欺かれたと思ったのが、先月初め頃に
「カオスの間」近くの白川で見た鷺の姿だ。その川はいつ見ても水深10センチほどで、そこに一羽の大きな鷺が立っていた。筆者から5,6メートルの距離だが、夕闇が迫る時刻で、鷺が看板のように見えた。
少しも動かないからで、また2次元のように平たく見えた。白鷺は鴨川にも桂川にも多いが、そこに混じってより大型の五位鷺なのだろうか、本当の名前は知らないが、白鷺のようには群れずにぽつんと立っている鷺をよく見かける。大型であるから白鷺よりたくさん魚を食べねばならないだろう。ところがいつ見ても突っ立っていて、魚を食べているところを見かけたことがない。この鷺はわが家の裏庭の向こうの小川の上をよく飛ぶ。近くに住みついているようだ。たぶんこの鷺か、深夜にギャーという叫び声を上げる。ひょっとすれば鴨かもしれないが、昼間見かけた時に同じ声を上げていたことがある。ということはいつ眠るのだろう。深夜まで魚を捕獲せねばならないほど、魚が少なくなっているのか、体が大きいので始終食べていなくてはならないのか、雑食ではなさそうなので鷺は大変だ。先日家内と尼崎に行き、阪神尼崎駅からすぐ近くの川で100から200のカモメを見た。毎年同じ場所にやって来る。水道管のようなところに整列していて、どれも下流側を向いている。その不思議を家内に言うと、日の当たる方向が好きなのではと言われた。その付近に毎年集まるのは、川岸で餌をやる人がるからだろう。その日も2,3人がそうしていた。空中に止まって餌をついばむ様子はかわいいものだ。鴨川の四条大橋でも同じ光景が見られる。カモメは雑食のようで、逞しい。その点、鷺は人間になつかない。街中に棲息するものは、前述の白川で見かけたもののように、5,6メートルほど接近しても動じないが、やはりそれが限度だろう。生きた魚を食べる彼らは雑食の動物が嫌いなのかもしれない。だが、鷺と烏が争っている光景を見たことがない。トンビと烏はよく戦うが、どちらも雑食だ。トンビのそれは烏以上かもしれない。鴨川でハンバーガーを食べようと思った若者が、手に持った瞬間トンビにかっさらわれた。そのきょとんした様子をTVで見たことがあるが、大いに笑えた。人間の手を傷つけずに、ハンバーガーだけ奪って逃げる。烏はそこまでの勇気はない。だが、彼らも人間を襲うことがある。これも先日、民族学博物館を見た後、日本民藝館の脇の道で烏が数羽、樹木にたむろしているのを見かけた。ざわざわとうるさく、人間に警告を発している雰囲気だ。同じことはわが家の近くの桜の林の中で経験したことがある。木の上で巣作りし、雛を育てていた最中で、近くに人間がやって来ると、親鳥は急降下して頭を突っつこうとする。そのような目に遭ったことがあるので、民藝館の脇を歩かず、無料で見られるその売店の中に入り、迂回する形でまた脇道に出た。そうしたことは鷺ではないだろう。彼らは烏のように人間が簡単に接近する場所で子育てをしない。その孤高性が鷺をなおさら美しいように感じさせる。
出歩く時にカメラを持つことが多く、鷺を見かけると撮ることにしている。最初に書いた「カオスの間」の近くで見かけた鷺もそうした。だが、暗くなりかけていたこともあって、うまく写らなかった。そのため、今日は4枚しか載せられない。この白鷺ではない大型の鷺は、9月21日の弘法さんの縁日でも見かけた。北門付近の池で、小さな橋から見下ろすと、5,6メートルほど先だ。陽当たりがよく、羽づくろいをしてくつろいでいた。その写真は
「鬱の目、鷺の目」の投稿で使った。そう言えば今日の題名を「鬱の目、鷺の目、アゲイン」にしてもよいが、「鬱の目」の気分はないので、それを最初に思い出さなかった。ということは、今日はまず題名を考えたことになり、書くべき内容はこうして書きながらもまだ決めていない。先日、韓国ドラマを見ていると「オレオレ詐欺」の話が出た。韓国が日本を真似たのだろう。また世界中に広がりつつあるのかもしれない。これは電話あっての詐欺で、電話があまり好きでない筆者はなおさら知らない人からかかって来るとすぐに切りたくなる。今日は午後に若い男からかかって来た。保険の勧誘だ。そうした電話しかかかって来ない。保険には興味がないので、すぐに理由を作って切るが、昔は家を訪れて売りつけることが多かった。押し売りだ。母がそれをよく断っていたことを思い出す。そうそう、昨日も若い男から電話があった。家の近くにトラックで来ているが、長野で採れたリンゴなど買わないかとの誘いだ。去年も来た業者だろう。確か3年前に一度買った。木製の箱をふたつおまけにくれた。それに本を入れて隣家に置いているが、段ボール箱の方が軽くていいかもしれない。ともかく、一度買えば相手は覚えているから、また来年もという気になる。筆者は普段あまり果物を買わない。とても高いと思うからだ。韓国ドラマではバーでも酒の肴に盛り合わせた果物が大量で出る。果物好きでまた安価なのだ。日本ではまるで一片といった小さなリンゴが弁当につくことがあるが、それほどに果物は高価で、昔と大きく違った。ビタミンCを摂る必要上、たまには果物を食べようと思い、去年は12月にリンゴを40キロもネットで買った。B.C級品で、生食にはあまり向かない。それで大量のジャムを作った。先日はネットでミカンを20キロ、そして渋柿を10キロ買った。リンゴも買いたいが、去年より割高になっている。
物の値段を言えば、よくスーパーに行く筆者は物価高騰を実感する。トモイチでは揚げ物コーナーが午後8時近くなると半額セールをやった。それを目当てに行くわけではないが、午後7時頃に家を出ると、それに近い時刻になる。それで半額で買うことが多かった。だが、家内に言わせると、半額でも高い。たとえばコロッケは半額で40円弱だが、値段の割にまずく、もともと40円くらいの価値しかないとのことだ。確かに同じ大きさで同じような味のものがムーギョではもっと安い。それでもほかにアジのフライとか筆者の好きなものが半額で買えるので、よく買った。それが2,3か月前から半額ではなく、3割引きとなった。もはや半額では商売が成り立たないのだろう。実質的な値上げで、そのことで筆者はそのコーナーで買わないことにした。値上げの犠牲者とも言えるだろう。わずかな金額でも、積もると大きい。TVで生活保護世帯の母親が、涙混じりでスーパーの半額シールを貼った商品を買っていると訴えていたが、筆者はいつも半額商品専門と言ってよく、しかもそれを当然と思っている。食べたい物を食べるのではなく、少しでも安い物を買って食べるという姿勢だ。それでもおいしいと思う。物は考えようで、半額商品しか食べられないと嘆かず、あえて半額を探していると思えばいい。あまり者のような生き方をしている筆者はあまり物で充分で、何でも手当たり次第に高価な食材を買って食べるという姿勢をむしろ不幸のようにさえ感じる。じっと川面にたたずむ鷺が、手当たり次第に、また好きな時に餌にありつけるか。そうではない。我慢に我慢を重ねて少しだけ食べる。それでいて、陽射しのいい場所でのんびりと羽をつくろう余裕がる。人間はどうか。あまった食材をどんどん捨て、貧しい者に分け与えることもためらう。それどころか、老いた者を騙して大金をせしめようとする者までいる。何の話であったろう。そうそう、電話を利用した詐欺だ。鷺が電話をすれば「オレオレ鷺」で、相手の鷺にどんな詐欺を働くだろうか。働いてもしれている。食べるのは生魚で、しかもそれを蓄えようとはしない。蓄えることを知った人間は醜い。蓄えている者もそうだ。そんなでっぷり蓄えた者から少しくらい詐欺で奪っても神に叱られないかもしれない。何の話か。スーパーの商品価格がわずかに上がったからには、来年4月の消費税アップではもっとそうなる。上がった分はきちんとしかるべきところに使うと政府は言っているが、まともに信じる人がいるだろうか。他人の金は自分の金と思う「オレオレ詐欺」の連中よりもっとあくどいのが政治家で、そう言えば都知事も筆者が思っていたようにかなり曲者で、その埃が出て来たようだ。それにしても格好悪い醜態を晒して憐れなものだ。金にまつわる醜聞は最低で、ザッパならどんな曲を書いて揶揄したかと思う。
今日の写真の説明をしておく。撮った順に掲げる。最初は
『地図展2013 日本の世界文化遺産』の最後に載せた写真の中央左寄りに見える狭い中洲に鷺が立っているのを見かけて撮った。3、4メートルほどであった。その付近はめったに人が歩かないので、魚を捕るにはいい。そっと写真を撮った後、鷺の姿が見えないかと、3,4メートルほど上がった道に出て下を覗いた。すると筆者の気配を感じたのか、その鷺は下流に向けて飛び立った。それから20分ほどして中ノ島橋をわたっていると、釣り人の近くでたぶん同じ鷺と思うが、浅瀬にたたずんでいた。その様子が面白い。釣り人が得た魚を横取りするほどの根性はないが、たぶん魚に出会う確率が高いことを知っている。釣り人との距離が微妙で、それ以上には鷺は近寄らない。それでもかなり人馴れしている方だろう。ちょこんと立ってかわいいものではないか。カモメや鳩なら餌をやることは出来るが、生魚となればそうは行かない。鷺が人に懐かないのは、食べる物が理由ではないか。3枚目は先月17日、家内と京都市美術館に行く途中、岡崎の疏水で撮った。若い女性が5,6人小径にいて、その傍らを歩く筆者にひとりが声をかけて来た。スマホで写真を撮ってほしいと言う。「ここを押してください」 そのとおりにしたつもりが、指が画面に触れて3枚ミスをした。4枚目にしっかりかまえて撮ったが、全員面白いポーズを取った。「たぶんうまく写っていると思うけど」と言いながらスマホを返し、その場を去りかけた時、みんなで画面を覗き込んではしゃいでいた。紅葉に囲まれてご機嫌な彼女らであった。その彼女らの向こうの川岸に鷺がいた。4枚目は滋賀からの帰り、東本願寺の塀で見かけた。白川で2次元に見えたのと同じく、じっとして動かず、「飛び出しボーヤ」ではなく、「飛び出し詐欺」の注意を喚起する看板かと一瞬思った。筆者と同じように四条に向けて歩いていた人たちもみな立ち止まって写真を撮っていた。筆者がその場を離れると、前方の上空に同じ形の別の鷺が飛来し、建物の鬼瓦の近くに舞い降りた。その様子は撮影しなかった。以前に同じ角度で撮ったことがあるからだ。どうやら同じ鷺で、その場所はお気に入りの縄張りのようだ。その写真は
鬱の目、鷺の目」の最初に載せた。「オレは鷺だぞ」と主張しているようで、また平等院の鳳凰を連想させて格好いい。