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👽💚🐸🐛🍀📗🤢😱5月11日(土)、京都河原町三条下るLive House『DEWEY』にて👻『ザッパニモヲ 💐母の日LIVE』午後5時開場、6時開演。3500円👽筆者の語りあり。
●今回は初めての別会場での、そしてザッパ/マザーズの結成日である1964年の「母の日」から60年という節目における、ザッパニモヲの演奏です。チラシ画像はここ。恒例の手製のお土産をくじ引きで配布します。

●弘法さん、天神さん
は革が包むで、靴は革が化ける。昔から革は身の周りのものに使われて来たことが漢字からわかる。今日は1日乗車券で市内のあちこちを回った。市バスが東大路通りを祇園から三条に向かっていると、「布」に「包」を合成した見慣れない漢字を染めた暖簾を見かけた。



有名な帆布製のカバン屋で、「鞄」の文字を使っていないところが面白い。布でも革に劣らない強度があるとの自負だろう。今日は昨夜からのひどい雨が止まず、松尾橋のバス停まで歩いてそこからバスに乗るのは億劫であった。それで阪急に乗って西院まで行き、そこからバスに乗ることにした。西院までは180円で、その回数券が手元にあったからだ。また、西院からバスに乗ると、1本で北野天満宮に行ける。今日はそこで月一度の縁日が開かれる。先月は21日の東寺の弘法さんにも行った。目的があったからだ。両日とも天気に恵まれ、写真を少しだけ撮った。今日はそれを投稿する。本当は今日撮影したものを使うつもりであったが、雨であるし、数キロの買い物の予定があったので、不織布の手提げ袋はなるべく軽くしたかった。それで、迷いながらデジカメは持参しなかった。ところが、いつも袋には入れているので、カメラが入っているような気もしていた。正午前に電車に乗り、西院で下車、地上に上がると、相変わらず雨だ。どこをどう回るか思案し、最初に岡崎に行こうかと思い、信号をふたつわたって高山寺のバス停前に立った。バスがなかなか来そうにない。それで天神さんに行くことにし、信号をわたろうとすると、あいにく赤だ。そしてカメラを持って来ていないことに気づいた。それで行くのを諦めたところ、向こうから四条通りを東に行くバスが来たので、慌てて高山寺前に戻った。雨でなければもっと早く家を出て天神さんに行った。顔見知りの業者に会う楽しみもあるし、ミカンなどの果物を買うつもりもあった。それに写真も撮った。ひどい雨の場合、客の出足は鈍る。それに業者はみな露店であり、雨に濡れてはまずい商品の場合、休業する。通りの両側のところどころに空き場所がいくつも出来て、客の少なさと相まってわびしい。今日はそんな状態であったに違いない。また、先月は久しぶりに訪れて相変わらずの様子を確認したから、先日の弘法さんには行かなかったし、今日の天神さんも是が非でもという気にはならなかった。ついであれば行ってもいいという程度だ。そして、用事をいくつか作っておいた。
●弘法さん、天神さん_d0053294_1455938.jpg
 まず展覧会がふたつ、人に会うこと、そして買い物や郵便局からの振り込み、図書館での調べもの、帰りは梅津で降りてトモイチとムーギョで買い物だ。それらに天神さんに行くことであるから、市内をバスで走り回らねばならない。結局展覧会はひとつだけ見た。予想外に鑑賞に時間がかかった。今日はまた、市立美術館の壁面をスクリーン代わりに使った催しが予定されていて、それも見たかったが、府立図書館近くのポスターが中止を告知していた。台風に伴う大雨のため、人があまり来ないし、映像を映写する機器も雨に濡れる。同じような作品は6,7年前に神戸で見たことがあるので予想はつく。同様の企画は東京でも行なわれていることを先日のTVで知ったが、筆者が神戸で見たのは日本では最も早い上映であったのではないか。それはさておき、家内と一緒に家を出て、桂駅で別れた。家内は特急で四条河原町、筆者は準急で西院だ。今朝は6時起きで、寝不足ははなはだしく、嵐山から乗ると、隣りに家内がいるのにすぐに眠った。桂から乗ればまた眠って四条河原町まで行ってしまうのではないかと家内に言った。すると本当に眠ってしまって気づけば烏丸で、西院まで2駅戻った。バスに乗ってまた眠った。特に帰りのバスは市役所前から乗って梅津段町まで目覚めなかった。それで昨夜の睡眠不足は解消出来た。そう言いながら、今日もまた寝るのは2時過ぎになるだろう。今朝早く起きて何をしたかと言えば、自治会に配布する文章の印刷だ。2日前にせっかくプリンターが動くようになったというのに、また同じ状態になった。インク切れのオレンジ色のランプが点滅して動かない。これはインク切れを示すが、インクはたっぷり入っている。何が原因かとネットで調べ、思い当たることは全部したが、うんともすんとも動いてくれない。両手をインクだらけにして3時間を費やした。インクは10年は持つほどに大量に買ったのに、その9割をインク漏れなどの役立たずで消費している。筆者にとってパソコンでの印刷は最大のストレスで、カラーでまともに印刷出来ることは100枚に1枚もない。いつも赤や青一色で刷り上がる。インクの入れ過ぎか、あるいは空気が入っているからか、いろんなことを何度も試しながら、いまだに理想的なインクの状態がわからない。印刷のためにどれほど大量の時間を費やして来たろう。それを思うと窓からプリンターを投げ落としたくなる。それにしても困ったものだ。今朝はあれこれ触っていると、急に動き始め、2時間も前に印刷指令した文書の印刷が始まったが、それが終わるやまたランプ点滅状態だ。せっかく6時に起きたというのに、無駄に3時間も使ってしまった。プリンターなどない時代の方がストレスを抱えずに済んだ。便利なような新しい機械に振り回されることは真っ平であるのに、それから免れ得ない場合がある。
●弘法さん、天神さん_d0053294_1461080.jpg
 こんなむしゃくしゃすることを書いても読者は面白くない。話題を変える。一昨日、隣家で大きな音がした。昨日その原因がわかった。本を入れた大きな段ボール箱が床に落ちていた。ばらばらに散った本を整理していると、富士正晴の単行本を1冊見つけた。それと同じ本を同じ隣家の3階で数日前に発見し、わが家(つまり、寝起きしている方の家)に持って来ておいた。知らない間に同じ本を2冊買っていたのだ。むしゃくしゃするが仕方がない。その本もまた持って来て、2冊を比べ、状態がいい方を本棚に置き、残り1冊をどうしたものかと思いながら、あちこち読んだ。これがとても面白く、先ほどのむしゃくしゃが消えた。それで思ったのは、人に読んでもらう文章は面白くあるべきということだ。気分がほっこりするというのが一番よい。富士の文章にはそういうところがある。推敲がほとんどなされていないことが明らかな箇所はとても多いが、そんな細部の技巧はどうでもいいという押しの強さがある。それはそうと、隣家で段ボール箱が落下したのは、本を探すためにたくさんの箱を移動したからだ。探した本は蕪村全集の絵画編で、確認したいことがあった。分厚くて箱入りなのですぐに見つかるかと思って探すと、すぐにあった。ところが喜んだのは束の間、それは別の巻であった。全集であるから同じ装丁で区別がつきにくい。絵画編は出て来なかった。どこかにあるのは確かだ。1冊の本を探すのにとんでもなく時間がかかる。これも最大のむしゃくしゃのタネだ。それにしても本1冊はCD1枚より何倍も大きくて重い。文庫本ならそうではないが、何でも文庫本で入手出来るはずがない。それに筆者は同じ内容とすれば、文庫本より単行本がいい。本の話になったついでに書く。筆者が買うのはほとんど古本だ。新刊を求めて本屋に行くことはめったにない。そのため、今どんな本が話題になっているか知らない。それでは時代遅れになるが、なってもかまわない。そうそう、ここ1年ほど探していた本がある。「日本の古本屋」では1万円で出ている。それはたぶんずっと売れない。というのは、題名が一字間違っているからだ。そのため、筆者はいつでも1万円でその本を買うことが出来る。ほかに探しているひとはそれなりにたくさんいるはずだが、検索で引っかからない。筆者が見つけたのはよほど熱心に検索しているからだ。その本で筆者がほしいのは小さな写真1枚だけだ。その本を所蔵する図書館は日本に2,3しかない。頭を下げ、代金を支払えば、その本に載っている図版を用いることが出来る。どうしても古書で見つからない本はそうするほかない。だが筆者は可能な限り、自分で本を買う。そこでネット・オークションの出品を待った。運がよければ数年の間に登場するだろう。実際はもっと運がよいことにその本が先日出品された。1000円スタートだ。それで買えればいいが、まず無理だ。結局5000円少々で落札出来た。しかも状態がとてもいい。1年待って願いがかなった。気長に待つと、必ずどんなものでも手に入る。ただし、それなりの費用は用意せねばならないし、毎日確認もする。それはもはや執念だ。筆者は執念深いかもしれない。
●弘法さん、天神さん_d0053294_21213090.jpg
 ま、むしゃくしゃすることもあれば、10年に一度くらいの喜びもある。ここ1,2週間はそんな状態だ。その10年に一度程度の大きな喜びだが、確かに嬉しいことには違いないが、運命の出会いによって筆者にその幸運が舞い込んだように感じる。つまり、昔から予定されていたことが予告なしにぱっと眼前に出現したようなもので、当然の出来事との思いがする。そのため、嬉しくてたまらないといった大きなはしゃぎより、しみじみと人生を噛みしめると言う方が当たっている。これは、老人に近づいて感動がうすくなって来ているためとも言えるだろう。そこで思うのは、今までで一番の喜びは何であったかだ。家内は昔筆者はキモノの新人賞で大賞を獲得し、副賞として100万円もらった時のことを言う。その頃ふたりは粗末な文化住宅に住み、お互い20代であった。そう言えばその後も賞金つきの賞を何度かもらったのに、喜びは小さかった。最初に本を出した時も嬉しかったが、それが二度目、三度目になるにしたがって感動は小さくなるに違いなく、大いなる感動の大切さを思う。それがなくては生きている意味がないと言えばおおげさだが、嬉しいことがたくさんあることは誰でもだ。おそらくそれはほんの些細なことに見つけて行くべきで、大金がなくてはかなわない夢などは高が知れているだろう。そう思うのは諦めかもしれない。金持ちほどそう主張する。昨夜家内に語ったことが中途半端に終わり、そのことを覚えていた家内は今朝、その話の続きをしろとせがんだ。どういう話かと言えば、人間は何が最も長く残るかだ。数十億の金を持っていたのに、数年でそれがなくなった人が家内の身内にいた。その人の名前も顔も、またそれほど資産があったことも誰も知らない。歴史に残らないことの方が多いのは当然として、残ることを考えると、それはカバンや手提げ袋に入るかどうかの大きさは別にして、また、カバンや手提げ袋そのものでもある「物」、が残るゆえであるからではないか。たとえば本だ。昨夜富士正晴の著作を拾い読みしながら、彼の面白がり具合や気分がよく伝わった。著作の中に生きているのだ。それは日本語がある限りは将来も筆者と同じように感じる人がきっといる。そのことで墓下の富士が喜ぶといったことなどどうでもよい。死者には何もわからない。ただ、これから生まれて来る人も同じ本で同じような楽しい思いが味わえるのならば、その本は読み継がれて行く。これはほかの作品でも同じことだ。作者の思いがこもったものは、それに反応する人がある。そういうことを信じる人がブログに文章や写真を載せる。そして、珍しくて古い物に出会うには、たとえば弘法さんや天神さんの縁日に行くのがよい。そこではネット・オークションでは味わえない人との会話がある。筆者はその楽しみもあって出かける。今日の写真はみな先月の撮影で、2枚目が弘法さん、3枚目は天神さんだ。今日の帰りは傘を差しながら4キロほどの買い物袋を両手に分けて持った。不織布の手提げ袋にカメラを入れなかったのはよかった。荷物の重さによほど松尾から嵐山までの一駅を電車に乗ろうかと思ったが、歩きで体重を減らすことを思い出した。それに電車を待っている間に家に着く。電車賃が浮き、運動になるから、やはり歩くに限る。それは貧乏人の痩せ我慢だが、物は思いようで、雨の中を青いハートが連続印刷されたビニール傘から通して見る遠くの街灯はそれなりにきれいであった。この傘、いつの間にかわが家にある。女性向きだが、かまわない。
by uuuzen | 2013-10-25 23:59 | ●新・嵐山だより
●天神橋筋商店街でティー・ブレ... >> << ●緑のタペストリーと絨毯、その18

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