軒下に柿をたくさん吊るしている光景に憧れがある。これは前にも書いたと思うが、従妹の主人が福知山の出身で、子どもの頃におやつと言えば柿ばかりで、大人になってから見るのもいやと語っていた。

芸能人のように長身で美男子、頑健な体をしていたのに、2年前に癌で60代前半で亡くなった。亡くなる寸前、これが同じ人かと思うほどやつれて見えていたのが胸を痛めた。2、3年前までは色艶もよく、健康そのものに見えたのに、人の運命はわからない。柿と言えばその人を思い出す。その人は干し柿も嫌いと言っていた。とにかく柿にはうんざりであったようだ。柿は8年で実をつけるようだが、今からタネを隣家の裏庭に撒けば筆者が70になった頃に最初の収穫が出来る。そう思うとやってみようかという気になる。都会育ちの筆者には柿の木は珍しい。わが家の近くにはそれがたくさんあって、実を摘み取らずにそのままにしていることも多い。鳥の餌にするつもりなのか、あるいは渋柿で、そのまま放置してやがて甘くなるまで待っているのか、他人の物なのに大いに気になる。1本の木にあまりにたくさんの実がなるから、遠目にも目立って仕方がない。たぶん1000や2000個は実るだろう。1個500グラムとして2000個なら1トンだ。よくもまあそれだけの重さを枝が支えるものだ。どの枝にも万遍なく実るからバランスを保っているのだろう。それにしてもそれだけの実を毎年つけるのは柿にしても大仕事のはずで、大地と日光、水の恵みの大きさに改めて感心する。3週間にはならないと思うが、新京極六角のスーパーで大きな渋柿が袋詰めされて売られているのを見かけた。その数日前、ほとんど同じ大きさで同じ形の渋柿が箱入りで10個1000円でトモイチに並んでいた。干し柿にする柿が売られているのを初めて見た。そして1個100円の高さに驚いた。それなら甘柿が買える。皮を剥いて紐で蔕をくくりつけ、日の当たるところに気長に干す必要がない。だが、それが楽しみという人もあって、渋柿が売られている。これはほとんど暇を持てあましている老人向けの商品だろう。筆者は買わなかった。ところが、新京極六角のスーパーでは、ビニール袋に6個ほど入って400円弱であった。これなら1袋買ってみる気になる。ところがあまり売れないらしく、たくさん残っているし、どの袋にもぐじゅぐじゅに潰れたものが1,2個入っている。なおさら売れないはずだ。そこで丹念に調べて潰れたものが入っていないのを選んだ。1袋ではさびしいので2袋にしたが、そのひとつの口が開いていて、どうも1個か2個こぼれ落ちている。そこで家内は袋から外れて転がっているものを1個拾い、開いた口に放り込んだ。帰宅して調べると全部で13個ある。ということは、口が開いていた袋から柿がこぼれ出ていなかったことになりそうだ。ではなぜ袋の外に転がっていたのだろう。袋には6個か7個入っていたと考えるべきだが、それにしては大きな柿で、1個で袋の重さがかなり違って来る。

トモイチで売られていた箱入りと同じく、吊るし用のロープと、干すまでの手順を書いた紙が入っていた。ロープは3本を縒ったもので、その一部をほぐして柿の蔕の茎を通す。なぜそれを知っているかというと、今年の節分の際、吉田神社で葛城からやって来た干し柿専門の露店商が高級品をたくさん売っていて、妹が筆者の分も買ってくれたからだ。縒り紐にしっかりと蔕の茎が挟まっていて、それを外すのは骨が折れた。この紐は荷の梱包用として売られているもので、3本の縒り紐の相互の密着性が強いものとそうでないものがある。干し柿用には前者がよい。後者では吊るす際に、また吊るしてからでも柿が脱落しやすい。吉田神社で買ってもらった干し柿は、今までに食べたことのない高級品であった。1個当たり200円ほどしていたのではないだろうか。ていねいに干されて、甘さも充分、形もきれいであった。手間と美意識をかけて作ったもので、高価であるのがあたりまえのような商品だ。そういう干し柿を自分で作られるとはその時は思いもしなかった。トモイチで渋柿を見かけた時は嬉しかったが、1個100円は高い。その倍出せば中国製のものが10個は買える。筆者にはそれで充分だ。だが、自分で作ってみる楽しみは一度は味わいたい。そこでもっと安いものがないかと思っていたところ、新京極のスーパーで見つけた。柿は産地によって呼び名や形がいろいろあって、筆者は全く詳しくないが、干し柿用に売られていたものが2軒とも人の拳ほどに大きく、それが意外であった。その大きさは見ているだけでほれぼれする。水分が半分かそれ以上あるはずで、渋さがなくなる頃にはかなり小さくなるはずで、最初から大きな方がいいことは予想がつく。それにタネがあまり入っていないのが望ましい。わが家の近くの小さな畑には1本の柿の木が今1000個ほどの実をつけているが、どれもとても小振りだ。それに畑の持ち主に訊くと、タネがたくさん入っているそうだ。そのため、干し柿にせずに放置している。それがやがて甘くなるというから、渋柿の仕組みがよくわからない。甘くなれば鳥の食べ物となるから、渋柿の方が鳥には嬉しい。

筆者は包丁を持ったことが長い間なかった。たぶん50歳までほとんど使ったことがない。よく使うようになったのはここ数年だ。リンゴの皮を剥くなど、曲芸に見えたものだが、今ではかなり早く、またていねいに剥く自信がある。包丁を扱うことは筆を持つことと同じで、手先の仕事だ。つまり器用さだ。渋柿を買う気になるのも、皮を剥く手間を厭わないからだ。それはいいのだが、昔から憧れがある、干すのに最適な軒下がない。あるにはあるが、鉄筋コンクリートの陸屋根であるから、ベランダに脚立を置いてコンクリートの壁にボルトを打ち込まねばならない。そこまでしてという気持ちがあるので、今年は別の方法を考えることにした。ベランダの手すりにロープをわたし、そこからぶら下げる方法だ。それならが13個程度ならどうにかなる。説明書を読むと、雨に当てないこととあって、水分が付着するとアオカビが生えて駄目になるらしい。晩秋から初冬は台風のシーズンではないので、強い雨風はほとんどないが、屋根の庇の真下ではなく、ベランダの手すりでは雨に当たる可能性は充分ある。そういう時のため、ロープから簡単に外せて室内に干せる仕組みを考えた。今日の最初の写真はそうして室内に入れた状態だ。1本のロープに1袋分を吊るし、それが2本だ。田舎の木造家屋の軒下に何百個と干されるのとは比較にならないわびしさだが、アオカビを生やして失敗してはつまらない。それでまずは10個程度で試すのがよい。わが家の裏庭側は南で、陽当たりはとてもよい。干し柿作りには最適だ。干しながら思ったのは、鳩がよく飛来するので、食べられないかという心配だ。だが最初は渋柿で、鳩は食べられないことを知っているのだろう。2階のベランダでは猫がたまにやって来る。渋が抜けて甘くなった頃に猫が狙うかもしれない。それで3階にした。説明書には3週間干すべしとある。干すほどにいいのかどうか、それがわからない。また干している間に白いうま味成分の粉まみれになるものとばかり思っていたが、そうはならず、ただ茶色になって干からびる。今日は吊るし始めて2週間と2,3日目だと思うが、あまりに縮んで干した首に見えたので部屋の中に取り入れた。そして1個食べてみた。おいしいが驚くほどではない。中国製の安物の方が甘いくらいだ。おかしいなと思ってもう1個食べた。味がない。目をつぶって食べると、とても柿とは思えない。これはまだ吊り足りないせいか。あるいは柿の品種がよくないのか。吉田神社で売られていたものとは、形も色艶も味わいもまるで別物で、さすが干し柿専門の業者は違うと感じ入った。陽当たりが不足していたはずはないから、何か原因があるはずだ。少し思い当たるのは、吊るす前に熱湯に10秒ほど浸すという作業だ。そうすればカビが生えにくいらしい。その10秒を筆者はほとんど30秒かもっと浸した。そのため熱湯は渋で濁った。あまり渋を除去し過ぎると、甘く乾燥しないのかもしれない。

それにしても、何事も初めての挑戦は楽しい。失敗する恐れもあるが、それをうまくやり遂げた後の充実感は忘れ難い。その初めての試みを今年の秋はほとんど伏見人形の「飾り馬」作りで費やした。今日九州のFさんに発送を済ませたが、一仕事を終えた満足感がある。やはり筆者は職人肌で、金のことはさっぱり念頭にない。手仕事をやっている間、何もかも忘れることが楽しい。だが、それで充分な生活が出来るのならばいいが、多大な時間を費やすのに収入がないでは家族はたまったものではない。干し柿をせっせと作るにしても、それは農家が収入を得るためで、趣味で1000個ほどの柿の皮を剥き、紐で吊るす人はそうはいない。また、収入を得るための仕事であるから、素人にはとても無理なきれいな形でおいしい干し柿が出来る。趣味は趣味に過ぎず、初めての試みでうまく行ったとしても、プロの仕事にかなうはずがない。それはさておいて、数日前にネット・オークションで渋柿を1箱落札した。50弱で10キロ、1個50円ほどだ。これがびっくりするような大きさで、先に干したものの1.5倍はある。それを一昨日の夕方にひとりで全部皮剥きをし、ロープに吊るした。あまりに皮を剥くのが早いので、家内は驚いていた。1本に8個吊るし、全部で6本だ。またベランダで干すしかない。荷造り用の硬くて平たい紐を4分割して裂き、それを結んで手すりに張りわたした。柿の重さでかなり垂れ下がるので、矢筈代わりに使っている乾燥させた南天の棒をつっかえに用いた。昨日今日と天気がいいので、表面はもうすっかり乾燥している。3週間先とはクリスマス頃か。家内は干し柿を好まないので、筆者ひとりで食べることになりそうだが、おいしく仕上がるかどうか。外出中に強い雨が降るともう駄目になるかもしれない。なので、天気予報に気をつけ、降りそうならば部屋の中に入れておく。だが、6本となれば最初の写真のようにカーテン・レールにぶら下げるとそれが折れ曲がるだろう。やはり来年はベランダの頭上の壁にアンカー・ボルトを数本打ち込み、ロープを張り巡らすことが出来るようにすべきか。それに柿のタネを捨てずに庭に埋めると、知らない間に発芽し、8年後には実が収穫出来るか。そうなれば買わずに済む。あるいは何でも一度試すと納得する筆者で、今年の挑戦で満足するかも。おいしい干し柿にならなければその可能性が大きい。