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●鬱の芽、鷺の目
尿検査で少し蛋白が検出された。年に一度の小学校で行なわれる健康診断を8月下旬に受け、1か月ほどして結果が届いた。毎年「要検査」や「要医療」の項目が2,3あるが、今年は初めて尿検査で異常が出た。



それよりも深刻なのは血管に溜まるコレステロールだ。L何とかコレステロールという。よく覚えられない名称で、また覚える気もない。筆者は自分の病気は自分でだいたいわかると思っている。数値が多少異常であっても、検査の日によって差があるはずで、たまたま悪い結果が出たかもしれない。だが、逆に考えると、実際はもっと悪いのに、検査当日にましな数値が出たとも言える。そのために診断結果には「要検査」や「要治療」の評価が書かれる。それはともかく、保健所から電話がかかって来た。今月2日だったと思うが、上桂の保健所に診断結果表を持参のうえ、面談を行なうという。数年前に受けたことがあるので要領はわかっている。それで行かなかった。ところが数日前にまた電話があった。必ず来いといった調子だ。それで日を決めてすぐに出かけた。昨日の投稿の最後に載せた鶏頭の写真は、保健所に着く前、そのすぐ近くの民家の前で撮った。2階と聞いていたので階段を上がって行くと、廊下の両側に古い部屋がたくさんあるが、どこかわからない。きょろきょろしていると中年の女性が不審がったのか、どこへ行きたいのかと訊く。事情を説明すると、そんな催しはやっていないとのこと。まさか。ひょっとすれば、場所を聞いていなかったので、違うところに行かねばならなかったか。そのようなことを口走りながら、1階の階段脇に臨時の貼り紙があったことを思い出し、それを指差した。するとその女性は納得し、「ああ、一番奥の部屋です」と言ってくれた。その部屋には20代の女性の保健師がひとりだけいた。数年前に応対してくれた女性とは違う。ほかにも説明を受ける人がいるとばかり思っていたのに筆者ひとりだ。健康診断は西京と右京区では何千人と受けているはずで、「要検査」や「要医療」の結果が出た人はその半分ほどはいるだろう。そのため、毎日診断結果の説明会を開いても、数名の参加では済まないはずだが、大半の人は説明を聞くより病院に行った方が早いと考え、そのことを保健師から電話があれば伝えるのだろう。そのことをわかっていながら、二度電話をもらったので筆者は自転車で保健所まで行った。生活習慣病の説明で、数年前と同じ要領だ。したがって、話は聞くまでもなく全部わかっている。にもかかわらず、毎年どこかが悪いという結果が出るのは、わかっているのに生活習慣の改善を行なっていないことになる。ならば、数年ぶりにまた同じ説明を受けるのは意義がある。それに今年は今までとは違う結果が出ていて、いったい筆者の生活のどこが健康によくないのか確かめたかった。数年前とは違って今回はしっかりと質問し、初めて知ったことがあった。気づくと2時間も話していた。
●鬱の芽、鷺の目_d0053294_0543585.jpg 結局のところ、悪い診断結果が出たのは、食事の偏りと食べ過ぎ、そして運動不足が最大の原因だ。だが、それを理想的なものにしてもどこかおかしくなって来る年齢だろう。還暦過ぎれば何かと変調を来してあたりまえではないか。それでも体に悪いことはしないに限る。そして、いいことはやるべきだ。筆者は2,3日に一度は買い物のために徒歩で1時間半ほどかけて梅津のスーパーのムーギョとトモイチに行く。毎日行ってもいいが、必ず買い物をするから、冷蔵庫の中に入り切らない。いつも両手にいっぱい買い物をしてしまうからだ。夫婦のみの生活ではなかなか食材が減らない。それで無理してたくさん食べてしまう。徒歩の運動はしっかりやっても、一方でたらふく食べるから、全体として健康にはよくないだろう。筆者の身長からすれば、もう5キロは体重を減らすべしと言われた。次に保健師に会うのは来年4月だ。つまり、毎月1キロずつ体重を減らさねばならない。筆者はどちらかと言えばかなり痩せて見える。それなのにまだ5キロも多い。これは内臓が太っているためだ。そのことが血管を悪くしている。脳梗塞や心筋梗塞になる確率が増すから、そんな病気で倒れたくないのであれば、5キロ減らせというわけだ。これは食べる量を減らすに限る。また毎日ムーギョを往復すればいい。買い物をしなくても歩けばよい。それはわかっているが、筆者は健康のためにだけ歩く、あるいは運動することが大嫌いで、買い物など何か別の目的がなければ動く気になれない。ならば、スーパーでたとえば牛乳1本だけ買って来ればよい。それもわかっているが、1点程度の買い物なら近くのスーパーで間に合うから、ムーギョまで行くのが馬鹿らしい。せっかく1時間半も歩くのであるから、両手いっぱいに買い物しなくてはもったいないという思いだ。ともかく、毎日歩くべきで、今日も梅津まで歩いた。従姉から最近新品同様の自転車を譲り受けたので、今は自転車が2台ある。だが、それに乗ればあまり運動にならないから、歩く。自転車は梅津よりもっと遠い、たとえば前述の上桂の保健所といったところに行く場合に使う。
●鬱の芽、鷺の目_d0053294_0545138.jpg

 昨日のNHKの特集番組で鬱病の起源についてのものがあって、たまたま見た。鬱病が多くなっていることは知っている。文明病と言えるだろう。アフリカのどこかの部族は狩猟生活を営んでいて、捕獲した動物の肉を部族全員で平等に分ける。その部族の人たちはストレスがほとんどなく、鬱病とは無縁らしい。そこに鬱病から脱するヒントがある。メソポタミア文明の頃から人は農作物を貯め込み、貧富の差を生んで来たが、現代の資本主義社会はその延長上にある。日本は貧富の差が拡大していて、それは鬱病の増加と関係がある。面白かったのは、ストレスを感じる実験だ。人は自分だけが著しく損をしている時に大きなストレスを感じるが、それより大きなストレスは意外なことに、自分だけが他人より格段に得している時に感じる。そしてみんな平等に富が分配された時にストレスは一番少ない。このことは、社会主義国家にそれなりの意味があることを示唆しているだろう。先日『三人目』という東ドイツで1972年に作られた映画の感想を書いた。そこでは、頭のいいごく一部の技術者と、単純作業しか出来ない人との賃金の差が倍もなかった。きわめて平等な仕組みというべきで、そのことは仕事で失態を繰り返す男性が、査定委員たちの前で吊るし上げに遭いながらも、肯定的に見る人がいたことにも表われていた。日本ならばすぐにそんな無能同然の人はクビだ。ベルリンの壁が壊れ、ソ連が解体した当時、マルクスの悪口を言う知識人が日本でもうじゃうじゃ出て来た。鬼の首を取ったかのような威勢のよさで、社会主義は人間にとって最悪の仕組みと喧伝された。今でもみんなそう思っているだろう。鬱病が増えるのは文明社会では仕方のないことで、資本主義の経済格差はそのままに、手術や薬などでどうにか鬱病だけを撃退する方法はないかと医者は考える。実際同番組ではドイツでの事例がいくつか取り上げられていたが、脳の奥深い部分に穴を開け、そこに電極を埋め込んで心臓のペースメーカーと連動させることで劇的に鬱が改善した人を紹介していた。それは確かに医術の勝利だろうが、メソポタミア文明の社会では脳に穴を開けることなど医者は考えたであろうか。体を傷つけることなく、鬱を直す方法を見つけるべきではないか。またその方法の紹介もあって、それは前述のアフリカの狩猟で生きる部族の生活習慣に見倣うことだ。彼らは狩りのために毎日よく走る。鬱病は毎日走ることで改善が見られることがわかって来たそうで、つまりは運動の重要性だ。そう言えば『三人目』で東ドイツの人たちの趣味がわかる場面が何度かあった。それは地図を片手に列車に乗り、2、3駅向こうで降りて歩いて戻ることだ。歩くことを国家が奨励していたのだろう。金もかからず、体にもよい。鬱になることを避けるための効果を社会主義は本能的に知っていたことになりそうだ。
●鬱の芽、鷺の目_d0053294_0552937.jpg

 昨夜のNHKの特集番組では鬱になりやすい職業についても紹介していた。アルバイトで単純作業をしているような人は専門職で自営業者に比べると、倍以上のストレスを抱える。それは収入の格差でもあるが、筆者は収入は最悪でも、毎日好きなことをしているので鬱にはなりにくい。孤立してしまいがちな人ほど鬱になりやすいとも伝えていて、その点筆者は孤立しているのかどうか、よくわからない。割合誰とでもすぐに話せるし、であるから自治会のややこしいことでも切り抜けて来ている。なので、鬱の辛さは理解出来ないが、同番組で紹介されていたように、鬱病患者は薬の服用も大切だが、もっと意義があるのは他者との関わりと運動だ。その他者は心を通わせられる相手ならば誰でもよい。そういう人間関係を作って行くのは難しい世の中かもしれないが、話している間に関係は生まれる。まずは話す環境に身を置くことだ。そうは言ってもそれが苦手な人がある。そういう人は見てわかるので、たとえば自治会内であれば筆者は自分から積極的に声をかけることにしている。そうして少しずつでも相手の心を解きほぐす。いくらでもお互いが喋らないままの関係を保つことは可能だが、それでは自治会の意味がない。それはいいとして、小学校での健康診断では鬱病は発見されないだろう。もっとややこしい病気なたなおさらだ。癌で死ぬ人が多いので、癌検診は別料金を支払うと受けることが出来るが、乳癌や大腸癌といった程度で、見落とされる癌の方が多いだろう。つまり、健康診断を年1回受けても、それで安心するのは早い。かといって人間ドッグに入ってごく小さな病気の芽を発見してもらっても、かえってストレスが増えることもある。いずれ人間は死ぬのであって、数年程度生き延びても同じではないかと思わないでもない。70近くなってじたばたするのは見苦しく、その年齢まで何をやっていたのかと思う。それを言えば還暦がちょうどいい境目で、残りの人生は100メートル走をやり終えた後の流しの走行で、そうがむしゃらにやることもない。ただし、病の床に就いて苦しむのはいやで、あまり用事がなくてもうろうろと歩き回っていたい。ま、そんなことを思いながら今日も昨夜に続いて「マイ・ボックス」に保存している写真から選んだ。昨日が「花」であったので、今日は「鳥」だ。昨日と同じように撮影した順に載せる。先月と今月に撮ったもので、個々の説明はしない。ま、鷺ののんびりした姿を見つめるのはいいものだ。昨日は松尾橋の上に4羽がきれいな隊列を組んで旋回していた。そうそう、1週間ほど前の午後7時過ぎ、松尾橋東詰めから東へ200メートルほどの車道に一羽の大きな鴨がよたよたと歩いていて、筆者の方を向かって来た。よほど捕まえて桂川に放ってやろうかと思ったが、2メートルほどに近づくと脇道の暗がりに逃げ込んだ。ま、鳥は自由がよい。
●鬱の芽、鷺の目_d0053294_0553639.jpg

by uuuzen | 2013-10-21 23:59 | ●新・嵐山だより
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