諧調が整っていないと言おうか、全体としてはまとまり感のない展示内容で、せっかく会期が3か月近くと長かったので、ジャンルごとに分けて展示すればよかったように思う。本展に郷土玩具の朏コレクションがかなりまとまって久しぶりに展示されていると聞き、それで出かけることにした。
その人の話では、会期中郷土玩具は3期に分けて展示があるとのことであった。それが本当であったのかどうかわからないままでいる。筆者は本展を3回見に行った。招待券を2枚持っていたことと、無料招待日があったためだ。筆者が見た3回とも展示内容は同じであった。もっとも、会期の初め、中ほど、終わりといった、仮に3期に分けた展示であったとして、その3期それぞれをうまい具合に見るような日には行かず、会期半ばと最後近くに二度行った。それで判断すると、展示替えはなく、チラシにもそのことは書かれていない。副題に『京都文化博物館開館25周年記念 京都総合資料館開館50周年記念』とあって、ちょうどよい区切りだ。ふたつの館が並べて表記されるのは、総合資料館の展示専門の館として文化博物館が当初考えられたからだ。また、初めの頃は文化博物館はあまり人気がなく、せいぜい10年ほどで別の施設に転用するつもりであったということを同館職員から昔聞いたことがある。それが年を追うごとに名が知れわたり、今までは三条通りを代表する立派で人が多く集まる施設になっている。やはり繁華なところに展示場は儲けるべきだ。筆者は総合資料館にたまに調べものに行くが、市内の北の端といってよい遠方であり、しかも午後4時半には閉まる点が面白くない。50年経って建物の老朽化が目立って来ているが、新しい館を建てる案は出ていて、その模型が同館に展示されているそうだが、まだ見ていない。同館の資料は蔵書だけではない。そのために「資料館」と名づけられている。絵画や道具など、多岐にわたり、今回は美術的なものが選ばれた。
京都府が所蔵する美術品の一挙公開とあるが、総合資料館に府所蔵の美術品が全部集められているのかどうか、たぶんそうではない。また、今回の展示は美術品でも選び抜いたもので、美術ファンならどれか1点は注目するだろうという思いのもと、総花的な展示になった。観客動員を考えればそれは仕方なかったが、あまりにも各部屋ごとに作品のジャンルが違うので気分の切り替えに戸惑った。なので、たとえば朏コレクションなら、そのすべてを展示し、絵画やキモノ、陶磁器はまたの機会にすればよかったのではないか。この調子ならば、朏コレクションのすべてが展示されることは25年先でも難しいだろう。それはさておき、最初に諧調が整っていないと書いたのは、ジャンルの違う作品が各部屋ごとに展示されたこともそうだが、作品の質が揃っていないためだ。作家の代表作や名品ではなく、どちらかと言えば、月並みと言ってよい作品で、京都府はあまりいいものを持っていないなという気がした。購入した作品もあるが、吉川観方など、寄贈作品がかなり多い。朏コレクションもそうだ。府としては寄贈されるのはどこかありがた迷惑のところがなきにしもあらずのように見えるが、寄贈はいつどういう形であるかわからず、取りあえず引き受けておこうという立場であれば、コレクションの全体像は統一が取れないものになるのは目に見えている。そのことが今回の展示にそのまま現われている気もする。たとえば、今あるコレクターが面白い作品をまとまって持っているとして、それを府に寄贈するかどうか迷いながら、結局市場に放出を決めた時、その競売に府は参加してぜひともそのコレクションを府の美的財産として加えるかとなると、まず絶対にそのようなことはない。日本はそういう国だ。土建屋を儲けさせたり、公務員の給料は一般以上に確保しても、美術品は最後の最後、わずかにあまったお金で申し訳程度に買う。無料で寄贈してもらえるならばもらうが、有料ならそっぽを向く。そうして公的コレクションはまとまりのない、そして質も大したことのないものになって行く。
本展を3回見ながら、いつも最も長く滞在したのは朏コレクションが展示された最後の部屋であった。それ以前の絵画や工芸は名品がないとは言わないが、平均的な美術ファンを喜ばせる作品は皆無と言ってよかった。筆者は池大雅の2,3点の水墨画を楽しんだが、40年ほど前か、『京の四季』の企画で当時の画家に京都の風景を1点ずつ描かせた作品群は、久しぶりに接したものの、昔見た時と同じ気分を味わった。平凡な作の集合で、目を引くものがなかった。工芸の分野は、日展系の作家のものがほとんどで、日展やその系列の団体展を見ているような気分にさせられ、これもさっぱり面白くなかった。だが、そういう、きわめて今に近い新しい作品も、50年、100年と経つと、それなりに歴史を刻印しているとして新たな目で見られるのだろう。何しろ本展の題名は「タイムカプセル」で、これは今まで蓄えて来た宝のお披露目であると同時に、今後100、200年先にも「玉手箱」としてごくたまに展示しようという思いによる。それにしてもこの題名は実態をうまく説明している。府は所蔵する美術品を一度にたくさん見せる機会がなかなかなく、寄贈された作品は99パーセント以上は暗い部屋の中で眠っているも同然だ。寄贈品に限らず、それが美術品の現実かもしれないが、建築や仏像は外気に晒され続け、人の目に触れる機会が多い。油彩画も展示し放しが前提で描かれる。だが、郷土玩具はまだ安価でよいが、日本画の掛軸をかけっ放しにしておくことは出来ない。となると、「タイムカプセル」の言葉は的を射ていると思えて来る。また、ごくたまに見せるから人は喜ぶのであって、常設展ではありがたがられない。朏コレクションも忘れた頃にこうしてたくさん展示されるので郷土玩具愛好家の話題になる。筆者がわざわざここで文句を言う必要はない。それにしてもチラシに書いてある「絵画から郷土玩具までを幅広く一堂に展示」というのは本展以外には今後も見ることのない表現で、これは朏コレクションの展示を求める声に応えたものだろうか。郷土玩具の愛好家が高齢化し、今後その数が減って行くのは目に見えていて、朏コレクションはどのように展示されて行くのかと思う。総合資料館や文化博物館での小規模な展示は今までにもあったが、今回は初めてに等しい大規模展ではないだろうか。筆者が知る限りではそうだ。玩具の博物館は各地にあるので朏コレクションを大規模に常設することは今後も京都府は考えていないはずで、ならばせめて全作品の画像をネットで見られるようにしてほしいが、その人手がないのが現状だろう。
今回朏コレクションで目を引いたのは朝鮮や中国のものだ。朏氏は日本のものだけにこだわらなかった。そこがさすがというべきで、柳宗悦や渋沢敬三に通じる。朏氏は戦前仕事で朝鮮に行くことがあり、現地で買い求めたものが多少ある。今では韓国中を探してもまずないだろう。その中のひとつに、紙箱があった。韓国には美しい紙箱文化が今でも健在で、日本のそれよりもっとカラフルでまた頑丈に出来ている。本展で展示されたのは弁当箱くらいの大きさで、蓋と胴体に赤や桃色で花の文様をざくざくと描いてある。その色合いが歳月を経て味わい深くなっているが、それよりも目を引くのは手慣れた筆さばきだ。よほど毎日たくさん描かねば出せない味で、まさに民藝品だ。朏氏はそれを売る人をたまたま見かけ、あるだけ全部を買ったようだ。同じようなことは東南アジアを旅した時にもしている。ごく限られた時間の中で、そうした民族色豊かな、安価な手仕事の小品に出会えることは難しい。朏氏ははやる心で街中に繰り出し、目を皿のようにして探し求めたであろう。その嬉しい、心躍る気分がこちらにまで伝わる。ただし、そのように全くごく狭い地域をごくごく短時間で駆け回って買ったものだけに、その国の代表的な玩具とは言えないかもしれない。そこが惜しいが、それでも完全な形で残されていることは脅威に値する。いくらでも、どこにでも転がっていると思っているものが、次の瞬間にはもうないというのが、人の世で、朏氏が外国で買った郷土玩具を見ているとそういうはかなさを思う。それだけに愛おしく、郷土玩具愛好家はその味を求めて収集を続ける。ペットのように生き物ではないが、語りかけてくれもするし、慰めてくれもする。朏氏はそのことを知っていた。そしてよくぞ戦前から収集していた。嵯峨の「人形の家」の収集品は今からではもう同規模のものは絶対に集められないが、朏コレクションはさらにそう言える。前述のように特に日本以外のものがそうだ。日本のものは郷土玩具収集家が見れば、自分の方がもっと古くていいものを持っていると思う場合が多いだろう。筆者は郷土玩具全般にはさっぱり詳しくないので、本展で注目したのは伏見人形と、起の蚕鈴程度であった。その蚕鈴は高さが25センチほどで、筆者はそのような大きなものを持っておらず、最大でも15センチほどだ。死ぬまでにそういう大きなものが手に入るかどうか。いっそ自分で作ろうかと思わないでもない。今までに見た蚕鈴で最大のものは高さ4,50センチで、その新品同然のものをある人が所有していた。その人にほしいと言うと、もうしばらく所有していたいが、そのうち連絡すると語りながら、先年亡くなったことを聞いた。郷土玩具愛好家の仲間の誰かが奥さんから譲り受けたろう。縁がありそうでないが、予期していないものが手に入ることもある。そういう収集の楽しみが郷土玩具にはある。有名画家の作品と違って、かなり安価であるのもたくさん買ってしまう一因だ。朏氏もそのようにして万単位の数を買い集めた。筆者にはとてもその根性はない。それで本展のように総花的な、諧調がばらばらな収集品となっている。いや、筆者の場合、収集と呼べるほどのものはない。