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●『ラブアゲイン症候群』
めているのは子どもたちで、40代半ばの親はもう一度恋に燃えたくて焦っているのか、平凡な日常を捨ててまで異性に走ろうとする。この韓国ドラマは全16話で、全部録画してから一気に見た。半部ほど見た時、ひょっとすれば日本のドラマのリメイクではないかと思った。



昨夜調べるとやはりそうであった。韓国ドラマには珍しい話であったからだ。リメイクするに当たって、元の脚本を韓国の事情に合わせたのは当然として、それを知るには日本のドラマを見るに限る。そこまで追う熱意がないが、日本のドラマの回数の倍ほどに長くなっているので、より細かいことを組み込んだであろうことはわかる。それで韓国の人たちはこのドラマを日本のドラマのリメイクとは思わなかったのではあるまいか。それほどに現在の日本と韓国は社会が似ているように思う。昔は、あるいは今でもかもしれないが、韓国は日本より20年や30年は遅れていると言われた。だが、このドラマを見る限り、経済的格差やまた社会の事情はほとんど大差が感じられない。あるいは、仮に韓国が日本より20年遅れていたとしても、うまく世相に合わせてリメイクしたろう。筆者が面白かったのは、日韓の差が感じられないことと、最初に書いたように、40代半ばの親の子どもが、親とは明らかに違う考えを持っていると思えたことだ。つまり、醒めている。それは、離婚が珍しくなくなったからだろう。韓国の離婚事情は日本のそれとどのように違いがあるのか知らないが、おそらく似ているだろう。日本では3組に1組が離婚する時代となっていて、韓国はそこまでではないにしても、世代によっては日本と変わらないか、あるいはより多い確率かもしれない。そこで思うのは、このドラマはきわめて現在的で、20年前の韓国ではまず考えられなかったであろう。そう考えると、日本のドラマをリメイクした韓国は、やはり少しは時代が遅れていると見てよい。これは、日本を見ていれば数年先かに韓国のあらゆる流行がどうなるかがわかるということだ。だが、韓国のTVドラマや映画を日本がリメイクする例もあるので、やはりどちらが先進しているかはにわかには断じ難い。ま、不倫や離婚といったマイナス・イメージの流行は日韓ともに好ましいものとは思っていないだろう。それをあえてこういうドラマを作るのは、時代に応じた真実味ある娯楽を提供しなければ視聴者からそっぽを向かれるからで、社会性を盛り込んだドラマはいつの時代もなくならない。ただし、本作のように、不倫を必ずしも悪いことではないように描くことは、やはり現在的に思えるし、それだけ現実はドラマ的な、あるいはそれ以上のことがたくさん起こっているからに違いない。
 受験勉強で忙しい子どもを持つ母親が不倫に走り、夫を捨てて駆け落ちする例を筆者は中学生の頃に身近で知ったことがある。その後は筆者が京都に出て来てから、近くの銭湯の番台に座っていた若い妻が銭湯に通う男と逃げたことや、息子が中学生になってからであったか、ある知り合い奥さんが大学生と家庭を捨てて身を隠したことも知った。いずれも妻が夫を捨てたから、世間では夫は「妻に逃げられた」と言う。反対に「夫に逃げられた」とはあまり聞かないところ、昔から女の方がいざとなれば夫も子どもも捨てて別の男に走るものと思える。そのことを、「女の方が浮気性」と一概に言っていいものかどうか。逃げられた夫に責任はないのかという見方を世間はするもので、結局妻に逃げられた男は「情けなくも間男にされた」と烙印を押される。それは女の方により贔屓していて、逃げる妻より逃げられる夫の方がだらしないと世間は見がちであることを示す。つまり、男は妻を心身ともに常に満足させていれば、妻は逃げることなどしないという見方で、これは妻の言い分としていつの時代でも正しいであろう。だが、多情な女もいるから、夫のどこにも不満はないのに、言い寄られるとつい肌を許すというのも、女は本性として持っているかもしれない。「まさか、そんなけがらわしいことを。絶対にわたしはほかの男など気持ち悪くていや」という女性がほとんどのはずだが、そういう女性ほど案外ころりとほかの男に許してしまう。そういう例も筆者は見て来た。ともかく、現実はドラマよりもっと派手で、信じられないようなことが今この瞬間にも起こっているし、そういう実態を知っている大人は、普通のドラマには飽き足らなくなっている。そこで本作のようなドラマが作られるが、不倫が姦通罪としてまだ存在する韓国では、まさか本作がリメイクされ、高い視聴率を稼ぐとは思えないが、本作を見る限り、実にスマートに仕上がっている。そして、昔の韓国では考えられなかった内容で、それだけ韓国の夫婦事情が日本と似て来たことを知らせてくれる。簡単に言えば、不倫に走る妻が悪人で、最後は不幸に陥るとは描いていないことだ。やはり、不倫されてしまう方にも何か問題があるだろうと、世間が客観的に物事を見るようになって来たからで、それは一言すれば、妻と夫は対等という意識だ。言い代えれば韓国は男尊女卑からかなり脱皮して来た。これは家計のために妻も働くから、夫に寄りかからねば生きて行けないという状態から免れた現実を示す。また、それは表向きは男女平等でいいのだが、夫の給料だけではとても子どもを大学まで出してやることが出来ないという、現在特有の貧困をも示している。この点は日本以上の学歴社会の韓国の方が深刻なはずで、本作でもそのことははっきりと表現される。
 いい大学に入るために熱心に勉強する韓国の高校生は、日本よりもかなりおぼこいという印象を20年ほど前に抱いた。それが今はどう変わったであろう。脇目もふらずに勉強するのは、大卒でなければ就職出来ないという恐怖を親や先生、社会が徹底して洗脳するからだ。それでとにかく勉強しさえすれば薔薇色の将来が待っていると子どもは錯覚する。そのために、韓国の高校生は実年齢より5歳ほど若く見えた。だが、ネット社会が日本より先んじた韓国では、そういう子どもは次第に少なくなって行ったのではないだろうか。それは日本でも同じで、先日東京三鷹で18歳の女子高生が交際していた男性に刺し殺された事件からもわかるように、18歳未満の年齢で性行為をすることにためらいがない。それは幼く見える20年前の韓国でもさして変わらぬ事情であったかもしれないが、少しでもいい大学へ進学するという責務の前で、異性との性行為は障害になりやすい。そう考える筆者がすでに古い頭をしていて、現実は性行為に励む一方で勉強もそれなりにするというバランス感覚を今の10代半ばは持っているかもしれない。そう思わせるのが本作に登場する高校生の男女で、双方の親が不倫していることを知り、親が知らぬ間にふたりは何度か会い、醒めた口調で自分の親の行動について意見する。それは、「あまり興味がない」であって、親は親、自分は自分という個人主義観丸出しだ。そういう高校生は20年前は少なかったのではないか。それほどにネット時代になった2000年以降は韓国の子どもたちがいわゆる「すれっからし」になって来た。であるから、日本のドラマに目をつけたのだろう。ネットによって日韓の差がなおさらなくなったが、それは特に子どもたちだ。それで、20年前に思ったのは、おぼこい高校生が大学生になり、そのまま社会人となった時、勉強だけ熱心にして来たことの一種のツケをどう支払わされるのだろうという心配であった。真面目で賢い子どもほど、折れやすい。熾烈な受験戦争を勝ち抜いたはいいが、社会ではもっと凄まじいことが待っている。純粋培養された子どもがそこでどううまく適合し、生き抜いて行くか。そう考えると、10代半ばの頃に何人もの異性と性行為も済まし、大人がやることはひととおり経験しておいた方がいいのかもしれない。そうであれば、40代半ばになって不倫に走ることも少ないのではないか言えば、そう簡単な問題ではない。
 子どもが親の行為にあまり関心がないとすれば、親としては不倫しやすい。親子ともに醒めているのが現在かもしれないが、醒めている子どもが中年になって面倒臭い不倫に熱を上げるだろうか。そういう醒めた不倫もあるので、不倫もさまざまだが、本作は純愛っぽい不倫を描く。ドラマの最終回であったか、「不倫も一緒になるのであれば純愛だ」というセリフがあった。これは不倫している友人たちを応援する言葉で、それに不倫している者は救われる思いであったろう。確かに配偶者や子どもがいるのに他の家庭を壊してまで一緒になるというのは、大変なエネルギーで、それを昇華させて、その後一生ともに暮らすのであれば、それは純愛と人から呼べるものになるかもしれない。だが人を不幸にしておいて自分だけが幸福になれることはないという意見も多い。そこで結局はどのように対処しようが当人たちの問題ということになる。他人の人生にとやかく言うなということだ。ただし、その時の一般社会の倫理観というものがある。不倫を姦通罪とするような国では許されるはずがないという思いが常識とされているから、ドラマでは不倫は最後は不幸になるように描かれるだろう。それに反旗を翻すとドラマの作り手は制裁を受ける恐れがあるし、TVドラマではスポンサーがつかないかもしれない。なので、本作が韓国で製作されたことは興味深い。韓国もかなり不倫に関しては見方が変わって来たことがわかる。だが、本作では不倫という言葉がどこまでふさわしいのか、そこはかなり曖昧に描かれている。つまり、肉体関係があるのかないかだ。本作を見る限り、ふたりは会って話をし、お互い好きと思っているだけで、一線を越えてはいない。その点日本のドラマではどうであったのか。肉体関係がなくても、お互い会わずにはおられない関係は、配偶者からすれば不倫以外の何物でもないだろう。肉体関係がなくても、いずれそうなる可能性はあるし、また心のつながりのみであることはよけいに許せないとも思うだろう。かえって肉体だけの関係の方が誰が相手でもよい一時の遊びで、配偶者は目をつぶる。本作はお互いの配偶者が激怒するが、それは肉体で結ばれていない関係であることを本能的に知るからだ。そして、そのような猜疑心の前で、なおさら不倫している者同士は燃え上がる。本作はそのように物語が進む。一旦そのようにひびが入った夫婦関係は修復が難しい。そしてどんどん前進する。そのままお互い家庭を捨てて駆け落ちするとなると、あまり美しいドラマには仕上がらない。そこでファンタジーを持ち込む。
 不倫を主題にすればどうしてもドロドロした内容になりやすい。それを本作は不倫されてしまうお互いの配偶者が演じる。一方、不倫している者は弱みもあるせいか、家ではおとなしく、それが純粋な人柄を感じさせる。また、そういう一種の悪人と善人の逆転関係に不倫されている者はなおさら激怒する。それはいいとして、先のファンタジーについて書くと、ドラマの最終回、不倫関係にあるふたりは一旦別れる。家庭を重んじた格好だが、ひびが入った家庭がどう修復され得るかは描かない。それよりも、ふたりは約束を交わす。一緒になる気があれば、毎年同じ日の同じ時間に落ち合うというのだ。最終回では、別れて何年経ったのか知らないが、待っている女性がふと笑顔になる場面で終わる。これはようやくふたりが家庭を捨てて一緒になれる機会が訪れたことを意味しているだろう。時間をかけて考え、また周囲を説得して一緒になるわけで、これは純愛を貫いたということだ。また、純愛であることの理由は本作では別に用意されている。ふたりは中学の同窓生で、その頃からお互い好きであったのだ。そういう理由づけをしなければならないほどに、やはりまだ不倫は社会的に認定されていない。中学の同窓生が40半ばになって初めて同窓会を開き、そこで昔の好きであった異性と恋に落ちるという話がどこまで現実的であるかは知らない。筆者の経験で言えば、自分と同じ年齢の同窓生の女性がいかに老けてしまったかと、むしろ幻滅が大きい。それに、同窓会で恋に落ちるなど、世間が狭過ぎる。韓国ドラマはいつも思うことだが、運命の人との出会いが子どもの頃にあり、長じて恋に落ちて結ばれるという筋立てがあまりに多い。そこに韓国人の世間の狭さを思ってしまうが、異性との出会いを同窓生や幼馴染みといった昔に求めず、もっと広く行動すればどうか。そのための道具がネットであり、今では見知らぬ異性と出会ったその日に性行為が出来る仕組みが子どもにでも手が届くようになっている。こうなれば、狭い世間で、つまり昔からよく知っている異性の中から相手を見つける方が安全ということにもなる。
 全16話を一組の不倫だけ描くのでは単調になる。同窓会の場面から始まるが、その第1回目からなかなか面白く見せる工夫がなされている。集まった男女の同窓生は、みなそれなりに事情を抱えているが、悩みを見せずに近況を報告する。不遇を感じている者は最初から同窓会に集らない。集まるのは、平均かそれ以上の生活をしている者だ。幼馴染みなので、あまり自慢する必要もないが、それでも成功していることをほのめかしはしたい。女性ならばいい旦那をつかまえたことや子どもの学業が優秀といったことだ。男は収入で、それは会社でどのような地位にいるかだ。本作も第1回目にそういう場面がある。だが、すぐにみんながあまり人に言えない複雑な生活を送っていることがばれる。ドラマとはそういう現実を描くことにあるから当然だ。幸福だけの人にはドラマは生まれない。幸福は平凡であり、味気ない。それで大人は不倫したがるのかと言えば、確かにそれもあるだろう。本作ではこんなセリフもあった。「40半ばという年齢は、もう人生最後の恋をするのにぎりぎりよ」 これはそうなのだろうか。50や60、あるいは70代になっても新たな恋をする人はあるし、それが認められつつある現在と思うが、肉体的に頑張りが利く40代半ばは、やはり恋という言葉に若い頃と同じような、心身ともに燃えるような情熱を連想する。その意味での恋は確かに40代半ばは人生最後の機会であるかもしれない。さて、気の置けない同窓生であるから、それぞれの事情を知ると、お互い助け合おうとする。その点が本作の大きな見所になっている。不倫を見ても援助の側に回るというのは、本当の友人だろう。本作の見所は男女の恋愛以上に、その男女を越えた友愛と言ってよい。そこが本作をドロドロした後味を残さない理由になっている。「不倫すなわち悪い」といった単純な意見を吐かないのは、他者には無関心の場合もあって、それは前述のように、不倫する親の子どもたちだ。子どもたちの方が大人びているように本作は描く。そのため、不倫する者の方が子どもじみて、それが「おぼこい」や「純粋」という言葉を連想させるが、それは今の40代半ばは昔筆者が見た「おぼこい高校生」がそのまま大人になったからではないかとさえ思える。つまり、懸命に勉強していい大学に入り、社会に出たはいいが、40代半ばで自分の人生を振り返り、これは違うのではないかと感じるようになった。その果ての不倫であり、また本作で描かれるいくつかの人生だ。そのいくつかの人生は俳優がみな達者なこともあって、実にうまく描かれている。ただの不倫ドラマとは違って、その味つけは見事というほかなく、全16話は2,3日で見てしまわねば次が気になって仕方がない。それにしても、40代半ばがこういうドラマを見る時間があるほど暇だろうか。
by uuuzen | 2013-11-26 00:49 | ●鑑賞した韓国ドラマ、映画
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