躊躇させられることがあるとは思わなかった。昨日の正午頃、天気がよく、あまり肌寒くなかったので、思い切って嵐山の奥にある大悲閣の近くまで紅葉を見に行くことにした。河原町へ出かける用事があったが、3軒ほど回るだけで、2時過ぎでもよい。
それまでにさっと行って写真を撮って来ればいい。観光客はまだ多い方で、嵐山の紅葉も多少は楽しめる。旅館「花筏」の前を上流へと進む道は、突き当たりの大悲閣まで徒歩15分ほどだ。途中で大きな坂があり、そこから見下ろす景色はなかなかよい。そこの対岸が昨日書いた大河内山荘で、同山荘は嵐山を借景として庭が作られた。時代劇で有名な大河内伝次郎が作ったもので、彼は1960年代初頭まで生きたが、戦前の俳優だ。当時の超有名な映画俳優がどれほどの収入があったかを知るにはこの山荘を訪れればよい。サラリーマンとは桁がいくつ違うか想像を絶する額で、同様に多額を得た俳優はほかにもいたはずだが、大河内は映画は消耗品で後世に残らないと考え、もっと長生きするであろう庭園作りに執念を燃やした。その願いどおりに、今も見事に保存されている。一方の彼の映画はどうかと言えば、それはそれでデジタル化され、今後も楽しむ人がある。筆者は時代劇があまり好きでないが、大河内の映画となるとさらに知らない。そのためもあってか、富士正晴が書いた彼の伝記本を所有しているのに、すぐには読む気になれない。それはともかく、先日のNHKのTV番組で紹介された大河内山荘の紅葉は、借景の嵐山も見事に色づいていた。それを見るには大河内山荘のある嵯峨すなわち桂川左岸に立たねばならない。右岸側に住んでいる筆者は渡月橋をわたるのが少々億劫で、嵯峨から見た嵐山がきれいなことはわかっているが、嵐山そのものの麓にある川沿いの道を歩く方が好きだ。この右岸側の道路は人専用ではなく、ごくたまに車も通る。大悲閣の真下に旅館があって、そこに食材などを運ぶためだ。そこに泊まる客は渡月橋のすぐ近くから船に乗って旅館下の船着き場まで行く。この山沿いの道はいつも日陰になっていて、夏場は特によい。息子が幼ない頃、夏になれば毎日のように自転車で通った。日陰であるからには、何となく陰気で、それでこの道を歩く人はほとんどいないのかもしれない。ところどころに落石注意の看板もあることも、そぞろ歩きをする気があまり起こらない理由かもしれない。
「花筏」の前を通り過ぎると、すぐに岩田山モンキー・パークへの上り口がある。看板があるので迷わないとは思うが、石段を上がると小さな神社の境内で、そのどこに同パークに至る山道があるのかと一瞬戸惑う人は少なくないだろう。石段を上がって境内の左端、建物の脇にその上り口がある。同パークは外国の案内書に名所として記されているようで、そこに行こうとする人たちは少なくないようで、たまに筆者はその場所を訊かれる。道筋は日本語でも説明しにくいから、英語ではなおさら戸惑うが、とにかく山を指してそこに向かって行けと言う。放し飼いされた猿は珍しいかもしれない。動物園とは違って、猿と人間の境がない。猿は人間から餌をもらえると思って慣れているのに、人間の方は犬や猫と同じように猿が自分の周りをあちこちうろつくから、内心はらはらし、またすぐ近くに猿を見る経験を存分に楽しむ。今年の夏は猿がわが家の裏庭にやって来て家内が鉢合わせし、牙を向かれた。いなくなったと思っていたところ、今度は松尾地区に5,6匹が出没し、えらい騒ぎになったそうだ。区役所ではほとんど対応してもらえず、森林課に電話をかけて檻を設置してもらったそうだ。猿が民家にやって来るのは餌が足りないからだ。それを思うと憐れだ。最初に書いたように、昨日躊躇する事態に遭遇したのは、その猿だ。「花筏」を過ぎ、岩田山の上り口を過ぎ、そしてボート乗り場を過ぎて100メートルほど行ったところ、道に猿がいた。大きな雄で、顔と股間が真っ赤で、赤い金玉の袋がぶらりと垂れ下がっていた。貫禄充分で、筆者を見ても少しも慌てない。こっちがびくつくと向かって来る恐れがある。そうなっては困る。前進を阻まれた形で、もう引き返そうかと思ったが、向こうからコートを着てDVDカメラを持った年配の男性がやって来た。猿を見かけて立ち止まり、嵐山を訪れた記念にちょっとしたおまけが出来たといった感じで、独り言しながらカメラを動かした。その言葉が中国語であった。猿は一向に去らず、同じ場所できょろきょろしている。また向こうから今度は年配の男女がやって来て、やはり猿を見かけて中国語で話しながら写真を撮っていた。そのように猿から1メートルの距離を歩いても猿は無関心で、筆者も素知らぬ顔をして追い越せばいいが、ひょっとすれば着いて来るかもしれない。何か棒きれがないかと思って周囲を見わたすと、刈れた雑草の茎があった。長さ1.2メートルほどで、適当な硬さがある。それを振り回せば少しは威嚇に役立つだろう。そう思って猿に向かって歩き始めようとした時、背後から、黒の揃いのセーターを着たフランス人らしき若い男女が自転車に乗ってやって来た。猿は相変わらず驚かない。その様子を見て、ふたりは自転車を降りた。すると猿は何を思ったのか、川にひょいと下りた。少しの岩場があり、そこに乗って手で水をすくっては飲んだり、また藻をむしり取って食べる。カップルはその様子が面白いらしく、眺め続けていると、猿はまた道に飛び移り、女性の足元に毛並を擦りつけながら上流へと歩き去った。女性は猿がそんなに近くまで来ても平気であった。筆者はその勇気はない。
ふたりはまた自転車にまたがり、上流へ向けて走り去った。筆者は枯れた茎を持ちながら、小さく見える猿を追う形で歩き始めた。昔息子をよく連れて来た滝の場所まで行くと、猿はその滝の脇にへばりつき、何やら採っては食べていた。こっちを向いてくれれば面白い写真になったが、全く無関心で、やがて滝の岩肌をよじ上って山へと消えた。そう言えば始終何かを食べていた。大きな体をしているから、食べ物の確保は最大の問題だ。その猿の生活を思って、筆者まで孤独を感じた。猿はまるで人間のホームレスと同じではないか。いやいや、もともと人間のような家を持たない動物で、猿にとっては山全体が家で、ホームレスではない。食べ物は自然の中にある。時に充分ではないが、人間のように食べ過ぎてぶくぶく太る醜さは持ち合わせていない。それでも一匹だけはぐれた生活は孤独だろう。日本ではそういう老人が増えている。筆者もそういう状態を想像することがある。本当にひとりの生活になった時、たまにははぐれ猿を思い出して自分を慰めるだろうか。猿は食べるのに必死で、人間のようにたくさんの余暇の時間を持たない。その方がかえってくよくよ悩むこともなく、精神衛生上はいいかもしれない。たっぷりあまった時間があるから人間はくよくよ考える。忙しくしているに限る。さて、猿にはもう出会わないはずだが、枯れた茎をそこらに捨てるのはよくない。それをたまに振り回しながら、先へと進んだ。大悲閣へ入ったのは7,8年前だろうか。若い住職がいた。今もいるはずだ。小さな本堂あまり頑丈ではなく、わずかだが揺れを感じる。その部屋から渡月橋方面を見ると、確かに絶景と言ってよいが、下界を見わたすトンビになった気分で、山肌ばかり見えて川の流れがどこにあるかわからない。その地に足がつかない気分はあまり好きではない。そこで筆者が思う嵐山の絶景を今日は3,4枚目に紹介する。3枚目は前述した大きな坂で、そこに立って下流を見た。遠くに渡月橋が見えている。これがよい。4枚目はもう少し上流で、樹間から川のエメラルド色が覗く。この川面の色合いと紅葉が絶妙の対照を成している。明日、明後日もまだ同じ紅葉は楽しめると思うので、嵐山を訪れる人は右岸側の道を上流へと進むとよい。観光客が本当に少ないし、ちょっとしたハイキング気分になれる。
坂を越えた辺りで対岸を見たのが5枚目だ。向こうの山の中腹に木造の建物が見える。無責任なことを書くが、それが大河内山荘かもしれない。前述したように筆者は嵯峨側の山辺をほとんど歩かない。そのため、どこにどういう施設があるかもあまり知らない。それはさておき、この写真は絵はがきのようで、嵐山とは思えない。それに静けさがある。実際とても静かで、鳥の声のみわずかに聞こえる。こんな風景がわが家から徒歩20分とかからないところで見られるのに、10年近く行ったことがない。昨日はよく時間を作って出かけたものだ。そうそう、この5枚目の写真を撮るために上流へ行ってみようと思った。というのは、先日から阪急電車の嵐山の紅葉を宣伝するポスターを何度か見たからだ。女性ふたりが舟に乗って上流のどこかを見て微笑んでいる写真が使われ、背景が金とオレンジ、赤の紅葉する山だ。その山は筆者の記憶では嵐山の麓の道を上流へと遡って行く途中で対岸に見える。ポスターを撮影しておくべきであったのに、それを忘れたために同じ場所を撮影することは出来ないが、この5枚目に見える山とそっくりだ。しかもこの写真には舟が写っている。その舟に若い女性がふたり乗ったのだろう。筆者が確認したかったのは、ポスターに見える錦模様の山が本当にびっくりするくらいの鮮やかさであるかどうかだ。もっとも、そのポスターの写真は今年の撮影ではない。去年かもっと以前かもしれない。それでも筆者には彩度の誇張が極端過ぎるように思える。昨日書いたように、写真はいくらでも加工出来る。現実以上に鮮やかな色合いにしておかねば、みんな電車に乗って嵐山まで行かない。昨日は紅葉の盛りは過ぎていたから、ポスターのような派手な色合いは期待しなかったが、それでも今年の紅葉は平凡かそれ以下に思えた。だが、筆者が知らないだけかもしれない。あるいは本当の紅葉の絶頂はほとんど誰にもわからないままに過ぎてしまうかもしれない。それを最もよく味わうのは猿や鳥だろう。
大きな坂に差しかかった時、先へ行っていたフランス人カップルは自転車を押し歩いていた。そこに筆者が追い着くばかりになった時、ふたりはようやく坂のてっぺんに着き、坂を一気に下り始めた。ハンドル操作を誤ると低い柵に衝突し、その勢いで崖から落ちてしまう恐れがある。まさかそんな心配は無用だが、道は湧水でところどころ濡れていて、ブレーキが効かないことはあり得る。筆者も坂を下り始めた時、また人と出会った。今度は年配の男性が同じ世代の女性ふたり連れに話しかけていた。男性は今歩いている道は穴場で知らない人が多いといったことを自慢したいようであった。それにしても年配者がひとりやふたりで嵐山のこんな奥地までよくやって来る。それを言えば筆者もその部類で、擦れ違う相手も同じことを思っているだろう。筆者の違うところは、そうした観光客とは違って、近所のスーパーに行くような普段着であるところだ。それが擦れ違う人たちにとっては異様に映るかもしれない。坂を下り切ると、急に視界が広がる。最後の写真は大悲閣への上り口にはまだ200メートルほどはあるかというところで上流を向いて撮った。先に着いていたフランス人カップルが写真を撮り合っている。彼らはこの道を走るのは初めてではないだろう。おそらくお気に入りの場所で、何度も訪れている。そのような慣れた雰囲気があった。フランス人かどうかわからないが、フランスの渓谷を知っている彼らで、それに似た味わいを楽しむためにこの嵐山の奥地まで来るのではないか。そのように想像すると、眼前の景色がクールベが生まれ育った山地に思えて来る。クールベの森を描いた静かな絵は、滝の崖をよじ上って行った猿なら普段から味わっているが、山歩きをしない筆者にはその本当のよさを実感出来ないだろう。それはともかく、今年の紅葉をわざわざ見ようと思って出かけた機会は、昨日の小1時間ほどの近場であった。ついでに書いておくと、この嵐山の麓の道には以前より大悲閣の宣伝が多くなっていた。「絶景」と白いペンキで手書きした方向指示板のほか、漫画を拡大コピーした紙を貼った横長の看板もあった。その写真を撮るつもりが、10枚くらいになりそうなのでやめた。どこかの雑誌に発表されたものだろうか、若い女性が「花筏」の前で大悲閣の指示板を見かけ、そのまま上流へと歩き、本堂の中に至るという筋書きで、吹き出しが一切なく、外国人にも理解出来るように工夫されていた。ただし、その漫画の女性が経験するように、意外な感動があるかどうかは人による。最後に書いておくと、持ち歩いた雑草の枯れた茎は、元の場所に捨てた。ちょうどその頃、背後からフランス人カップルの自転車が筆者を追い越した。