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央道」ではなく、「王道」と表現すると、壮大な時代劇を連想してしまうので、本作は「央道」という言葉を使いたいが、全131話の最後から3分の1ほどは展開が予想出来、中だるみを感じた。先ほどネットで評判を見ると、同じ意見が目立った。
本作のようなホームドラマは、現代の韓国の家庭事情をよく伝えてくれるし、また家族全員で見られる安心感もあって、秀作が多いのではないだろうか。とはいえ、筆者は半年もしない間にすっかり忘れてしまう。今日取り上げるドラマは、これまでのホームドラマのあらゆる手法を動員し、「またか」と思わせられる箇所も目立つが、それはそれとして我慢すれば、俳優たちの熱演に目が行く。いつものように若い男女の主役は駆け出しを配し、それを中堅、古株が手堅く支える。そうした俳優たちの演技力を見ることが楽しみで、物語の進展は最後近くなると誰でも予想がつく。そうしたハッピーエンドが用意された予定調和のドラマなど見る時間がもったいないという向きも多いはずで、それを否定しないが、こうしたドラマは製作当時の韓国の世情を知るうえで意味があるし、また筋立てがかなり強引かつ「御つごう主義」であっても、それも含めて韓国ドラマの実態を示している。そのことは日本との共通点や差を考えるうえで役立つ。昨日の朝、家内は目覚めてTVをつけた。今見ている『福寿草』を別の放送局が10か20話ほど先走って放送中で、ごくたまに家内はそれを見る。昨日はそれが終わった後、同じチャンネルで別の韓国ドラマが始まった。それが最初から中年女性が家の中で大声でわめき散らす場面で、家内はそれに耐えられず、すぐにチャンネルを変えた。韓国ドラマでは「ちゃぶ台返し」の場面がよくあるし、また大声で怒鳴り合う場面も珍しくない。そのことが家内にはとても荒っぽく思え、いくらドラマとはいえ、朝っぱらからそんな激しい言い合いを見たくないと思っている。筆者もかなり同感で、韓国ドラマは概して喜怒哀楽が激し過ぎる。日本人は表情をあまり顔に出さないので「能面のようだ」と言われることがあるが、韓国から見れば確かにそうだろう。そのことは時代劇の剣術からでもわかる。韓国の時代劇は、まるでカンフーで、剣士が飛んだり跳ねたり回し蹴りをしたり、まるで曲芸で、どこからどこまでも「動」だ。日本の時代劇はまず睨み合う時間が長く、勝負は一瞬の間に終わる場合が多い。相撲と同じだ。このように隣り同士とはいえ、海を挟んでいることは文化の違いを大きくすることにそうとう影響している。この似ている部分もるが、違うところも大きい点が、韓国ドラマを見ることの興味にもなっている。
さて、この『コンニム』だが、日本だけかどうか、「私の娘」というただし書きがついているところ、娘のコンニムよりもその母親の方が主役かと思わせる。最後まで見て思ったことは、血のつながらない母娘がどれほど本当の親子のようにお互いを尊重し、愛することが出来るかということが最大のテーマになっていて、それは娘よりも母親の方が率先して示すべきで、その意味でこのドラマは娘よりも母の愛の大きさを描こうとしている。つまり、「私の娘」というただし書きは必要で、内容をうまく説明している。娘のコンニムを演じるチン・セヨンは筆者は初めて見る。整形はしてないだろう。どことなく田舎っぽい女性だが、きつい性格を演じるのが似合う。実際ドラマの最初の方は恐いものなしのヤンキー娘という設定だ。そういう彼女ががらりと人柄が変わるのは、父が交通事故で急死してからだ。コンニムは父の連れ子で、母のチャン・スネとは血がつながっていない。コンニムにすれば唯一の血縁の父が亡くなれば、あまり好きでもない継母のスネとは一緒に暮らすことは苦痛だ。だが、学生であるし、スネはコンニムのために必死に働き、やがてコンニムはそういう母を誰よりも愛するようになる。スネも昔は孤児で、そういう境遇の辛さを知っているからこそ、コンニムのために頑張ることが出来た。そんな健気なスネだが、過去に大きな精神的な傷を負っている。大学である男に出会って恋に落ち、妊娠してしまうのだ。ところが相手は20歳で、また大金持ちのひとり息子、その母親が許すはずもない。スネは子どもを産むが、孤児院に預けている間に誰かに引き取られてしまい、消息がわからなくなる。それで自殺しようと沖へ向かって歩いている時にある男性から救われる。それがコンニムの父で、スネは彼と結婚する。そのまま家族3人が長年暮らして行けばドラマにはならない。本作は、コンニムの父が交通事故で死なせ、しかもその事故を引き起こした若い女性やその家族と、コンニムやスネが生んだ子どもと深い関係を持たせる。この点は「よくもまあ、うまく考えたものだ」と韓国ドラマの物語の構成のうまさに舌を巻く。だが、ひとつずつの出来事はどれも現実にはあるものだ。それが総合されて現実にはあり得ないドラマになるが、毎日見ている間に登場人物の演技のうまさとそれによる現実性に馴れてしまい、ドラマとはわかっていながら、本当のことのようにも思えて来る。
コンニムの家族はスネだけだが、スネには10数年来の友人がいて、彼女の家族と一緒に暮らしている。こういう間借りは昔の日本では少なくなかったが、韓国では今でも多いようだ。スネとコンニムを側面から支えるその家族は、コンニムと同年の娘ホンダンがいて、彼女は最後までコンニムの友だちとして陰で応援し続ける。ホンダンの両親は学もなく、チキン屋で経営していて、その店でスネも手伝っている。そういう中流以下の家族は大金持ちと知り合う機会はまずない。ところがそれではドラマにならない。本作はコンニムやホンダンの家族と同じように、かつては貧しかったのに、成り上がった家族を登場させる。その家族にも娘はひとりいて、コンニムと同世代だ。彼女チェギョンはわがままいっぱいに育ち、ほしい物は何でも手に入れて来た。ある日チェギョンの兄チェワンが赤い車を買う。それを見たチェギョンは無免許で運転し、田舎道を走っている時に、コンニムの父が運転するトラックと衝突しそうになり、ハンドルを切り損ねたトラックは大事故を起こしてコンニムの父は死ぬ。またその事故の際、もう一台の車も巻き添えを食らい、運転手は大破した車か這い出てチェギョンに助けを求めるが、彼女はそれを無視して逃げる。そして帰宅して母に話し、母は事故の証拠を隠すために車をうまく処分する。また、それと同時に娘をただちにアメリカに留学させる。チェギョンと母は悪者としての登場だが、父と兄は成金ではあるが、優しい心の持ち主で、その点がこのドラマの大きな魅力になっている。チェギョン一家がどのように変わって行くかがひとつの見物で、最後はチェギョンは罪を償い、和解するが、それまであまりに憎たらしい表情ばかりしていたチェギョンの母が、さすが役者と言うべきで、がらりと人が変わったような優しい表情を浮かべるようになる。その最大の理由は、夫から諭されたことと、コンニムとその母の態度だ。また、直接的には、夫に連れられて訪問した貧しい家の玄関で、両親を交通事故で亡くした幼ない子どもが、両親の写真を握りしめながら、帰宅を毎日待っている姿で出会うからで、その場面はなかなかうまく出来ていて、涙を誘った。また、そのような悲劇が韓国では珍しくないのかもしれない。本作は交通事故をきっかけに始まるが、それまでは出会いすら考えられなかった家族が知り合って行くこともその事故あってのことで、文字どおり「事故」と呼ぶしかないほどに、貧乏人と金持ちは出会わないものだ。その意味で、このドラマはきわめて現実的に思える。
チェギョンは留学を終えて帰国するが、わがまま振りは直っていない。だが、7年前に自分が起こした交通事故は覚えていて、時にそれが蘇る。だが、母以外は誰も事実を知らない。チェギョンがコンニムと出会い、ふたりは同じ男サンヒョクを好きになる。チェギョンは金持ちの自分が当然恋人になれると高をくくるが、どこか表情に影のあるサンヒョクは、全くなびかず、コンニムを好きになる。サンヒョクに影があるのは、父親とあまりうまく行っていないからだ。父のク・ジェホは衣服メーカーの社長で、妻を亡くしている。妻との間にはひとり息子をもうけた。サンヒョクはその兄に当たるが、かつてジェホの妻が自分の子が生まれないので、どこかから養子にしたいと連れて来た子だ。ジェホは自分の子であるジュニョクが生まれてからは、彼をかわいがる。そのジュニョクは7年前に交通事故で瀕死の重傷を負い、脳をやられて5歳児の頭になっている。そういう弟をサンヒョクは献身的に支えるが、ジェホは自分の血を引いた子がそのような姿になってしまい、サンヒョクに厳しく接する。ここまで書けばジェホやサンヒョクがコンニムやスネとどういう関係かがわかるだろう。サンヒョクはスネとジェホの間に生まれた子だが、ジェホの母がジェホの将来を思ってスネと別れさせ、スネが生んだ子をこっそりと自分の家に養子に迎えた。そのことをスネもジェホも知らない。この辺りの様子は、韓国ドラマでは珍しくない旧世代の強引さだ。息子の将来を思うとは言いながら、実際は身よりも金もない娘のスネが気に食わなかったのだ。だが、血を分けた孫だけはほしい。そして施設やジェホの妻にこっそり相談し、ジェホの実の息子を養子として育てた。そのことが明らかになって行く過程がドラマの前半部で、その間は最初に起こった自動車事故のその後の展開は放置されたままとなり、宙ぶらりんにされた気持ちが続く。サンヒョクが自分はスネと父の間の子と知ってから、ようやく7年前の事故すなわちチェギョン一家の出番が俄然多くなる。それがドラマ後半で、それはそれでようやく最初の事故の場面のその後の展開が始まるというので期待は出来るが、どのような結末になるかは目に見えているので、かなり退屈でもある。一番面白いのは、ジェホの母が、妻がいない息子のために、遠縁の若い女性を引き合わせ、結婚させようとするところだろう。彼女は一度結婚しているが、相手はやくざっぽい男で、しつこくつきまとう。その様子が少しだけ映る。それを見ただけで、ジェホの相手にはふさわしくないとわかるし、またジェホは賢い男で、言い寄る彼女に目をくれない。そこで彼女はいらいらし、スネを攻撃しながら、どうにかジェホと一緒になれるように画策する。彼女は金持ちの娘で、スネなど全く相手にならないと思っているが、そんな高飛車な態度がよけいにジェホには気に入られない。また彼女は部下としてチェギョンを連れて来る。そんなところにも、彼女の人間への洞察力のなさがわかる。ジェホの母を味方につけ、もう一歩のところでジェホをものにしようとするが、結局は諦めてオーストラリアに戻って行く。
彼女はなかなか美人で、筆者は目の保養をしたが、彼女が出なくなってからは、ジェホとスネはより親しくなる。邪魔者がいなくなったので当然だ。ジェホは老いた母の言いなりにはもうならない。母はサンヒョクを養子にしたことをジェホに知られることを恐れ続けるが、やがてそれもばれる。他の韓国ドラマでもよく描かれるように、親は子どもに絶対的な力を持っている。20歳のジェホがすっかり母の言いなりになってスネと別れたことは、ただ頼りない男としてしか筆者には見えないが、スネはスネでジェホを忘れられない。そのことを父が死んでからコンニムは知る。彼女にすれば複雑な気持ちだ。自分の父のことをどう思って結婚したのかと質問する。するとスネは、コンニムの父は自殺しようとしていた自分を助けてくれた恩人と答えるが、それは本当はコンニムにとってはさびしいだろう。結婚は恩でするものではない。愛あってのことで、その愛がスネには父に対してなかったのか。そのことは本作には描かれない。父親役の俳優は他のドラマでたまに見かけるが、本作ではまるでちょい役で、スネからも完全に忘れ去られる形だ。そういうスネを見てコンニムは絶対的な愛情を抱くことが出来るのだろうか。ジェホとたまたま出会ってからのスネは、もうジェホのことが頭から離れない。コンニムの父と出会う前にジェホと大恋愛し、妊娠までしたのであるからそれも当然だが、スネがジェホと再会して以降、亡き夫の思い出との間で葛藤しなかったのは何ともドライな女心を見る。だが、その点はこのドラマはうまく説明する。つまり、コンニムの父は事故死によってスネの子であるサンヒョクと自分の娘のコンニムを結婚させるという形だ。この筋立てはなかなか考えつかない。サンヒョクとコンニムが結婚すると、ジェホとスネはそれぞれの親ということで結婚は出来ないが、そのことを思って一時コンニムはサンヒョクとの結婚を諦める。それほどにスネに初恋の相手であるジェホと結婚させてあげたいのだ。そこまでスネのことを思うほどに、スネは純粋にコンニムのために身を粉にして働いて来た。そういう血のつながらないふたりが、揃ってシンデレラのように金持ちの配偶者を見つけるという物語だが、そうハッピー過ぎては鼻白むので、どこか不幸のネタを用意しながら長丁場を引っ張らねばならない。それがスネの病だ。
スネは腎臓が悪いことが最後近くなって明らかにされる。やがて人工透析するようになるが体力がない。そこで腎臓移植しか方法がないことがわかる。似た話は
『がんばれ! クムスン』にあった。これは今また放送しているが、本作と製作年度はあまり変わらない。それほどに韓国では臓器移植が多くなっているのだろう。どちらのドラマにも言えるのは、身内ならば臓器移植で助けるのが当然という美談だ。だが、それは日本でも韓国でもそう簡単な話ではないだろう。本作ではスネの子であるサンヒョクが移植に適合するかと思えばそうではなく、ジェホも駄目、ホンダルの母も駄目で、誰もが予想するようにコンニムの腎臓が合う。彼女は妊娠中で、とてもそのような手術を受けることは出来ない。そこで無事出産し、それから移植手術を受ける。その場面は最終回であったと思う。3年ほど経った場面が用意されていて、引退したジェホはスネと田舎で庭いじりをしている。サンヒョクは社長となり、コンニムは彼を支えている。また、ホンダルは記憶を取り戻したジュニョクと結婚し、刑務所から出て来たチェギョンにも待っている男がいるといった結末で、描かれた3家族はみな幸福になりましたというお伽噺だ。先にも書いたが、このドラマの悪役は後味がいいように改心する。チェギョンの父親は小柄で喜劇に向く俳優だが、本作では良識ある父親として好演している。貧しいところから脱するためにひたすら金儲けに走ったことによって、金持ちにはなったが、娘は事故で人を死なせて平気、妻もそれに加担、息子は道楽者という始末で、その現実の前で自分のそれまでの人生を悔いる。そして決心したのは全財産をスネに与えることだ。もちろんスネはそれを受け取らないが、ジェホらはその大金で財団を設立することを提案する。それを聞いたチェギョンの父は喜ぶが、妻が納得するはずがない。それでもなお妻を説得し続け、昔の知り合いであった貧しい家を何軒か訪れる。前述したように、そこで初めて妻は娘が犯した交通事故の恐ろしさを実感する。「全財産を寄付するなど、そう出来ることではない。あの人は大人物だ」とジェホは言うが、そのとおりで、チェギョンの父をそのような潔い男として描いているところに、お伽噺具合は度が過ぎると思いながら、せめてこうしたホームドラマではそのように描いてほしいと思う。よく言うように、「金の残すのは最低で、その次が名声、そして人を残すことが最上」だ。チェギョンの父は稼いだ大金を世のためにぽんと差し出し、それでリハビリ・センターが建てられ、そこにコンニムが理事のような形で就任する。本作の起点となった交通事故やそれに伴う記憶喪失からして、リハビリ・センターの案は妥当だが、一方ではそういう施設が韓国では切実に求められている現実も伝えるだろう。ともかく、全財産を寄付する人物が、貧しい人の中から出て来ると描くところに、このドラマの真実味がある。チェギョンの兄のチェワンは、サンヒョクと同時にコンニムに恋する。チェワンは妹とは違ってさっぱりした男で、またコンニムに出会ってからは女遊びをしなくなり、最後は父親がかりにならず、ひとりでイタリアに修行に旅立つ。演じるイ・ジフンという俳優はなかなか好感が持てた。サンヒョク役はコンニムと似合っていたろうか。昨夜調べると、彼はチェギョン役のソン・ウンソと交際し、半年ほど関係を続けたそうだ。田舎っぽくて純朴そうなコンニム役のチン・セヨンより男に持てそうなのはわかる。ソン・ウンソは悪役専門でもないようで、ほかのドラマで清純な役をしているのを少しだけ見たことがある。スネとジェホ役がどっしりとした俳優が演じ、そのことが本作の印象をいいものにしている。スネ役のチョ・ミンスは泣く場面が多過ぎるが、あまりに役にのめり込み、ジェホの家で大声を張り上げて暴れる場面では鬼気迫るものがあった。ジェホはどちらかと言えば頼りない男で、それほどに母親の権力が絶大な韓国の上流家庭なのだろう。