「
彷徨さん」と名づけた人形を作ってみるのも面白いか。それを聞いて「奉公さん」を連想する人は郷土玩具に詳しい。筆者もそれをひとつ持っている。いつ入手したか忘れたが、それが高松の有名な張子であると教えてくれたのは、弘法さんの縁日で知り合った人で、ここではMさんとしておく。
このMさんは先日書いた伏見人形を売るMさんとは別人で、年齢はもう少し若く、筆者より年配だ。大山崎に住んでおられ、一度招待されてご自宅を訪問したことがある。弘法さんで会ったのは10年ほど前で、それから6,7回は会っている。また郷土玩具関連の催しがあると、FAXで知らせてくれる。先日「飾り馬を求めて」を「その10」まで書いたが、「飾り馬」を10個入手するに当たってMさんに電話し、いろいろと情報を得た。ただし、伏見人形販売のMさんや、伏見港のすぐ近くのわずかに伏見人形を売る店は筆者自身で知った店だ。Mさんが教えてくれた店は3,4軒あるが、そのいずれも入手は難しいようで、訪れていない。弘法さんに毎月通い始めてすぐに知った郷土玩具の店が大宮通り沿いの東寺のすぐ近くにある。9月21日は朝9時前にそこに行った。高齢の店主が開店の準備をしている最中で、それもかまわずにお邪魔し、20分ほど話し合いながら店内にいた。「飾り馬」がないかと訊くと、あるにはあるが、顧客に売るものだと言われた。大宮通りに面したガラスの陳列棚の上には菱平の「飾り馬」がひとつあった。売り物だが、丹嘉で新品を買う倍以上の値札がついていたので諦めた。それはともかく、知り合った当初、Mさんからは、弘法さんや天神さんに毎回早朝に出向き、露店商の手伝いをしながら真っ先に郷土玩具を買っているFさんという人がいて、寺町五条に店をかまえているという話を聞き、その後も二、三度耳にした。Fさんがそのようにして買い集めているからには、午前10時頃に出かける筆者がいいものを見つけられるはずがない。だが、当時はそうは思わなかった。筆者は初心者で、Fさんが買わないようなありきたりのものでも買ったからだ。Fさんが注目したのはもっぱら古いもので、骨董的価値がある。筆者は新古品でよかったし、今もそう思っている。古いものがほしいのはやまやまだが、万単位の価格になる。新古ではその10分の1だ。
「飾り馬」を探していることを電話でMさんに話すと、またそのFさんの話になった。だが、店はいつも閉まっているようで、また行ったところですぐには出してもらえず、ない可能性も大きいだろうとの話だ。それで行くことを諦めた。Mさんはほかにも手がかりを2,3教えてくれて、京都市内に限り、訪れたが、やはり駄目であった。つまり、筆者は伏見人形が入手出来そうな場所すべてに当たったと言ってよい。さて、9月25日の天神さんに行き、写真も撮って来たことは
先月紹介した。その時には書かなかったことを今日書く。これも弘法さん、天神さんに通うようになって知り合った業者のSさんと久しぶりに立ち話しをした。Sさん親子と会うのが楽しみで当日は出かけたようなものだ。Sさんは侍のような老人で、凛としたたたずまいをしているが、筆者にはとても優しい。どんな客にもそうかもしれない。商売人という雰囲気がない。Sさんが若い頃の話を聞いたことがあるが、昔の型友禅業界の人使いの荒さは想像を絶するもので、そんな世界を見限ってSさんは古物商になった。ま、それはよい。Sさんに天神さんを訪れた理由を説明した後、立ち話をしていると、Sさんは「ああ、あの人なら持ってるかもしれん。Fさん!」と言って、Sさんの目の前に現われたマスクをして帽子を被った男性に声をかけた。その時、筆者はそのFさんがMさんが何度も言っていたFさんであることを即座に理解した。同じ名字の人はざらにいるが、伏見人形のFさんと言えばふたりはいないだろう。筆者はあっと驚いた。Sさんと話す直前、四国からやって来る夫婦の業者と談笑していて、そこにFさんがやって来て戦前のガラス製の蝿取り器を見つけて話が盛り上がったからだ。Fさんは親切にその機能を説明してくれた。そして筆者はすぐにSさんの居場所に赴いたが、Fさんは他の業者のところにも顔を出したのか、筆者より10分ほど遅れてSさんの店の前に来た。そして筆者はその人がFという名前であることを知った。SさんがFさんに声をかけた後は、筆者とFさんの会話になった。最初に筆者が言ったのは、「昔からお名前はお聞きしています」ということで、Fさんは「飾り馬」を探しているなら、業者をひとり紹介しようと言って、Sさんのところから100メートルほど北まで連れて行ってくれた。初めて声を交わす業者で、なるほど土人形が10個ほど前の目立つ場所に並べられていた。その店の主は北山通りに大きな店を持っていて、中にはたくさんの土人形があるとのことだ。そして、名刺までくれた。だが、まだそこを訪れていない。Sさんは、弘法さんや天神さんを覗いてもまず「飾り馬」は出ないと言い、その言葉には自分が発掘し尽くしたという響きがこもっていた。それは半ば事実だろう。もう半分はもはや出るべきものはとっくに出尽くし、よほどのことがない限りはいいものは手に入らない。あってもとても高価で、ネットで買った方が安いはずで、実際9月21日は境内北門近くで伏見人形の「狆」を売っている業者がいて、それを見た初老の男性が価格を訊くと、同じ初老の女性は「5万円」と答えた。同じものはその半分程度でネット・オークションで手に入る。
Fさんと並んで歩いていると、Fさんはやおら今年夏に立命館大学で開催された伏見人形のシンポジウムに行ったかと質問した。
西陣の考古資料館での展示には行き、そこでそのシンポジウムのチラシも得たが、行かなかったと返事した。するとFさんは、当日は配布された資料の残り40部ほどを全部もらって来たので、一部送ってくれると言う。そこからわかることは、Fさんは伏見人形の世界では有名であることだ。すぐにそれは届いた。そして、店に行って「飾り馬」があるかどうか調べ、見つかった1個の写真も同封してくれた。価格は1万円で、新品の3倍だ。九州のFさんは新品を丹嘉で買おうとしていたのであって、古くて骨董価値がついたものを求めていない。それでせっかくではあるがと断りの返事を書いた。その返事が届いたのが先月16日で、そこにはFさんが所属する郷土玩具の研究会が10月27日に嵯峨野の「人形の家」で開催されることが書かれていた。会員でなくても個人参加でもOKとあったので、出かけることにした。9月の天神さんの直後にMさんにまた電話をかけ、Fさんに出会ったことを報告した。その時、「人形の家」で伏見人形展が開催されていることを耳にした。その時「連れて行ってください」と筆者は言った。Mさんは「人形の家」を創設した収集家と面識があり、いろいろと展示品に詳しそうであったからだ。筆者はと言えば、「人形の家」は昔から知っていたが、入場料が1000円かそれ以上していて、入る気になれなかった。そのため、Fさんの誘いはちょうどいい機会だと思った。郷土玩具研究会の人たちと一緒であれば、それなりに貴重な話も聞けるかもしれない。自宅からは上り坂が続くが、自転車で15分ほどだ。近くには祇王寺があるが、その隣りの
瀧口寺に家内と訪れたのは3年前の2月だ。奥嵯峨に行くのはその時以来だ。嵐山に住んでいるというのに、そんなものだ。それにしても、ひょんなことでFさんと知り合いになり、「人形の家」を訪れることになった。これは「彷徨」の賜物で、人間はあちこちうろついてなんぼの世界だ。あるいは、伏見人形や郷土玩具の愛好者はごく少なく、その興味の範囲をうろついていると、いつか必ず、出会うべき人と出会うということか。Mさんに出会ったのは先に書いたように弘法さんで、ある業者のところに土人形がいくつかあった。それを眺めているとMさんが声をかけて来て、「おたくさんはこういうものが好きですか」と訊いた。伏見人形が好きだと答えると、ならばついて来なさいとばかりに、東寺から西洞院六条にある喫茶店に連れて行かれた。店内に入ってびっくりした。高齢の夫婦が経営している狭い店で、壁面は天井まで伏見人形でびっしりであった。その店も奥さんが亡くなり、ご主人は入院中で、収集した伏見人形のいくばくかはすでに売られたと言う。まだ大量に残っているようで、その中には「飾り馬」もあると思うが、主が入院中では店内は見ることが出来ない。そうそう、Fさんの店は寺町五条ではなく、東大路五条上るで、その前は筆者は国立博物館まで歩く時によく通るが、郷土玩具を売る店があるとは知らなかった。店内は扉が開けられないほどびっしりと商品が積まれているという。そのFさんが弘法さん、天神さんで買い集めたものが、「人形の家」に売られ、コレクションの中核になったようだ。先月27日は天気がよく、「人形の家」を訪れ、Fさんからは郷土玩具研究会の人々に紹介してもらった。展示は筆者が想像していたのとは全く様相が違い、もっと早く来るべきであったことを思った。ともかく、今日は「飾り馬を求めて、その11」と題すべきとも思ったが、適当な写真がない。それで『さがの人形の家』と題し、写真は表の通りから撮ったものを2枚載せる。館内は撮影が許され、たくさん撮って来た。投稿は「その3」くらいまで予定している。