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●『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』
絵画家や装丁画家と聞くと、画家としては二、三流を思ってしまう。今は文学全集は流行っていないと思うが、筆者が10、20代の頃は出版が盛んであった。文学に限らず、美術本もそうであった。



●『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』_d0053294_1425577.jpg高度成長期で、家庭に背表紙のデザインが揃った全集本があると知性が高まった気分になれるという思いがあったのだろう。文学や美術に関心のない人は手っ取り早く百科事典を買ったりした。それが80年代以降になると、電化製品が増え、大型化したこともあって、本は邪魔になり始めた。真っ先に処分されたのが百科事典だろう。ピアノもそうかもしれない。大量に生産されたピアノは買い取り専門業者がTVコマーシャルを通じて安値で集め、修理を経て東南アジアなどに輸出されている。それはそれでいいことだ。不要に百科事典の行方は大半が溶かされて再生紙になっているだろう。筆者は昔買った文学全集や美術全集をまだ持っている。もっと老人になってからゆっくりと読むなり見るなりしようと思っている。だが、おそらくそれは夢に終わるだろう。老境に入ると読書は面倒臭くなるに違いない。視力が落ち、根気も減退する。筆者の場合は別の理由がある。ほかに読みたい、学びたいことがあって、別の全集なりを買うつこりでいるからだ。昔買った小説は読んでいないものも多いが、気分的には何となく卒業している。それは、全集に含まれる作品は読んであたりまえの基本的なもので、もっとほかに筆者に向く作品があるのではないかと思うからだ。還暦まで生きると、物事をそのように考えるようになる。全集に含まれる作家はみな当時大家と思われた人たちばかりであろうが、大家だけの作品を知っているだけでよいだろうか。それに大家とみなすのは大勢の人の考えにしたがってのこととしても、人によっては大家をつまらないと思い、大家ではない人物を大家と思う場合もある。つまり、全集に含まれる作家は大勢の人の平均的な思いを反映しているだけであって、万人にその尺度が合うかどうかは別問題だ。全集を揃えて満足するのではなしに、そこから漏れている作家も知ってようやく広い視野が得られるのではないか。そう考えると、背表紙が揃った全集という塊は一気に虚しいものに見えて来る。全集本が流行らなくなったのは、価値感が多様かしたからでもあろう。それでもその多様な価値観に基づいた新たな全集というものがまた企画されるだろう。
 さて、年末であるので、今年せっかく見ながら感想を書かなかった展覧会をひとつずつ思い出している。今日は昨日書いたように、今月1日に兵庫県立美術館で見た『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』を取り上げる。これは29日まで開催中で、2か月に及ぶ会期だ。筆者が訪れた時は天気が悪かったこともあってか、あまり人気がなかった。地味な内容ではあったが、筆者が初めて知ることも多々あって、とても印象深かった。昨日から資料を探しているのに、チラシしか見つからない。確か出品作品を列挙した目録を一部もらった気がするが、よく思い返してみると、ソファに置いてあった図録を確認したようで、目録は用意されていなかった。図録で何を確認したかと言えば、ある小説の題名だ。それはもう忘れてしまったが、図録を手にすると思い出すだろう。本展は題名にあるように「絵画と文学」が同じ比重で展示された。ただし「絵画」は洋画で、「文学」は小説だ。日本画やその他の文学作品を取り上げるととてもひとつの企画展ではまとまりがつかなかった。興味深かったのは、絵画はだいたい今までに見て知っているが、それと深く関係する小説は、題名さえも知らないものが目立った。また有名な小説本ももちろん展示されたが、その装丁が斬新で、これも展覧会の題名にあるように、まさに「モダン」であった。造本技術は当時から比べるとそれなりに進歩しているのだろうが、装丁となると戦後は衰退したのではないか。これは優れた才能が装丁の世界に参入しないことと、凝った造本では経済的に高くつくという理由からであろう。今の造本はみな機械で行なうと思うが、戦前はまだ職人の手仕事に頼る部分がかなり大きかったのではあるまいか。ともかく、戦前の凝った装丁の本を復刊するのは活版印刷の困難さからしてもうほとんど無理か、出来ても昔の貨幣価値の10倍くらいかかるのではないだろうか。それだけ手仕事というものがとても高くつく時代になってしまった。そのような思いで本展に並べられた本を見ると、どれもほしくなるというか、本の外観が宝石のように輝いて見えた。それは画家が装丁に携わったからでもあるだろう。装丁の専門家はいたと思うが、油彩画家としてそれなりに有名であった人物が携わり、今までにない斬新さを生み出した。横光利一の何の小説であったか、表紙に銀色に光る薄い金属板を貼りつけたものがあった。筆者が知らないだけかもしれないが、本すなわち紙と思っている向きには全く驚かされる。その金属板には本を手に取った人の顔が映るのは誰しも想像出来るし、それは今なら金属を使わずにアルミフォイルを貼りつければもっと簡単に同じ効果が得られると思う人は多い。だが、戦前のことであり、またアルミフォイルやそれに似た極薄の金属を密着させるのではなく、厚さが1ミリかもう少しある金属板の四隅に小さな穴を開け、それを厚紙の表紙に糸で閉じるという手仕事を見ると、装丁家の奇抜なアイデアをどうには応える製本職人の心意気が伝わり、一種の彫刻作品にも思えて来る。
 さて、造本の妙を見ることが本展の意図ではない。本は絵画のように壁にかけて鑑賞するものではなく、視線を下に向けて眺めるように置かれていた。では壁のすべてが絵画で埋められたかとなると、そうではない。小説の一部が大きな文字で印刷されたパネルが各コーナーにかけられた。つまり絵画を見ながら、文字も読むという鑑賞方法で、本展が取り上げた1926から36年という10年間の世相を絵画と文学の双方で立体的に伝えようとしていた。筆者は戦後生まれであるので、戦争に突入する前のこの10年を知らない。それは実感出来ないと言い代えてもよい。そのため、本展の出品作から想像するだけだが、その想像が実感とはどう違うかとなると、これは答えるのが難しい問題でもある。1951年生まれの筆者はその年のことを実感したかとなると、まだ乳飲み子であって、そうは言えない。1955年でもまだそうだろう。あるいは1961年でも同じかもしれない。子どもの頃に見た景色、記憶は確かにあるが、それがその時代の世相をそのまま反映しているかと言えば、まだ広い大人の世界を知らなかったから、時代の空気とはまるで違っているかもしれない。これは前に書いたが、筆者の母は子どもの頃は戦時中で、京都で食べる物に困ったと聞く。そのことを母と同世代のある女性に言うと、その人は全くそんなことはなく、甘い菓子もいくらでも食べられたと語った。つまり、戦時中、戦後すぐに食物の乏しさとは無縁であったらしい。同じ京都にいても、貧しい人と裕福な人とでは社会の見え方が違うし、思い出も異なる。それは当然として、ではある時代を代表する空気といったものは誰がどう決めるのだろう。前述の全集と同じで、これならば大方の人は納得するだろうという、境界が曖昧ではあるが、一定の枠を描く。先の話で言えば、戦時中でも菓子をたくさん食べることが出来た人は、自分はそうであってもそうではない人がたくさんいることは知っていたはずで、やはりある時代の世相はそれなりに描くことは出来る。そしてそういうことがわかるのはやはり大人になってからで、自分が生まれた年から10数年は加えた年度以降が実感出来る。またその頃は多感であるから、生涯ついて回る思いを左右するとも言える。となると、1926年から36年の間に生まれた人は、その当時をほとんど知らず。戦後すぐくらいから社会の様相がどうであったかを覚えているだろう。いずれにしろ、筆者にはわからない時代で、それを当時の絵画や小説の紹介によって疑似的に実感しようというのが本展だ。これは現在20代が見ればより実感しにくいかどうかだが、筆者は今の20代にはなれないので、答えようがない。
●『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』_d0053294_144147.jpg 昨夜本展の作品目録を探している間に、『戦争/美術 1940-1950 モダニズムの連鎖と変容』と題する展覧会のチラシを見つけた。今年7月から10月中旬まで神奈川県立近代美術館で開催された。それが終わって2週間ほどして本展が始まった。両方に共通する言葉は「モダン」だ。それに「戦争」を加えてもよい。今日は首相の靖国参拝があって、また中国韓国が非難しているが、日本の右傾化が近年は顕著であるとするのが、外国そして日本国内のだいたいの見方だ。そういう空気を察して本展が企画されたところがなきにしもあらずと思うが、戦争に邁進して行く前夜にどういうことが世の中で起こっていたかを知るために本展は役立つ。去年だったか、小林多喜二の小説『蟹工船』が若者の間でちょっとしたブームになった。現在の若者は苛酷な労働環境に晒され、それが同小説に描かれる戦前の状態と似るという意見もある。先ほどはネット・コラムに居酒屋で月350時間労働を強いられた店長が同店を辞めての告白があった。「ブラック企業」は今年の流行語にもなったが、それと同じような労働環境は戦前にもあった。そして本展が紹介したように、「プロレタリア芸術運動」が興ったが、現在はどうかと言えば、労働者は使い捨てされると言いながら、結集して雇用者に抗議することはほとんど聞かないし、ましてやそういう活動と芸術が結びつかない。60年代は学生が大いに暴れてデモもしたが、今は嫌韓でデモすることはあっても、国の政治に無関心だ。これは為政者にとっては実にうまく国民の操っているわけで、どんな法律制定でもすいすいと通ってしまう。そしてこのまままた戦争ということにでもなる可能性もあるが、そうなったとして、100年後に本展のように今を回顧して美術展が開催されるだろうか。今のことはもっと年月が経ってからでなければ見えて来ないとも言えるが、本展を見て筆者がどこか羨ましかったのは、わずか10年の間に絵画も文学も多様な成果を得たことだ。それに匹敵する内容がここ10年にあり得るかとなると、もう絵画でも文学でもない時代になっていることを実感してしまう。では代わってどんな芸術が華開いたかだが、そんな心配は無用で、これからの人がそれを見定める。
●『昭和モダン 絵画と文学 1926-1936』_d0053294_1433933.jpg 本展の構成は3つに分かれていた。1「プロレタリアの芸術」、2「新感覚・モダニズム」、3「文芸復興と日本的なもの」で、2,3は今までにさんざん展覧会が開かれて来た。特に3は万人向きで、教科書で紹介され、全集の核を成す作家が集まる。梅原龍三郎や安井曾太郎、文学は志賀直哉、島崎藤村などだ。2は美術通向きで、あまり見る機会がない。東郷青児、三岸好太郎、横光利一、川端康成で、川端は意外に思うかもしれないが、『伊豆の踊子』の装丁はなかなか前衛的で、また川端は前衛と言ってよい小説を書いた。1はさらに地味で、1だけの展覧会を開いてもまず赤字になる。今回取り上げられた画家は岡本唐貴、矢部友衛、柳瀬正夢、文学は小林多喜二、徳永直、葉山嘉樹などで、文学は特にあまり知られない作家がたくさん紹介された。展覧会としては3を加えるのは仕方がないが、1,2,3は同時に進行したので、これら3つを同時に見ると、当時の世相がより立体的にわかる。筆者が面白く見たのは当然1で、それほどに展覧会が少ない。つまり珍しい絵画や小説が紹介された。1を見ながら思い出したのは、1976年に開催された『ドイツ・リアリズム 1919-1933』だ。この展覧会で初めてオットー・ディックスの作品をたくさん見た。それ以外にも衝撃的な作品が多く、その後同展に匹敵する規模の同時代を扱った展覧会はない。1933年はヒトラーが政権を得た年で、同展が扱った時代は、長さは違うが本展と同じと言ってよい。であるから、日本のプロレタリア芸術はドイツから大きな影響を受けていることはわかるし、実際そうなのだが、美術ファンにもあまり知られないジャンルであることは共通する。それは美術の概念にあまり向かないからとも言える。日本語の「美術」は「美」の文字が入っている。それは金がたくさんある資本家には縁があっても、賃金で雇われる労働者は「絵に描いた餅」よりまず食うことが大事だ。本展の3のパートが歓迎されるのは、労働者も経済的余裕を得ると美術を楽しむ気にもなるということから説明がつく。
 経済的に豊かな社会になるほどに1は忘れられ、3が重視される。70年代以降はそういう世の中であった。だが、若者が苛酷に働かされるようになると、1は思い返される。1は消えてしまったものではなく、いつでも喚起されるように作品は待っている。絵もそうであるし、小説も同じだ。そして本展は特に小説の紹介がきめ細かかった。筆者の知る限り、1に属する小説を本展ほど多く展示した機会はなかった。そして初めて名前を知る作家や小説が多かった。これは昔かった全集には含まれなかったからだが、高度成長期は1のジャンルは歓迎されなかったのだろう。貧しい労働者の暮らし、その思いを描いた物語が歓迎されないのはわかる。また、1の小説群は小林多喜二が警察の拷問の挙句に殺された1933年を境に下火になる。何だかこれ以上書く気が急に失せたが、本展が絵画と文学を併置するのは、画家と小説家の交流があって、画家が挿絵を描いたり、本の装丁もしたからだ。それは画家や小説家に従属したのではなく、本の個性をより際立たせるために画家は理想的な仕事をした。また、画家が雑誌を刊行する例があって、そういう場合、本の表紙や本文は文字が主体であっても絵画的なものになった。今はレタリングという言葉は聞かなくなったが、70年代まではレコードのジャケットや本のタイトル文字など、文字デザイナーが活躍する場所が多かった。それの最も意欲的で豊かな成果を生んだのが戦前で、本展のチラシやチケットに印刷される『絵画と文学』という文字も当時流行した書体を真似ている。さて、恋人の男性がコンクリート・ミキサーの中に落ち、体が粉々になってそのままコンクリートとして使われてしまったことを描いた小説が紹介されていた。そのような悲惨な小説を今さらこの齢で読んでどうするという思いがある一方、同じ悲惨な事件は今もあり、現実を直視せねばならないとも思う。そうそう、佐多稲子の紹介もあって、その顔写真を見たが、なかなかしっかりとした顔の美人で、新人作家として認められることになったプロレタリア小説『キャラメル工場から』は読んでみたいと思った。それはアキ・カウリスマキ監督の映画『マッチ工場の少女』を思い出したからでもあるが、そう言えばアキ監督の映画にはプロレタリア色がある。日本は共産党がもっと頑張ってくれると新たなプロレタリア芸術の展開があると思うが、先ほどのネットで藤原紀香が日本共産党の広告搭になるかどうかといった記事があった。そうなれば面白いのだが。
by uuuzen | 2013-12-26 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●『白髪一雄―描画の流儀―』 >> << ●『クヴィエタ・パツォウスカー...

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