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●『白髪一雄―描画の流儀―』
悪なものが嫌いなのは誰でもだが、何を醜悪と思うかは人によって異なる。白髪一雄の作品に、猪の皮を貼りつけて赤い絵具を中心にぶちまけたものがあって、それを見た女性が悲鳴を上げていた場面に昔遭遇したことがある。



●『白髪一雄―描画の流儀―』_d0053294_1384785.jpg前知識なく見ればたいていの人はそうだろう。猪が大型トラックで轢かれた現場を再現したような絵で、それのどこが美しいのはわからない人は少なくないだろう。白髪一雄に関してはこのカテゴリーで以前取り上げたことがある。今日改めて書くのは、出来て間もない彼の記念室を見たからだ。その前に書いておくと、家内と一緒に今月1日に尼崎を訪れて展覧会を見た後、次に兵庫県立美術館に行った。同館で見た展覧会の感想を今日は書くつもりでいたが、順序から言えば尼崎を先に訪れたので、そっちをまず取り上げる。尼崎での展覧会は『尼崎アートフェスティバル2013』で、去年も同様のものが行なわれたらしい。神戸ではビエンナーレ展が今年は開催された。それを真似したのでもないが、空気が悪い工業都市の一般的なイメージを払拭するためにアートの祭りを開催しようということになったのだろう。ほとんど関心はなかったが、いつも書くようにどうせ出かけるのであればいくつかの用事や展覧会をこなしたい。それで西灘に向かう途中、尼崎でまず展覧会を見ようと考えた。このフェスティバル会場は、1980年であったか、筆者が尼崎を訪れて展覧会を見るようになった時から依然として使われ続けている尼崎市総合文化センターの美術ホールで、4,5階がそれに充てられている。入ったことはないが、アルカイック・ホールが何階かにあって、そこでは歌謡曲の歌手がやって来てコンサートを開いたりする。阪神の尼崎駅から徒歩10分程度で、便利な方だが、美術ホールは天井が低く、あまりいい空間ではない。だが、それも尼崎らしいと思えばかえって楽しいというか、30数年もの間、全く変わらないその内部は筆者には居心地がよい。今回のフェスティバルは尼崎の美術家とは限らず、関西で活動する作家から作品を提供してもらった。チラシの両面に小さく作品図番が並んでいて、その数は40いくつかで、これは出品作家の半分強だ。どうせなら全員のを載せればよかったが、「出品作家が変更になる場合がございます」と、全員の名前を列挙して下にただし書きがある。これは出品依頼はしたが、断られる場合もあったからであろう。筆者が考えるに、おそらく出品作家は1円ももらえず、搬入搬出も自腹を切ったのではないだろうか。そんな条件でも作品を展示してほしい人はたくさんいる。「市展」の類かと思っていたが、尼崎市だけに限ると、70数名の作家は揃えられはしても、作品の質が問題になるだろう。
 これは後述するが、館内の係員に質問した。尼崎市になぜ美術館がないのかだ。これはきつい質問であったかもしれない。美術館を建てる資金がなく、またその気もないというのが実情だろう。芦屋に市美術館はあるが、5,6年前か、運営が危うくなり、市民がボランティアで詰めるので閉鎖しないでほしいという声が上がった。芦屋でそうであるから、文化度が劣りそうな尼崎では美術館の建設はまず無理だろう。出来ても赤字続きになるのが目に見えている。そのために筆者が知るだけでもこの30数年は「総合文化センター」のふたつの階を展示室に使って来た。それは正解というべきで、駅からほど近いところに独立した美術館の建物を設置する経済的余裕はまずないように思える。ちなみに駅前は高層マンションの林立で、人口は駅付近だけでも2,3万人はあるのではないか。さて、フェスティバルの出品作は筆者はそれなりに面白く見た。作品の脇に作家の簡単な経歴を記してあって、芸大を出てあちこちの公募展で受賞している人も目立った。それでも知名度があまりないのは、それほどに美術で有名になるのは難しいことを示している。有名になると、今回のようなフェスティバルでまるで十把一からげのような扱いは受けない。そう考えると、誰もがそれなりの力作を出品していることが何ともいじらしく見える。不思議なもので、「有名オーラ」が一旦まとわりつくと、素朴な目で醜悪に見えるような作品でも神々しく思えて来る。どんな芸術家でもそんな境地に入り込みたいと考えているが、運なのか実力なのか、ほんのわずかな選ばれた者だけが別格扱いを受ける。その尼崎の代表が白髪だ。没後に作品や資料が尼崎に寄贈されたようで、毎年のように彼の展覧会がこの美術ホールで開かれる。今回知ったが、彼のための展示室が4階の一角に設けられた。その出入り口の写真を2枚目に載せる。縦横10メートルほどの小さな部屋で、なぜ「記念館」が建てられないのか、その疑問を受付の女性に訊ねたところ、今まで何度か美術館を建てようかという意見は出たようだが、実現は難しく、そのままになっている。大阪市立近代美術館も同じような具合で、大阪市がそうであれば、尼崎は言うまでもない。そうそう、尼崎は江戸時代は摂津の一部で、今大阪都構想があるが、どうせやるなら尼崎や西宮を含めて大阪都にすればよいという意見が『若冲シンポジウム』で出た。だがそれをするには兵庫県と大阪府が話し合わねばならず、まあ不可能だ。尼崎は神戸よりも大阪という雰囲気で、大阪都に属すると、白髪の作品は大阪の物となって多くの人に鑑賞され得るだろう。
●『白髪一雄―描画の流儀―』_d0053294_18113431.jpg
 4階に記念室が出来たことによって、ミニ展示ではあるが、いつ訪れても白髪の作品に接することが出来るようになった。それは白髪が望むところであったろう。欲を言えば切りがない。白髪のアトリエは同館から徒歩10分ほどの商店街の中にあったから、記念館を建てるとしても現在の総合文化センターの近くが望ましい。そしてそのための用地取得は尼崎の財政では無理だろう。そこで美術展示にひとまず使い慣れている同センターの内部に記念室をということになった。これは、受付の要員を配置することでもあって、その人件費もかかる。そのため無料というわけには行かない。あまりに小さな展示室だが、カラー両面印刷のリーフレットも配布され、白髪ファンには必見のものとなっている。今回のフェスティバルを見た人は無料で見られたが、記念室のみ見たい人は300円だったか、入場料を支払う。また、今回はフェスティバルとの併催で、4階の別の一角に白髪のアトリエが再現され、その背後の壁面に彼の製作の様子が映し出された。これは小1時間はあるのだろう。筆者は全部見ていないが、手を合わせて神棚に向かって祈る場面から始まり、奥さんの手助けを借りながら絵具を床に広げたキャンバス上にボトボトと落とし、そして天井からぶら下げたロープにつかまって絵具の上を足でかき回す。これの連続で徐々に絵が出来上がって行く。絵具が四方に飛び散るので、壁面には覆いをし、また奥さんは上下が作務衣で、汚れてもいいような恰好であった。絵具は箱が積まれていて、それを惜しげもなく使う。製作費にどれほどの価格の絵具を使っているのか、気の弱い人や金のない人は真似出来ない。白髪はちまちまとしてことが嫌いであったのだろう。思い切りのよさは好きなればこそで、どのようなケチでも自分の最大の楽しみには金を使う。だが、白髪のように大作を量産するには経済力は必要で、そのためには絵が売れれる必要がある。また、白髪は絵が売れたので、なおさら絵具を粘土か何かのように一気に大量に使うことに気後れしなかったのだろう。
 白髪が足で描くようになったのは、師の吉原治良が誰の真似もするなと言ったからだ。これは言うや易しいが、実行は困難だ。キャンバスと絵具を使って誰もしたことのないことをする。またそうして出来上がった絵が人を感動させねばならない。白髪はその境地に一気に辿り着いたのではない。最初彼は一旦描いた抽象画が気に入らず、その絵具を剥ぎ落した。するとその跡が独特の味わいを醸し出して面白いと思えた。人間がどう描いても出せない味わいがそこにはある。さまざまな色の絵具がぐにゅっと勢いよく混じった状態で、一見虹のようでもある。それと同じような味わいを出すには大きな箆でまだ乾燥し切りない絵具の層を一気にしごけばよい。油絵具ならではの効果で、これは日本も外国も関係なく、油絵具を扱ったことのある人ならば、よりいっそうにその味わいを知っている。白髪は箆ではなく、床にキャンバスを敷いて、足で描くことにするが、それはキャンバスを立てた状態では重力の加減で絵具が下方に垂れるからだ。それでもそれなりの面白い味わいが出るだろうが、これでいいと思える状態になるまで足で描く方法を採った。それは偶然が左右する方法に、少しでも意志を貫く思いがあったからではないか。また、通常の絵画のように上下」左右を決めて作画したくなかった。絵具が上から下に垂れれば、どうしても上下は決まってしまう。だが、絵画は壁にかけて見るものだ。上下は決めねばならない。そこで白髪は床に置いて描き進みながら、次第に上下を決めて行ったのだろう。それは偶然にすべてを委ねるのではなく、むしろ最初から最後まで美意識を保ち続け、完成形がおおよそ見えている。では、こういう疑問が湧く。きわめて滑りやすい絵具の上を足を滑らせながら描くのであるから、構図や色の交わりなど、気に入らない箇所が生じるはずで、それをどう克服したかだ。気に入らない箇所はさらに絵具を落として重ね描きするしかない。だが、そのことでかえって気に入らない結果になる場合もあるだろう。失敗作と思えるようなものをどれだけ生んだのかそうでないのか。もし失敗作が皆無であれば、どのように描いてもよかったことになるし、それは誰がやってもよいということにならないか。筆者がもうひとつ思ったことは、筆者なら使う絵具や足で描く時間など、12音音楽の作曲方法のように、何か決め事にしたがって選び、意志を極力排除する。白髪はそのような作画方法を採らず、たとえば赤い画面がほしいといった主観を優先し、気分で描いた。それはそれでひとつの方法だが、足が思わぬ方向に滑ってしまうという偶然との兼ね合いが難しくはなかったか。偶然を優先するなら、使う絵具の色や量もサイコロを振って決めればよい。ジョン・ケージの偶然性の音楽を知らなかったはずはないと思うが、白髪は同じ東洋思想でも禅に傾倒した。そして日本の伝統芸能にも造詣が深かった。
●『白髪一雄―描画の流儀―』_d0053294_1574187.jpg 足で描くなど、絵画への冒涜と思う人がいるだろう。誰の真似もしないなど、そんなことは芸術とは無関係だと言う人もあるに違いない。今回の記念室の展示は白髪が描いたキャンバスを丸めて倉庫に長年放り込んでいた初期作が4点混じった。1951,2年の作で、2年の修復を経たので、今描いたかのような美しい仕上がりになっていた。4点ともピカソの影響が濃いが、独特の暗さと静けさがある。そのままでは行き詰ると思ったのか、53年には描いた層を箆で滑らせた効果を用いている。それは誰もやったことのなかった表現で、突破口になった。一方、白髪が能など伝統芸能に関心が大きかったのは、呉服店を経営していたことが理由でもあるだろう。ピカソ張りのことをしていてはいつまで経っても独創的な作品は生まれない。そういう思いがあったのかどうか、手先だけではなく、体全体を使って描く発想は、能狂言への関心から導かれたとも思える。そして足で描くようになってからは、その絵具の勢いの痕跡が、修正の利かない水墨画の精神性を宿すように思えたのではないか。白髪の絵がヨーロッパで歓迎されたのは、そういう東洋の精神性であろう。同じ絵具を使いながら、絵具に使われていない。今回は108点の『水滸伝シリーズ』からも2点が展示された。このシリーズは白髪が好きであった『水滸伝』に登場する108名の武将と悪人の名前を1点ずつに充てたもので、そういう文学性を吉原は嫌ったらしいが、足で描くという同じ手法の絵が108点にもなると、番号だけでは区別がつきにくい。そこでわかりやすいように1点ずつに名前をつけた。だが、数人の悪人の名前を冠することにはためらいがあって、それは最後になったそうだ。筆者は『水滸伝』を読んだことがない。そこで今回出品された「天傷星行者」「天富星撲天雕」という題名がどういう人物を指しているのか知らない。だが、この難しい字面は今の若者に歓迎されるだろう。数字ではなく、意味のある漢字を題名に使ったことによって、『水滸伝』を知らなくても作品に東洋の神秘性が感じられる。だがそれはヨーロッパ人にとってどうであるのだろう。このシリーズはフランスのミシェル・タピエの依頼によって、50年代後半から60年代半ばまでに描かれた。ヨーロッパで白髪の大作が108点も売れたことはその後の日本における評価を決定的なものにした。また、108点は数年にわたって描かれたから、画風を変化させることも出来た。いくら足で描くとはいえ、見る人はそんなことは関係なく、1枚の絵として鑑賞するから、それぞれの絵に個性を求める。白髪は描きながら、次はどう工夫しようかと考え続け、その思考の跡は作品に刻印された。やはり意志の作品であって、偶然の要素は少ないと見るべきであろう。白髪は71年には比叡山に籠って得度するが、仏教の精神から白髪の作品を解読する方法など、今後白髪についての研究が進み、20世紀後半の日本を代表する画家のひとりとして評価されるに違いない。そういう白髪に続く才能が尼崎ないし関西から出て来ることを期待したい。
●『白髪一雄―描画の流儀―』_d0053294_140218.jpg

by uuuzen | 2013-12-25 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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