熊谷守一が伏見人形の「鯛持ち童子」を描いている。榊原紫峰も伏見人形を描いているが、同じ京都の画家で言えば鉄斎がもっと描いているはずだ。熊谷が「鯛持ち」の人形を所有していたのかどうかわからないが、たぶん持っていたと思う。
伏見人形は文人趣味にかなう。熊谷の熊に因んで「熊乗り金太郎」を描いてほしかったが、熊に乗る姿のもの以外に、熊金はいろいろと種類が豊富で、伏見人形はどれもとても完成度が高い。筆者は丹嘉の商品で30センチサイズの大型の「熊乗り」がほしかったが、10年前で2万円ほどしたので、ネット・オークションで同じ型の10センチ大のものを買い、それで我慢している。伏見人形愛好は趣味としてはいいと思うが、郷土玩具ブームが昭和半ばにあって、当時盛んに収集した人は今は70代以上になっている。そうした収集家が亡くなると、まとまったコレクションが放出される。仲間うちに分けれられる場合と、一括して業者が買い取ることのどちらが多いかわからないが、どちらにしてもほしい人のところに行くので、死んだ後のことまで考えなくてもいいかもしれない。これは以前に書いたはずだが、もう6,7年前だろうか、昭和半ばに全国を車で回って郷土玩具を集めた人の家に何度か行って、伏見人形をまとめて買った。価格はその人が買った当時のままで、大半は飾っていなかったので新品同様だ。筆者がほしいと思っていたものがいくつもあった。だが、大型のものは少なく、大半は掌サイズであった。筆者は大型が好きで、ほしい型がいくつかあるが、ごくたまにネット・オークションで見かけても数万円はする。10年ほど前、一度9万円までせったことがある。それ以上はいくら何でも無理と思って諦めた。だが、今もその時の人形をありありと覚えていて、残念さが蘇る。もう一生同じものには出会えない。そう思うと10万でも20万でも安いかもしれない。伏見人形は型による複数生産品であるから、気長に待てばまた出て来ると思えばよいが、その大型の人形は彩色その他から見て、江戸末期か明治初めのもので、風格が別格であった。足の先が少し欠けてなかったが、それでも堂々たる作りで、もし筆者の所有となっていれば、収集品中ではベストのものになった。同じ型はたぶん丹嘉は所有しているはずで、10年に一度くらいは作るかもしれない。だが、目鼻の描き方など、技術は総体的に劣化していて、その優品のような味わいは出せないに違いない。土人形は割れ物であり、地震には弱く、そのために安定した形を求める思いが作り手にも買い手にもすぐに芽生えたはずで、その物理的安定感が視覚的に一種幸福感に直結している。これは、人間は安定した生活を求めるものであるという先入観に基づいた考えだろうか。その安定とは、今では経済的豊かさが100パーセントとは言わないまでも、かなりの部分を保障すると人は考える。だが、金持ちほど金を失うことに恐怖があり、精神的安定を得られないのではないか。であるから、金持ちが気持ちの安定をもたらしてくれる物をありがたがると言えるが、それはたいていは高級な商品で、自分の地位を誇示することにも役立つ。その点、伏見人形はごくささやかなものだ。人形であるから、形や色が美しく、またかわいい。そういうものを大人が愛好するのは、やはり安定すなわち気分を落ち着かせたい欲求があるからではないだろうか。
昨日書いたMさんは、自分のことを一種の極道と語った。Mさんは最初は呉服業界に身を置いていた。中京に住む人ではその職業は珍しくないどころか、大半が何らかの形で呉服に関係した仕事に就いていた。Mさんは呉服で一時期かなり儲けたようで、これもMさんの世代ではよく聞く話だ。染み抜き屋でも3人の娘を私大に入れて卒業させることが出来たと聞いたこともある。それほどに仕事が多かった。Mさんはそれは異様なことで、長く続かないと見た。そして業界から足を洗った。それで始めたのが寺町三条上るで伏見人形を初め、京都の郷土玩具を販売することだ。それには別の理由がある。Mさんは子どもの頃、漫画の『のらくろ』が好きであったが、家では買ってもらえず、友人から借りて読んだ。その復刻全集が発売されるようになって、ようやく全巻を読んだらしいが、その話は、昔から気になっていたことが時代が過ぎると実現することの面白さといった話の中で出た。Mさんが伏見人形を売るようになったのは、若い頃に伊豆方面に友人と旅行した時、ある工房で見かけた爪の寸法の獅子頭だ。そこは獅子舞の頭を作っていて、職人が手すさびに材料のあまりで爪の大きさのものを作った。顎は動くことはいつも作っている寸法のものと同じだ。その極小の獅子頭を見た時、Mさんはそこから動けなくなった。譲ってほしいと粘りに粘った挙句、ついに職人は売ってくれた。ただみたいな値段だ。その職人はMさんが大事にしてくれることを知ったのだろう。その獅子頭はMさんは今も大事にしている。筆者は手に取って見せてもらった。それがMさんの人形愛好の第一歩となった。それでついに呉服を売り歩く仕事をやめて郷土玩具を売ることにした。だが、時代はすでに新たな郷土玩具愛好家を生みにくくなっていた。伏見人形など、飛ぶように売れるものではない。また利幅も少なかった。丹嘉からは現金で仕入れ、いくらで売ってもよいと言われたが、丹嘉も独自で販売している。そうなれば、知っている人は丹嘉で買うだろう。
筆者はたまに毎月弘法さんと天神さんに出かけた10年ほど前のことを思い出す。朝起きるのが苦手な筆者が21と25日だけは目覚まし時計がなくても早起きし、恋人とデートするような気分でバスに乗って出かけた。その頃が一番楽しかったかもしれない。たいていは何を買わずに帰って来るが、筆者のためにわざわざ伏見人形を競り市で買って来る業者もいた。その人は9月には見かけなかったし、数年前にもいなかった。わが家に来たこともある人で、気が優しかった。業者はたいていそうだ。それに人形好きならばなおさらだ。人形好きに悪人はいないだろう。優しい人であるから、あまり高価で売ることが出来ず、やがては営業が出来なくなる。反対に、金儲けのうまい業者は、たとえば絵画の贋作を平気で高値で売るような人で、家を何軒も持っていたりする。ま、それはいい。弘法さん、天神さんに出かけても伏見人形を見かけないことが何か月も続いた頃、筆者は友人Nからもらったパソコンでネット・オークションを始めた。ネットではたくさんの伏見人形が常に売られているし、また縁日の市で買うより安い。だが、ネット・オークションで落札出来るようになったことと、弘法さん、天神さんの縁日で買うことのどちらが楽しいかと言えば、文句なしに後者だ。ネットは売り手の顔がわからない。それがいいとも言えるが、届いた品物に思い出がつかない。露店商とのやり取りが楽しいであって、また何がいつ出て来るかわからない楽しみはネット・オークションも同じでも、たくさんのガラクタの中から土人形を見つけだすことの方が期待感に満ち溢れ、わざわざ足を運んだ甲斐を思う。先に「恋人に会うような」と書いたが、ネット・オークションではそんな気分にはなりようがない。筆者は露店商と割合すぐに仲よくなれる方だが、それは人間好きであるからだろうか。あるいは単におしゃべりか、また孤独であって人が懐かしいからか。弘法さん、天神さんの大勢の人が押し寄せている雰囲気がまず好きで、それは商店街を歩くことが好きなことと同じ理由だろう。今はもうめったなことには出かけなくなったが、それは伏見人形をほとんど買わなくなったからだ。そうなると、行く目的がない。ほかの何かを集めるつもりはないし、郷土玩具の中でも伏見人形だけに関心がある。正確に言えば、美江寺の蚕鈴も好きで、そのほかにもごくわずかにまだ買いたいものがある。深夜2時半を過ぎたので、続きは明日。まだMさん絡みで書くことがある。今日の写真はMさんの家の中に入ってすぐに部屋だ。伏見人形以外に嵯峨面などが見える。2枚目の写真の右端のガラス・ケース入りのおたふくの立像は丹嘉の玄関脇のウィンドウ内にもある。Mさんはそのおたふくを店内の看板として置いていた。