彩りが鮮やかな秋の紅葉、やはり少しは気になる。9月16日の台風18号の被害もほとんど復旧され、今月の14日であったか、
「花灯路」の始まりに合わせて嵐山のライトアップの用意も整えられている。
昨夜従姉の旦那さんに車で家まで送ってもらう時、渡月橋をわたりながら、嵐山が暗いままで、中洲や岸辺に置かれた大型の照明装置がいっこうに使われる気配がないことに首をかしげていた。「今月1日からライトアップであったはず」という言葉に、筆者は「花灯路は中旬からで、その時にならないと使われないと思う」と返したが、照明装置はもう1か月も前から用意されている。準備が早いのはいいが、1か月前からの設置は早過ぎるというもので、その間にいたずらされたりしないか心配だ。それに紅葉の嵐山をライトアップすべきで、すっかり葉が落ちた状態を照らしても意味があるのだろうか。1か月も前から設置しているのであれば、紅葉たけなわの頃の夜に使用してもいいはずではないか。「花灯路」の期間中のみの使用というのは、工事費用や電気代をどこが負担するかが明確に決められているからだろう。紅葉真っ盛りの間の使用は、また別問題で、京都市は金を出さないのかもしれない。「花灯路」は紅葉の季節が終わった後の、京都へ来る観光客が激減する12月中旬から下旬の初めにかけて行なわれるもので、どれほど効果があるのかどうか、筆者の知る限りではほとんど誰もいない渡月橋界隈で、そこに嵐山が照らされているのは寒々しい。去年は紅葉の穴場を教えてもらい、京都の梅小路公園の
「朱雀の庭」を見に行き、紅葉がライトアップされて燃えているようであった。つまり、ライトアップの効果はやはり紅葉が一番いい時期がよい。今年も「朱雀の庭」のライトアップはあったと思うが、同じところを見るのは気が進まない。ではどこか別の場所があるかとなると、実は東山の永観堂を今年こそは見ようと半ば決めていて、その機会がなくはなかった。ところが家内が億劫がった。そこに行くまでどれほど歩かされるかというのだ。東山の紅葉の名所は筆者はほとんど知らない。真如堂も有名であるし、黒谷のポスターも見た。それら3か所をはしごして見て回るのもよかったのに、また来年ということになった。永観堂は拝観料が700円であったか、紅葉を見るために金を支払うのは何となくもったいない。というのは、筆者が嵐山に住んでいて、無料でいくらでも紅葉を楽しむことが出来るからだ。
それで今年はどうであったかと言えば、観光客は例年どおり大挙して押し寄せた。中国語をしゃべっている人たちが多く、半分とは言わないが3分の1くらいは外国人ではなかったかと思う。観光客はさすが嵐山の紅葉と思っていたようだが、今年は目が醒めるような鮮やかさではなかった。そういう年は10年に一度もない。あまり感動しなかったので、永観堂もそれほどでもないかなどと思ったが、東山は嵐山とは違うかもしれない。これは1週間ほど前か、寝室に置いているTVで早朝NHKの番組を半分眠りながら見た。京都の紅葉の名所を毎日中継していたようで、その日は嵐山の対岸にある「大河内山荘」からであった。そこにはもう10年以上入っていない。入場料は1000円かもう少ししているかもしれない。だが、一度は見ておくべきところだ。同中継で驚いたのは、あまりにも見事な紅葉振りで、目を疑った。わが家から歩いて行けるところにあるのに、これほどきれいとは。その日にひとりで行くことも出来たのに、「飾り馬」のことが気になって出かけずに終わった。そこでひとつ学んだことは、無料で見る紅葉はやはりたいしたことがなく、感動するにはお金を出さねばならないことだ。世の中はうまくなっている。おいしい空気や水も有料だ。紅葉もそうであっても当然ではないか。同番組で見る紅葉が美しかったのは、どうして撮っていたのか、紅葉が飛ぶ鳥の目の高さで移動しながら見られたことだ。クレーンを使うことは無理であろうし、ひょっとすればラジコンのヘリコプターにカメラを搭載して飛ばしたのかもしれない。早朝のロケならそれくらいは許可されるだろう。もうひとつ感動したのは、やはり鮮やかさだ。だが、それは映像を少し処理しているかもしれない。韓国ドラマを見ていても、新緑の黄緑色があまりにも派手で原色のペンキをぶちまけたようであることがよくある。デジタル撮影であるから、ある特定の色だけを強調することは簡単なはずで、ましてや紅葉の見事さを伝える番組では、少しでも感動が大きいように映像は加工されるだろう。どうせ映像であり、それは現実ではない。半分眠りながらそのことを考えた。つまり、大河内山荘の陶然とさせる紅葉は、撮影隊によって作られたもので、実際にその場にいてもそのようには見えないだろう。何となく紅葉の名所に水を差すようだが、そのくらいに思っておいてよい。
それは紅葉を自分で撮影しても感じる。今日は各地で撮った紅葉の写真を、撮った順に何枚か載せるが、どれも筆者が見た状態とは印象がかなり違う。実際はもっと鮮烈であった。これは筆者の古いデジカメの能力のなさのためかもしれない。そこでブログに載せるための500×360ピクセルのサイズに加工する際、印象に近いようにと、幾分彩度と明度を上げた。それほどに暗く写る。フィルムで撮る場合、その感度のよさ、あるいは紅葉がより見事に写る特殊な製品があった。目の前の現実は同じなのに、使うカメラやフィルムによって違う色合いの写真が得られる。そのことがデジタル・カメラになっても引き継がれ、またTV用のカメラでもそうに違いない。そこで注意すべきは、紅葉の名所として紹介される映像や写真だ。それらは現実より誇張されている。だが、実際に現地に行って映像や写真ほどではなかっても、自分は運が悪い時に来たと思い、またわざわざ足を運んでいるから、無理にでも感動しようと思う。拝観料を支払っている場合はなおさらだ。その料金の分は感動しなければ損だと思う。それはさておいて、紅葉を味わいたい思いはあったので、出かける際にはいつもカメラを持ち、それなりに写した。後日もう一回投稿する分の写真も用意しているが、今日は紅葉を見るために出かけたのではなく、ついでに見かけた紅葉で、順に写真を説明する。最初はわが家のすぐ前にある阪急嵐山駅だ。プラットフォームの向こうに多少の楓が植わっていて、それがまず嵐山を訪れる人たちの目に留まる。駅に入って来た電車は普通向かって左側の扉が開けられるが、桜と紅葉の季節に限り、右側から下車させる。そうすると、下りてすぐ目の前に紅葉が現われる。阪急はその感動を与えたいために右側の扉を開けるのではない。左側で電車に乗ろうと待っている客と鉢合わせさせないためだ。右側の扉からすっかり客が降りると、その扉が閉じられ、代わって左側の扉が開けられる。紅葉を楽しむためにたくさんの人が嵐山に押し寄せているというのに、筆者はどこかに出かける。2枚目は松尾橋から200メートルほど上流で、写真の右手が桂川だ。この道はめったに歩かない。わが家に帰るにはかなり遠回りになる。それにさびしい道で、楽しくない。撮影した日は、いつもとは違って昼間にムーギョに行った帰り、松尾橋の下に不思議な赤いものを見つけたからだ。それを見るために少し上流に向かい、河川敷に降り立った。不思議なオブジェはプラスティックのゴミ箱であった。普通水色をしているものが真っ赤だ。それは初めて見る。ゴミ箱であったことに失望したが、真っ赤であったことは少し学んだ気分だ。そのまま松尾橋に戻っていつも道を歩いてもよかったが、後戻りするのがいやな筆者はそのままいつもとは違う道を進んだ。それなりに紅葉しているのがきれいで、ブログ用のネタも得た。たまには寄り道はいい。3枚目のパノラマ写真は11月の23日であったか、滋賀県立近代美術館に行き、その建物の中から庭園を撮った。なかなか見事で、これが今年一番の紅葉かもしれない。4枚目はその翌日で、万博公園からの帰り、阪急茨木駅まで歩く途中で撮った。約5000歩の路程のちょうど半ば辺りだ。何の変哲もない普通の街だが、右手に夏場に菱が繁茂する大きな池があり、道がわずかに右に曲がっている。
この池の横を歩くのが好きだ。それに秋になると気づくが、街路樹がずっと銀杏ばかりで、それが黄金色になる。紅葉もいいが、黄葉も好きだ。本当はそれらが混じり、さらに緑色もあると、全体が錦織りのように見える。