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●飾り馬を求めて、その12
色しないに越したことはないが、焼き物でない限りは当初の色を保つことは難しい。主に蛍光灯に照らされながら、40年近く飾りっ放しにしている絵がある。ポスターカラーで描いたもので、描いた当時とあまり変わらない気がする。



絵具の品質がよいと見ていいのだろう。変色、褪色してもそれなりにきれいに見える場合がある。それは多分に古いものであるという一種ありがたい思いが関係している。敦煌の壁画といったものはその代表的な例だ。だが、敦煌の壁画は、絵具によっては描かれた当時とはまるで違ってしまっている。真っ黒に見える部分はかつてはそうではなかったのに、化学変化を起こしてしまった。それは描いた人は予期しなかったであろう。そのため、変わり果てた姿を見ればすぐにでも描き直したいと思うのではないか。このように、色がすっかり変わってしまったものは、古いということで価値があるとしても、美的観点からはもはや見る影がないとするのが妥当だろう。化学染料は天然の、つまり植物染料と違って、経年変化でむごたらしい色合いになってしまうと考えている人が多い。だが、明治時代の化学染料で染めたキモノは今でもほとんど褪色していない例があって、どれだけ光に当てたか、またしかるべき染め方をしたかで、褪色具合には大きな変化が出る。そそれは植物染料でも同じだ。それに、植物染料で染めたものは、化学染料で染めたものより10倍20倍の長い歴史があるが、染めた当時の色がすっかり消えているものも多い。もう1000年ほどすると、化学染料を使ったものの褪色具合が植物染料と比べてどうであるかがある程度はわかるかもしれないが、現代の植物染料による染色は、化学染料が登場する以前のそれと同じとは言えない場合が多く、化学と天然の境目はかなり曖昧になっている。天然を調べ尽くして化学が立脚しているから、それも当然だ。それはさておき、土人形に用いられた「泥絵具」は、江戸時代は自然の土を精製したものを使った。人体に有害なものが多く、明治時代になると子どもが触ってその指を舐めれば健康を害するということで、描いたうえに全体にニスを塗ることが奨励され、伏見人形にはそうしたものが多い。それが一時的な流行のような形になったのは、化学的に作った安価な絵具が登場したからで、それは基本的に胡粉を土台に色をつけている似たことは日本画で用いる岩絵具にも見られる。高価な群青をふんだんに使うことは貧しい画家には無理で、ガラスの粒子を青く染めたものが発明された。その技術はその後もっと進化し、今ではあたりまえにあらゆる色に使われているかもしれない。絵具製造会社は独自に安全で安価、そして褪色しにくい商品の開発に余念がなく、ある絵画を見て、どの会社のどの絵具を使っているかはにわかには判別出来ないだろう。伏見人形も同じで、明治以前のものではだいたいは胡粉に墨、そして朱、黄、緑が用いられたが、中には照りのある赤紫もあって、それはおそらく植物染料を顔料化させたものだろう。派手な青もあるが、これは幕末頃には洋紅とともに浮世絵などに大量に使われ、伏見人形も使ったようだが、当時の作品がほとんど残っておらず、また保存されているものを見ても青の使用はないかほとんどない。それが今では青はたくさん使われる。
●飾り馬を求めて、その12_d0053294_1053185.jpg

 筆者が自作の「飾り馬」を彩色するに当たって一番考えたのが、この青だ。それをどこにどの程度使うか。これは友禅染めでも同じだ。青はなるべく少なく使う。これが上品に仕上げるこつだ。たとえば菊の花が10個あるとする。そこに自由に色を塗っていいとして、通常は友禅では青は10個のうち1個しか適用しない。紫も1個だ。残る8個の菊は、3個を胡粉すなわち白、3個を朱、2個を黄とする。これが最も調和した配色だ。そして、彩色する順序は、白、黄、朱、そして青か紫で、決して濃い色から順には塗らない。これは、淡い色は後で濃くすることが出来るからだ。青を先に塗り、その配置がまずいと後で思ってももはや修正は出来ない。胡粉なら水で落とすことが出来る。それで友禅ではまず白をどこに布置するかが重要な工程になる。それが決まれば後は楽と言ってよい。この友禅の彩色方法を「飾り馬」にも適用した。それは丹嘉の製品への批判でもある。丹嘉の「飾り馬」の配色は、悪くはないが、あまりにも絵具が原色過ぎるし、また青の用い方が下品に見える。京都らしさはそうであってはならない。原色の絵具を使うことは楽だ。特に同じ形の人形を大量に彩色する場合はそうだ。途中である色がなくなっても、商品として同じ色がいくらでも売られている。混色すれば複雑な色になるが、後で同じ色を作るのが大変だ。だが、筆者の場合、16個の「飾り馬」を彩色すればよいから、混色は厭わないし、また混色することで古風で上品な色を作ることを目指した。そのため、用いたすべての色は、最低でも5,6色は混ぜた。そして色を渋くするのに、黒や茶色は用いなかった。これは筆者が友禅で守っている方法だ。たとえば赤を塗るとして、それを作るのにオレンジや臙脂の赤系を混ぜる以外に緑や青も少量使う。そうした混色による絵具で仕上げたものは、全体にややくすんだ色合いになるが、ひとつの懸念は数十年経った時の状態だ。それが原色をそのまま用いた時と比べてどうかは、数十年経ってみないことにはわからない。ただし、丹嘉の商品の褪色具合を見ると、たとえば赤は半分ほどの濃度になり、また彩度も著しく落ちている。どうしてそれがわかるかと言えば、同じ位置で長年飾っていて、表側と横や裏とでは光の当たり方が違い、横側や裏面に製作当時の色合いがより強く残ることが多いからだ。赤の褪色はまだいいとして、水色はほとんど消えてしまう場合がある。これは友禅で用いる化学染料でも同じで、褪色具合は色によって大きく異なる。そして、濃い原色であるからといって褪色が少ないことは全くない。
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 江戸末期や明治初期くらいの伏見人形には、焦げ茶や雲母を使ったものも目立つ。若冲が描く「伏見人形図」の布袋像もそうだ。衣はどれも焦げ茶で、顔は肌色がかった雲母が塗られている。これは銀色の雲母を肌色に混ぜたのだろう。もちろん肌色の絵具は胡粉に少量の朱を混ぜて作る。焦げ茶は弁柄のはずで、これは鉄が錆びた色で、安定性が高く、酸化の具合で多様な色合いに変わる。弁柄を入手して「飾り馬」を彩色することも出来るが、丹嘉製はもっと派手でたくさんの色を使っている。その派手な部分を改変することが一番の狙いで、江戸末期や明治初期のごく限られた色合いだけで塗ると、丹嘉製よりかなり見劣りがするだろう。だが、古風さも出したい。華麗でありながら落ち着いた色合い。そのようなものが出来たと思っているが、それは言うなれば、伝わる古玩としての伏見人形と現在のものを見通し、こうあってもよいのではないかという筆者の考えを示している。そのため、古玩を愛する人からも、また丹嘉の新作に馴れている人からも違和感を惹き起こすかもしれない。どっちつかずのもので、伏見人形ではないという批判だ。もっとも、嵐山で作ったので、伏見人形とは呼べないが、2枚型を用いて作り、また伝統的な「飾り馬」の形を踏襲している。彩色を進めるごとに写真を撮ったが、今日はその最初の4枚を順に掲げる。前述のように、まず胡粉だが、これは全体に塗る。ただし、筆者は4個の蹄の裏側は素焼きのままとした。丹嘉製は前回書いたように、「流し込み」で、この蹄の裏も真っ白だ。そしてその全体の白は流し込んだ土を素焼きして得たもので、胡粉を塗っていないはずだ。これは彩色工程としてかなり手間が省ける。さて、最初の写真にあるように、胡粉の下地を塗った後、たてがみと尻尾に銀色を塗った。雲母の粉末で、友禅でも使う。それ専用の接着剤として液体樹脂が売られている。白濁したもので、これを水で薄めて使う。濃いと乾燥後に照りとべたつきが出る。「飾り馬」のたてがみと尾は、伝統的に肌色がベタ塗りされる。筆者はこれに大いに悩んだ。白馬のたてがみと尾がピンク色をしていては、何となく生々しい。だが、温かみを出そうとするのはわかる。たてがみと尾が胡粉のままであれば、他の彩色箇所に負けて、馬そのものの存在感が希薄になる。そこで折衷案を採用した。全体に銀色を塗り、後で肌色で線描きすることで毛並みを強調する。そして、その毛並みは彫りの段階で丹嘉製よりはるかに誇張しておいた。
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 次は黄色だ。丹嘉製はこの黄色がおそらく原色のままで、筆者はそれが好きではない。そこで朱や緑などを若干混ぜ、辛子色に近くした。最初の写真に見えるように、目と鐙を当てる覆い、そして前垂れの最上部の3か所だ。それでは少ないと感じ、2枚目の写真からわかるように鞍と鐙をつなぐ紐にも用いた。2枚目は緑が入っている。かなり多くの色を混ぜて抹茶色にした。3枚目はかなり色が入った。鞍背後の覆いを水色にしたのは、軽さを出すためだ。その縁は紫だが、小豆色と言った方がよい。鞍から垂れる2本の飾り紐は最も悩み、結局青とした。青はその箇所のみ適用した。鐙の内側は朱で、これは本物の鐙をイメージしている。3枚目でもう一か所増えている色は蹄だ。丹嘉製は猪や羊など、どの四足動物でもこれを青で塗っている。それが伏見人形の伝統なのだろう。だが、若冲時代はそのような絵具がなかったはずで、また前述のように青は目立ち過ぎて、使う場合は全体から見てごくわずかでよい。蹄は目立たない箇所なので、青でもいいようなものだが、筆者はそうしたくなかった。実際の白馬はどうであろうか。あるいは馬全体はどうか。そこで曖昧な色合いである灰色にした。これなら白馬の白にもふさわしいだろう。丹嘉製の「飾り馬」でもう一か所伝統的に青を塗る場所がある。顔の前半分だ。それは布の覆いにも見えるが、馬の仮面はその場所だけには用いない。それに鼻の穴と口元には赤が塗られている。その赤はいいとして、青はやはり納得出来ず、当初は白のままを考えた。そのようにしている伏見人形の「飾り馬」もある。それに白馬ではなく、黒い馬の場合もある。顔の前半分を青く塗るのは、顔を目立たせるためであろう。それに、白馬でも顔の先端部は黒っぽい場合が多い。そのため、きっちり前半分ではなく、灰色をぼかして塗ろうとも考えたが、すぐにやめた。そうすればその部分が手垢で汚れたように見えるからだ。青く塗るのは、手垢で汚れることを少しでも防ぐ意味合いと、白馬の顔の先端部が白ではないことによる。そこで筆者は青は使わず、また鞍後部の覆いの水色にもせず、髭剃り後のような、やや紫がかった青みの淡い色にした。
●飾り馬を求めて、その12_d0053294_10541759.jpg

by uuuzen | 2013-12-09 10:54 | ●新・嵐山だより
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