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●「I DIG ROCK AND ROLL MUSIC」
索と穿鑿は同じ発音でも意味が違うが、英語ではどちらも「DIG」だ。この単語は中学生で習った。ビートルズの曲に「DIG A PONY」がある。その後ジョージ・ハリスンは「DIG A LOVE」という曲を書いた。



中学生で習った「DIG」の意味は「掘る」で、その意味だけに固執すれば今日取り上げる曲や前述のビートルズやジョージの曲の題名の意味がわからない。そこで、中学生でも「堀る」は「(物事を深く)掘り下げる」の意味があると想像出来るもので、実際「DIG」はそのような意味にも使う。筆者が知る限り、「DIG」の単語を題名に用いた洋楽は今日取り上げる曲が最初だ。したがって、ビートルズやジョージは同曲にヒントを得たかもしれないと当時は思った。この曲はピーター、ポール&マリー(PPM)が1967年に発表した。日本でも大ヒットし、筆者は彼らの曲としては初めて大好きになった。筆者はフォーク・ソングの生ぬるい音より大音量のロックが好みで、PPMの曲は当時ラジオで盛んに鳴っていたから、また単純なメロディの曲が多いので、すぐに覚え、レコードを買うつもりにはなれなかった。例外は本曲だ。今でもPPMと聞くと本曲を思い浮かべる。日本盤は「ロック天国」という題名で、これはウォーカー・ブラザースの「ダンス天国」の真似だろう。あまりに安易な発想だが、「ロック天国」という題名は悪くはない。歌詞の内容をうまく説明してもいる。そうそう、今日は何の曲を取り上げようかと悩み、先ほどまで「ダンス天国」のドーナツ盤を横に見ながら、スコット・ウォーカーの曲にしようと思っていた。だが、先月ならよかったが、明日から11月では歌詞内容に合わない。それで来年の夏に回すことにして本曲に決めた。それにはひとつ理由がある。今月19日の満月の日に河島アナムが歌う「月の花祭り」について書いた。早速アナム&マキのCD『ゴッタ』を取り寄せ、三度聴いた。若い女性ふたりが力いっぱい歌っていて、もう若くない筆者はどこか気恥しかった。それはどうでもいいが、彼女らはふたりともギターとヴォーカルを担当し、そのままではPPMと同じフォークに分類出来る音楽だが、サポート・メンバーを起用して音は多彩になっている。ギター2本と歌だけでは物足りないというレコード会社の配慮だろうか。それでフォークがロックに傾いている。ほとんどビートルズを聴くような気にさせる曲もあり、彼女たちがいろいろと先人ミュージシャンの曲をDIGしていることがわかる。それは常識だ。古典となった名曲から汲み上げられるものはそうする。それは多少の味つけであって、本体は彼女らの心からの言いたいことだ。そこを聴くべきで、またたいていの人はそうしているが、筆者のように長年音楽を聴いて来た者は、ヒントになった曲をつい思い浮かべ、そっちの印象が拡大してしまう。
●「I DIG ROCK AND ROLL MUSIC」_d0053294_20495698.jpg

 今でもギター1本と歌だけの曲は大ヒットする余地があるだろう。多彩なマルチ・チャンネル録音に馴れた耳からすれば、単純な音の方が新鮮に思える時がある。NHKの夕方の番組でアナムがギター1本で「月の花祭り」を少し歌った時、筆者は衝撃を受けた。『ゴッタ』で聴くとそうでもなかったが、それは音が多いからかもしれない。それに歌い続けて来たので深みが増しているからでもあろう。もうひとつ思ったのは、『ゴッタ』ヴァージョンはロック調だが、ギター1本の方がかえってロック魂を感じた。フォークの生易しさとは無縁の力強さがあった。それでびっくりしたのだ。こうなると、音が多彩で大音量であるからロック、ギターと歌だけがフォークとは言えない。そのことは1960年代半ばにすでに生じていた。「フォーク・ロック」という言葉が流行り、そういうグループがいくつか出たが、それはフォークがエレキ・ギターを用いたことを示す。ボブ・ディランがそれをやって賛否両論で沸き、その後ディランはロックを積極的に取り入れるようになった。その点PPMは相変わらず素朴なままで、ギターに歌、そして陰にベース奏者をしたがえる程度で、ドラムスのビートは用いなかった。これはデビューした当時のスタイルを守ったからであろうか。一旦売れてしまうと、容易にイメージを変えることは出来ない。ボブ・ディランはそれをやって叩かれながら、生き延びた。一方、ロック・ミュージシャンは何でもありのところがあって有利だ。それをビートルズが決定づけた。ロックンロールでも弦楽、管楽のアンサンブルを使っていいし、シタールの音色を導入する自由もあれば、フォーク調の仕上げも違和感なく成し遂げる。名前が超ビッグになれば、それまでのイメージを保つことより、実験的な音作りが求められもするし、その無言の圧力にビートルズはよく耐え続けた。そういうビートルズの音楽を追っていた筆者は、PPMの曲の歌詞内容は明確にわからないまでも、音の単調さは物足りなかったのは仕方がないところがある。それがおやっと思ったのは本曲だ。1967年はビートルズにとっても重要な都年度だ。2月だったか、「ストロベリー・フィールズ・フォーエヴァー」が発売され、春のアルバム『サージェント・ペッパー』出現は大きな事件のような扱いを受けた。そういうロック全盛期にPPMは「まだ」活躍していて、本曲を発売した。
 当時盛んにラジオで鳴ったので、すぐにメロディは覚えた。エレキ・ギターをかき鳴らさず、ドラムスもないのに、ロックンロールのリズムが楽しい。歌詞についてはロックを風刺しているとDJが語った。それは当然だろう。フォークの牙城を守る意識があったはずで、歌詞に思想を込める思いを守り通すとの矜持があったに違いない。フォーク・ソングは社会の矛盾を告発する側面が大きく、PPMもその例に漏れないが、彼らが本曲でロックを茶化すのは、歌詞に意味を認めないからだ。ロックがヒットするのは、ザッパもしばしば語っていたが、ラジオから鳴り響くからだ。60年代はまだ映像主体の時代ではなく、ラジオがヒットに大きく関係していた。これもザッパが言っているように、ラジオでかけてもらうには放送コードに引っかからない歌詞にする必要がある。明らかな社会風刺などもってのほかだ。そのため、ロックは次第に金儲けの手段になって行ったが、これもザッパの意見だ。それに本曲の歌詞でもほのめかされている。特にビートルズだ。「LOVE」について歌うのは「売る」ためであると断言していて、これもザッパの意見と同じだ。そう思えば、1967年の時点で筆者はザッパの音楽に魅せられる運命にあったとも言える。それはさておき、本曲の歌詞の細部を先ほど吟味したが、レコード・ジャケット見開き内部の歌詞は間違いが数か所ある。当時は日本人では聴き取りが無理で、アルバイトでアメリカ人やイギリス人を雇った。ところが彼らにしても完全に聴き取ることが難しい箇所があった。そんな間違った歌詞をいくら眺めても面白さはわからない。いい時代になったもので、今ではWIKIPEDIAなどで歌詞がわかるし、YOUTUBEでは当時見られなかった映像も鑑賞出来る。筆者が67年当時本曲を凝った作りでまた風刺的と思ったのは、途中でエレキ・ギターの逆回転の音が流れるところだ。それは66年のビートルズのアルバム『REVOLVER』を連想させるが、ビートルズを茶化していることは歌詞がわからなくてもわかった。PPMは本曲の題名にあるとおり、ロックンロールを研究し、その特徴を歌詞に盛りながら、メロディやハーモニーにも適用した。つまり、本曲はロックンロールの特徴を持ちながら、彼らのロックンロールに対する思いを歌っている。その思いは結論から言えば、歌詞のメッセージに心が動くことはないし、大きな感情をもたらすものではないが、言うなればとてもGROOVYなものということだ。「GROOVY」という言葉は当時流行った。サイモンとガーファンクルの曲名にもこの単語は出て来る。「格好いい」とでも訳すのがいいが、それは格好だけで、中身に乏しいと言える。前述のように、PPMは歌詞を重視する。格好よさだけでは駄目というのは、それだけ大人になっていたからでもあろう。
 格好よさだけ追求して来たのは、たとえばポール・マッカートニーだ。それはそれでいいし、ロックンロールとはそういう音楽だ。だからPPMは本曲でビートルズを金儲けと言う。だが、PPMがやり玉に挙げているのは、ママス・アンド・パパスやドノヴァンで、フォークでもロック寄りのミュージシャンだ。これは歌主体のフォークがどう脚色すればロック並みに大ヒットするかを「DIG」した結果の思いが反映しているだろう。そして、そういう曲作りはいつでも自分たちでも出来るという自負が滲み出ている。その証が本曲で、単にロックを風刺するのではなく、ロック風味でそれをやるところが愉快だ。この手法はザッパにつながる。風刺するには、その相手の手のうちを熟知し、それを逆手に取らねばならない。その余裕があってこそ風刺は光る。そうでなければただの愚痴になる。そう考えると、本曲は余裕の産物であり、ロック・ファンを楽しませながら、考えさせる。つまり、「本曲が言っていることは本当だ」という思いにさせる。当時16,7歳の筆者が本曲に感じたのはそのことだ。歌詞が深くわからなくても、即座にそれを伝える何かが本曲にはあった。それはPPMのそれまでのヒット曲や立場を知っていたからでもあるが、大ヒットする2分半の短い曲は、世界中の人にただちに理解されるものを持っているからだ。流行歌とはそういうものだ。だが、PPMはただの流行歌ではなく、他者に思考や覚醒を促すメッセージを込めようとする。それには歌詞は象徴的になる場合が多く、また流行に囚われない、そしていつでもどこでも、電源がなくてもみんなと一緒に歌える編曲であるべきだ。心にしみじみ広がる味わいと言えばいいか、余韻を残す曲となると、生ギターと歌だけの方がかえってよい。それは前述した河島アナムがひとりで歌う「月の花祭り」でもそうであった。ともかく、PPMの本質は60年代のアメリカを知らねばわかりにくい部分がある。フォークは日本でもブームになったが、アメリカと日本の政治の差があるほどに、日米のフォークは異なるだろう。日本では70年代フォークは歌謡曲にしっかりと組み込まれ、今や娯楽のナツメロとなった。PPMの日本版と言ってよい歌手は誰だろうか、いてもTVでは出番がない。そのため人気者にはなれない。人種が多い分、アメリカの方が社会的矛盾をたくさん抱えているが、その分、PPMのような純粋なミュージシャンがいたということではないか。純粋とは何かと問われると、ま、そんなに詮索せんでもよろしいと言っておく。「PPM」と聞くと、「100万分の1」の方を連想するが、公害が盛んであった当時に人気があった彼らだが、数年前にマリーが死んだことをTVで知った。戦争はいつでも起こっているので、彼らの反戦歌は永遠に歌い続けられるだろう。本曲はと言えば、PPMを知っている人にだけは人気があると思える。
by uuuzen | 2013-10-31 23:24 | ●思い出の曲、重いでっ♪
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