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●飾り馬を求めて、その11(カオスの間)
器用の土でなければ白く焼き上がらないと言われた。なるほどそういうものかもしれない。伏見人形の「飾り馬」を自分で作ろうと思った時、素焼きしてくれる場所の心当たりがあった。それがなければ挑戦しなかった。



●飾り馬を求めて、その11(カオスの間)_d0053294_157054.jpg今はそこは空地になっているが、嵐山の法輪寺下の道路際に10年ほど前か、2階建ての木造住宅が建っていた。その話をするとまた長くなるが、その家には女流陶芸家が住んでいた。そこで窯を開く前は梅津にいて、筆者の家内が不動産屋に勤めていた頃、その女性にアパートを斡旋したことがある。筆者は京都市が主催する市民アトリエの焼き物コースで学んだ後で、ほんのわずかだが、手元に陶芸用の残った土があった。暇に任せてそれで5分角の印章を2個作った。陰と陽だ。充分に乾燥させていたが、そのままでは使えない。朱肉で土が柔らかくなってしまう。そこで図々しくも家内がアパートを斡旋した女性に焼いてもらおうと考え、家内に頼んでもらった。すると相手の女性は、当然作家であるから、自分の窯に他人のものを一緒に焼きたくなく、また成型の途中で内部に空気が入るなどしていれば、窯の中で爆発して他の作品を壊す恐れがある。そのようなことをひととおい家内に語った後、承諾してもらえた。1週間か10日か、後日焼き上がったものを家内は手わたされた。その陶芸家が筆者の知らぬ間に法輪寺下に引っ越していた。筆者が印を焼いてもらった女性であることがわかったのは、彼女の名前を家内が覚えていたからだ。本格的に一軒家に窯を持ち、1階の道路側は自作の焼き物、奥は工房として使い、また気持ちの余裕が出来たのか、土や場所を提供し、そして焼いてくれもする陶芸教室を開いた。筆者は焼き物にさして関心がなく、その工房を使うことはないと思っていた。彼女は自治会に所属し、そのうち筆者と気軽に話すようになった。数年前に亡くなった友人Nが牡蠣を1個ずつ焼くための陶器がほしいと言い出し、最初それを知り合いの陶芸家に頼んだが、彼はそんな日常雑記を注文されたことを侮辱と思い、そのことを他の作家に話したことが回り回って筆者の耳に届いた。筆者にすればそのような注文は朝飯前でこなすのが陶芸作家と思っていたし、今も思っているが、彼は正直なところ、そういう才能がなかった。才能のない者が工芸家を目指しているのは陶芸に限ったことではない。そういう連中を筆者はたくさん見て来た。だが、彼らは自惚れだけは人の何倍も強い。結局友人Nのために筆者が作ることにした。法輪寺下の陶芸教室があったからだ。事情を相談すると、月単位の月謝を払う必要はないと言われた。5,6個作ったと思う。それで3000円ほど支払ったか。その一回限りであった。その頃彼女は期限つきで家を借りていて、もう数年すると更地になると言った。そのとおりになった。その直前彼女が人のよさそうな背の高い男性の腕にぶら下がって歩いているのを見かけた。結婚相手が見つかったのだ。彼女は筆者と同じくらいの年齢であったから、かなり遅い結婚であった。
●飾り馬を求めて、その11(カオスの間)_d0053294_1542625.jpg その後知り合った陶芸作家と言えば、キモノを仕立ててもらっているおばさんの娘さんで、彼女とは二、三度会って長く話した。その中で筆者はたぶんいつか何かを焼く時には世話になるといったことを伝えたと思う。するとその女性は尊敬する先生がいて、その人は筆者ときっと話が合うはずで、そこで焼いてもらえばよいと語った。だが今もその先生とは面識がない。その直後くらいか、別のところで焼いてもらえそうな場所に遭遇した。それが今日紹介する「カオスの間」だ。その主は砂本さん(以下S)いうが、筆者より数歳上だろうか、長身でバンカラな芸術家タイプの男性だ。Sと知り合ったのは10年少し前と思う。伏見人形を漁りに弘法さん、天神さんに毎月出かけていた頃だ。Sは若冲の動植綵絵の一幅「月梅図」を題材にした西陣織りの丸帯を入手し、確かネット・オークションに出品した。それを入手したかった筆者は実物を見せてもらうことにした。するとSは出品を取りやめてわが家まで持って来てくれた。残念なことに一か所大きく破れていて、そのままでは商品にはならないもので、おそらく織元が廃棄処分したのではないか。結局値段が合わず、買わなかった。同じような図案の帯は今なお作られているが、Sのものは幅が通常の倍の丸帯であるから、文様はとても精緻で、若冲の絵をそのまま見ているような気分にさせるものであった。同じものをその後見かけたことがない。Sは相変わらず弘法、天神さんに店を出していたようだが、筆者がそうした縁日に通わなくなったので、お互い顔を見ないようになった。それで今年9月25日の天神さんに出かけたのは、以前に書いたように「飾り馬」を探すことが目的ではあったが、一番のそれはSの姿を見つけることであった。ところがいつも店を開いていた場所は空いていた。Sに会いたかったのは、素焼きしてもらうことの依頼だ。なぜSが窯を持っているかの説明をせねばならない。実は2年ほど前、ひょんなことでSがネット・オークションに郷土玩具を数個まとめて出品した。そこに筆者が集めている蚕鈴が混じっていた。その大きさは筆者が持っていないもので、これは絶対に落札せねばならないと決めた。安価で落札出来た。それで自宅に送ってもらわず、引き取りに行くことにした。Sがどこに商品を置いているかは、わが家に来てもらった時に教えてもらった。そこは三条通りから北へ入った裏三条通りの白川のすぐ近くで、筆者が四条河原町から歩いて美術館や図書館のある岡崎に行く時、必ずと言ってよいほど前を通る。一度その前でSに会ったこともある。だが、中には入ったことがなかった。その機会が、ネット・オークションで落札した土人形を引き取りに行く時に初めて訪れた。3階建てで、1階は寿司屋、2階がSのコレクションの展示室(これを「カオスの間」と呼ぶ)とその奥に陶芸用の大きな部屋がある。
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 初めてその空間に踏み込んでびっくりした。「カオスの間」については、実際に訪れるに限る。Sは写真を撮ってよいと言ったが、写真ですんなり収まって他者に理解してもらえる空間ではない。これはわかる人にはわかるが、ザッパのアルバム『BURNT WEENY SANDWICH』のジャケットの世界とほとんど同じと思えばよく、最初Sはザッパやカル・シェンケルのことをよく知っているのかと思ったが、そうではないことがわかった。それにしてはあまりにもカルの世界そのもので、そう言えば風貌まで似ている。「カオスの間」には本棚もあって、そこに並んでいるのは、たとえばナウム・ガボの画集やデレク・ベイリーについてのもので、また先日訪れた時に見たCDはたとえばラッヘンマンで、また凝ったステレオから大音量で流されていた音楽があまりにいいので、誰の曲かと訊くと、シェーンベルクのピアノ曲であった。その次にかかったのはバッハの「ゴルトベルク組曲」でそれくらいは筆者にもわかるが、演奏家まではわからない。そこでCDジャケットを見ると、GRETE SULTUNという女性ピアニストで、4枚組であった。それがほしくてアマゾンで調べると、4000円台でひとまず断念したが、こういった音楽をSはどこで知るのだろう。ラッヘンマンの音楽がよいと思えるような耳はそうはない。音大生でもそこまで現代音楽に詳しい者は稀ではないか。それはともかく、土人形を引き取りに行った際、奥の工房で焼き物が出来ることを知った。ふたりの若者が作業していたが、その後来なくなったそうで、現在は5,6名が通っている。Sは2階の奥を陶芸用の貸し工房としている。若い作家はアパート住まいであれば製作の場所がない。そこでSのその場所に行けば、毎月1万2000円で何度通ってもよく、また焼いてもくれる。ただし、土や釉薬は自分で用意する。作業台は3つあって、電気轆轤も3つある。窯は1階裏手のガレージの中で、ガスを用いる。25kg用と聞いたが、かなり大きなもので、燃料が無駄にならないように窯がいっぱいになるまで待って焼く。筆者は自宅で成型するので、素焼きだけやってもらいたい。そのことを率直にSに伝えたところ、そういうことはしていないが、近日中に焼くので、それに間に合わせられるかという話になった。それが石膏を河原町五条の画箋堂に買いに行った日だ。10月26日であったか、ともかくSから了承を得てからその足で石膏を買いに行った。9月25日に天神さんでSに会おうとしてから1か月経っていた。Sは毎月第1日曜日の東寺で開催される骨董市には出店しているが、弘法さんや天神さんにはもう参加していないとのことだ。
●飾り馬を求めて、その11(カオスの間)_d0053294_21181756.jpg
 石膏で型取りし、土をネットで買い、「飾り馬」をせっせと作ったことは以前に書いた。連日根をつめたのは、Sが窯に火を入れる日に合わせるためだ。筆者が待たせたでは申し訳ない。だが、電話で話し合いながら、焼く日は当初の予定よりずれ込んで行った。筆者が16個の「飾り馬」を作り終わったのは今月12日だ。それらをどのようにして「カオスの間」まで運ぶか。脆いのでプチプチにくるむだけではまずいだろう。そこで1個ずつ収める箱を段ボールで作った。その作業に14日の午前中の2時間を要し、午後になって8個ずつ入れた紙袋を両手に提げて電車で行った。Sは驚いていた。車で来るものとばかり思っていたらしい。従姉の旦那さんに頼めば送ってもらえたが、電車で行っても小1時間で済む。箱は少しぴったり目にし過ぎた。そのため、馬の頭を押し込む際にかなり力を入れたりもした。尻尾が下になるようにすべきか、頭部をそうすべきか迷いながら、頭が下になる形で箱を紙袋に収めた。このことが後で事故を引き起こす。10月下旬に訪れた時にSは「来月「カオスの間」で生け花の個展がある」と言ったが、その若い作家が工房の椅子に座って個展の準備をしていた。すぐに打ち解けた。西村良子というあまり珍しくない名前で、筆者は改名すればとよけいなことを言った。いい名前が思いつかないが、生け花作家であるので、「西村はな」ではどうかと昨日伝えた。おばあさんっぽいので、「西村HANNA」でもいい。彼女の今回の個展のタイトルは「鏡花水月 混沌と秋桜」で、コスモスの花を使った。「カオスの間」に似合う花となれば「コスモス」ということで、言葉遊びが好きな彼女だ。個展は15日から17日までの3日間で、17日は家内と京都市美術館に行き、その帰りに立ち寄った。「飾り馬」が焼き上がっているかと思ったのだ。その前に書いておくと、Sから電話があって、箱から1個ずつ取り出したところ、16個のうち3個は首や頭部の前半分が折れているとのことで、やはり箱が小さかったようで、また首を下向けに入れたのが具合悪かったのだろう。その3つは没にするつもりで電話を切ったが、修正すれば間に合うかと思い直し、電話をした。それで個展の初日の午後1時過ぎに着き、3時間ほど要して3つを元通りにした。それが今日の2枚目の写真で、奥にコスモスの花が見える。折れたものをくっつける作業だけなら比較的簡単だが、折れたものがなくなっていたので、一から形を作る必要があった。16個を作ったので、細部までどういう形かは覚えている。乾燥が不充分ならば窯の中で破裂する。その心配があったが、火入れは翌日16日の朝であった。昨日の昼電話すると、まだ窯出ししていないが、焼き上がっているとのこと。それで引き取りに行った。16個全部が工房の棚に並べられていた。それらを1個ずつまた先日持参した時の箱に入れ、同じように8個ずつ入った紙袋を両手に振り分けた。工房には西村さんが個展の片づけをしていた。Sさんのおかげで「飾り馬」の素焼きは無事終わった。肌色で、これは予想外だ。白に焼き上がると思っていたと言うと、最初に書いたように、磁器用の土でなければ真っ白は無理だろうとのことであった。素焼き代は全部で3000円。筆者の思いと同じで、常識的なところか。焼き物を試みたい人、また変わった物、恐い物を見たい人は「カオスの間」を一度訪れてみればよい。「百聞は一見にしかず」を最もよく示す例がそこにはある。建物の3階は有名な「ギャラリー16」で、そこを訪れるついででもよい。今日の写真の3,4枚目は工房の様子、5枚目は裏通りから見た窯だ。
●飾り馬を求めて、その11(カオスの間)_d0053294_21204866.jpg

by uuuzen | 2013-11-21 23:59 | ●新・嵐山だより
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