われば断然染色より陶磁の作家を目指すだろう。それはさておき、ガラス作家というのがよくわからない。身近にいないからでもある。工芸王国の京都にはどれほどいるのだろう。そうそう、バブル期にガラス作家の男性と二、三度話をしたことがある。製作中は暑くてビールを飲みながらと言っていた。彼はどこに窯を持っていたのだろう。陶磁に比べガラスの窯はどう違うのかといったことを訊いておけばよかった。それでもTVでたまに見る吹きガラスの製作は、溶かしたガラスがまたたく間に作品の形に仕上がって行くから、陶磁器のように素焼きから本焼きといった面倒なことはなく、手っ取り早い。短時間で作品が出来ることは作家にとってはかなりの魅力だ。染織もさまざまだが、筆者が携わる友禅染では時間給100円にならない場合がある。それでも人間国宝になると話は別で、先日ネット・オークションで故森口華弘が作った訪問着が1000万円近い価格で2点売られていた。出来合いの商品でそれであるから、誂えであればその数倍はするだろう。ガラス作品の場合には誂えといったことはほとんどないだろう。作家は自分が好きなように作り、それを見てほしい人が買う。それでも高級品と普及品があるのはどの工芸でも同じで、高級品ほど手間がかかっている。工芸とは手間のことだ。手間がかかっているほどに高価になるはずだが、前述のように友禅はあまりにも評価が低い。人間国宝クラスだけが飛び抜けて高いという状態がいいのかどうかだが、商品の価格は需要と供給の関係で決まり、需要のないものは価格がつかない。
 需要は名声と関係している。人間国宝と聞くだけで人はその作品を他の作家よりも価値があると思い込む。これは仕方のないことだ。この名声は、時に操作され得る。そして、名声が広がり始めるともう放っておいても広がってくれるから、その商品は加速度的に売れて行き、その作家はたちまち巨匠と目される。フェルメールは今では天才の評価が揺るがないが、生前はそうではなかった。それが今ではフェルメールと聞いただけでのぼせ上がる人がいる。それも仕方のないことで、人間とはそういうふうに出来ている。それもまた天才の証しであるということだ。一時的にせよ、ブームになるものはそれなりに優れた何かを持っている。世間はそういうように見る。そういう世間をよく知ることが、作家としての成功を導く。筆者にはその才能が全く欠けているから、どうしても世間を賑わしているものを懐疑的に見てしまう。これは傍から見れば妬み以外の何物でもない。そしてそのような目をたくさん浴びると、自分でもそうかと思ってしまうので、なるべく批判はしないに限るが、一方で思ったことは書かずにはおれないという厄介な性質から逃れられない。それでもブログでの批判はかなりオブラートに包んでいて、本音はもっともっと過激だ。今年はそれをもっと表に出そうかと思わないでもないが、ま、気分次第だ。さて、「ガレとドーム」と題する展覧会、またかという思いで、見るつもりはなかったが、会場が梅田の阪急百貨店で、大阪に出るほかの用事についでに見るのもよいと思った。クリスマス頃の平日であった。真新しい会場であり、どういう空間かまだ知らない。結論を言えば、予想を覆してくれた。作品の配置がよく、照明も優れていた。立体の作品ばかりであるから、作品の周囲をぐるりと歩き回れるのがよい。その点、実にうまく考えられていて、人にぶつかることなく、どの作品も全体を鑑賞出来た。会場が暗くし、作品を収めたガラス・ケースの上端から下へと光を当て、どの作品も幻燈が点るような懐かしい美しさがあった。つまり、ガラス製品は光を当ててなんぼで、薄暗いところで見ても美しくない。それが陶磁との最大の違いだ。光があるということは、夜の場合は照明が必要だ。電気がない時代では蝋燭や焚火が欠かせない。そのような光でガラスの器にワインを注いで楽しんだこともあったろうが、もっぱら昼間に使ったのではないか。ちょうど教会のステンドグラスと同じで、無料で大量の光がある時間帯にガラスは似合う。
●『ガレとドーム』_d0053294_305693.jpg 一昨日と昨日書いた『フェルメール 光の王国展』で、ステンドグラスを嵌めた窓を描いた作品が2点あった。今日はその写真を掲げるが、どちらも同じ人物をひとり描いている。聖女像に見えるが、面白いのはその下部に目立つ赤い矩形を含む抽象文様を描いた円形が嵌め込んであることだ。それは聖女像にはどう見ても不要なものだ。なぜそんな円形があるのか。これは聖女像の一部が破損したため、別の文様を入れた円形で補修したように見えるが、それにしてはあまりに現代的で、この円形はほとんどモンドリアンの絵画を先取りしている。それはともかく、ステンドグラスが一般家庭にも歓迎されていたことを示し、それほどにガラスを透過する光を楽しんだ、もしくはガラス越しに見える物を面白がった。フェルメールは陶磁器や金属製品、蔓で編んだ籠、そしてガラス食器を描いたが、それぞれに反射する光を描き分けているのは当然として、何と言っても最も卑近であったものはガラスだ。室内にはそれを嵌めた窓がある。当時の窓ガラスはフェルメールの絵からもわかるように、歪みがあって、その向こうに見えるものも歪んで見えた。ガラスやステンドグラスにどのような寓意があるのか知らないが、元来脆い素材であるから、「はかなさ」といったことを誰しも思うのではないか。一方、教会のステンドグラスは、教会の権威が背景にあるのでとても強固な印象がある。ヴェネツィアなどガラス製品の有名な産地を抱えるヨーロッパは、やがて陶磁器以上にどのような色合いや形でも可能とする技術を得ることを目指し、それが19世紀末にフランス東部のナンシーでガレとドーム兄弟という才能を生む。彼らは日本の浮世絵に関心がある一方、植物の新しい品種に大いに興味があって、風景や植物を題材とした花瓶やランプを作る。電気時代であったから、電球を中で灯すことが行なわれ、夜にステンドグラスと同じような光と色彩の効果が得られるようにした。今回の展示は場内を暗くし、作品のみを上から照らしたので、ガレやドームが思った展示方法とは違うだろうが、ガラス容器の内部から光を発するという効果は、ガレやドームが予想しなかった美しさをもたらしていたのではないだろう。つまり、展示方法がよかった。そのため、もし照明を当てず昼間の陽光のみで作品を見ると印象はかなり違ったであろう。それを想像すると、ただ古くさいだけの、またガラスのよさが感じられなかったように思う。今回展示されたどの作品も内部の光が外に透けていたのではなく、光を通しにくい質というか、表面加工されたものもあって、それは陶磁器を見るような気がしたが、陶磁器でないので、中途半端な、どう思っていいか戸惑うものとなっていた。やはりガラス製品は光を通してこそだ。
●『ガレとドーム』_d0053294_311429.jpg 手間がかかるほどに高価なものになるが、手間を省くために型を使うことが昔からさまざまな造形で行なわれている。ガレやドームも同じで、彼らは会社を作ってたくさんの人に製品を供給しようとしたから、基本は型であった。型で量産したいわゆる木地となる器に、順次装飾を施す。それが多いほど芸術作品となって価格も高くなる。手間が美に比例し、それはまた価格に比例した。わかりやすい方法であり、誰もがそのことに疑いを挟まない。日本の工芸でも同じで、手間がかかっているものほど名品とされる。アール・デコの時代になると、ガレやドームの装飾過多とも言えるアール・ヌーヴォーは飽きられ、もっと合理的な形が好まれるが、手間のかかるものが高価になることは変わらなかったろう。確かに同じ形の容器でありながら、一方は手間を要した凝ったもので、他方がそれと併置するとまるで素っ気ない様子であれば、たいていの人は手間がかかったものが高価であると思う。だが、それは見比べての話で、そうでなければわからないとも言える。そして手間がかかったものは少数生産され金持ちに届き、量産品は一般人が買った。今でも事情は変わらない。だが、どちらが儲かるかとなると圧倒的に後者で、量産品ばかりを作った方が、ひとまずは大勢の人に喜ばれもする。ガレやドームの名声が今も高いのは、少数の手間暇惜しまずに作った芸術品と、量産品を作り分けたことで、それは世間をよく知っていたことだ。それは作家として生き残るために必要なことであったろうが、世わたりのうまさはどこか鼻につく。量産品も含めてたくさんの作品があることは、人の目につきやすく、愛好家を生みやすい。そしてコレクションしやすいから、収集家が増える。そのことがさらにその作家の名声を高めるところがあるが、フェルメールのように30数点しかないというのとは違って、どうしてもありがたみは少ない。筆者が「またガレ、ドームか」と思ったのはそのためだ。だが、色鮮やかなガラスを透過する光をたまに堪能するのはよい。真っ暗な部屋で明るく輝く色ガラスは普通の家庭ではめったに経験出来るものではない。いやいや、わが家を基準にしてはならない。色ガラスを嵌め込んだキノコ型の笠を持った卓上ランプは今ではたいていの家にある。部屋の灯りを消してそれだけを点せば本展のムードが味わえる。
 本展は長野の北澤美術館の秘蔵作品展で、この美術館を訪問しないであろう筆者にとってはとてもいい機会であった。諏訪湖の畔にあって、ガラス作品だけではなく、絵画も所蔵する。そのため、「美術館」と称しているのは間違いではない。ガレやドームの作品だけならば「北澤ガラス美術館」とでも名づけたであろうか。それはともかく、30年前に開館したとのことで、今ではガレやドームの屈指のコレクションが形成されているという。京都には七宝はあってもガラスを専門に見せる施設はないだろう。その点、北澤美術館は目のつけどころがよかった。諏訪湖には行ったことがないが、何となくガラスのイメージは似合う。観光客に来てもらうには風景がよいだけでは駄目で、美術品は欠かせないだろう。だが、経営が難しくなると、コレクションは別の場所で見せることになるであろうし、散逸するかもしれない。その例が島根にあったルイス・C・ティファニー庭園美術館だ。そこに8年前に出かけた。本展と同じく、暗くした館内に光るガラス作品が展示されていたが、観光客の訪れが激減し、閉館となった。県や市の所蔵ではなく、ある会社のもので、採算が取れなくなると撤退するしかなかった。北澤美術館は30年保っているので、今後も運営が続けられると思うが、作品はどこにでも移動出来るから、今回の展覧会が実現したし、北澤美術館を移転することもあり得る。有名なガレやドームの作品に早くから目をつけ、優品を収集して来たことが美術館が長らく存続していることの理由でもあるが、それは芸術への理解もさることながら、資金力の問題だ。そして、死蔵するのではなく、入場料を徴って見せるのであるから、人気が広がれば入場料やグッズ販売の蓄えでまた新たに作品が購入出来る。ただし、その循環の根底には、有名な作家にあやかるという思いが見える。これが通好みのほとんど知られない作家の作品が主体となれば、ほとんど誰も見にやって来ないし、本展のような別の場所での展覧もない。それは当然のことながら、その当然が筆者には面白くない。何だか、妬みの塊みたいなことを書いたが、肝心の本展の見所を述べておかねばならない。花の形をそのまま容器にした作品から、風景を花瓶の周囲にぐるりとエンドレスで表現したものなど、器の形の面白さと描かれる絵の面白さが混じっていて、基礎は写生であることがわかる。溶解したガラスを成型したものであるから、ガラス作品はどこか捉えどころのない、ぬめっとした感覚がまつわりついているが、それはどこか女性特有の魔性のように思え、ガレやドームの作品は女性向きに見えて来る。実際、会場の9割は女性であった。女性にプレゼントするならば、渋い陶磁器ではなく、きれいな色合いのガラス製品がよい。金のある人はもちろん宝石だ。
by uuuzen | 2014-01-03 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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