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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『フェルメール 光の王国展』
意画であることに家内は感心していたが、フェルメールの時代、絵の中のそれらの意味を知りながら見ていた人と、時空を経た日本の人とでは、絵に対しての面白味が大分違うかもしれない。



●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_253213.jpg描かれた物の隠された意味を知ったからといって、絵がわかったとは言い切れないし、無責任なようだが、画家が何もかも自覚して描くことがない場合すらある。年末に見に行こうかと思っていた本展、元日早々に家内と見に行った。幸いあまり寒くなく、また会場は空いていた。本展は去年の夏頃であったか、大阪心斎橋の百貨店で開催された。見に行く機会を逸したが、京都でやるだろうと思っていたところ、大津の百貨店で年末から10日ほど開催されることを知った。JRの膳所駅を降りるのは去年の夏以来だ。家内は10年ぶりかもっとかもかもしれない。義仲寺の前に今日は立ってみるつもりが、本展を見た後はもう外は真っ暗になっていた。本展はフェルメールの「リ・クリエイト作品」が37点すなわち真作とみなされている全点が並べられる。もちろん複製だが、原寸大で額縁までそっくりにしている。フェルメールの全点を一堂に並べるのはたぶん永遠にないであろうから、複製で満足するしかない。だが、複製技術がデジタル時代になって大いに進歩し、原画と併置するとすぐにわかるだろうが、複製のみではわからない場合が多い。油彩画が画面の光沢があるし、キャンバスの布目もあるので、複製は和紙に描いた水墨画より格段に困難と思うが、今日見た限りでは本物らしく見えた。ただし、どの作品も同じ画素数では撮影出来なかったのか、ぼけ具合がやや過ぎる絵もあった。ただし、フェルメールの描き方が本来そういうところがあって、そのことを知っている人はかえって本物らしいと思うかもしれない。今回は嬉しいことに、写真撮影がOKであった。たくさん撮って来たが、今日だけの投稿では載せる枚数は4,5に留まる。そこで「その2」を書こうかどうか今迷っている。というのは、フェルメールに関してたくさん書くことがあるとも思えないからだ。それはさておいて、ともかく書き進める。
●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_26499.jpg
 フェルメール人気は世界的なものだろが、日本ではことのほか高いのではないか。いつ頃からそうなって来たのだろう。筆者が彼の画集を最初に買ったのは10代後半で、その頃から特別な画家とみなされていた。その一番の原因となったのは、マルセル・プルーストの小説『失われた時を求めて』の中で、フェルメールの『デルフト眺望』が世界で最も美しい絵と書かれたことによるのではないかと思う。また、ダリがフェルメールを別格扱いに持ち上げ、特にルーヴルにある『刺繍をする女』(タイトルは正確ではないかもしれない)や『牛乳を注ぐ女』を愛好し、それをもとに何枚もの絵を描いたことも絵画ファンにフェルメールを天才と思わせることに貢献した。だが、肝心の絵が日本にはなかなかやって来ない。ここ10年はそれが加速化し、もう大半の絵は日本で見られたと思うが、最初に来たのは70年代後半の『窓辺で手紙を読む女』ではなかったろうか。ドイツにある絵で、図録の表紙にもなった。フェルメールが描く女性はどれも美人とは言い難いが、『窓辺で手紙を読む女』はなかなかの美人で、また窓ガラスに顔がぼんやり反射しているためか、絵が濡れている印象があって、それがよい。37点しかないうえ、どれも小画面と言ってよく、ファンになりやすいところがある。これが2000点もあるとなれば、似た作品が多くなって飽きられる。だが、誰もがすぐにわかるように、フェルメールの作品は室内を描いたものが大半で、また同じような室内であるから、全部を見なくても特徴ある数点でよさがわかるところがある。実際フェルメールの名作とされるものは数点で、それらを見れば充分ではないだろうか。たいていどの画集でも全点は印刷されているが、数点の名作が特に大きく扱われる。そして代表作となればファンによってさまざまだが、日本では二度もやって来た『真珠の耳飾りの少女』で、これは日本では『モナ=リザ』に次いで有名になりつつある。小説が書かれ、映画も作られる始末で、フェルメールの生涯があまりわかっていないことの謎めきが伴って、神秘性豊かな絵と目される。筆者は『真珠の耳飾りの少女』はさほど好きというほどでもない。だが、そこに描かれる女性はとびきりの美人というほどでもないところがよい。これは先に少し書いたが、フェルメールの絵に登場する女性すべてに言える。
●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_26648.jpg
 17世紀半ばのオランダの美人がどのような顔をしていたかとなると、これは誰にもわからない。それは今でも同じで、画家は自分好みの女性をモデルに使う。それは絵を見る者にとっては仕方ないことであり、また画家にとってはそうでなければならない必然でもあって、双方の思いが一致する場合はいいのだが、そうでない場合は、絵のうまさとは別にその絵が嫌いになったりすることがある。その話を少しする。関東にホキ美術館という写実画を専門に集める美術館がある。その所蔵作が関西でも展示されるようになっていて、今は大阪の阪急百貨店で開催されている。そのポスターを先日見た。遠目にはわからなかったが、間近で見ると、描かれている若い女性の顔がよくわかった。なかなかの美人だ。だが、知性が感じられない。それは画家がそうであるからと思われかねない。写実画を求める絵画ファンは少ない。足で描いたわけのわからない絵よりも、色気がぷんぷん漂う若い美人が描かれている方がいいに決まっている。だが、それは絵をあまり知らない人の考えだ。前述のポスターに描かれる女性の顔は、いかにも現在的で、TVや雑誌によく見られるタイプだ。画家は現在の美しい女性の中から選ぶしかないので、そうなるのは仕方がないが、現在でも女の顔はさまざまだ。あまり整った顔ではないが、気品が漂う女性はいくらでもいる。ポスターの女性はそうではない。写真そっくりに描かれたその絵は、写真であればすぐに忘れてしまうものだが、油絵具で緻密に描かれたものは「絵」としての命を持つからより記憶に留まる。そこで何ともいやな気分になる。こう言えばいいかもしれない。写真で充分なモデル顔の美人をなぜ絵画で再現する必要があるかだ。それはそういう絵が売れやすいからであろう。売れた者が勝ちという俗っぽさが、描かれるモデルの俗っぽい美と呼応し、せっかくの写実が見るに耐えないものになっている。これはやはりモデルを選ぶ画家が俗物であるからと思われても仕方がない。フェルメールもそのようにその時を代表する美女をモデルに雇ったか。そうとは全く思えない。美女の典型のようなモデル顔を描けば絵が売れたかと言えば、そうではなかったであろう。これは日本の現在の油彩の写実による人物画がいかに間違っているかを示してもいる。
●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_01422309.jpg
 一昨日であったか、ジャニーズ系のタレントの寿命の短さについて書かれた文章をネットで読んだ。若い頃は年収が2000や3000万あっても、すぐにその時代は終わり、一般人となって存在が忘れ去られる。毎年若くて格好いい男が出現して来るのでそれは当然だ。筆者はTVを見ていて、そういった若い男性タレントが少しも格好いいとは思わない。たいていは頭が空っぽのように見える。顔に知性がないのだ。それではすぐに忘れ去られるのも仕方がない。断っておくと、知性に溢れていると自負する人でも全く嫌味さを感じさせる場合はたくさんある。フェルメールに話を戻すと、彼がどれほど知性があったのかという疑問が湧く。それは絵が訴えて来るものに幾多の人が大いに心動かされているし、また絵に認められる数々の寓意の配置を見れば自ずとわかる。絵の上手な人の中には知性という言葉に無縁であることも多い。ここで注意すべきは、結局駄目な絵しか描けないと言ってはまた絵の世界を狭いものにしてしまうことだ。だが、絵を鑑賞する人は知性豊かな場合からそうでない場合まであるとしても、巨匠と目される画家は知性豊かな人が認定して来たし、今後もそうだ。フェルメールが再評価されたのは、もちろん絵が独特で、技術が素晴らしく、心に訴えるものが大きいからだが、それは簡単に計量出来るものでもない。心に訴えることの中には、謎めいている、よくわからないということも含む。いや、むしろそういう味わいが大きいほどに名画とされる。そういう謎めきは、現在のタレント張りの美女を写真そっくりに描いただけは出せないものだ。むしろ、どこにでもいそうな顔の方がよい。その自然さがかえって永遠で時間が止まったような思いにさせる。それはフェルメールが現在のモデル顔の美女を描こうにも周囲に見当たらなかったと考えることも出来る。今の日本のTVやタレント商売、さらには美容整形がない時代だ。描くには顔が整った女性がいいに決まっているとフェルメールは思っていたかもしれない。だがそれにしては彼の描く女性はどこにでもいそうで、また個性的だ。
●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_264617.jpg
 フェルメールは没後大きな借金を残したそうだ。残された奥さんは困ったろう。いつかK先生とフェルメールの話になった時、今は30数点しか残っていないが、その何十倍も描いたに違いないと言われた。ならばなぜもっと発見されないのかが疑問だが、一方でいくら若くして死んだとしても30数点では画家とは言えないという思いがある。また、それほどの少なさでは収入も少なく、ほかに仕事を持っていたと考えねばならない。そこで昔から言われていることだが、室内の同じような角度から描いた作品が多いことから、下半身不随など、身体に問題を抱えていて、体力も少なかったのではないかという想像だ。それは大いにあり得る。今日37点をざっと見ながら、フェルメールはあまり恵まれなかったのだなと思った。体力や経済的にだ。そういう彼が今では巨匠とみなされ、全作品とされる絵画の複製による展覧会が日本各地で開催される。そんなことは夢にも思わなかったはずで、今の人気は生前あまり恵まれなかった彼を慰めると思うのは全くのセンチメンタルだ。とっくの昔に死んでいる彼は何もわからない。そして、生前恵まれなかったとしても、充分幸福であったのは、残された絵画から伝わる。没後にどう評価されようが、どうでもよかったであろう。会場に入ってすぐ、大きく引き伸ばされたデルフトの現在の街並みの写真があった。それがともてもよかった。2枚撮ったが、光が弱く、うまく写らなかった。どうにか加工して2枚目に載せるが、3枚目はフェルメールが描いた同じような河畔からの眺望だ。デルフトは南北が1.5キロ、東西が1キロほどの小さな町らしく、フェルメールが立った地点とおそらく同じ場所を探すのはそう難しくないだろう。4,5枚目は筆者が写り込み、6枚目はフェルメールがよく描いた室内が再現されたコーナーで家内を座らせて撮った。数時間前の撮影で、また正月でもあるので、例外的にこういう写真を即座に載せるのもいい。そうそう、5枚目の写真の絵画はフェルメールの寓意画としては最も有名なもので、これはどういう人の注文によったのか、よほどの知識人であるに違いない。あるいは売ることを考えずに描いたかもしれないが、自分より優れた画家はないと確信していたように思える。
●『フェルメール 光の王国展』_d0053294_271926.jpg

by uuuzen | 2014-01-01 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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