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婆」は「波」に「女」で、「波」は皺を意味すると思えば面白いと昔赤瀬川原平が書いていた。本当はどういう意味から「婆」の漢字が作られたのかは知らないが「波」の下に「女」となると、津波で溺れ死ぬ様子を連想させ、「皺」が多いことよりえげつない。

先ほど福島原発のすぐ近くに住んでいて、もう帰宅出来ないのに仮設住宅にいる人たちの生活を紹介したTV番組を少し見た。アルツハイマーを患っている90近いお婆さんが映ったが、皺はあまり目立たず、白髪で顔には艶があり、満足そうな様子で微笑んでいた。若い頃は美人であったことがわかる顔立ちで、「老醜」と形容するのは的外れで、「かわいい」と言う方が当たっている。若ければ誰しも「かわいい」とは言えない。不平不満ばかりの人生を送って来た人は、老人になるとそれこそ老醜を晒し、誰も近寄りたくなくなる。今日取り上げるチェコの絵本作家パツォウスカーの展覧会を初めて見たのは1995年4月で、その頃にさらに5年前に東京その他で開かれた展覧会図録をネット・オークションで買った。つまり2冊の図録が手元にある。それを先ほど探し始め、小1時間かかって見つけた。確かにあるはずなのにどこに行ったかわからないのは全く難儀なことだ。本は重いし、床に積み上げた本を移動させるたびにドスンという音が立ち、それが下に響くと家内がうるさい。床に置いているのは10か月ほど前からか、本棚が本の重みで壊れたためだ。床では邪魔なので隣家に持って行こうとしながら、それもとても面倒なのでそのままになっている。いくつかの山に積み上げているから、背表紙が見えない山がある。全部の山を崩しても見つからず、ようやく別の本棚の隅にあったが、山を移動している最中に以前から探していたデザイン・カッターを1本見つけた。それはどうでもいい。話は「婆」であった。パツォウスカーの顔は1995年の展覧会で知った。その時から20年近く経っているのに、今回会場で紹介されていた彼女の顔は全く同じと言ってよいほど髪型も表情も変化がない。おそらく20年前の写真を使い回ししていると思うが、ひょっとすればそうではないかもしれない。今回の写真は85歳になるが、あまり鮮明でなく、顔の皺は確認しにくい。好きな仕事を続けているので、20年経ってもさほど老いたようには見えないかもしれない。2枚目の写真の左端は90年展の図録に載る写真で、それが一番老けて見えるし、そのどこか相手の内面を確かめようとするような雰囲気は好きだ。いかにも物作りに没頭する人の顔で、また人見知りするだろう。彼女の作品にぴったりの雰囲気なのだ。95年展、そして今回のチラシに載る写真は笑顔で、それもまた彼女の作品にぴったりで、筆者はパツォウスカーと聞くと、すぐに彼女の顔を思い出す。話せばきっと楽しい人と思う。美人ではないが、才能のある女性は風格がある。いや、才能がなくてもよい。優しさがあればそれだけで女は90歳になってもかわいらしい。

今回の展覧会は95年展以来で、その後の作品の紹介だ。図録を買っていないので詳しくは確かめられないが、たぶん大半はそうのはずで、また彼女のその後の作品だけでは会場が広過ぎるのか、「チェコの絵本」と題して他の作家の作品も多少展示され、その中にはチェコ在住の日本人も含まれていた。それほどにチェコは絵本で有名になった。日本人は有名になった、あるいはなる場所にすぐに駆けつけて暮らし、同地の芸術を学ぶ。ま、その反対のことも起こっているから、文化交流は世界規模になった。チェコに学ぶ日本の絵本作家は、チェコの魅力にとりつかれたわけで、同地で学んでいつか日本に帰って日本らしい絵本を作ろうという気は差し当たってはないだろう。そうなってもよい、そうでなくて同地に骨を埋めてもよしで、芸術家は思うように生きればよい。だが、プラハで生まれ育ったパツォウスカーのような成功を克ち得るだろうか。筆者はチェコにもプラハにも行ったことはないが、パツォウスカーの作品を見ていると、いかにも同地から出て来た才能に思える。同地に根づきながら、それが国際的な名声を得た理由になっている。普遍性を獲得するには、普遍的と考えられている場所で暮らす必要はない。確かに本場という沸騰中の場所の空気を吸うと、勉強にはなるが、自分が生まれ育った場所での記憶は自分が気づかないまでも生涯を左右する。それを確認するために異国での体験は役立つだろうが、パツォウスカーのようにプラハを動かずに描き続けても世界的名声を獲得出来るし、またその方が強いのではないか。作品を見る者に安心感を与えると言おうか、プラハの歴史や他の作家の記憶を呼び起こし、得すると言ってもよい。90年展の図録には、彼女が好きな芸術家として、クルト・シュヴィッタースとルイーズ・ニーヴェルスンが挙げられている。また、小説家ではカフカが自分の内面と深いつながりを持っていると語っている。これは前述のように同図録の彼女の写真を見れば納得出来る。人を探るような目つきや身振りはカフカの写真から伝わるものと似ている。カフカと内面がつながっていると言うのには大きな意味がある。それはプラハの街が抱える空気が無視出来ないことであり、彼女は歴史の蓄積の中から生まれて来たことを誇示もしている。だがそれは過去のプラハの作家の模倣の跡が見られるという意味ではなく、全く新しいものだ。そして、彼女のその仕事がまたプラハで生まれ育つ芸術家の糧となる。

昨日は造本のことを書いた。戦前の日本の本は装丁や印刷が充実していて、それは今のものには見られないとした。だが、原色印刷がより鮮明で再現性に優れ、また過去には無理であったことも可能となっている点は多々あって、それらの最大の恩恵を被っているのは絵本ではないか。たとえば、横光利一の単行本の表紙に薄い金属の板が取りつけられたが、そのような光る効果は箔を使えば自由に曲がる紙のままでよく、パツォウスカーの95年展の図録の扉にはそのような印刷が行なわれていた。今ではその効果は珍しくないし、もっと変わった印刷も出来るようになっている。時代が進むと、過去のいいものを失いはするが、代わりに過去にはなかったものが生まれもする。今回パツォウスカーの正方形の分厚い絵本『日々の色』の原画が展示された。縦横20センチほどで、厚さは10センチほどか。5000円くらいで売られていた。ページは全部経本のようにつながっていて、広げると10メートルほどの長さになる。そんな長い紙はないから、途中でつないであるが、同じような印刷や造本は戦前では無理であったろう。まず紙がなかった。艶のある厚手の紙で、そこに鮮やかながら、それぞれ微妙な色合いで印刷されている。彼女が原画の色合いの再現性にどれほどうるさいのかそうでないのか知らないが、昨今の印刷技術では原画そっくりな色合いは可能だろう。また、彼女にすれば原画が第一なのではなく、完成した絵本が美しければそれでよく、原画の色合いの厳密な再現性は求めないのかもしれない。それでもどの原画も鮮やかに描かれ、また赤でも無数の調子があることを知らせてくれる。彼女の好きな色合いは、まず赤で、次にその補色の緑だ。赤と緑と言えばイタリアの国旗やトンガラシの実を思い出すが、そのほかに使う色と合わさって、全体はイタリアの調子ではなく、チェコのものとなっている。それは描く対象の形に負うところが大きいかもしれない。彼女が描く人体や顔はデフォルメが著しく、チェコの郷土玩具といったものを思わせるが、筆者はそれを見たことがないので実際のところはわからない。だがチェコにも郷土玩具は当然あるはずで、そういった歴史的風土的なものから少なからず影響を受けていることは確かであろう。チェコでは盛んな人形劇の人形にも負っているかもしれない。そうした作品として、今回も展示された1985年『すずの兵隊』がある。アンデルセンの有名な童話で、この物語に絵をつけた。この絵本の大きな特徴はその色合いで、赤はいいとして、一番印象的なのは宇治茶色だ。セピアにしてはもう少し鮮やかだが、黄緑ではない。何とも言えないその微妙な緑色が素晴らしい。それが濃い派手は洋紅と合わさってこの絵本の雰囲気を忘れ難いものにしている。また登場する兵隊やバレリーナもデフォルメはされているが、まだそれと明らかにわかる形をしていて、しっかりと造形、構成されている。隙のない、そして緻密な仕事で、色彩感覚と空間性は彼女の代表作と称してよい。この仕事の調子をずっと続けてもよかったのに、彼女は色調をより鮮明にし、宇治茶色といった渋い色を重視しなくなる。そのことによってプラハの密やかな、謎めいた空気は減退したが、彼女の顔がより朗らかになったであろうことは伝わるし、それは彼女の顔写真を見てもわかる。2枚目の中間は91年の撮影で、右が今回のチラシに掲載されるものだ。カフカらしさは減退したが、彼女はカフカを忘れたわけではないだろう。現在の彼女の作品から伝わる雰囲気もまたプラハが抱えているものなのだ。

シュヴィッタースやニーヴェルスンからの影響は今回のチケットやチラシに使われた犀の顔からもわかるかもしれない。碁盤目状の色分けはパウル・クレーの作品を思わせるが、クレーからの影響は明らかとして、彼女をより動かしたのがシュヴィッタースやニーヴェルスンであるのが面白い。前述の広げると10メートル以上になる絵本は、彼女の立体への好みを示すし、今回は紙を使った立体作品の展示もあった。シュヴィッタースは材木の断片といってよい廃物を大量に詰め込んだ部屋を構成したり、また雑誌などの切り抜きを貼り合わせた作品をたくさん作った。切って貼るという行為はパツォウスカーも大好きで、「飛び出す絵本」的な仕事をよくしている。これは平面に準拠しながらの立体性への憧れで、その方向性は先の『すずの兵隊』にはなかったものだ。ニーヴェルスンは女性で、その点がパツォウスカーには頼もしい先輩に思えたのかもしれない。ニーヴェルスンはオブジェを本棚のような箱に並べ、その全体を真っ黒に塗る作品をたくさん作った。整理されたアッサンブラージュという点ではパツォウスカーの作品に通じている。今回特徴的であったのは、抽象的な形だけの絵本で、写実的なスケッチの必要性をもはや感じていない自由さだ。これは何であるか特定出来る形から自由になったことを示す。そして色は依然として以前のままで、もはや彼女の代名詞は赤と緑と言ってよい。その2色を見ただけで彼女を思い出し、その2色の対比を思い浮かべるだけで心の中が温かくなる気がするから、これはすごいことだ。そういう絶対的とも言える境地に至った彼女を今回は確認出来たが、そういう絵本が子どもたちにどのように歓迎されるかとなれば、より自由に想像力を働かせるだろう。ある抽象的な形が必ずしも人や靴に見えなくてもよい。子どもが勝手に物語を作り上げるのであれば、それもまた絵本の力だ。そして、子どもは同じような絵本を絵具や色鉛筆を持って描こうとするだろう。それは案外パツォウスカーの作品にそっくりであるかもしれないが、そうだとしても彼女は喜ぶであろう。長年描き続けて来て、子どもが描くような作品を生むようになったとすれば、それは退化ではなく、何ものにも囚われない自由の境地に至ったことで、芸術家としては完成ではないか。確かに今回の展示を見て、もう行き着くところまで行っている気がした。望むのは初期作から最晩年まで至る大回顧展で、それは没後に開かれるだろう。『チェコの絵本』のコーナーは最後にあって、4名の作品が少しずつ展示された。イジー・トルンカ、ヨゼフ・チャペック、ヨゼフ・ラダ、それに出久根育で、出久根の作品『あめふらし』は写実的で、プラハの暗さが漂い、またパツォウスカーの作品のように赤が目立っていた。そうそう、会場はとても空いていたが、ひとり知恵遅れらしき50歳くらいの男性がいて、10メートル絵本の説明文を繰り返し声を上げて読んでいた。いかにもパツォウスカーの作品に感銘を受けている様子で、それを彼女が目撃すれば喜んだであろう。