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●『マリア・テレジアとマリー・アントワネット展』
9日に心斎橋そごうで観た。マリー・アントワネット生誕250周年記念と銘打たれ、「華麗なるハプスブルク家 母と娘の物語」という副題がついている。70年代前半に大ヒットした漫画『ベルサイユのばら』の池田理代子の監修だ。



●『マリア・テレジアとマリー・アントワネット展』_d0053294_23485177.jpgそのため女性客が多いと想像したが、9割以上がそうであった。宝石類や豪華な調度品などが展示されるのはわかっていたが、いかにも新装になった百貨店にふさわしい。王侯貴族の特権階級が君臨する身分制度はなくなっても、相変わらず貧富の差はあるから、現代の大金持ちなら簡単に手が届くブランド商品はいくらでも百貨店に並んでいる。前にも書いたが、この百貨店の1階は海外の有名ブランド店がずらりと並んでおり、正面出入口から入る懐の乏しい者はまず自分の身分のほどを知らされることになる。そんなに金持ちでなくても、どうにか工面すれば買える手頃な商品も置かれているのは知っているが、一方ではとんでもない豪華な逸品が外商で売られたりするから、百貨店は相変わらず現代の総合商店のトップに君臨している。百貨店での展覧会では、出口に大抵関連商品のショップがある。今回は時計のブレゲが紹介されていた。5、6年前、時計好きの男に出会ったことがある。2、3000万ほどする外国、たぶんスイスの変わった腕時計で、宝石で飾り立てたりはしていないが、それに目を色を変えて興奮していた。そのメーカーの時計はメカが特殊らしく、そう言えば文字盤のデザインは通常の時計とはかなり違っていた。世界中に愛好家がいるようだが、そのメーカーの時計をある有名時計店が大きく宣伝して展示即売をしていたのだ。そんな時計をぽんと買う人があるからそんな催しが開かれるのだが、時計など時間がわかれば安物で充分と言う人には全く用がない。何でもそうで、上には切りがないし、頂点を絶えず目指そうとする人がいるから人間の文化も進展して来た。大金持ちがいなくなれば、何事も停滞してしまう。共産主義の理想は美しいと思うが、それでも一部の人が政治を司る必要がどうしても出て来るし、その中には本来の理念を見失って王様気分に浸るものが絶対に現われる。人間は生まれながらにして善だなどと言っても、特権階級に属せば必ず精神的な腐敗は免れない。話を戻して、ブレゲはスイスの時計家で、18世紀後半にフランスにやって来て王侯貴族から注文を取った。マリー・アントワネットも最新式の豪華な懐中時計を注文したそうだが、幽閉されてしまったので別の簡素なものを発注し、それが手わたされた。簡素と言っても庶民には手の出ない精巧なものだ。結局ブレゲが渾身の技術を投入したものはマリー・アントワネットが死んだ後で完成したが、今は盗難に遇ったまま出て来ない。時計マニアは世界中にいるし、小さい時計は簡単に隠せる。100年や200年は出て来ないかもしれない。ブレゲの店は今も経営を続けていて、それがそごう百貨店で注文出来るというわけだ。「あなたもマリー・アントワネットと同様の夢がかないます。」
 マリー・アントワネットが時計1個に支払おうとした額を簡単に払える大金持ちは今の日本にはざらにいるはずだが、そんな人々のの中に時計に大きな興味を持っている人がどれだけいるかだ。ひとつふたつはは王侯貴族の所有物に匹敵するものを買えても、あのヴェルサイユ宮殿を思えばたかがしれるどころではない。太陽と30ワットの電球程度の差はある。つまり、時計だけ2、3000万のものを手に入れても、そのほかのものに一旦目覚めると、とても一般市民の一生では太刀打ち出来ない。とんでもない権力を持っていた王様がいたおかげであらゆる文化が高度に発達したから、人間の歴史の中では時として歪な身分社会は必要ということだろう。ブルボン王朝も革命後の市民社会も、料理人や裁縫師、工芸家や建築家、それに画家や作曲家など、みんなそれなりに物づくりをして来たが、一世一代の腕を振るいたくても、その場が与えられないという不満を抱える人はあるかもしれない。豪華な腕時計も宝石がたくさんついているだけで、どうせメカは普及品と同じだと思うのは早計だ。今はほとんどそうかもしれないが、18世紀後半のマリー・アントワネットの時代はそうではなかった。新技術による新しいメカニズムというものが次々と生まれていた時代であるからだ。そう考えると現在とて同じ条件にあるかもしれない。研究などそもそも資金が潤沢になければ発展しないからだ。フランス革命で王様がギロチンにかけられ、行き場を失った雇用人たちは、たとえばブレゲと同じように今度は自分で店を持って営業することになったが、王様がこんなうまいものを食べていたのかと、たちまち一般市民においしい料理が伝わる。そして貧富の差は消滅しないから、高級店が存在出来る。そして金を持っている者がかつての王侯貴族と同じような生活気分を味える。百貨店がこうした展覧会で、王様がどのような豪華な調度品や衣服で生活していたかを示す一方、出口で「この歴史ある商品はあなたにも手が届きますよ」とささやくのであるから、何だか罪な話だ。王様がいなくなっただけで、何にも変わっておらず、むしろ成金であろうが金利生活者であろうが、とにかく金を多く所有しさえすれば王侯貴族になったと勘違いする人間が増えただけで、かえって殺伐としたいやな時代と思わないでもない。
 昨日『神父授業』について書いた。18世紀のフランスの身分社会において、国王のすぐ下の第一身分として聖職者がいた。農民2000万人に対して12万程度、つまり1パーセントに満たない。第二身分は38万で、宮廷人、地方の貴族などがいたが、これらの特権階級で国土の4割を所有していた。アメリカの13州独立戦争はフランス革命と並行したが、そのアメリカも今は徐々にそんな貧富の拡大がはなはだしい国になりつつあるから皮肉なものだ。だが、今の大金持ちは資本主義の原理に沿ってそりなりに知恵を絞ってそうなれる。身分社会では農民の子は農民、たまに芸術的才能に恵まれて王侯貴族から注文を受けるまでに名が上がっても、モーツァルトの例からもわかるように、芸術家の地位は料理の手伝い人と同じ程度であった。神童のモーツァルトと会ったマリア・テレジアもオペラの俳優などはヤクザ者と思って尊敬などしなかった。今なら、本当にヤクザ者に見えるロック・ミュージシャンが一攫千金で大金持ちになる世の中だから、これまた資本主義の原理の恩恵を受ける人種が大いに変化して、人々に夢を与えているというわけか。それはさておき、聖職者がとんでもない権力を持って君臨していた18世紀フランスだが、それはごくごく一部の話だ。ほとんどは農民、職人の出で、町や村の司祭をして貧しかった。『神父授業』でもそれは垣間見ることが出来た。日本の仏教世界でも同じことだろう。組織となればどうしてもそれを取りまとめるトップの存在が必要となるから、数名の枢機卿を頂点にする聖職者のピラミッド構造が出来る。フランス革命の前夜にそんな頂点に立つ人や、また下層の中からさまざまな人が登場してやがて大きなうねりとなって王様を廃止する方向に動いて行ったが、王様たちにその贅沢な暮らし三昧の間に農民がどのような悲惨な生活をしているか知っているのかと詰め寄る中で、まるで無防備なたとえばマリー・アントワネットは言われのない罪を被せられるなどして、ギロチン台に上らされた。ギロチン台行きを決めた連中がまたギロチンに上ることを何度も繰り返した挙げ句、ようやく恐怖政治も収束し、ヴェルサイユ宮殿はほとんどそのまま保存されて、遠く離れた極東で池田理代子のように史実と架空をうまく混ぜた漫画で一山当てる人も出現し、宝塚がそれで多少潤い、そして今は世界遺産になったヴェルサイユ宮殿に相変わらず日本人が大挙して押し寄せるから、ま、万事よかったということなのだろう。
 オーストリアのハプスブルク家の全財産を相続したマリア・テレジアは16人の子どもを得た。これは少子化に悩む日本から見れば、まるで大きな鑑か。生活には心配なかったから、何人産もうがかまわないし、また、跡継ぎの男子を得るまでは何人でもという事情もあった。ロートリンゲン公フランツ・シュテファンは14歳の頃にウィーンの宮廷に遊びに来た時、テレジアの父親のカール6世が可愛がった。当時テレジアは5歳で、やがて数年の間に恋心を抱き、そして19の時に結婚する。金持ちは金持ち同士とということで、ヨーロッパの王侯貴族の名家はみんなどこかで婚姻関係を結んでいるが、誰しも相続の際には権利を主張して領土をほしいと思うから、絶えず戦争が起こっていた。テレジアは今でもオーストリアの国母と讃えられるほどの存在だが、それは兵を動かし、男まさりにも国を守ったことによる。宿敵はプロイセンのフリードリヒ2世だ。オーストリアとはほとんど隣同士であるから、仲が悪かったのも当然か。とにかく何度かお互いが領土を侵されそうになる鍔競り合いがあった。テレジアの夫フランツはテレジアより15年早く亡くなる。なかなか蓄財家で、莫大な遺産があった。フランツは遺言で遺産のすべてを長男ヨーゼフに贈り、皇帝となったヨーゼフは母とともに政治を司る。だが、戦場となったボヘミアを視察してその荒廃ぶりから敵であるフリードリ2世の啓蒙的合理主義に共鳴し、テレジアとは違う政治を行なう。父の遺産を国家に委ねたり、農地開放をしたりと、庶民にとっては善政を実行した。だが、貴族や他の民族に受け入れられず、テレジアほどに名を残していないのが何とも哀れか。ヨーゼフはテレジアとは宗教政策面では意見を異にしたが、テレジアは熱心なカトリック信者で、今回の展覧会の目玉は、特別コーナーとして設えられた聖堂の祭壇写真の前に並べられた聖杯や、聖人の骨の微細片を覗けるように収めた、密教で言う舎利塔などであった。当然全体が金で出来ていて、ダイアモンド、ルビー、サファイヤをたくさん象嵌している。あまりにも貴金属の固まりであり過ぎて、何だかありがたみも湧かないが、ごてごてと凝ったデザインは油絵の額縁の彫刻のようにヨーロッパならではだ。そうした工芸品を作った職人の腕は今は何に活かされているのだろう。腕の発揮をしたくとも、その場がなければ技術は衰退する。さりとて王侯社会への逆戻りも出来ず。
 日本の古伊万里もいろいろとあった。日本とのつながりが当時からすでにあったことがわかって面白い。ヨーロッパでは古伊万里は非常に高価なものであったので、なるべく割れにくいようにと、把手やつまみ、あるいは縁取りなどを金属で取りつけて保護の機能を持たせてあった。また、割れた古伊万里の違う器のかけらをいくつか集め、それらを金属枠に嵌めて全く別の器に改造したものもあった。それだけ古伊万里の肌が愛されたのだ。そのほかマイセンの美しい色合いのものもあって、それらの美しい磁器はいかにも当時の貴族の生活に馴染んでいるのがわかった。古伊万里だけ見ているとそういう感じは伝わらないが、これが一旦金ピカの豪華な宝石や家具調度に混じると、また独特な豪華な雰囲気をかもし出す。そこが改めて確認出来て面白かった。テレジアやフランツの大きな肖像画はいくつか別の時代のものが展示されていた。当時の見合い写真であり、理想化して描かれているためか、同じ人物には見えなかった。だが、実際はテレジアは美人であったそうだ。娘のマリー・アントワネットもそれを受け継いだのだろう。今回の展覧会は3部構成で、1、2がテレジア、3がアントワネットに当てられていた。ギロチンで母の半分ほどしか生きなかったアントワネットでもあるので、半分の割り当ては正しいが、遺品が少ないという理由もあるのだろうか。アントワネットはヴェルサイユ庭園の片隅のプチ・トリアノンという家で比較的質素に生きていて、国民から槍玉に上げられるほどの浪費はしていなかったが、派手好みではあった。イギリスの戦争に勝ったというので、鬘を大きな軍艦型に作らせ、それを頭に乗せて歩いたりしたというから、さすがモードの国の姫ということか。その実物の鬘が展示されていたが、まるで漫画的で、とにかくスケールだけは大きい。それは白い髪で作ったものであったが、ギロチンに上る時のアントワネットは髪がすっかり真っ白になっていたそうだ。テレジアの少量の遺髪が今回展示されていて、それもまた真っ白であったが、アントワネットはよほど恐怖と心労で衰弱し切ったのだ。哀れな話だ。その他の展示品はテレジアが愛用した扇子、モーツァルトの姉に贈った首飾りなどのあまり豪華ではない宝石、七宝を施した置き時計などがあった。それなりに見所はあったが、手紙類はほとんどコピーであった。最後はアントワネットがテレジアに送った手紙があった。便箋1枚で、フランス語だった。適当に拾い読みすると、何だか母に親しい言葉で話しているような感じが汲み取れる気がした。国の頂点に立つ人でも人間ということだ。テレジアはドイツ語を日常は話していたはずだが、フランス語も堪能だったのだろう。アントワネットとフランス語はいかにも似合う。
by uuuzen | 2005-10-13 23:50 | ●展覧会SOON評SO ON
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