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●『映画をめぐる美術 マルセル・ブロータースから始める』
嚼がおぼつかないので取り上げるのをやめようかと思ったが、今年見た展覧会では最も充実していた内容に思えるので、少しは感想を書いておこう。京都国立近代美術館で9、10月に開催された。出かけたのは最終日の前日の26日であったと思う。あるいはその前の25日の金曜日であったかもしれない。



●『映画をめぐる美術 マルセル・ブロータースから始める』_d0053294_0353934.jpg見終わって5時少し前に外に出ると、小雨が降っていた。本展を見た帰りに「飾り馬」の素焼きをしてもらえるかどうか、美術館から5分とかからないところにある「カオスの間」に立ち寄ることを決めていた。本展はいわばついでで、そのためにあまり熱心に見なかった。それでも2時間近くは館内にいたはずだ。どういう内容か調べずに出かけるのを常としているので、「映画をめぐる美術」という題名からは、映画の美術セットの変遷を紹介する内容と思っていた。チラシを見るとサングラスをかけた男の写真が採用されていて、シュルレアリスム映画関連の資料を見せてくれるもののような気がした。つまり、「アンダルシアの犬」以降の同傾向の映画を上映しているのだろうと考えた。結果的に当てが外れたかもしれないが、映像主体の展覧会で、すべての映像を最初から最後まで鑑賞すると、たぶん4時間くらいは必要で、時間を気にしながらの筆者は面白くなさそうなものは一瞥しただけであった。今にして思えば、最初の部屋でマルセル・ブロータースの映像作品が5,6本、同時に上映されていた。それらは8ミリ・フィルムであったと思うが、フィルムが最後まで映されると、自動で巻き戻してまた最初から白い壁面に上映してくれる仕掛けで、およそ2か月の会期中、映写機が壊れたり、また電球が切れたりすることが何度あったのだろうと思わせられた。椅子があればゆっくり見たかもしれないが、立ったままだ。また首の向きを少し変えれば隣りの壁では異なった作品を上映していて、どこをじっくりと見続ければよいのか、これは誰しも困惑したであろう。上映された彼の作品を全部まともに見た人はひとりもいないと思う。また、各作品に対する説明書きはなく、どこに見どころがあるのかわからない人も多かったのではあるまいか。そういう筆者がそうだ。全く咀嚼出来なかったと言ってよい。
 それは、映像作品に対して普段慣れた目で接しているからだ。いわば普通の娯楽映画や、TVのドキュメンタリー番組などによって、意味の汲み取り方が固まってしまっている。これは次のようなたとえ話がいいだろう。18、9世紀のクラシック音楽を聴き慣れている人は20世紀の音楽やジャズを理解しようとする前に拒否反応を示しがちである場合が少なくない。現代音楽やジャズを楽しむにはそれなりの心がまえがいる。つまり、先入観、常識を捨てることだ。映画でもそれは同じだが、たいていの人は普段見慣れている映像に照らして即座にどういう内容か判断し、その定めたカテゴリーの中で優劣すなわち面白いかそうでないかを考える。そして、自分が知るどのカテゴリーにも入らないか、入りにくそうな作品は、たちまち「意味不明」か「面白くない」と判断して、見る行為、考えることを遮断する。今思い出した。アンディ・ウォーホルの映像作品を70年代後半の展覧会場でいくつか見た。というより、少し触れた。最初から最後まで見ていないので、そう言うのがふさわしい。上映作の1本に夜間の摩天楼を固定して撮影し続けたものがあった。たぶん5,6時間はあったのではないか。定点カメラである物を撮影し続けることはネット社会になって珍しくなくなったが、ウォーホルのその作品は60年代後半か70年代初め頃のものだ。その意味では先駆的だ。だが筆者には、同じ場所をカメラを三脚で固定して数時間も撮影し続けることは、フィルムの無駄使いに思えた。そういう貧乏症であるから、大胆な作品を生み出すことが出来ない。それはともかく、その映像作品を最初から最後まで見て、最後で何か「落ち」になるようなことが確認出来ればいいが、きっとそうではない。ただ同じものを撮影し続けただけで、変化と言えば小さな窓の灯りが時々消えたり点いたりする程度だ。そのような退屈とも言える作品をなぜ撮ったのか。今まで誰もやらなかったことは確かとしても、ウォーホルは途中から見始めて人が1,2分で飽きてその場から去ることをわかっていながら撮ったに違いない。また、そのように1,2分見ただけで、全体の内容がわかるということを知って、ひとまずその映像を見た人は納得する。では、作品として1、2分でいいではないかという話になるが、それでは駄目なのだ。数時間も同じ光景を見続ける退屈さの中に、わずかな変化を楽しみ、それに大きな意味を見出す人もいるだろう。ウォーホルのその作品はミニマル・アートの映像表現であったのだろう。それは1、2分の長さでは誰しも我慢せずに最後まで見るので意味がない。最後まで仮に見る人があって、その人が時間を返せと怒鳴るか、費やした時間を惜しいと思う気持ちから無理に感動して見せるかのどちらであっても、人を戸惑わせることに意味がある。そして、そういう実験的なとも言える映像作品があることを学ぶが、この意味は小さくない。それと同じことを本展の最初の部屋で感じた。どの作品も断片的にしか見ず、タイトルも知らないが、絵画とは違って動く映像でどういうことが出来るのかということを改めて考えて作ったもので、娯楽映画、記録映画を見慣れている人を戸惑わせ、考えさせるところに意味がある。こう書いてもブロータースの映像作品の内容はさっぱり伝わらない。そこで筆者は困り果て、本展は最初の部屋のみでよかったのではないかと思う。それほどに盛りだくさんな内容で、とても咀嚼し切れない。
 それでも無理やり思い出して書くと、ルネ・マグリットへのオマージュのような作品があった。これはマグリットの絵画をよく知っている人が見る必要がある。それもただ知っているだけではなく、マグリットが考えた絵画観をだ。マグリットには、ボーラーハットやパイプを描き、そこに「これは帽子ではない」「これはパイプではない」と書き添えた作品がある。絵にきわめて写実的に描かれた帽子やパイプだが、それらが実用の帽子やパイプでないことは誰でも知っている。そのあたりまえのことをマグリットを示したが、その一方で、では絵画の役割は何かという問題が頭をもたげる。帽子やパイプを本物らしく描くより、その物ずばりを展示すればいいではないか。だが、それは帽子やパイプといった卑近で小型な物の場合はいいかもしれないが、馬や家といった大きなものでは無理だ。ま、マグリットが言いたいのはそんなことではなく、絵というものと現実との関係で、絵は現実そのものではないが、絵そのものとしては現実であり、絵は人が思い浮かべるイメージとの関係において不思議なものだ。また、そのイメージは言葉も関係している。マグリットが「これは帽子ではない」と書いた時、そのフランス語を理解するのはどんな人間でもではない。だが、その帽子はフランス語を話す以外の人でも帽子とわかる。となると、帽子の絵と「これは帽子ではない」という言葉は、等しい関係とは言えない。つまり、説明を尽くしているようでいて、そうではない。そのことから今度は言葉の不思議さを思う。筆者は今強引にブロータースの作品の意図を考えようとしてマグリットの作品を主題にしたフィルムを思い出したが、そこにはマグリットの動かないはずの絵が動いている様子が映っていた。どういうことかと言えば、パイプが大写しにされ、そのパイプからもくもくと煙が出ていた。その後それがどうなったか知らないが、マグリットの先の絵をもっと本物のパイプらしくした作品と言える。そして、その映像作品では、動かない絵と言葉の関係に、より本物らしく見える煙を噴き出すパイプを持ち込み、絵画とは違う特性が映像にあることを改めて示している。絵は動かないが、映像は動く。その差に意味を見出すことはどのような映像作家も同じだが、ブロータースはドラマを作ることや、また何か事実を客観的に伝えるといったことに関心はなく、映像でどのような閃きを得られるか、あるいは絵画に比べて無意味であったりするかを追求したのだろう。さて、その最初の部屋で戸惑う体験をした後は、11名の作家の映像を順に見ることになる。
 11作品すべてを見たのは確かだが、ほとんど1分と経たずに次の作品に移動したこともあったので、ここで全作の感想を書くことは出来ない。最初から最後まで見た作品は3、4本だ。どれもブロータースの影響を受けたというのではない。彼と同じように映像の新たな表現と言おうか、普通の映画館ではまず絶対に上映されないような作品ばかりで、そのために美術館で上映され、しかも「映像をめぐる美術」という題名がつけられた。とはいえ、ドキュメンタリー作品としてジャンル分け出来るものもあり、どれもが難解で退屈というわけではない。一番興味深かったのは、アンリ・サラの『インテルヴィスタ』で1998年の作だ。これによって彼は一気に世界に名が知られるようになった。74年生まれであるから、24歳だ。長身でなかなかの男前、彼が同じ年齢ほどであった頃の母親が映っているフィルムを家で見つけ、それを調べて行く過程を収めた作品で、30分ほどの長さがあったと思う。サラはアルバニアの生まれで、母はその社会主義国家で若い頃は国家に尽くす活動家であった。映像は言葉がなく、サラは母が観衆に向けて演説している内容がどういうものであったかを母に質問するが、母は全く記憶にないと言う。それで撮影者を探してなぜ音声がないのかを訊くと、映像と録音は別々に行なっていたので、録音テープはほかの場所にあると言う。それが探せないので、サラは口唇術師に頼んで母が喋っている内容を解き明かす。それを母に伝えると、やはり記憶にないと言うが、それほどに当時は国の思想に熱を上げていて、みんなを鼓舞する常套句をしゃべっていた。サラの映像は当時の大統領やその側近のニュース映像を挟みながら、当時がひどい国であったことを明らかにして行く。当時の国家指導者たちはみな失脚し、監獄にいる者も多いようだが、サラはさまざまな人にインタヴューして、なぜ国の体制が崩壊したかを明らかにして行く。それは誰しも知っているように、言論の自由がなかったことや権力者に擦り寄る者が自分たちのつごうのいいような国にしていたからだ。筆者は本展を見る少し前、ドイツ文化センターの主催で東ドイツの映画『三人目』を見た。その感想をこのブログに書いた時、社会主義国家にもいい側面があることを匂わせたが、その思いは今も変わらないとしても、社会主義思想は理想の追求であって、現実的ではなかったことはソ連の崩壊から明らかとされているのが常識だ。理想と現実は違い、であるからサラの母はその理想が崩れた後、すっかりかつての理想を忘れてしまって思い出すことも出来ないが、理想の名の下に不正を働いて平気な人が大勢いるという現実を社会主義は明らかにしてくれたとして、その理想そのものが悪かったとは言えない。だが、理想を現実のものにしようとするのは人間以外になく、その人間の内面に醜悪さが本質的に潜んでいて、それが隠ぺいされていた社会主義体制はアルバニアの例からもわかるように20世紀末にこぞって崩壊してしまった。そのことをきわめて私的なことから発して映像でえぐり出して行ったサラが西欧諸国で絶賛されるのは当然だ。西欧にすれば『それ見たことか』の思いであって、社会主義の脅威が減じてほっとしている。そこにも本当は醜悪な心は潜んでいるのであって、資本主義が人類究極の理想とは言い切れない。だが、サラの作品はそこまでほのめかしてはいない。謎めいた古い映像が何を語りかけているのかを明らかにして行くドキュメンタリー作品で、最初を絵を学んだ彼が映像の力に押し倒された様子がよくわかる。
 次に面白かったのはピエール・ユイグの『第三の記憶』で、10分ほどの映像と、それが扱う1972年8月にニューヨークのブルックリンで起こった銀行強盗事件の記事などを展示するものだ。この事件は男の同性愛者が愛人の性転換手術のために金が必要で、そのために銀行強盗を仲間と一緒に働いたが、襲撃した金庫はほとんど空で、また強盗を働いた理由が世間の関心を買い、事件は実況中継され、3年後にはアル・パチーノ主演で映画化された。犯人によればその映画は実際とはあちこち違っていて、それを本人が銀行を再現した場所で説明する様子を紹介した映像作品だ。犯人はもう刑期を終えたのでそうしたことが出来るのだが、それほどにこの事件は当時アメリカで大きな話題になった。そのことを苦々しく思ったのが、大統領選挙で忙しかったニクソンだ。新聞では彼に関する記事の隣りにこの事件が取り上げられ、しかも事件を起こした理由が理由だけに、ニクソンにすれば犯人が憎かった。そういったことは映像からはわからないが、壁面展示の当時の資料からはわかる。ひとつの事件とそれを取り巻く環境は、総合的に見なければ本当のことはわかりにくい。アル・パチーノの映画は娯楽であるし、また犯人が再現フィルムに登場したとしても、過去の出来事をそのまま再現したことにはならない。そこで当時の新聞や雑誌記事などを併せ見ることでより事実が鮮明になり、また記憶が訂正される。そのようなことをユイグが思ったかどうかはわらないが、筆者は事件の向こうにニクソンが見えているのが面白かった。ついでながら、この事件によって寄付がたくさん集まり、犯人の愛人男性は手術を行なうことが出来たそうだ。それもまたいかにもアメリカ的で面白い。さて、次に熱心に見たのはアクラム・ザタリの『Tomorrow Everything Will Be Alright』で、題名どおり楽しい内容であったが、アニメーションのようにタイプライターが文字を打ち出して恋人が対話し、ふたりの顔や姿は最後まで見えないが、結末は確かうまく会えるというものであったと思う。もうひとつ紹介しておくと、エリック・ボードレールの2011年の作品『重信房子、メイ、足立正生のアナバシス、そして映像のない27年間』だ。これは元日本赤軍の釈放された重房や足立が自分たちはパレスチナの地を再訪することがかなわないので、代わりにエリックに現地の映像を撮って来てもらったもので、それに重信や足立が昔を回想した音声を被せている。また一部東京で過ごす重房の日常の姿も捉えられている。転向した思いの吐露と言えば当たっていないかもしれないが、絵描きになりたかったという足立は、もしかつて日本に居続けていたならば自分はもっと絵を描いてその方面で名を挙げていたかもしれないという思いが語られていた。生死の境を何度も経験したようで、そうした危機一髪の出来事は今でもよく夢に見るそうで、現地の何事も起きない映像にその語りが被さって上映されると、恐怖が想像されて、それなりに戦地の現実が迫って来る。日本赤軍に関心のない筆者としてはそれくらいのことしか書けない。
by uuuzen | 2013-12-18 23:59 | ●展覧会SOON評SO ON
●ムーンゴッタ・2013年12月 >> << ●『柳宗悦展-暮らしへの眼差し-』

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