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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』
色を帯びて渋い色合いになるほどに渋さがなくなって甘くなる干し柿は、小鳥が食べないのかどうか、2週間ほど前にわが家のベランダに吊るした48個は今のところその被害を受けていない。クリスマスが吊るして3週間目の食べ頃で、その時まで待とうと思いながら、ここ連日の雨でずぶ濡れにはならないまでも、かなり湿っている。



●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_2333626.jpgそのままでは青カビが生えるかもしれないと思い、一昨日はひとつ食べてみた。これがとても柔らかくて甘く、絶品に近い。5日前は奈良の商店街の果物屋で1個ずつ包んだ大きな干し柿を見かけた。ひとつ300円ほどしていてびっくりした。そんな高価なものは買う気はないが、自分で渋柿を買って干せば、同じように大きなものが1個50円ほどで出来ることを知った。つまり、干し柿の売価は手間賃だ。おいしいのでまたひとつというように3個も食べ、糖分の摂り過ぎを心配しているが、30庫ほどを冷凍庫に保管し、残りはクリスマスまで吊るしておく。昨日はベランダに雀が一羽やって来て、その干し柿に飛びかかろうとしていた。目立たない褐色になっているのに、甘味の匂いが漂うのだろうか。雀にはかわいそうだが、実がたくさんぶら下がっている柿は近くにいくらでもあり、そっちで食べてもらうことにして、筆者の干し柿は食べさせない。さて本展の主役の渋沢敬三を思っていて、渋柿の連想が働いた。渋沢は渋柿とは何の関係もないが、なかなか渋い多面的な男で、また干し柿のようにようやく今頃になって旨味が出て来たといおうか、こうして展覧会で主役に祀り上げられる。茨木の民族学博物館で9月中旬から12月3日まで開催していた。入場無料であった「関西文化の日」に行ってもよかったが、それ以前に「あきらめワルツ」さんから招待券をもらっていた。それで昨日取り上げた柳宗悦展の翌日にひとりで出かけた。またバスに乗らずに往復とも歩いてもよかったが、帰りのみ歩き、その途中で撮った黄葉した銀杏並木の写真は先日載せた。それはともかく、柳宗悦展の次に本展を取り上げることは、両展を続けて見たことのほかに、ふたりは多少関係があるからだ。今調べると、柳は明治22年(1889)生まれで昭和36年(1961)の没、日銀総裁で民俗学者でもあった渋沢は明治29年生まれで昭和38年に亡くなっている。同時代を生きたふたりで、旅をした範囲が広かったことも共通している。
●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_2341158.jpg

 渋沢は動物が好きであったらしく、また柳田國男との出会いによって、動物の標本や化石を収集して屋根裏部屋に保管し、将来はその方面の学者になることを夢見た。だが父親が自分の跡を継いで銀行家になってほしいと懇願し、敬三はそれを受け入れた。今なら自分のやりたい道に進む者が多いだろうが、渋沢の父は正装して息子に頼んだ。その真剣な様子の前に拒否は出来なかったろう。それでも二足のわらじを履き続け、高校の同級生らと屋根裏部屋に「アチック・ミュージアム」(屋根裏部屋博物館の意味)を開き、その収集品は年月を経て茨木の民族学博物館の収蔵品の母体となって落ち着いた。つまり、「みんぱく」としてはぜひとも一度は渋沢の業績を紹介する展覧会を開く義務があった。本展を企画した人は渋沢の教え子の弟子であったと思うが、1,2年前に亡くなったと会場内の説明パネルにあった。ひとつの展覧会を開催するのにどれほど多くの人や時間がかかっているかを実感させられ、またそうして開いた展覧会、あるいは収蔵品がどこでどう注目されて行くかという現実を今回は知ることが出来た。人つながり、物つながりの国際性といったところで、いかにも「みんぱく」らしい。展覧会を開くには金もかかるが、その前に資料を収集したり、また資料を研究するにも資金がいる。渋沢は裕福な生まれで、財界人でもあったから、それなりに金の融通も出来たのかどうか、生涯かけて民俗学者たちを支援した。学問が花開くには頭脳もさることながら、資金が必要ということを思い知らされるた。これは「貧乏人は学問には縁がない」ことを示してもいて、金がなくて学びたい男は、金持ちの娘を嫁にもらうか、あるいは金持ちに大いに好かれて援助してもらうしかない。そのことを筆者は20歳頃に何度かある人から聞かされた。ところが金持ちの娘に出会う機会はなく、金持ちとの交友にも縁がないままであった。もう今さらじたばたしても仕方がなく、せいぜい展覧会の感想をこうして適当に書いておくことに時間を費やしている。そうそう、話が少し脱線するが、都知事はついに辞任した。生活苦を思って5000万借りたとのことで、彼は金持ちとのつながりはあった。その金で立派な学問でもしてくれるならいいが、また文筆家に戻ってどんな本を書いて誰が読むのかと思う。先ほどのネット・ニュースに退職金が1000万円支払われとあった。1年の任期でこれだ。本人は給料を返上すると先日言っていたが、退職金はもらうのだろう。
●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_2343180.jpg

 さて、本展の招待券やチラシを見ながら、そこに髭のついた達磨の起きあがりこぼしが印刷されていることに首をかしげた。だが、いつものごとく、一切何も調べず、チラシに目を通さずに出かけた。そして会場でようやく合点した。渋沢は若い頃に郷土玩具にも関心があって、張子のダルマをたくさん集めた。それが円形にぐるりと展示されていて、中に木型も混じっていた。またダルマ以外の人形もわずかだがあった。渋沢がダルマを集めたのは、その形や顔の描き方の地域差によって、文化がどのように変移しながら伝達されて行くかを調べようとした。だが、ある村ではダルマを熱心に作っても、その隣りの村では全くそれがないこともあって、目論見は挫折したらしい。この目のつけどころはなかなかのものだ。筆者は新潮社の『創造の小径』の1冊でレヴィ=ストロースが書いた『仮面の道』を思い出した。それは北米インディアンのトーテム・ポールの仮面の形の地域差を丹念に調べたもので、その結果明らかになったことを書いている。渋沢はそれを誰でも知る卑近な張子のダルマで行なおうとした。同様の研究方法は今でも生きているだろう。それはともかく、渋沢が張子のダルマに関心を抱いたのは、柳が民藝に開眼して行くのと同時期と言ってよく、またふたりは郷土のそうした玩具によって目指すものが違い、柳は美に、渋沢は民俗に目を向けた。「みんぱく」は美術館ではなく、世界中のあらゆる「物」を展示、研究する機関だ。展示物を美術品として見る人はいるし、それはかまわないが、美学は扱わない。「物」には美的側面はつきまとうが、それは個人の好みに負う部分が大きい。「みんぱく」は美の領域には踏み込まず、人々が生活の中でどのようにそれらの「物」を使って来たかを優先的に見る。「物」の向こうに見える人間の生活を研究することは、その地域や国の特質がわかることでもあるが、その中での「物」に内在する美的要素は当然あるもので、個々の鑑賞者が勝手にそれを味わえばよいという立場だ。それは、「美」がたとえば生活の用具の中にあるとして、生活に余裕があって洗練の度合いを深めるとより多く入り込むし、食うのが精いっぱいの場所では形や色の美しさを気にしている暇はない。だが一方で、後者の全く素朴きわまる用具にも「美」はあると言うことが出来るし、実際そのとおりだ。このように「美」を取り上げると基準が曖昧になってしまう。柳が京都の工芸をあまり評価しなかったのは、華美に溺れて装飾過多と考えたからで、どちらかと言えば前掲の後者に属する生活の用具を美しいとした。「用の美」というのがその考えで、「用」の前には過度な装飾は不要だ。今回の展示は張子のダルマ以外は漁業関係の道具が目立ったが、渋沢は職人が作った用具は当初収集しない方針であった。手慣れた造作を好まなかったのだろう。洗練されていないものにこそ、民俗の色合いが濃く刻印されると考えた。だが職人が携わらない用具となると、範囲がとても狭まる。そこで職人が作った物も集めるようにした。
●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_2344552.jpg

 職人の作ったものはその地域を越えて遠方にまで運ばれる。そのことも渋沢は警戒したのだろう。だが、それはそれでその流れて行くルートを調べることで人の交流についての研究が出来る。アイヌがそのいい例で、本土からキモノを求め、代わりに鮭その他の産物をわたした。そうしたことを「物」から調べるのも「みんぱく」の仕事だ。アイヌで思い出した。今回初めて知ったことがあった。2階の展示場に「ウイルタとニブフの民具」というコーナーがあった。「ウイルタ」「ニブフ」はどことなくアイヌの言葉に思えるが、アイヌではなく、アイヌの近くに住んでいた少数民族だ。人数が少ないこともあってアイヌに同化してしまったが、彼らが作った生活の道具を渋沢らが収集した。人はいなくなってしまったが、物が残った。同じことはどのような古い文明にも言える。それはいいとして、「ウイルタとニブフの民具」の説明パネルを読みながら、彼ら少数民族は同化することを歓迎したかと思った。当時の写真が展示されていて、いかにも貧しそうな彼らは、いかにも純朴そうに見え、圧倒的な文明を誇る社会の人々の前では丸裸にされたも同然で、自分たちの生活を捨ててもっと便利な生き方をすることに抵抗はさほどなかったであろう。子どもは特にそうであったに違いない。だが大人はどうであったか。文明社会の便利さはいいが、それは金銭がものを言う社会で、貧しくても昔の生活の方がよかったと思う人もあったに違いない。西洋人が日本で長年住むと、顔つきまで日本人らしくなってしまう。それと同じで、同化は昔から繰り返されて来た。より便利な社会の一員になる方が得と考える人は多いし、きっとウイルタもニブフも同化に反対ではなかったろう。その同化を促す一番の大きなきっかけは「物」であろう。その中には食べ物も含まれる。目新しい物を見ると人間は目を輝かせる。ウイルタやニブフがアイヌに同化し、アイヌが和人に同化して今に至っているが、アイヌが使っていた物が和人のそれより価値がないとは今の人は思わない。自然環境に即した生活用具をアイヌは工夫して作っていた。そこには和人のそれより劣るとか勝る、あるいは美醜を問うことも出来ない。生活の知恵や少しでも美しくという思いがそれらの物には刻まれていて、永遠に研究課題になり続ける。
●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_235342.jpg

 渋沢やその仲間が持ち帰った物の中で、戦前の朝鮮のウルサンで使われていた民具がある。ウルサンはプサンの東北70キロに位置し、現代グループが興った街だ。「みんぱく」に収蔵されていたそれらの民具を韓国からやって来た研究員が見つけ、その里帰り展がウルサンで大々的に行なわれた。その図録などの本が数冊閲覧用に置かれていた。立派な装丁で、韓国ではとても珍しい展示であったことがわかる。韓国随一の工業都市となったウルサンだが、そのあまりの急激な変化によって、渋沢らが集めた民具はもう韓国のどこにも保存されておらず、また見たこともない人がほとんどになった。韓国は日本のように古いものをあまり大事にしないようで、ましてや消耗品の民具であればなおさらだ。ここに渋沢の民俗学の重要性がある。美術品は宝として大切にされるが、それだけではわからない文化、文明がある。柳が収集した朝鮮の民藝品は、官が大切にするものではなく、民衆のものであった。それが大量に日本に持って来られて大切に保管されたために、韓国でもそうした民衆が使っていたものに対する研究や再評価がより可能になっている。だが、ここでひとつ注意すべきは、柳は自分の審美眼にしたがって選んだのであって、民衆の造形のあらゆる分野に手を広げたのではないことだ。渋沢がウルサンで集めた民具にも同様のことが言える。当時の朝鮮でごく普通に見られた、民衆による量産の生活用具すべてが収集の対象にはならず、日本人から見て珍しいものに限られた。その点がウルサンの昔を等身大で偲ぶためには多少役不足になっている。柳は陶磁器や木工品は熱心に集めたが、朝鮮では陶磁器よりもよく用いられていた金工品は集めず、また藁を使った細工物も収集の対象にしなかった。もっと言えば、玩具もだろう。それはともかく、柳や渋沢が日本に持ち帰った物は今頃になって韓国でみんなが驚く収集品になっている。珍しくもなく、ごく普通にどこででも手に入りそうな物が、数十年の間にはかえってほとんどすべて姿を消す。「みんぱく」はそのことを実感しており、「美」はひとまず無視して世界各地の民具を集める。それらが発酵して干し柿のように食べ頃になるのは、収集した人が死んで何十年も経ってからかもしれない。そういう息の長い仕事は国家が設立した機関がやるしかない。「みんぱく」は世界に誇るそうした施設で、そこに展示される「物」からはあらゆることが見出され得るし、また「物」はそのことを待っている。最後に書いておくと、館内は写真を撮っていいコーナーとそうでないところとに分かれていた。張子のダルマのコーナーの隣りには絵馬が展示されていて、それは柳も多少収集したが、今回はなかなか面白い絵のものが並んでいた。絵馬の隣りの部屋では、何と呼ぶのか忘れたが、木で作った土偶のようなものに毎年布を1枚ずつ被せて行く東北の祈りの対象品がたくさん並べられた。古い布はそのままにその上に被せて行くので、全体は異様な姿になっている。布は多い場合は数十枚になり、それらを1枚ずつ剥がして行くと、当時使われていた布がわかる。「祈りの造形」は柳も関心があったが、これには興味を示したのだろうか。また、柳と渋沢は出会いがあったのだろうか。
●『屋根裏部屋の博物館 渋沢敬三記念事業』_d0053294_2372379.jpg

by uuuzen | 2013-12-20 23:01 | ●展覧会SOON評SO ON
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