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●新聞の切り抜き
新聞配達所がよく勧誘に来る。昔からずっと読売新聞を取っていたのが、2年ほど前に朝日新聞にした。あまりにも勧誘員がしつこくやって来たからだ。それで2年だけ契約した。



最初は新しい紙面に戸惑ったが、すぐに慣れて、やがてずっと朝日で行こうという気になった。ところが朝日を取り始めてからもたまに読売新聞が勧誘に来た。朝日の契約が終了する間際になると、ほとんど毎日やって来た。1日に2度の場合もあった。あまりにしつこいのでほとほと参ったが、勧誘員が何となく哀れになって2年の契約をした。なぜ哀れになったかと言えば、これはたぶんの男の嘘かもしれないが、ノルマがあって、後2、3人でそれがどうにか達成出来るのに、締め切りの瀬戸際にあると訴えたからだ。その話はそれまで出なかったのに、ある日の夕暮れ、本当に心酔し切った感じでその40歳くらいの、ちょっといなせな、それでいてどこか人がよくて間が抜けた感じの痩せた男がドアをノックした。その男の訪問はもう10回ほどはあったので、顔も声もよく知っていたが、その時だけはちょっと様子が違った。結局根負けして契約を決めた。すると本当に喜んだ顔をして帰って行った。それでことは終わったかと言えば、そうではなかった。今度はまた朝日が頻繁にやって来るようになった。2年は読売に決めたので、2年経った頃にまたやって来てくれと言うのに、聞く耳を持たないのか、すぐに忘れるのか、またやって来る。読売と朝日は熾烈な勧誘合戦をしているものと見え、部数が多くなるのは紙面よりも末端の勧誘員の功績に負うところが大きいだろう。朝日と読売を交互に取って思うことは、さほど内容は変わらないということだ。確かに朝日は左気味、読売は右気味だが、それもたいして言うほどの差でもない。筆者が興味あるのは政治や経済、スポーツ欄よりも文化欄であるから、それが充実しているものを取りたいのだが、これもあまり差がない。どちらも美術展をしばしば主催するが、面白いことに朝日が主催したものは読売では会期終了日近くに小さく文化欄の目立たないところで紹介され、読売が紹介するものはやはり反対に同じような扱いを朝日がする。これはお互い無視は出来ないからそこそこ仕方なしにでも紹介しておこうという思いが見え見えで、その露骨さがおかしい。
 読売でも朝日でも招待チケットをねだってもほとんど無視されるから、もう新聞など取ってもあまり意味はないと思ったりもするが、昨日の新聞には、ネット時代ではあっても新聞が必要と思う人が9割以上もいるというアンケート結果が出たとあった。これは眉唾ものだ。新聞社の作為もあると思う。10年ほど経って同じアンケートをすれば新聞必要説はもっと減少するだろう。次第に新聞の必要性はなくなって行く方向にある。そう思うのは筆者の経験からだ。ネットを始めてちょうど3年になるが、最初ヤフーのトップ・ページ右側中央にトピックス欄があって、最新のニュースのとても短い見出しが並んでいることに気がついた。それでもそれをクリックしたことはなかった。ところが、大きな事件が起こったある日、パソコンの隣でつけているTVよりも、ネット・ニュースの方が情報が早いことに気がついた。そうした重要事件は内容不充分でもすぐに知りたいから、その時初めて見出しをクリックしてネット・ニュースを読んでみた。それがきっかけになって、今ではほとんど毎日新着のニュースをクリックすることにしている。TVのニュース番組ではより詳しく放送してくれるが、まずどういう事件が起こっているかを知るにはネットに頼るのがよいと思うようになった。そして新聞だが、これは全く遅い。翌朝まで待つ必要があることがほとんどで、もはやニュースとは言えないのだ。ネット、TV、そして新聞といった順にニュースが伝わる速度が遅くなっている。そのため、新聞は新鮮味がない。そんな新聞はやがてなくなって当然だろう。だが、筆者が相変わらず新聞を取るのは、ネット・ニュースあるいはネット・サイトでは絶対に出会えない意外な情報が時として得られるからだ。それは予期していないものにぶつかる楽しみであり、ネットはネット、TVもTVでもそれはあるにはあるが、新聞の場合の出会い方が最も迫力がある。ネットの場合はクリックしてあるページに辿り着くという操作が必要で、それは「自分から求めて」ということが前提となっているため、「予期せぬ」という面はあまりない。ここで言う「予期せぬ」は、「何の関心も予め抱いていない場合に向こうからたまたまやって来る意外なもの」の意味だ。そうしたものに毎月どれだけ出会えるかで新聞代が安いか高いかを感じてしまうほどで、読売と朝日とではどっちがそれが多いかと考えてみると、朝日の方が若干多いように思う。
 そんな予期せぬ面白い、興味深い記事を、毎月下旬のある1日の数時間を費やして、1か月分の新聞の山を全部見直すことで切り抜きしている。もう20年以上になるだろう。いや、もっと前から切り抜きはしていたが、毎月まとめて見直すのはこの20年ほどだ。それはなぜかと言えば、筆者の家の小学校地区が新聞をまとめて特定の業者に出すことで、毎月数万円の古紙代を学校に寄付しているからで、どうせならそれに協力したいからだ。ただし、これには新聞をどう紐で括るかといった、それに特定の場所にいつ出すかも厳密に決まっている。幸い、筆者の場合は歩いて20メートルほどのところに出せばよいから、面倒は感じない。小学生の子どもを持つ親たちが、毎年自分たちの中から当番を決め、古紙業者のトラックに積み込むなどして手伝いをするのだが、これはかつて筆者もやったことがあり、そんな意味でも協力を惜しまずに必ず毎月古紙を提供している。その日が毎月決まっていて、大抵その前日に1か月分の新聞をまとめて見直すわけだ。だが、これは当然かもしれないが、配達日に見て切り抜こうと思っていた記事に必ずまた目が行く。そして、全く気がつかなかった記事に出会うこともたびたびあり、そのためにもう一度全部見直すのは大きな意味がある。切り抜いた記事は8つほどに分類したビニール袋にそのまま放り込むだけで、スクラップ帳に貼ることはしないが、それでもかなりの量になって来ているので置き場所に困る。切り抜きを探して読み直すことはめったにないが、たまにそれが重要な場合があるから、切り抜きとその整理保存は習慣になっている。ネット・ニュースを保存したことは今までに一度もないから、やはり新聞は今後も必要ということになるのかもしれない。
 さて、これは9月下旬に切り抜いた記事だが、このブログに投稿した『戦後六十年 戦時下の俳句と絵手紙』と関係があるのでここで追記的に触れておく。記事は読売新聞夕刊で9月6日のものだ。「左翼活動とされたリアリズム論」と題して、川名大という俳文学者が6段抜きで書いている。この記事は当日には目が行かなかった。ここ半年ほどはろくに新聞に目を通さないからでもある。下旬の切り抜き日に初めて読んだ。「戦時下の新興俳句弾圧事件」「新資料で検挙理由明らかに」という小見出しがある。記事の冒頭はこうだ。「今年は戦後60年に当たるが、戦時下には新興俳句弾圧という俳壇未曽有の悲惨な事件があった。…特別高等警察(特高)が治安維持法違反で俳人たちを検挙し、新興俳句運動を壊滅させたのである」。ここまでは投稿した『戦時下の俳句と絵手紙』にも書いた。だが、その投稿はいかにも不充分な内容でずっと気になっていた。それは、柿衞文庫で手わされた資料があまり詳しく書いておらず、ブログの投稿文を書くに際してももどかしさを覚えたからだ。新聞記事ではその点、充分に解明させてくれる内容になっているが、こうした記事が展覧会以降に出て来ることを思えば、柿衞文庫の展覧会が資料不足であったとしてもそれは仕方のない話かもしれない。さて、記事は司法省刑事局編の極秘資料「思想資料パンフレット特輯」「思想月報」の中から弾圧事件に関する3つの資料が発見されたことを基にしている。これらの資料は起訴された俳人が家族の身を案じて早い釈放を願い、事実を歪曲した手記を当局の意向に沿って書いた事態を示しており、検事の作成した予審請求の文書は、被検挙者の俳句活動を左翼政治活動と断じているという。そして、昭和15年の第一次「京大俳句」弾圧は天皇の関西行幸が契機という説があるとし、「行幸を控えての危険思想分子一斉検挙の網がかかったというものである」としている。記事の最後は、「社会状況を新率に詠んだ純粋な俳句が理不尽に弾圧されて以後、俳壇は時局便乗の聖戦俳句に陥った…」とあるが、これで事情がようやく飲み込めた。以上は記事の内容をごく簡単にかいつまんだものだが、おおよそのことは伝わると思う。それにしても恐ろしいことだ。検挙されたのは2、30代の44名で、起訴された13名は懲役2年の刑を受け、起訴猶予者の勾留期間は1、8月から1年に及んだそうだ。若い人々がこのような形で弾圧されたのは何ともいやな時代だが、いつまたこんな時代になるかわかりはしない。まさかと思っている間にすっと何事も素早く変わってしまうのが現実だ。昭和15年の当時でもそうであったに違いないのだ。それに今ではネットで誹謗中傷がまかり通っているから、考えようによってはもっといやな時代とも言える。そう考えるとネットが新聞を不要とばかりに追い込むことはないだろう。ネットと新聞、それにTVをどうバランスよく日常に利用するかだが、もちろんこれらのマスメディアだけで充分ではない。たとえばの話、この記事に目をとめて切り抜いたのも、柿衞文庫の展覧会に行ったとがきっかけだ。自分の足と目でまず関心事にぶつかることが大切だ。新聞の切り抜きもそんな関心事を与えてくれるきっかけになる。ネット・ニュースが新聞の全ページを覆ってしまうことは今後も絶対にない。新聞はニュースだけで埋まるのではなく、専門家による研究した最前線の話題提供の場にもなっているからだ。
by uuuzen | 2005-10-15 23:20 | ●新・嵐山だより
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