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●『柳宗悦展-暮らしへの眼差し-』
しさは健康的で、それは美しいとするのが、柳宗悦が考える民藝の本質のひとつだ。伏見人形は3等身で、「ゆるキャラ」のようにずんぐりむっくりした形が多いが、そこには逞しさや健康的な味わいが確かにある。



●『柳宗悦展-暮らしへの眼差し-』_d0053294_162836.jpg「ゆるキャラ」は着ぐるみで作られるから、ずんぐりした形になるのは仕方がないが、そういう形を求めるのはそれだけが理由でもないだろう。細くてキリキリした感じのキャラクターでは刺々しい印象を与え、人々はゆったりと笑う気にはなれない。となると、民藝の美の特質は「ゆるい」ということにもなるが、柳は「ゆるキャラ」を見ればどう言ったであろう。民藝や郷土玩具がほとんど死語になった今、「ゆるキャラ」が大流行しているのは意味があるように思える。民藝がよいとした造形感覚は「ゆるキャラ」に多少は転移したのではあるまいか。また「ゆるキャラ」には「かわいい」という新たな日本文化を定義する言葉で形容される要素が主体になってもいるが、「かわいい」は昔からある言葉で、郷土玩具の本質でもある。それはともかく、柳宗悦展がまた開催されていることを思い出し、会期の最終日であったか、その1日前の11月23日であったか忘れたが、滋賀県立近代美術館まで見に行った。JRの瀬田駅から美術館のある文化ゾーンまで往復歩いた。家内と一緒ではそんなことは出来ないが、ひとりなら気ままだ。昔からバスの中から眺めていた景色の中を歩くことはそれなりに発見もあって楽しい。それに普段の運動不足を解消するにもいい。民藝を見るからには健康であらねばならない。また、真夏と違って、いくら歩いても汗ばまない。そうそう、展示室半ばにある休憩室から見える紅葉は見事であった。その写真は先日載せた。柳宗悦展が開催されると聞くと必ず見なければと思ってしまう。民藝好きであるからと言ってよいが、柳の著作を20歳前半に貪り読んだことが直接の理由になっている。柳が開館させた東京駒場の日本民藝館を訪れたのはバブルの頃で、柳の著作を集中して読んだ頃から20年近く経っていた。それ以降同館を訪れたことはないが、柳の評価は高まり、展覧会は何度か開催されて来た。それらを見た結果、ほとんど知らない作品はもうないように思うが、それでも見に行こうとするのは一種の義理かもしれない。また、不思議なことに、以前見たはずの作品が新鮮に見え、初めて見たような気がすることが多い。今回の展示は駒場の日本民藝館所蔵のものが中心になったが、やはり新鮮な気持ちで見た。
 それはなぜか。いつもさほど熱心に見ていないからか。あるいは無名の人の作品であるため、芸術家のような個性がなく、記憶に残りにくいからか。今回は見覚えのあるよく知っている作品もあるにはあったが、たいていそうではなかった。日本民藝館の所蔵品は一度に全部展示し切れないほど多いはずで、筆者が昔同館を訪れた時や、その後の展覧会で接した作品とは違うものが今回は中心になったのではないか。たぶんそうだと思うが、記憶に残りにくい別の理由として、どの作品にも逞しさを感じ、見ていて安心させられることだ。芸術家の強烈な個性の前でピリピリせずに済む「ゆるやかな」な気分の前にあって、以前に見たことがある作品であっても、そのことを忘れてしまうのではないか。もっと言えば、「ゆるやかな気分」は確かに気分はいいが、そればかりに浸っていることは筆者には出来ないという思いが一方で湧いて来る。これは「民藝」の品物はいいことは確かだが、それだけでは退屈ということで、柳はそういう思いを抱いたことがなかったのかと疑問に思う。柳は朝鮮の白磁に始まって民藝に関心を抱き、朝鮮だけではなく、日本や沖縄の各地に赴いて調べた。その過程で大津絵や木喰上人が彫った仏像というように、まだ誰も本格的に研究していないものを見出した。そういう一連の調査研究は未踏の地を探検するのと同じで、「ゆるやかな気分」に浸り切る生活とは違い、時間を忘れるほど面白いものであったろう。その時間を忘れるほど面白い経験を筆者は伏見人形の面白さに開眼した当初に味わった。そして弘法さん、天神さんの縁日に通って買い集めたが、それはおそらく柳が民藝品を収集した時と同じ高揚した気分であった。そして、筆者は伏見人形から他の郷土玩具へとほとんど関心を移していないが、その点が柳とどう違うのか同じなのかと思う。柳は郷土玩具に関心は持ったが、陶磁器や染織品、木工品なども収集し、木喰仏にまで手を広げた。そこには「民藝」の言葉でひとくくりに出来る一本の筋が通っていると言うべきだが、一本の筋は筆者にもそれなりにある。そのことは民藝の評価に新たなものを付加こそすれ、その名前を貶めるものではないはずだが、筆者が民藝だけでは満足出来ないと言う時、柳の価値観とは対立することになる。そして思うことは、柳がたとえば大津絵や木喰仏だけに関心を留めなかったことは、ある狭い何かに意識を集中させ、その収集を続けることに飽きることを予想、あるいは実際に飽き、それで手がける分野を広げたためではないか。その実際のところはわからないが、柳は気分の高揚を持続させる対象を次々に見つけたことは確かで、その幸福な人生が、日本民藝館の所蔵品の中に反映している。
 柳の民藝は北大路魯山人に「初歩悦」と形容されて嘲笑された。魯山人は前述のように民藝だけでは面白くないと思っていたのだ。それは民藝が面白くないというのとは違う。魯山人は大本教二代目の出口すみの書を誰にも真似の出来ないものとして高く評価していたが、そのすみの素朴で力強いその書は、言うなれば民藝に属する味わいだ。だが、そうとばかりも言えないか。すみの書は書を学んだことのない人のもので、しかもどこか狂気じみている。そうそう、アール・ブリュットに近い。それは民藝とは違う。それはいいとして、書つながりで書いておくと、先日柳の書のまくりがネット・オークションに出た。そのようなものが出品されることはめったにないのではないか。あっても色紙のはずで、書いたままの紙はまずないだろう。その書は柳が仏教にますますのめり込んで行った晩年のもので、実によく出来ているが、落款と印章がまずかった。柳の特徴はかなり真似てはいるものの、全体にとても気味悪くて下品、しかもなよっとしていた。ネット検索でその偽の書の元本となった本物の画像が検索出来た。筆者の思いのとおり、真筆はさすが香りが違った。柳の書は真似しやすい楷書だが、名前まではやはり無理で、真似た人の器の程度が出てしまう。ついでに書くと、つい先日は柳のはがきが8通出品され、2,3万円で落札された。みな同じ人に宛てたもので、1枚だけ駒場からではなく、長崎から投函されていた。宛名は筆かペンで、展覧会に出される掛軸になった書とは違って、普段の字だ。そこに人間臭さが漂い、また抜群にうまいというほどの字でもないところが面白い。それに、柳の書にはどこか粘着性があって、それは収集家であるためかと思ったりもする。何かに憑かれるようにして柳は民藝品を集めたし、また次々と興味の対象を移した。それは筆者にはわかる気がする。筆者にも同じようなところがあるからだ。違うのは、柳は自分で物を作らなかったことだ。何が美しいかは知っていたが、書を見てもわかるように、書の道に邁進してその大家になるという気はなかった。そこが魯山人とは根本的に違う人種だ。だが、柳の周囲には物を作る芸術家が参集した。その点では岡倉天心に通じる。天心は女性問題があって実現しないが、柳は日本の紙幣にいつか登場するかもしれない。それはさておいて、柳と天心が似るのは、今までにない価値感を見出したことだ。柳は誰も顧みなかった民衆の雑器を美しいと言い始めた。もっともそのことは高麗茶碗に昔から前例があったから、柳が登場して来たのは日本の歴史としては当然であったとも言えるかもしれない。柳は高麗茶碗の美しさを認めながら、それが茶道の中で神の領域のものとして奉られることをあまりよくは思わなかったであろう。茶道という権威が気に食わず、流儀に囚われない珈琲道を始めたりする。そして朝鮮にわたってからも、高麗茶碗のような粗末な飯茶碗を探さず、白磁に始まってそれに終始したところがある。もちろんそうした陶磁器にも高麗茶碗につながる民衆の逞しい形や、そして今では韓国人から否定されている「悲しい」色合いを認めたので、やはり柳は突然変異のようにして登場したのではなく、古来の審美眼に負っている部分が小さくはない。
 今日は冒頭に逞しさを書いた。民藝に当たるのかどうか知らないが、愛媛の砥部焼きの湯飲みを従姉の旦那さんが昔から愛用している。愛用というには当たらないかもしれないが、昔から使っている。その理由を先日訊くと、夫婦喧嘩で投げ飛ばしても割れずに残っているからと笑いながら言ってくれたが、実際は好きであるからとのことだ。分厚く出来ていて、その点は逞しい。呉須の文様はごくわずかで、しかも冴えた色ではなく、かなり灰色がかって地味だ。そこがまた風情がある。それを改めてしげしげと見ながら、筆者も同様の民藝調の湯飲みがほしくなった。そこでその後万博公園内の民藝館の売店を訪れ、いかにも民藝らしいコーヒー・カップや湯飲みをたくさん見たが、どれも実によく、ひとつに絞ることが出来なかった。これだというものがないことは、前述したように、よさはわかるが意識の中に強烈に入り込んで来るものがないということで、いっそ民藝調ではないものがいいといった気になる。そして筆者の使っている湯飲みはすぐには思い出せないほどに平凡なもので、日常に使うものにはこだわりがない。その点柳は違った。駒場の民藝館にあるものは、みな柳が日常使っていたものだ。自分が美しいと思う美に取り囲まれて暮らしたいという思いが柳にはあった。誰しもそうだが、衣服と同じで、「普段着」と「よそ行き」があって、高価で美しいものは普段には用いない。筆者もその部類だ。そういう生活を貧乏じみたものとして柳は思っていたかもしれない。美は普段にあってしかるべきもので、特別の日だけのものではない。だが、柳が美しいと思う民藝品は当時でも昔のものか、あるいはほとんど見かけなくなったもので、誰もが安価かつ簡単に入手出来るものではなかった。今ではもっとで、民藝調というだけで高価だ。昭和時代のものがすでに高値で取り引きされるようになり、美しいと思う物を普段に使うことは裕福な人に許されることになっている。庶民は100円ショップやユニクロで買ったものを使い、気分を高めたい時にだけ「よそ行き」の品物を取り出す。柳は日本がそうなって行くことを知っていたので民藝品を収集したと言ってもよい。そこで次に考えたことは、では日本から逞しい民藝品が姿を消せば、庶民はどのようにして美しい雑器に取り囲まれて生活出来るかということだ。安価な人件費で作った外国製品を買い続けることには限度がある。それよりもっと大切なことは大量生産品のデザイン性だ。それがよければ生活に潤いがもたさらされる。そのことは柳の子どもたちの仕事として受け継がれた。
 今回の展示で特筆すべきはたくさんの本が展示されたことだ。どれも和紙を表紙に使って美しかった。本のデザインを考える時、柳がかかわった本は大きな発想源になっているのではないか。また、滋賀県での展覧であるので、大津絵が特別に出品され、チケットにも印刷された。それらは日本民藝館のものであるから、巡回地によって展示作品が若干変わったことを示している。図録は買わなかったが、昔筆者が訪れた時は日本民藝館にそれがなかったはずで、今回の図録はその意味でようやくのものとなった感がある。今回目を引いた点は、最後のコーナーに柳宗理がデザインした食器や家具がたくさん並べられたことだ。柳が収集した民藝品はどれも手作りで、それは今では工業製品より高くつく。そのため、柳が考えた民藝は絶えたも同然だが、柳は一方で陶芸や染色の作家を見出したから、手作りで高価なものも否定しなかったことになり、それが柳が考える民藝においてひとつの矛盾になっている。あるいはこう考えるかだ。無名の人が作った優れた民藝品は、今なら作家物として立派に通用するもので、また民藝品は量産するので技術の手慣れが得られ、そのために作品に省略の美とでもいったものが宿り、しかもその製品が安価で供給されるという仕組みは、工業製品が幅を利かすはるか以前の理想的な話であって、また古道具としてすでに人が使わなくなったものであったから柳は安く入手出来ただけのことで、同じものを今作るとなると、仮に直接的な人件費が比較的安くても、材料費や道具、光熱費によってそれなりに高価なものになるだろう。つまり、民藝に安価ということを押しつけるのは好ましい考えではない。このことは以前にも書いた。柳は自分で物を作らなかった。それは作る楽しみを知らなかったというより、研究や文筆の仕事をより上と思っていた節がなかったかと思う。そういう上から目線は前述の李朝の白磁に悲しみを見る思いにも表われているかもしれない。それはともかく、宗理のデザインした商品はいかにも昭和っぽく、落ち着いた面影がある。だが、レトロと言ってしまうには凛々しさが強く、父の思想を時代にかなったものに昇華させている。だが、常に父の業績のついでに語られるところは残念で、「柳宗理展」がもっと本格的かつ頻繁に行なわれるべきではないか。そして、その思想が現在は誰にどうつながっているかを検証してほしい。また、今回も作品が展示されたが、河井寛次郎や棟方志向、濱田庄司といった民藝作家とのつながりはどうかも知りたいところだ。それらは筆者が知らないだけで、案外民藝の分野では今までにそれなりに研究報告がなされて来ているのだろう。そう思ったことには理由がある。今回の展示で宗理のコーナーに入ってすぐの壁面に、天井から床までびっしりと雑誌『民藝』の表紙の写真が飾られた。筆者はその雑誌をほとんど見たことがない。1冊500円ほどで売っているのは昔から知っているが、まとまって手に取る機会がない。そう思っていると、前述した万博公園内の民藝館の売店にはそのバック・ナンバーが大量に並べてあった。それらの表紙は日本の民藝品に留まらず、外国のものもたくさん使われている。民藝の研究は柳の意志を継いで外国にも手を広げているし、また優れた工業デザインにも目が注がれているのだろう。これからも民藝は気になる存在であり続けるようだ。まず割れにくい気に入った湯飲み茶椀くらいは見つけねばならない。
by uuuzen | 2013-12-19 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
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