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●飾り馬を求めて、その5
をもつかむ思いと先日書いた。今調べたところ、「その3」だ。その表現は大げさで、店に行く前から「飾り馬」はないと諦めていた。それでも行ったのは、久しぶりに大手筋商店街を歩きたかったからだ。大阪のようなにぎわいのある商店街でないし、また距離も知れているが、どことなく落ち着いた風情がよい。



●飾り馬を求めて、その5_d0053294_136692.jpg訪れた9月10日はまだ暑い盛りで、帰りには茶を売る店の奥にある喫茶コーナーでかき氷を食べた。そのことは以前書いた。とてもきめ細かい氷で、粉のようであった。宇治金時ではなく、ただの宇治を注文した。茶舗なので、自信作であろうと思ったからだ。予想に違わず、とてもおいしかった。今年は店でかき氷を食べたのはその時だけであったが、満足した。この日の大手筋行きで撮った写真はみなブログに載せた。「飾り馬」はなかったものの、印象深い日となった。「飾り馬」があるかどうかを考えた時、真っ先に思い出したのはその店はない。9月の8日に九州のFさんから電話があったと書いたが、6か7日だろう。電話をもらってすぐに思ったのは。四条大宮駅で下車し、徒歩7,8分のところに住むMさんだ。そこを訪れたのは7か8日だったと思う。ま、どうでもいいが、10日に寺田屋の近くの小さな店に行ったのがそれより後だ。Mさんの家を訪れるのは7,8年ぶりだ。もっとかもしれない。Mさんは自宅で伏見人形を販売している。バブルの頃に寺町三条上がるで看板を揚げて伏見人形を主に販売していた。店をやっていたのは数年だった。平安画廊の北隣りだ。新しい店が出来たなと思ったところ、伏見人形店であった。その頃はまだ伏見人形に興味はなかった。そうそう、ザッパに会うためにフランクフルトに行く前、何か京都らしいお土産を買おうと思って家内と寺町や新京極商店街をぶらついた。修学旅行生相手の土産店がまだ多い頃で、どの店も似た商品を置いている。そんな中、変わったものを置くMさんの店は目立った。当時は伏見人形について知識がなかったが、それでも普通のお土産屋にある人形とそれが全く違うものであることはすぐにわかった。通りに面したウィンドウを覗くと、小さいものでも数千円する。かなり割高感があって買うのとやめた。また、ザッパが喜びそうな形のものがなかった。あまり凝った形のものでは説明に困るし、また面白味がわかってもらえないだろう。また、たとえば「饅頭食い」といった有名はものは、ザッパが関心を抱きそうにない。
 その夜、Mさんの店の奥に入ったかどうか忘れた。それにMさんがいたかどうかも記憶にない。そのMさんと会うようになったのは、Mさんがその店を閉め、自宅で在庫の人形を売るようになってからだ。Mさんの家は三条商店街のすぐ近くにある。筆者は本職でよくその界隈に行く。それでMさんの家に「伏見人形」を書いた看板を見かけ、通りに面した擦りガラスの窓を透かして、いくつかの伏見人形の背中が見えた。看板に気づいたのはもちろん伏見人形に関心があったからだ。関心がないものは注意しないから見えない。筆者は過去の出来事の年月を覚えるのが苦手で、いつから伏見人形に関心を抱いたのか忘れたが、弘法さんや天神さんに毎月通って熱心に集めるようになったのは2000年を過ぎてからだ。ザッパに会いに行ったのが92年であるから、10年ほど経ってからだ。伏見人形に関心を持ったのは若冲が関係しているか。2000年に京都国立博物館で『若冲展』があった。それを見た時に若冲のファンにならなかった。若冲が伏見人形を頻繁に描いていることはもっと昔から知っていたが、そのことで伏見人形に興味を持つこともなかった。最初に買った伏見人形は小さな布袋像で、どこで買ったのだろう。たぶん弘法さんか天神さんでたまたまであったと思う。その人形は東京のザッパ・ファンの梅村さんが来宅した折り、お土産としてプレゼントした。土産と呼べるほどのものではないが、筆者が最初に買ったものということで、それなりに思いを込めた。今手元の資料を見ると、筆者は友人Nの事務所をたまに訪れた時、ネット・オークションに入札させてもらっていくつかの伏見人形を落札した。それが2001年から翌年にかけてだ。その頃毎月弘法さんと天神さんに通っていた。まだパソコンを持っておらず、そのようにして露店で買うしかなかった。NからWINDOWS95のパソコンをもらったのは2003年だ。自宅でネット・オークションが出来るようになり、弘法さん、天神さんにあまり行かなくなった。となると、熱心に通っていたのは2年ほどか。その間に培った業者との関係は今も役だっている。
 Mさんの家の「伏見人形」の看板を見てから実際に訪れるまであまり時間はかからなかった。看板に気づいたのはいつか忘れたが、古い伏見人形を求めて弘法さん天神さんに通うようになった頃だ。2,3度訪れて数点買った。ほしいものがまだあるが、10年前で4万円した。それはMさんが丹嘉で仕入れた価格で、それ以下では売らないという。当然だ。損してまで手放すことはない。先月ほとんど10年ぶりにMさん宅を訪れたが、行く前に思ったのは、筆者がほしい4万円の人形だ。それはまだ同じ場所にあった。ある人から聞くところによれば、その人形は今なら丹嘉は10万円以上で売るようだ。それに型が少し違っているとのことで、Mさんの所有するものは貴重品となる。残念ながら、ごくわずかに絵具のひび割れが10年前にあったが、それは今はどうなっているだろう。Mさんは商品として仕入れたもので、誰の手にもわたっていないので新古品ということになる。4万を出せないわけではないが、筆者はほかにもっと高価なものを毎月のように買う。それでほしいものを何でも買うわけには行かない。Mさんのところで10年もそのままあったならば、まだ当分在庫となるだろう。すなわち、いつでも買える。いや、そう考えると急に売れたりする。それにMさんは70代で、Mさんには悪いが、お亡くなりになればそれがどこにどう売られてしまうかわからない。そうならない間に、またMさんの思い出に、筆者が買っておくべきだろう。それは重々承知しながら10年経った。ところで、丹嘉はめったにその人形を作らない。伏見人形に詳しい人に訊いても、同じ商品を今までに見たことがないと言う。そんな話を聞くと4万円で買っておこうという気になるが、わが家はもう飾る場所がない。前にも書いたが、箱に入ったままの伏見人形が数十個ある。それはさてき、Mさんは筆者を忘れていた。それでもお互い伏見人形好きで、その日は3時間たっぷり話した。そして写真を撮ってもいいかとの願いを快諾してもらった。その写真を二、三回に分けて載せることにする。ということは、Mさん絡みで二、三回投稿する。Mさんは以前と変わっておらず、それなりにお元気であった。以前と同じ場所で同じ話になったが、初めて聞く興味深いこともいろいろとあった。平安画廊の北隣りに店を持っていた頃の思い出はここに書いてはまずいことも多々あるが、同画廊主の中島さんにMさんはよくしてもらったそうで、筆者も毎週のように中島さんとは話をしていただけに、古きよき時代を懐かしむような気になった。ところで、筆者が中島さんと馴染みになったのはバブル期だ。シュマイサーの版画を買ったことがきっかけで、その後中島さんが亡くなるまでほとんどすべての個展を見た。それでも画廊が暇な時、筆者とふたりだけで1,2時間も話すといったことをしたのは、すでにMさんが店をたたんでからだ。そして、筆者は伏見人形を集めていることを中島さんに何度か話したが、Mさんやその店のことを中島さんから聞かなかったと思う。それはいいとして、Mさんがひょっとして「飾り馬」の在庫を抱えているかと期待したが、その当ては外れた。
by uuuzen | 2013-11-06 23:59 | ●新・嵐山だより
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