絞り館が出来て何年になるのだろう。NHKのTV番組で同館が北斎の『富嶽三十六景』を絞り染めで再現したものを展示することを伝えたのは8月であったと思う。

陰暦の8月13日に堀川で
『京の七夕』というイルミネーションの催しが開かれ、あいにく雨であったが当夜は家内と見に出かけた。それから2,3週間経った頃、堀川通りの東側御池通りに向かってを歩いた。そうそう思い出した。わが自治会の住民で油絵を描く大志万さんが、東北の震災の寄付するためのチャリティーに絵を2,3点出品し、その案内はがきをもらった。今それを見ると、「サイレントアクア2013」という題名で、会期は8月31日から9月8日までだ。何のついでであったか忘れたが、会期の終わり頃に見に出かけた。場所は堀川御池の北東角で、京都市立芸大の展示用の新しい建物がある。小学校の教室をふたつ合わせたほどの大きさで、窓のない展示室に、はがき大の作品が二、三百は並んでいた。同大学の学生や同窓生に呼びかけて作品を集めたようで、若い人のものが多かったと思う。作者名は明記されず、作品にサインもない。そのため、何度も作品の前を往復しながら、大志万さんの絵はわからなかったが、そのうち絞られて来てたぶんこれだろうと思うものがあった。後日彼女と話すと思いは当たっていた。3点全部売れたのではないだろうか。入札があった印としての赤シールが貼ってあったので、筆者は入札を諦めた。それはともかく、その会場へ行く途中、堀川通り沿いのとある工芸店の前に置かれた籠の中に絞り館のチラシが置いてあった。今日の最初と2枚目の小さな画像がその裏表だ。そのチラシを見て、『NHKで放送された北斎画の絞り作品だな』と思った。そして、チラシを置いていた小さな店が絞り館であると勘違いし、入館料500円と印刷されていたので、見ようという気にはならなかった。北斎の版画を絞りで復元する意味がどれほどあるのかという否定的な思いもあったからで、またチラシに印刷される3点の作品を見てだいたいの予想はついた。それを言えばNHKの放送を見た時からそうだ。ついでに書いておくと、大志万さんから春頃に聞いた話を思い出した。彼女のご主人は、新聞かTVかで見た絞りで再現した宗達の「風神雷神図」を見て、そういう作品のどこに意義があるのか疑問であると奥さんに語った。奥さんは芸大出であるから、物作りする人の側に立って意見する。それで、ご主人に言ったことは、『どのような作品でも誰かがいいと思う可能性があり、また売れることもあるから、存在意味はある』というものだ。彼女のその意見を聞いてなるほどと思い、女性らしい優しさも感じた。筆者はもっときつい意見を言う。つまり、「風神雷神図」を絞り染めで再現してもあまり意味がないと考える。

筆で描かれた絵を絞りで再現することは根本的に無理がある。だが、それはあたりまえと割り切って、無理なら無理なりの、つまり絞りの特徴を前面に出した見せ方があると考えるのが、絞り職人たちの思いだろう。絞りは生地を糸で部分的に縛って染まらないようにする染め方で、抽象的な文様表現に向き、大胆な色面対比の表現に魅力がある。北斎の版画はみな比較的小さく、その中に細かい絵柄が詰まっているから、それを絞りで再現するならば、作品の寸法は倍かそれ以上にしなければならないだろう。また、人物や建物の細かい線描きの表現は絞りでは再現しにくいので、そこは北斎画と同じように細い筆で墨を使って描くしかない。そしてそういう部分が、絞り独特の大胆な表現と不調和を来しがちとなる。『富嶽四十六景』の絞り作品を見て、その思いは見事に当たった。さて、その前に書いておくと、今年の「関西文化の日」は冊子が作られなかったようで、ネットで調べるしかなかった。冊子の印刷代をどこが負担するかという問題が起こったのではないか。世知辛い話だが、不景気の世情を反映している。それはともかく、毎年この「関西文化の日」に行ったことのない施設に狙いを定めるのが楽しみになっているが、もうあまりそういう場所が残っていない。そこで今年は電車に乗って遠出せず、京都市内で済ますことにし、11月10日の日曜日に家内と電車で四条大宮に出て、そこから歩いて京都絞り工芸館に行くことにした。正確な場所は知らなかったが、夏にチラシを得た店までとにかく行くと、その東へ2筋入った油小路通り御池を下がったところにあることがわかった。その辺りは昔はよく歩いた。10数年ぶりに見ると、あちこち変わっている。あたりまえだ。そして絞り工芸館も出来た。下のパノラマ写真がそれで、思ったより外観は立派で間口も広い。絞り共同組合が出資したものか、それとも絞りで有名な呉服問屋が建てたのだろうか。染織の本場の京都は、友禅以外に染め方もいろいろあって、絞り染めはその中のひとつだ。仕事が全く違うこともあって、同じ染色でひとくくりには出来ても、それぞれの染色界の交流はほとんどないのではないか。

筆者は絞りに関心が今もそれなりにあるが、それは京都のキモノは友禅に絞りを併用するものが昔は多かったからだ。友禅のみ、あるいは絞りのみの作品がある一方、京都のキモノの特徴はあらゆる染色技術を混在させることで、それだけ手間がかかっていることを証明し、そのために高く売ることが出来る。そういう友禅に絞りを加えたキモノは今もどこかが作っていると思うが、反物をあちこちの職人に持って回って仕事をしてもらう職業である悉皆屋が激減し、友禅なら友禅のみ、絞りなら絞りのみというように、技術ごとに孤立化し、その単一の技術のみで染めることが多くなっているのではないだろうか。友禅と絞り染めの技術の違いを説明せねば、何のことか理解出来ない人が多いかもしれない。筆者は、友禅はどの工程もこなせるが、絞りは全く出来ないので、ふたつの技術を混在させた作品は作り得ない。同じように絞りの作家は友禅の技術を取り込んだ作品は無理だ。それほどに友禅も絞りも高度な技術で、どちらも自在に操る作家は絶無と言ってよい。そこに目をつけたのが、久保田一竹だ。彼は最初は友禅作家で、その友禅技法の最大の特徴である「糸目」の工程を絞りに置き換えた。これも何のことかさっぱりわからない人は多いはずだが、久保田一竹の辻が花は、早い話が友禅と絞りの中間に位置し、友禅から見れば平明な美がなく、絞りから見れば邪道的なものだ。その点を説明するのはまた骨が折れるが、伝統的な絞りは筆でちょこちょこと部分を塗ることはせず、絞った布を釜に入れて炊き込んで染めた。これはそうするしか染める方法がない植物染料であったからだ。明治以降の化学染料の登場は、従来の染色の技法を根本的に改めるものであったが、技法は昔どおりのままと考える立場が保持された。それは、京都の染色業界では分業化が進み、従来どおりの職人を抱える必要があったからでもある。伝統の一種の悪弊だ。つまり、化学染料は植物染料とは何もかも染め方が違うというのに、職人はそれを半ば無視し、昔からの技法にこだわった。実はそれはそれで意味もある。だが、化学染料が内蔵する便利をあまり追求しなかった。友禅ではそれが進んだが、絞り染めでは否定した。そこを突いたのが久保田一竹だ。京都の絞り染めは、化学染料を使っても、絞り方やそれに伴う染め方は大昔のままだ。これは化学染料の利点を活用しないどころか、無視している。もっとも、今の若手はそうではなく、絞りに板締めやローケツ染めを混ぜた染め方もしている。その例がチラシにあるように、絞り工芸館を訪れる人たちに3000円で体験させるスカーフの染色だ。
それは少しでも染めというものに関心を持ってもらうためには必要と考えられ、友禅でもステンシルの技法でハンカチを染めさせる工房は各地にある。だが、そういった素人相手の染めがプロのものと思ってもらっては困る。簡単な型染めであるステンシルは、手描き友禅とは何の関係もない。それはともかく、絞り工芸館で展示される作品や商品には、「一竹辻が花」のようなものはない。それは京都の職人が模倣出来ないのではなく、しないという矜持の表われだろう。とはいえ、いつの時代も背に腹は代えられないから、「一竹辻が花」が全盛の頃は京都でもそれを下手に模倣したものが大量に作られた。そうした追従作を寄せつけない高度な技術が「一竹辻が花」にはあったが、それは宣伝用の大作のみで、一般に売る商品にはかなり質が落ちる眉つばものが多かった。それはともかく、「一竹辻が花」の高度な技術は友禅で培われたもので、大勢の人たちの分業によって量産されたことも友禅と似る。「一竹辻が花」は京都ではあまり人気がなかったが、それは京都が育んで来た絞りとは全くの別物の、化学染料の特徴を最大限に活用したものであったからだ。『化学染料を使えば、何も制約が多い大昔の技法に頼らずとも、今まで考えられなかった、友禅に近いもっと華麗な絞り染めが可能ではないか』と、そう久保田一竹が考えたのは、京都の絞り染めの世界とは無縁の位置にいたことと、その伝統的な絞りのよさを潔く見捨てることが出来たからだ。後者は絞りに関して素人で無知であったと言い代えてよい。だが、そういう動きが東京から出て来ることは当然予想出来たにもかかわらず、京都の絞り業界から同様の作家が登場しなかったのは、京都の閉鎖性を示す。また、久保田は独自の絵が描ける人であっただけに、「一竹辻が花」は伝統的な文様を使う一方、彼の個性を明確に表わす作品を生んだが、京都の絞り業界には残念ながら同じように絵の巧みな才能はなさそうで、それが前述の「風神雷神図」を絞りで再現する動きや今回話題になった「富嶽四十六景」の絞り作品が証明している。これらは名画に寄りかかったもので、創造性には乏しく、久保田はしたくなかったものであり、また技術的に出来ないものでもあった。絞りは写実表現には全く向かない技術で、そのことに一種あぐらをかいて、最初から絵で勝負という気概が絞り業界にはない。そこを突いたのが「一竹辻が花」であり、また反省の意味もあって京都の絞り職人たちは「風神雷神図」や「富嶽四十六景」からいわば下絵をもらって伝統的な絞りでどういうことがどこまで出来るかという技術誇示をしている。
それは友禅作家から見ればどこか情けない話で、宗達や北斎を持ち出さず、絞り本来の表現による名作を生んでこそ、絞りに改めて話題が集まるのではないか。もちろんそういう活動をしている絞り作家もいるが、絞りの技術は多様でありながら、ほとんど完成されているもので、そこに新しい時代に合った表現をすることは友禅もそうだが、なかなか言うや易しいが実行は難しい。それは、ひとつには絞りが友禅と同じように布を扱う表現であるからだ。繊維産業は金属産業に比べて潤いがあまりに少なく、今や第三諸国の安い人件費でいくらでも複雑な染めものがプリントで生産される。そういう現状下において高い日本の人件費で作った友禅や絞り染めの品物がどれだけ注目され、しかるべき価格で売買されるかとなると、よほどの物好きしか買わない。それに、絞る行為は単純作業であるから、日本でよりも中国や韓国、ヴェトナムといった外国にさせた方が安くつくと考える業者もあり、実際そういうことは頻繁に行なわれた時があったし、今もそうだろう。絞り工芸館が建てられたのは、そういった日本の伝統的な染色技術が大きく廃れて行く時代にあって、どうにか一致団結して巻き返しを図らねばならないという危機感があったために違いない。そこで話題作りに名画の絞りによる再現というアイデアが出たが、そういう一種イカモノを使ってでも絞りを広く知ってもらい、また絞り工芸館に足を運んでもらいたいという思いだ。同じようなことを友禅業界がやっているかとなると、昔はあったが、今は活発ではない。それほどに友禅業界が凋落していることになるが、それぞれの作家が自分でそれなりに宣伝し、活動していて、まとまりが少ないのも原因だ。また、友禅で北斎の版画を再現することはさほど難しくないが、そうした作品が絞りによるものより意義があるかとなると、友禅ではかえって原作とほとんど大差ないものが出来てしまい、面白みが少ないかもしれない。そう考えると、絞りによる「富嶽四十六景」はそれなりに見どころがある。それで出かけることにした。
残念ながら館内は撮影禁止であった。1階は売店で、2階へまず上がる。上がってすぐ、左手前の10畳ほどの部屋には衣桁にかけた総絞りのキモノが数点飾られ、また小物も所狭しと置かれていた。その部屋だけ見ると呉服問屋と同じで、本当はそこに客をたくさん誘導して買ってもらいたいのが本音だろう。だが、大半は絞りのことをさして知らず、よくて3000円の体験コースへの参加だ。そのためか、当日その部屋は早々に消灯されて扉が閉められた。無暗に作品に触ってもらっては困るという考えだろう。総絞り染めのたとえば振袖は今ではいくらするのだろう。それはその技術のみで得られるよさがあるが、数十年前、いやもっと昔の同様のキモノとどこがどう違うにか筆者にはわからない。つまり、絵が昔と同じで、とても古臭く感じる。その点、いわゆる絵を描くのと同じといってよい友禅では、どんな絵でもどんな色合いでもすぐに対応出来るから、時代の流行を取り入れやすい。それを言えば絞りも同じとなるかもしれないが、総絞りのキモノの下絵を描く才能が昔の考えのままで、斬新さがない。「富嶽四十六景」の46点の作品は2階右手半分で、やや薄暗いところに押し込まれたような形で並んでいた。先に書いたように、北斎の原画の再現というにはさびし過ぎるものが目立った。これは同じ平面でありながら、絞りは絞った跡が皺という立体になること、また絞って染めることの難しさがとても北斎の絵の再現に追い着けない。たとえば、チラシ表に印刷される「赤富士」だが、匹田で富士の頂上近くの襞を表現している。これは最初にその部分を絞っておくもので、そう難しいことではないし、またその点描による岩肌の表現は最初から絞り染めとわかっているので不自然さは感じない。次に目が行くのは、富士の赤味だが、これは友禅では簡単であっても、絞りではその部分の周囲を糸で縫い、赤く染まっては困る部分を全部防染用具で被せてから赤い染料の液体に漬けて煮る。色ごとにその作業を繰り返すが、よく見ると背景の雲は別の絞り方をしているし、富士の赤い部分の裾がぼけていることもそこだけ別の工夫がいる。このように、描くのでは簡単なことが、絞りではとても厄介で、そうした技術的なことがわかる人が見ればそれなりに面白さもわかる。「赤富士」その他数点以外は見るに耐えなかった。特に人物が登場するものは全滅で、絞りで表現するにはふさわしくない。北斎が実際に描いた四十六の風景と言わず、数景でよかったのではないか。2階には「モナ=リザ」を絞りで表現したものもあった。思わず笑ってしまった。いくら名画に寄りかかろうとしても、「モナ=リザ」の何をどう絞りで表わそうというのだろう。これはケーキで「モナ=リザ」を表現するのと同じで、絞りの技法がかわいそうだ。下へ降りる際、階段の壁に10号程度の絞りの額絵があることに気づいた。ゴッホの「ひまわり」だ。これは面白かった。ゴッホの激しい筆のタッチが絞り特有の皺でうまく表現されている。それは「富嶽四十六景」よりも格段によい。絞り職人は絞って染めることは得意でも、絞りを活かした独自の絵を描く才能がないようだ。これは有名な画家を呼んで来て済む問題では決してない。絞り職人自ら絵を知らねばならない。