人気ブログランキング | 話題のタグを見る

●当分の間、去年の空白日に投稿します。最新の投稿は右欄メニュー最上部「最新投稿を表示する」かここをクリックしてください。

●「LE DERNIER TRAIN DE L‘ESPACE」
式を確立するのは簡単でも、それを世界的に認めてもらうのは大変なことだ。ザッパの音楽に様式があるかとなれば、ザッパらしい曲を挙げればいいが、それはファンによってかなり異なるはずで、ザッパは多くの様式を持っていたと言える。



●「LE DERNIER TRAIN DE L‘ESPACE」_d0053294_12564787.jpgそれを言えばビートルズもということになりそうで、ひとつの様式だけではすぐに飽きられ、二、三流どころとみなされる。今日取り上げる曲は昨日思いついた。ザッパの新譜についての感想を3日連続で書き、特に昨日はあまりに書き足りず、また支離滅裂な内容になったが、たまにはそれもよいかとそのままにしておく。それで今日は月末なので思い出の曲を取り上げねばならないのに、ザッパの新譜を繰り返し聴いた後ではどのような曲がいいか迷った。そこで急に朝晩は冷え込むようになり、その季節にふさわしい曲で、しかもザッパと何らかのつながりのあるバンドということでスウェーデンのスプートニクスを思い出した。また、スプートニクスに在籍することになるドラマーのジミー・ニコルはリンゴ・スターが急病になって代わりに演奏したこともあり、ビートルズともつながりがある。ところでジミーが雇われた時のビートルズの演奏は残っているのだろうか。写真はあるようだが、ビートルズはあまり情報を知らせたくはなかったのではないか。今調べると、ジミーがリンゴの代わりを務めたのは1963年で、筆者がそのことを知ったのは64年か5年で、ラジオのDJの発言によってであったと思う。それはスプートニクス絡みで、日本で彼らの音楽が大流行した時だ。スプートニクスの透明感溢れるギター・サウンドはヴェンチャーズとは明らかに違って、女性的で繊細さを売りにしていた。「霧のカレリア」は原題がどうなっているのか知らないが、「カレリア」は北欧やそれに接するロシアを連想させ、スプートニクスが北欧を一身に背負って登場したバンドに思えた。ついでながら、シベリウスに『カレリア組曲』があるが、筆者がシベリウスに関心を抱き、本を買ったのは20歳頃で、その原点にスプートニクスがある。「霧のカレリア」の独特のギターの音色は彼らが発明したもので、彼らの専売となった様式で、その音色を聴くと即座にスプートニクス、そして北欧を連想するようになった。その音色だけで世界的に有名になったというのは、何だか一発屋でたまたま運がよかっただけに思ってしまいもするが、―コロンブスの卵と同じで、最初に実行するのは大変なことだ。今ならスプートニクスのコピーを素人バンドでもやれるが、それはそれだけのことで、スプートニクスの名前は揺るがない。
 1964年に彼らの曲が日本のヒット・パレードの上位を占めていた時、ビートルズの曲はもっと有名であったが、ビートルズの当時のBBCでの録音が先頃2枚組CDで発売されてビートルズ・ファンを喜ばせているのに、同時代的に日本でヒットしていたスプートニクスの音楽が再評価されずに懐メロのような形になっていることは何とも不思議だ。それは若い世代に聴いてもらうための努力をビートルズの場合のようにしていないからで、音楽そのものは60年代前半という歴史の中で輝いている。これは当時を知らない若者にはわからないと思うが、スプートニクスの曲を聴くと、筆者はビートルズの「ヘルプ」や「涙の乗車券」を連想する。同時期に同じ頻度でラジオでかかっていたからだ。こういうことは今は知識として覚えられるが、当時を体験した者は感覚として忘れていない。だからどうなのかと言われると返答に困るが、ビートルズだけが永遠ではなく、そのようにレコード会社の力で仕組まれ続けて来ていることを時に思ってみることは必要だ。スプートニクスの人気や評価がビートルズに比べて桁違いに低いとして、それは前者が独特のギター・サウンドのみ売りにし、しかもヨーロッパの辺境と言ってよい北部出身であることが原因としてある。ヨーロッパでロックと言えばイギリス、そしてうんと引き離されてドイツが気を吐いている程度で、そこに北欧から何を売りにして世に出るかとなれば、寒い北国を思わせるサウンドといったものしか思い浮かばない。つまり、隙間を狙って見事にそれが当たったという感じだが、北欧の大衆音楽が取るに足らないと見るのは早計で、ジャズでは早くから北欧は有名であった。そういう土壌にスプートニクス、そして後にアバが出て来る。ザッパが北欧までツアーで回ったのは、それだけ需要があったからで、またザッパは理想的な国としてたとえばスウェーデンを挙げていて、北欧にはよい印象を抱いていたと考えてよい。人口は少ないはずなのに、ザッパが北欧で演奏した頻度はかなり大きかったと思える。イギリスをけなしながら、一方でヘルシンキでのライヴを2枚組CDで発表するのは、北欧贔屓と見てよい。たまたまヘルシンキでの演奏がよかったのでアルバム化しただけという意見があろうが、演奏がよいほどにザッパは北欧を気に入っていたということだ。
 スプートニクスはヴェンチャーズのようにギターを中心としたバンドで歌わないと思っていたところ、YOUTUBEでは歌っている場面もある。メンバーを頻繁に変えたので、そこが捉えどころのなさになってはいるが、メンバーが違ってもギターの音色は変わらない。それはバンドの名前にある程度こだわったものだろう。スプートニクはソ連の宇宙ロケットの名前で、それをバンド名にし、またステージ衣装も時に宇宙服か宇宙人っぽいものにするなど、売り込むための様式性には念が入っていた。今思い出したが、ウィングスのアルバム『レッド・ローズ・スピードウェイ』に「月に立った最初のインディアン」という、歌なしでなかなかスペイシーなギター曲がある。ポールの作品の中でもかなり異色な方で、その発想の源にスプートニクスのサウンドがあったのではないか。ビートルズが彼らの曲のヒットを知らなかったはずはない。だが、もっぱら歌を聴かせるビートルズにとって、彼らは強敵ではなかった。どれも同じ音色による宇宙色は、半分は過去の名曲を違った音で聴かせるだけの、いわば「イージー・リスニング・バンド」で、未開の音楽を開拓して行こうという気概はないと思っていたであろう。実際、スプートニクスの音楽は64,5年当時でも回顧的なイメージが強かったし、それは今も変わらない。気軽に聴いて楽しむ。それでいいのであって、その気楽さはヴェンチャーズも同じであるし、日本では当時ヴェンチャーズの北欧型と思われていたのではないか。だが、オリジナル曲でのヒットがほとんどなかったヴェンチャーズに比べると、スプートニクスの方がまだ創造性には優れていた。それはギターの音色や衣装を見てもわかるし、オリジナル曲の「空の終列車」からでもわかる。「霧のカレリア」は途中でロシア民謡の「走れトロイカ」が奏でられるので、最初に聴いた時は意外な面白さ半分、パクリ半分の気持ちがしたものだが、オリジナル曲で勝負せねば飽きられると思ったのか、やがて「空の終列車」がヒットした。だが、筆者の記憶ではこの曲を最後に日本ではヒットしなくなって行った。そう考えると、「終列車」は予言的な題名でもある。ヒットしたのは66年春で、ビートルズは当時アルバム『ラバー・ソウル』からヒット曲を生んでいた。あるいは同アルバムに含まれてもよかった「恋を抱きしめよう/デイ・トリッパー」のシングル裏表がともにヒットしていた。時代は明らかにエレキ・ギターを中心としたインストルメンタル・バンドから、ビートルズのような歌入りのロックでしかもオリジナル曲を演奏するバンドが人気を博するようになっていた。
 さて、本曲の原題はフランス語だ。直訳すると「宇宙の最後の汽車」で、レコード・ジャケットの裏面の解説によると、パリで公演したことを記念してのアルバムに収録された。筆者はスプートニクスのCDを確か2枚持っている。今調べると1枚出て来たが、74年のベルリンでのライヴ盤で、ジャケット裏面にリーダーでギタリストのボー・ウィングバーグがひとりだけ写っていて、ギターのネックが胴体から90度立っている様子を笑顔で指し示している。一方、「空の終列車」のジャケットは5人が青のスーツに身を固めてまるでブルー・コメッツのようだが、ボーは右端の髭で長身の男だ。当時は視覚的情報が少なく、このジャケット写真だけでは何とも演奏がイメージしにくく、またこのメンバー写真は印象があまりよくない。もっと違った写真がなかったのかと思うが、向こうから送られて来る写真か、日本にある少ないものの中から選ぶしかなかったのだろう。それはさておき、ボーはスプートニクスの宇宙サウンドの発明者で、「空の終列車」の解説にはその辺りのことが書かれている。彼は電気技術師で、アンプやギターを独自の音色を発するものに作り上げた。ギターをコードでアンプにつながず、無線で音を発するような仕組みを行なってもいたが、パリ公演ではそのことで電波が警察の受信機器を妨害したそうで、それ以降パリでは同じ仕組みで演奏することは禁じられたという。ザッパもメカには詳しい方だが、ボー・ウィングバーグほどではないし、またザッパは新たな音色の発明より録音の方法に凝った。スプートニクスのその74年のアルバムは代表曲の「ハヴァ・ナギラ」や「ジョニー・ギター」が収められるのは当然として、「ウィチタ・ラインマン」を演奏しているのが面白い。これはボーの好みなのだろう。「ハヴァ・ナギラ」や「ジョニー・ギター」からして、スプートニクスがカウ・ボーイ曲好みであることがわかるし、それはついにはザッパのアルバム『ランピィ・グレイヴィ』からその最初のギター・インスト曲をカヴァーすることにもなった。幅広い音楽を聴いていたことがわかるが、本曲もギターの音色はさておき、メロディはカウ・ボーイ曲のような印象がある。ザッパは彼らの曲をどの程度知り、また評価していたかはわからない。スプートニクスは今でも健在と思うが、もう新しい創作という年代ではないだろう。74年のライヴ盤ですら、いかにも懐メロっぽく、それから約40年経った現在、その懐メロをさらに懐かしがるような演奏をしているかもしれない。だがそれは悪いことではない。最初からいきなり完成した様式を引っ提げて登場した彼らは、ほかの要素は求められなかったし、より多くの観客を楽しませればそれでよい。それに60年代を知らない世代にとっては、彼らの音楽は筆者が初めて「霧のカレリア」を聴いた時の感動と同じものを覚えるだろう。様式とはそういうもので、時空を超える。200年後に宇宙に通勤するようになった時、終電車を待ちながら本曲のメロディを口ずさんでいるサラリーマンがいるかもしれない。
by uuuzen | 2013-11-30 23:59 | ●思い出の曲、重いでっ♪
●『ROAD TAPES #2... >> << ●オイル交換機

 最新投稿を表示する
 本ブログを検索する
 旧きについ言ったー
 時々ドキドキよき予告

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30
以前の記事/カテゴリー/リンク
記事ランキング
画像一覧
ブログジャンル
ブログパーツ
最新のコメント
言ったでしょう?母親の面..
by インカの道 at 16:43
最新のトラックバック
ファン
ブログトップ
 
  UUUZEN ― FLOGGING BLOGGING GO-GOING  ? Copyright 2025 Kohjitsu Ohyama. All Rights Reserved.
  👽💬💌?🏼🌞💞🌜ーーーーー💩😍😡🤣🤪😱🤮 💔??🌋🏳🆘😈 👻🕷👴?💉🛌💐 🕵🔪🔫🔥📿🙏?